2007年03月07日

歴史認識問題の難しさ

 昨今、従軍慰安婦問題が米国下院で取り上げられ、再度注目を浴びる形になっている。歴史認識の問題はいつも難しいが、自分が良く見る数少ないブログで取り上げられていたこともあり、このエントリでコメントの代わりとしておくつもりである。

 forrestal殿のエントリで歴史認識のレベルを分かりやすく例示しており、この種の問題を取り上げるときに整理された思考の手助けとなろう。ただ、リンクしておいてこういうのも何だが、筆者の見解は少し異なる。ここで言うファースト・レベルの検証段階とセカンドレベルの認識・解釈レベルはこの問題の出発点と終着点であると思うのだ。中心に検証の結果得られる客観的事実があり、アカデミズムの原則で事実が追及されるのを基本とする。しかし認識・解釈レベルは、各国・地域・文化集団・個人によって実に様々である。同じ国の中でも異論があり、少なくとも民主主義国では、多数派はこうであるという言い方しか出来ないことが常である。中心となる客観的事実の中で何を重視するかが異なるため、核から放射状に異なるベクトルに向かっているとイメージするべきかもしれない。そして比較的近い方向に向かっている国が、サードレベルの運用段階で協力しやすいのではないだろうか。

 以前にもどこかのエントリで示した、日米間を例にとる。広島・長崎への原爆投下は、客観事実としては特に問題なく一致しており、悲劇であるという認識も双方にある。しかし日米の解釈としては、米国は終戦を早めるのに役立ったとし、残虐な結果はしばしば戦争の中で見られる悲惨なものの一つだとすることが多く、日本は特別な意味合いを持つ民間人の大量虐殺だと認識している。また口にはあまり出さないが、米国にしてみれば少しでも自国の死傷者を減らす役に立ったのだからそれだけでも意味があったと思っているだろう。当時の日米はいずれも純然たる敵国であったという当たり前の事実がそこにある。このように解釈面では大いに違うが、このような悲惨な兵器が使用されてはならないという意見は大筋で一致する。使用をタブー視する度合いは今でも違うが、政治的道具である以上日本も核の傘が無ければ論理は米国と大差なくなる。極力使わず、どうしてもそれ以外に選択肢がないという切迫