2006年12月31日

2006年を振り返って

 今年もそろそろ終わる。今年の国内外の情勢に関する感想、当ブログに関する内容などを書いて今年の最後のエントリとしておきたい。全般として、様々な問題が先送りされた年であったかと思う。

・日本の政権交代
 日本の首相が誰かというのは、従来余り諸外国から関心を持たれていなかった。それは結局のところ政権交代により大きな政策転換があるかどうかを自国の立場を中心に考えるからであろう。日本での政権交代が政策的に影響を与えると感じる外国はそれほど多くない。実はその観点からすると、中国や韓国といった近隣の北東アジア諸国の報道がやはり多い。小泉前首相が比較的個性の大きい人物だっただけに、今回の注目度はそれなりにあった。欧米諸国での関心も、相変わらず低いが実質の影響に比べれば報道されていたのかもしれない。
 で、その安倍政権である。私はシンプルに小泉首相以前の自民党政権の伝統が反映されると思っていた。その範囲で比較的良いものになるか悪いものになるかの判断は現時点でもまだ保留とせざるを得ない。しかし、小泉前首相に関しては、やはり中道左派への擬似的政権交代と観るのがやはり適切だったのかなという思いは改めて強くなってきた。実のところ政策はともかく理念ベースでの後継者はほとんどいない。政治理念的な人脈の流れとしては小泉氏は比較的孤立した存在だ。その意味で思想そのものは比較的近い民主党右派との連携は興味深い話だったのではあるが。
 安倍政権自体の推移は、程度問題はあるが支持率をじわじわ落とす方向であるのはほぼ確定であろう。しかし選挙は相手のある話であって、参院選の結果は民主党の状況との比較で決定される。なお、この10年以上の不況で政治に対する国民の要求レベルは向上したが、今は伝統的エリート層において危機感が薄くなっているタイミングに当たる。政官財のエリートも一枚岩ではなく様々な考えの人がいるが、ここしばらくは、「何かをしなければならない」という認識は一応共有されていた。しかし今は何もしない事にメリットを感じる人も多少出てきている。もちろん多くの国民はそう思っておらず、この乖離感が深刻になる可能性は織り込んでおかねばならない。しかし仮に自民党の首脳部でそれが認識されたとしても国内政治上の力学で何も出来ないかもしれない。そのような時には具体的な権限を持つ個人が重要となる。具体的には首相とその周辺の官邸の数名、党三役であろうが、これまた安倍政権が失敗したとして、それが受益となる人もいるように思う。つくづく政治は構造であると思わざるを得ない。各人の能力や思想は小泉政権時とほぼ同じなのだが。

・米国のイラク政策
 最近のエントリで少し触れたが、唯一の超大国の外交の課題となると国内的には今年もこれが筆頭となっていた。それは中間選挙にも影響したわけだが、結果に関わらず大きな進展は無い。
 正直、戦争前の米国人のイラクに対する期待水準が高すぎたというのは否めない。ただこれは米国の良い面でもある。日欧は成熟した民主主義を達成するのは選ばれた国だけだという意識が強すぎる。またそれがある程度現実にも合っているだけにむしろ問題がある。長期的に米国人の考え方が変わらないかどうかというのが個人的な関心事だ。
 イラク問題はイラク問題であって米国問題ではないが、それでも米国の外交的失態を指摘する事は可能だ。国連軽視とか色々あるが、個人的にほぼ唯一の問題と思っているのは英国への軽視である。例によってまたこちらにリンクをさせていただくが、これらの各種の「理由」に関しては、長期的には対アラブ世界(恐らく対イスラム世界ではない)への民主主義国の対応の共通の理由として様々に変質しながら収束していくものだと思っている。その共有化の第一段階にあたるのはやはり英国だと思うが、その英国とすら理念の共通化に関して努力する度合いは足りなかったのではないだろうか。またそれは、対テロ戦争は民主主義国に共通する問題ではなく主に米国のみが抱える個別問題であるという認識を国際的に強めてしまった。もちろんそうでない事は多くの民主主義国の政治家が理解してはいるのだが、その政治的基盤はより薄くなったであろう。英国人は恐らく無意識のうちに、本当の理由とか、正当な理由に関して、米国と共有しているのを期待していた。第一の同盟国として、秘中の秘の情報も共有しているのではないかという、古い大国の浪花節的な期待もあったろう。それは大量破壊兵器問題を契機に失望に変わってしまった。ただ実際にブレアは多くの理念を語っており、それは嘘というわけでもなかったが、現実の政治の世界では単なる追随者でしかないように見えてしまった。これは米国の責任が大きいといえるが、そう表現する事すら英国に対する侮辱となりかねないので言い方は難しい。少し年月が経てばブレアは良くやっていたと歴史の評価は好意的となるかもしれないが。
それにしてもこういう時米国は面倒だなと思う。米国はイラクで実際の軍事的リソースの大半を投入している。またこの種の問題に関して、外国の貢献は常に数字で判断する国柄だ。実質9割以上を米国が単独で負担している、米国の国内マスコミはそう報ずる。それが7割になり、6割になった時に初めて外国に気を遣うのだ。これは程度問題こそあれ民主党に政権が交代しても同じだ。だとすれば、日本のように頭から軍事的貢献の評価の大半は諦めるという選択も悪くは無いとも言えるわけで、つくづく難しい話であると思う。日本の現実の政策ということであれば、海上自衛隊のように他国に無い装備を多々有している現実をもっとうまく利用する事を考えるべきであろうし、それはそれなりに今後もうまくいくのだろう。ただ日米同盟の全体方針とうまくマッチさせる事に関しては、本当に問題山積かと思う。

・ロシアの民主主義
 イラクでの混乱が無ければ、米国の外交上の関心はロシアの民主化後退に対してより強く向かっていたであろう。その意味でロシアは間接的な受益者ともいえるのだが、少し長い目で見ると欧州の世論が微妙な影響を受けるかもしれない。概して米国は理想主義的な外交を取り、隣接する西欧はもう少し現実主義的な対応を対露外交に望んでいた。しかし、エネルギー問題における実害などを含め、西欧に不満が鬱積しつつある。公然と口にはしにくいが、米国の理想主義的な強硬な発言を口ではたしなめつつもそれを望んでいた欧州人は多い。イラクでの混乱などに直面した米国が、統治の安定を重視する傾向は強まるだろう。だが、世界に現実主義の国々は多いが、そうでない政策は一定程度必要とされる局面もある。その政治的需要をどのような形で満たすかは、今後の世界の課題であろう。日本も北朝鮮問題などで類似の文脈を見出す事は容易だ。ただ、個別問題に関してはやはり従来通りの路線が取られる事例もあるだろう。このロシアにしても、例えばG8からの追放という事が合意される可能性も今後それなりにはある。

・NATO組織の拡大
 近年のNATOは域外での活動を重視しつつある。これは単純に従来の北大西洋地域を中心とする領域での活動では対応しきれないという現実からして当然のことである。もちろん、何もしなければ自国を中心として放射状に同盟を結んでいる米国の意見が圧倒するという外交上の要請も大きいのであろう。それでも米国を含め、多くの民主主義にとってこれは重要な動きである。なぜなら、限定されているとはいえ実効性を持った活動が出来る国際組織はこれくらいしかないからである。日本も集団的自衛権を行使し、こういう組織で活動する事は有意義であろう。それは世界の現実を直視する良い機会にもなろう。またNATOの立場としても日本とオーストラリアの参加がこの活動拡大問題の性質を決める。欧州がアジア地域の問題に理解を深めるためにもそれを望みたいが。
 また展開によっては、国連に与える影響も大きくなる。短期的にはあえて言及はされないだろうが、10年、20年と経過するうちにある種の国際機関の役割を代替しているという状況がが現出しているかもしれない。

・国連改革
 結局中途半端な状態で先送りされたという印象は否めない。この先問題山積という印象も否めない。これも構造的な問題となるが、国連での活動を強化する事が直接的に国益に結びつく民主主義国が少なくなっているのは問題だ。米国は相変わらずだし、日本が大きく冷淡になったのは意味合いとして重要。安保関係での活動は停滞していくかもしれない。AUの活動が影響するところは大きく、英仏のような旧宗主国との連携も含め、どの程度機能していくかの見積もりが大事であろう。またアフリカ諸国が国連をどの程度重視するかに関しては様々な思惑が錯綜しているが、言葉は悪いが中国から資金援助を得るための方策としてはしばらく有効であろう。

・イスラエル周辺
 戦乱が絶えないという印象はあるが、全般としてみるなら、イスラエルが持続可能な地域秩序は何かというのを見極める過程の一環であるようにも思う。シリアとの関係が規定する事は多いのだが。

 このブログに関連することも少し。

・各エントリ
 年後半は体調を崩した関係もあってかなり更新が滞った。もとより量が多いブログではないけれども、ある程度の量がないと質が確保出来ないということもあり、相対的により駄目になったのは間違いない。アクセス数は結構あるので申し訳ないことではあるが。例えば上記のロシア問題、欧州での状況など、もう少し色々エントリしたかった。
 比較的参照が多かったのは国内政治のエントリだ。これは政権交代があった年であるという事もあるし、日本語ベースだから読みやすいというのもあるだろう。ただ類似の意見も世の中に多いはずなので、より良いブログを読めばいいだけの話でもあろうからその意味で意外ではあった。日本の核武装問題のエントリがかなり参照されていたが、これはやはり潜在的な関心を持つ人が多いからであろうか。この問題はかなり多くの海外の文献を読まないと良い議論も出来ないはずの問題なので、水準の高いものをWeb上で読みたいとなれば英語ベースにはなることは他の問題以上である。私の知らないものが何か推薦でもあると有難いのだが。
 また北朝鮮などが関連した問題はやはりアクセスも多かった。この問題は日本人の暗部を刺激する側面もあるので難しい。日本は自らの立場が正当であるかどうかに関してはかなり意を払う国であり判断も慎重だ。しかし、その反動でもあるが、自らの判断に自信を持った瞬間こそが危険でもある。そこでの外交的妥協の余地が非常に少なくなり、抑制された、自己犠牲も伴う行動を取る事があまり無い。むしろ事の最初から自らの国家に過剰すぎる自信を持つ米国などのほうが、行動の段階でしばしば抑制的であったりするのは興味深い。国内が一枚岩だと外交的に妥協できないのはどの国も同じだが、ある種のタブーが発生するというのは、同時に正当さを根拠とした腐敗も生みやすいし、政策は硬直してしまう。その時でも理念は確固としつつ政策的に柔軟となるべきなのは日本の課題ではないだろうか。そういう事を何かの問題に触れた際にうまく指摘したエントリも書きたかった気がする。

・ブログ移転
 ココログに戻るつもりは全然無いとは言え、こちらでのコメントスパムにも参った。再アップした際にURLが変わるという当たり前のことに気が付くのも遅れてしまった。とはいえ、トラックバックもコメントももっと気楽にしてもらってよいのだが。アクセス数の割に少ないのはエントリの柔軟性の欠如ゆえか。

・ブログ方針
 もう少し日記風な、軽めの話題を多くエントリしてもいいかと思う事もあるのだが、妙にやりにくい。別のURLに作ったとしても案外書く事も無さそう。なもので、たまに一言交えながらマイペースで続ける今の延長かなと思っている。アルファブロガーになるつもりなど全く無いので細く長く続けるつもり。もはや生存確認というようなエントリになるのは何だかなとも思うが。

 最後になりましたが、日頃各ブログでお世話になっている皆様、リンクやトラックバック、コメントをいただいた皆様、相変わらずアクセスいただいている皆様、有難うございます。来年も宜しくお願いします。
posted by カワセミ at 00:13| Comment(7) | TrackBack(1) | 世界情勢一般

2006年12月22日

最近のイラク情勢に思う

 たまにはトラックバックの形でエントリするのもいいかもしれない。という事で、Hache氏のエントリに触発された形でイラク情勢に関して感じたことを書いてみたい。

 この問題を語るときはイラク問題というよりアメリカ問題になってしまっている。そうであるからこそ、このエントリにあるように「イラクより台湾が重要なら・・・・」という議論も発生する。そしてその折には、アメリカは失敗した云々と世の中では喧しい議論がされるが、その一方でイラクという国の事を急速に忘れ去っていく未来図も容易に想像出来る。欧州ならまだしも、特に日本ではそうだろう。

 そのイラクに関して、フォーサイトの記事を読みつつ考える。この出井氏の記事は、とりわけ視点がイラクではなくアメリカに偏っている人にとってとても良い内容だ。現在の情勢が簡潔に示されている。現地での犠牲者の8割はバグダッドに集中しており、首都の治安が悪くなったのは'05.4に選挙を受ける形でジャファリ政権が発足してから後の事だというのだ。それまでのアラウィ政権においては真夜中まで店を開けていたがそれからはそうもいかなくなったという商店主の声なども引き合いに出し、その時期を境に金持ちから順に首都を離れていったとしている。

 つまり、イラクで起きているのは武力を伴う無秩序な政治闘争だというのが本質らしい。首都に被害が集中しているというのはそれであれば当然だろう。米国は、その国内的な政治文化を考えると、他の先進工業国と比較すれば民衆の武装に関して比較的寛容な政策を取りがちである事は容易に想像できる。そして占領統治もしくはそれに近い治安維持の経験は、歴史的に見て比較的現地での秩序が成立している地域が多い。強いて言うならば旧ユーゴの経験が近年にあるが、これは大規模な部隊の展開を極力渋っており、その事も記憶に新しい。だから「選挙後の」武装解除という事に関して優先順位を高くおかなかったのかもしれないし、決定的な要素であるとの認識が薄い、またはそれをやらずとも(困難は目に見えているので)何とか良い方法はないかと模索しているのかもしれない。選挙で一定の票数を確保した各勢力の武装組織を鎮圧するというのは米国のある種の自己否定という面もあるだろう。むしろ宗教指導者のシスタニ師が武装解除の重要性を説いているというのは示唆的だ。もっとも、現在の政治的な闘争の局面では影響力も限られているとこの記事にもある。実際、なまじ建前上は世俗の勢力に統治権があるべきとしているだけに裏目に出ているのであろう。そしてサドル師のような擾乱要因とみなされる人物は、きっちり政治プロセスにも顔を出している事には留意しなければならない。

 以前のエントリで、中東は猫の目のように情勢が変わり、昔のイラク支援を非難するというのは歴史に連続性のある国が陥りがちな世間離れではないかというような内容を述べた事がある。北朝鮮やフセインのイラクなどへの対応がまずかったというのは、あまりに昔の話を持ち出しすぎると。ところがそう書いた本人の認識もやや甘かったようだ。イラクの治安は良くないが、その良くない理由はやはり猫の目のように年々変わっているのだと。恐らく中東地域、あるいは治安の良くない多くの国もそうなのであろう。統治が安定し持続的な社会というのは、我々が考えている以上に地球上には少ないのかもしれない。

 以前、ぼんやりと、日本の西南戦争のような形で政治路線が確定して安定しないものかと思っていた事がある。実際、多くの国では、冷徹なようだが新国家建設の段階では大規模な流血による決着があったという事は多い。単一の勢力が勝利する事により、秩序が発生し、それを基盤として発展するのだろう。だが今のイラクではどうなのだろうか。むしろ米軍は、そのような大規模な衝突を抑止する機能をしている。必死で対話による解決の道を探っているのだ。そして各政治勢力は、今の段階で米軍が特定の政治勢力に対し大規模な武装解除や掃討作戦を行わない事を知っているのだろう。

 結論的に言えば、武装解除を徹底し、暫定でも何でも良いので中立な行政機構で効率よく動く軍隊・警察のシステムを整備し、選挙で選んだ政権にそれを引き継がせるべきであったとは言える。選挙後に武装勢力を政治プロセスに取り込むことにより、イラク軍なるより上位の存在にそれを引き渡すと米国は考えたのだろうか。しかし中東では、手持ちの武力だけが全てを決定する。我々は大規模な国民国家に対してかなりの信頼を半ば無意識においている。しかしそれは、結局欧州から発生した政治文化で、それとの文化的距離が遠い国で前提とすべきではないのであろう。それでも、昔の日本の韓国や台湾の植民地統治のように徹底的に武装解除し細部まで手を取り足を取りで行政機構を作るとか、一時の英国のようにあまり現地人を信用せず時に非情に秩序維持に徹するとか、別の政治手法を取る国がやれば違ったのだろう。しかし米国はああいう国だし、他にやる気のある国も無いのが現状なのだろう。
posted by カワセミ at 01:05| Comment(3) | TrackBack(0) | 西南アジア・北アフリカ

2006年12月16日

スーダン情勢に関する観察(4)及び中央アフリカへの波及

 既に多くの人が取り上げているのだろうし、ここで私が付け加える意味がそれほど無いのかもしれないが、やはりエントリはしておきたい。ダルフールの紛争が、スーダンのみならず周辺諸国に拡大している。深刻な問題であるにもかかわらず、日本ではあまりにも取り扱われないニュースだ。大手マスコミでは日経のこれ「だけ」ではないかという印象がある。(参照1)検索してもろくにヒットしない有様だ。
 チャドへの波及に関しては以前のエントリでも取り扱ったが、ニュースの通り現在も事態が沈静化しているわけではない。ここ最近はそれに加え中央アフリカ共和国(略称CAR)への波及も問題視されている。

 このCARに関して少し補足しておきたい。例によって外務省サイトをリンクしておく。(参照2)ここはチャドと同様旧フランス植民地であり、現在でも影響力が強い。同国ではボカサが皇帝を称した事があり、現代史としては時代錯誤なエピソードとして比較的有名だ。経済的には世界の最貧国であり、そのせいもあって政情不安は続いてきた地域だ。しかし、近年は比較的公正と見られる選挙も実施され、国際社会の評価も徐々に高まっているようだ。人口構成としては、やはり旧フランス植民地の影響からかキリスト教徒がかなり多くの割合を占めている。そしてスーダンに近い北部地域は当然イスラム勢力の影響が強いわけで、伝統的に反政府勢力が生まれやすい地域でもある。無論それだけの単純な問題でもなく、途上国一般にある治安の力学を考えねばならないだろう。人権の状況については、Freedom Houseのこの国に関する記述をリンクしておく。(参照3)本文を読むと絶対的な評価は高くないが、個人的にはむしろ地域の現状を考えると相当まともな部類の政治ではないかという印象を受けた。他の各種ニュースソースでの印象でも、国の北部などを除けば何とか良い方向に機能してきているのではないか。そしてODAがそもそもまともに実行可能かどうかというのが、こういう経済的に厳しい地域の基準となるようにも思うが、皆さんはどう思うだろうか。ただ、政府が反政府勢力とみなす人々への人権侵害の報告はあり、そして無実の人々との精密な区別がされていない事も容易に想像出来る。状況も混沌としているのは間違いなく、国際的にも例えばこのような記事(参照4)で報道されてはいる。ただ、それでも安定との兼ね合いで評価は難しかろう。

 さて、ダルフールに関連する国際的な関心となると、アナン氏の言及もあり多少最近は増えてきているようではある。米国での扱われ方も微妙に違うのか、例えばワシントンポストの最新のコラム、引用する最後の段落では妙に強い表現だ。(参照5)

This crisis isn't going to fix itself. Sudan's President Omar Hassan al-Bashir rivals Iran's leader in genocide denial: He recently accused aid workers of exaggerating Darfur's crisis to preserve their jobs. Doesn't China feel qualms about propping up this ogre? Perhaps Treasury Secretary Henry M. Paulson Jr., who is in China along with a team of Cabinet officials and the Fed chairman today and tomorrow, might trouble to ask that question.


中間選挙後のある種のムードの変化かもしれない。ただ当面の動きとしては、ICCの正式な訴追が重要であろう。様々なニュースソースが出ているが、その一つをリンクし、一部引用しておく。(参照6)

In a report to council members ahead of his address to the 15-member body today, prosecutor Luis Moreno-Ocampo said his office was preparing submissions for arrest warrants to judges of the ICC's pretrial chamber.

"We are planning to complete this work no later than February," Mr Moreno-Ocampo, an Argentine, said in the report, obtained by Reuters.

Actress Angelina Jolie, who has visited Darfur three times and is a goodwill ambassador for the UN refugee agency, welcomed the prospect of indictments, by the court, the world's first permanent criminal tribunal.


 継続的に取り組んでいる熱心な人が証拠を挙げたというのが重要なのだが、これも各種ニュースソースを見て私は妙な感覚を持った。「条件が揃えば告発が可能になる」のを訴追に消極的な人々が容認する、と解釈できるように感じたのだ。根拠はと聞かれても難しいのだが、何か潮目のようなものが来ているかもしれない。しかしこの種の国際政治はタイミングが全てであるのも事実で、チャンスは消え去るかもしれない。少なくとも対中国の部分となればどうしても欧米の世論頼みとなるのは仕方の無いところで、来年初頭にかけて注力するのは意味があるかもしれない。この問題に持続的に関心を寄せている人がむしろ疲れ果てていて、それを感じ取れないという事もままある話だ。それはこの問題に限らず、例えば日本だと拉致問題とかもそうなのだろう。
posted by カワセミ at 01:05| Comment(5) | TrackBack(1) | サハラ以南アフリカ

2006年12月12日

安倍内閣雑感など

 体調はかなり戻った。しかし今年はひどい目にあった。声が出ないというのは不便なものだなと実感。一応復活だがブログの更新がマメになるとは限らない(苦笑)

 ここしばらくテレビなどで断片的に報道されている話題に関して軽く感想など書いてみる。現在の安倍政権に関してだが、どうも潮目が良くない。手堅い顔ぶれと思っていたが妙に浮世離れしているのである。

 まず中川幹事長。いくつかの雑誌で報道されている所によると、復党問題は当選している12人については世論の反発も少ないと踏んでこのような形を取ったと言われている。その真偽はともかく、議員を辞めるという事まで条件を付けたというのは異様な話である。言うまでも無くその権利は本人と有権者にしかないのであり、せいぜい自民党から追放するというのが最大限の処罰であろう。これはまともに政権を担える政党が自民党しかないという意識の無意識な反映なのだが、こういう点に自覚的になっておかないと足元を掬われる。復党問題に関しては以前にも書いたが、素直に別の政党として政治活動をすれば良いだけの話だ。その上で連立政権なり閣外協力を考えれば良いだろう。
 この種の世論との乖離はこれまでの自民党の政治も良く出てきた。その本質は、自民党の国会議員が立法府そのものを軽視しているという問題である。党の中でどう地位を得るか、行政府に属することが可能かどうか(つまり大臣等の役職につけるかどうか)という事に一義的な関心があるからだ。これは野党の無力がその大きな原因の一つなのだが、構造上の問題も無視できない。大統領制と違って内閣が法案を提出可能であり、委員会の権威が例えば米国などのそれと比較して低いからだ。これを改革するには、議員の数をかなり減らすしかないと思う。特に参議院に優秀な人材を集めるべきであろう。

 次に久間防衛庁長官。先日も米国向けのミサイルは実質的に迎撃できないという発言をしていたが、今回も小泉政権時のイラク戦争支持は公式見解ではない云々という話をしていた。これらの発言はそれぞれ法理的な原則や実質的な部分を重視した、いわゆる行政官僚の意見に近い。恐らく久間氏は自民党内で各種立法作業における実力は高いと認められていた人物に違いない。にも関わらず、地位と人物の関係は実に微妙である。内閣総理大臣の下、国防に関して首相に準じる最高クラスの権限を持つ人物の発言としてはどうであろうか。理念的な原則を示すのは首相としても、その下で戦略を示す最高責任者が枝葉末節に口を出している印象は否めない。ミサイル防衛に関しても、野党に対して毅然と「日本国憲法の平和主義を、やるべき事をやらずに済ませる言い訳に使うのは憲法を貶める事に他ならない。同盟国の人命を尊重しないそのような意見には、護憲派を自認する政党が真っ先にその道義性を非難するのが自然な事であり、そうでない事には驚きを禁じ得ない」とでもコメントしておけば充分であろう。
 これで思い出したのが、先日竹中氏が閣僚時代のエピソードを語っていた記事である。この「戦略は細部に宿る」という部分は、ただ読むとそうかと聞き流してしまう。が、このエピソードは日本の政治の問題点も如実に示している。ここでは、「大きな戦略のためには細部の積み重ねが重要である」という言い方に抑えなければならない。なぜなら、閣僚がそのレベルに口を出すべきではないからだ。ここでは竹中氏が「1m先へ行け」と示したとしている。しかしそれは本来閣僚の仕事ではない。やはり10Km先の目標を断固として示し、そこに至る経路に関して行政官僚の複数のチームに出来れば各々複数の案を作らせ、それらの案を取捨選択、整理統合し、最終案を決定するべきである。もちろんやや大きなマイルストーンが見込まれる場合には閣僚自ら示しても良いが、それは二次的な問題である。

 最後に安倍首相の曖昧戦略に関して。結論的に言うと、これは恐らく90年代前半までは通用した手法で、現在は無理だと思う。曖昧と報道されている時点で失敗で、柔軟と報道されなければならない。即ち、核になる理念や政策があって、それを実行するための手法は臨機応変に対応しますよ、というメッセージが国民に伝わってなければならない。現時点では出来ていないと思う。コアになる短いメッセージを発して、実力のある閣僚を信頼して任せているとせねばならないだろう。実際、主要な民主主義国で人気のあるリーダーは明確に理念を語っているのである。日本も例外ではないというだけであろう。長々としたスピーチを魅力的に出来るかといえば、それは日本人に少ないタイプなのかもしれないが。

 それにしても小沢民主党は困ったものである。安倍内閣はそれほど良いものとは思えない。個々人の能力は恐らく歴代内閣でも高い部類であろう。しかし、有機的な繋がりをもって行動しているかというとそうは思えない。国民の政治家に対する要求水準が高まっている今はチャンスなのだが、今の野党がそれを生かせそうも無いのは残念だ。なまじ来年の参院選では健闘しそうなのが逆に残念でもあるくらいだ。
posted by カワセミ at 01:42| Comment(5) | TrackBack(3) | 国内政治・日本外交

2006年12月02日

フィジーの政情不安

 しばらく更新を休んでいたタイミングで、それに加えて一週間ほど寝込んでしまった。今も好調ではなく喉が痛い。今年の風邪は厄介かもしれない。

 ここ最近、フィジーにて政府と軍が対立し、クーデターの可能性が報道されている。地理的にやや近く、関わりも深いオーストラリアが自国民避難の準備も進めているようだ。(参照1)これを機会にエントリしておきたい。

 フィジーの基本的な情報として、例によって外務省サイトをリンクしておく。(参照2)太平洋島嶼国はいずれも人口の少ない小国が多いが、フィジーは80万人以上の人口があり近隣国との間では相対的に存在感が大きい。しかしながら、歴史的にフィジー系の住民とインド系移民の子孫に当たる住民との間での対立が根深く、しばしば政情不安が伝えられてきた。双方の人口比も比較的接近している。

 インド系住民は、英植民地時代に移民させられてきた労働者の子孫である。元々砂糖のプランテーションで働くためであったのだが、これは現在インド系住民の要求を反映する立場にある政党(FLP)が元々社会主義的な政策を打ち出していた事に反映されている。加えて英植民地時代にフィジー系住民の伝統を踏まえて定められた土地制度が問題を複雑化している。参考として、フィジーに関連した日本語で読めるページをいくつかリンクしておく。(参照3,参照4)

 昔の日本でもあったようなインド系住民の小作人の立場の弱さというのもあるが、フィジー系住民の間でも土地を所有している者としていない者の対立は根深いようだ。そして近年の経済ではむしろインド系住民のほうが高い経済価値を有する職業に従事している事が多く、純経済的には単純にフィジー系とインド系に分けられる問題でもないようだ。ただ選挙となると必ずしもそうではなく、二大政党がそれぞれの住民から比較的固定的な得票を得ているようだ。(参照5)日本のドブ板選挙ではないが、やはり政治には泥臭い地に足の付いた部分があるのだろうか。確かに世界中どこでも理詰めというわけではない。

 現在の状況はワシントン・ポストの記事が簡潔にまとめている。(参照6)クーデター寸前の段階での睨み合いという所だ。国際社会の論調としては当然ながら選挙で選ばれた政府を支持するというものだが、現地ではこの種の強権に対する支持も一定程度ある。英国を元首とする立憲君主制への復帰の願望もまた一部にあるが、それは政治的安定への渇望に他ならないであろう。いわゆるフィジー大統領職のReserve power(参考:参照7)の発動は過去模索されたようだがあまり良い結果をもたらしそうにも無かった。英国の下であれば機能するかもしれないと解釈されているのかもしれない。(余談だが、欧米では日本の象徴天皇はこういうReserve powerも持たない純粋に儀礼的な存在という表現をされる事が多い)基幹産業の一つである砂糖に対するEUの優遇政策も切れるようだ。経済的困窮からもう一段階の政治的不安はあるかもしれない。もっとも金で済むことならばと日本に声がかかるかもしれないが・・・・

 その日本ではこの国に関する報道は少ないが、現地からすると最大援助国でもある。最近は国会でも安全保障に関する議論が活発だが、オーストラリアとこういう事態に共同で対処するような事も将来想定される日本の役割の一つであろう。まだそういう事も念頭に置いた議論にはなっていないようだ。オーストラリアも何かと猜疑心を持って反応され、苦労しているのだが、日本も近隣諸国とは似たようなものである。場合によっては外交上助け合う事も可能であろう。過去の日本の南洋諸島統治がもう少し長い期間であったなら太平洋島嶼国に対する日本の関心はもう少し高かったかもしれないが、結果を見れば台湾ですら日本が特別な感情を抱く地域と断言できるほどでもない。(例えば英仏の旧植民地に対する対応と比較すると明らかだ)活発な外交には外交での成功体験が必要なのかもしれない。今の日本はそう外交上の筋が悪いわけでもないのだが、意欲そのものが少ないのは否めない。
posted by カワセミ at 14:56| Comment(3) | TrackBack(1) | オセアニア・太平洋

2006年11月12日

2006年米国中間選挙

 世の中での扱われ方も大きいし、既に様々な人がコメントしているので書くこともあまりないが、やはり節目でもあるので軽く感想を記しておく。

 まず上下両院で民主党が過半数になったという事であるが、すっきりした結果であり政治の構図に紛れが無くなったという意味で良かったと思う。そもそも改選議席から考えて次の2008年においては共和党が上院の多数派を占めるのは困難であろう。また、今回の選挙戦の経緯を考えると、ブッシュ大統領がここで「潔く」しておく事は有益であろう。

 選挙後のブッシュ大統領の記者会見のリンクを示しておく。ここでの声明に限らず、イラク統治の失敗ということを「敗因として強調」している。もちろん米国の多くの有権者の期待する水準を大きく下回る実態であり、低く評価された大きな原因であるのは間違いない。しかし今回の選挙戦の経緯は、広く知られているようにフォーレー元下院議員のスキャンダル、金権腐敗などのような政治的不道徳がターニングポイントとなったものだ。それが共和党の信頼を大きく損ね、有権者のバランス感覚により野党民主党に投票したという事であろう。実際、今回落選した議員は品行方正とも言い難い人物がままいる。上院の議席数がギリギリとはいえ、ここで労力をかけるのは今後に禍根を残しかねない。いわば政治的損切りみたいなものであろうか。

 そのように考えると、先のブッシュ大統領の記者会見がスキャンダルなどの件をほとんど語っていないのは興味深い。これは多くの共和党議員に「恩を売った」ようなものではないだろうか。両党の融和を第一に語り、イラク問題とラムズフェルド国防長官の辞任が強調されている。ラムズフェルド氏の辞任は予定されていた事であるし、実際、イラク問題で民主党が素晴らしい解決策を持っているとは思いがたい現状、敗因はそれである、じゃあ民主党側はどうなのかとボールを投げ返すのはなかなか見事な対応だろう。いずれにせよ超党派的な結束はここで示しておくのは適切だ。

 それにしても、ラムズフェルド国防長官をネオコンに分類して語るマスコミの不見識はどうにかならないものか。RMAを占領統治に応用したのが失敗であり、ネオコン派はむしろ当初から巨大な関与を望んでいた。そうであるから結果として政治的な命脈は絶たれたわけではなかった。もっとも大規模な派兵をしようにも米軍は湾岸戦争時と比較してかなりの兵力削減をやってしまっている以上、不可能であったのかもしれない。で、これから民主党との超党派でとなるとどのような選択肢があるだろうか。NATO や日本などの同盟諸国に追加派兵を要求、くらいしか思いつかないのだが。そもそも多くの問題を米国だけで抱え込み過ぎるという文脈の批判も根強いのだから。
posted by カワセミ at 00:33| Comment(6) | TrackBack(2) | 米国

2006年11月08日

日本の核武装問題に関する国内議論への所感

 日本の核武装に関する中川氏や麻生氏の発言が問題になっている。政治やマスコミの現場での取り上げられ方は奇妙でしかないのだが、従来の日本政治が正面から取り上げなかった以上、仕方ないかもしれない。以前にもやや関連する内容を書いたが、つらつらとこの問題への感想を述べてみたい。

 麻生氏と中川氏の発言はかなり計算されている。中川氏は飛ばしているようにも見えるが明確に管理された発言の印象がある。どのような角度から考えても、諸外国への牽制なのであるが、同時に日本国内への負荷テストを兼ねているだろう。そのため麻生氏よりやや身軽と思われる中川氏の発言は、行政府ではなくあくまで一政党の議員の発言として受け止められる。例えば米国などでは立法府側におけるこの種の意見の多様さは元よりいくらでもある話なので問題が無い。実際は日本の議院内閣制においては結構重い内容を含むのだが。その意味では米国の政治の現場を配慮した形跡もある。

 その一方で、これらの発言が意図した最も重要なことは、日本国内の現実離れした右派の幻想を多少なりとも醒ます事ではないだろうか。(日本が潜在的に希望する水準の)核開発はそれほど楽ではない。技術もさりながら、どちらかというと時間、特に多くの実験とそれに伴う犠牲が避けられない。世論がそれに耐えられるだろうか。そして核開発を進めているその初期段階にかなり危険な瞬間を通過しなければならない。米国の支援がある場合を除き、それを乗り切れるとも思えない。

 米国との関係の調整は微妙である。(現在での可能性は少ないが)仮に米国が容認する形で核武装したとしても、それは核の傘は不要で自前でやるというメッセージになるのは多くの問題をはらむ。例えば冷戦期のフランスはどうであったか。核武装国として大きな顔をしているように見えるが、実際の所一貫して米国より妥協的な外交をしていた。西ドイツは戦略的な決定を米国に依存することにより、強硬な姿勢の追認者である事が可能であった。まして現在の日本の立場であれば、短期的な強気の外交は挫折し、中長期的にはむしろ立場は弱くなると推察する事が出来る。もちろん、米国から一線を引いて独自に妥協の余地を発生させるためとなればそれは別だが、日本人にあまりその意図はないであろう。(欧州あたりではこういう文脈で解釈される可能性はある)ただ英国のような米国との協調路線による小規模の保持というのであればまだ主張する意味があるだろう。

 もっとも実際は、北朝鮮の核開発問題が話題になるこの数年間、この核武装路線は積極的に捨てられているのではないかという印象もある。NPTにおける日本の立場はますます明確にされているし、国際会議では今まで以上に反核の姿勢を強調してきた。固体燃料でありICBMにも向くM-Vロケットの開発は終了している。今までH-IIロケットを強く報道していたのは隠蔽の意図もあったのだろう。絶対に発言はしないのだが明らかにオプションを残していたのだから。

 核武装オプションを捨てたかもしれないと推察して、その理由は何だろうか?私は米国内での議論のされ方がやはり大きかったのではないかと思っている。一つに、上記のように日本の核武装はより自立した防衛力の整備と見なされ、米国の関与が減少することを恐れた事。「アジアの事はアジアに任せて、中東に集中しよう」という米国内で根強い方針を懸念したのだろう。もう一つは、核武装を認める論調の中で、日韓に認めるという言い方がかなり多い事である。これはかなりの地域の混乱を招くだろう。第一次・第二次大戦など典型だが、大国そのものは案外抑制的な外交をするが、周辺の中小規模の国家が無理な主張や倒錯した外交をすると火種が大きくなって大戦争になるというのはある話だ。例えばユーゴ紛争のときにセルビアあたりが核武装していたらどうなっていただろうか?

 まぁ、そう思うと今の日本の自民党の首脳部の発言はかなり計算されているとの印象がある。ただ、唯一整合性がないかもしれないと思うのは安倍首相の意見だ。確かに実態が上記のようだとすると「議論は終わった」のかもしれないが、今言うことだろうか?このタイミングにやるべき事は、恐らく非核三原則の三番目、「持ち込ませず」を撤廃することではないだろうか。これは日本が米国の核の傘を引き続き重視していくことを実際に示し、全ての諸外国に安心を与え、(特に欧米の懸念への対処としても有効だ。まともな議論をしている民主主義国に議論の隠蔽は通用しないのだから。何もしないと問題が残存してるとの解釈となる)米国との関係も強くなる。そもそも核の傘を希望しておきながら持ち込みは駄目などと言う今までが身勝手過ぎる主張だったのである。そしてその上で、

「今回の政策は、これまで同様地域の安定を継続するための措置である。核兵器を作らず、持たずというこれまでの方針は、引き続き日本人が継続的な努力をもって推進したい。またその前提であるこれまでのような良好な国際的戦略環境が維持される事を強く望んでいる。この日本の政策に対する、地域の関係諸国の支持と協力を強く希望する。米国からは核の傘が健在であるというはっきりとした言明に代表されるように、大きな協力をしていただいている。他の友好国からも、様々な形で協力していただける事を確信している。」

 とでも言っておけば良かったのではないか。支持すると言質を取った上で、じゃあこれこれこういう協力をと色々話を持ちかければ外交が回るのであろうと。小泉前首相はこの種のイニシアチブの取り方がうまかった気がするが、さて安倍首相はどうであろうか。
posted by カワセミ at 00:19| Comment(8) | TrackBack(5) | 国内政治・日本外交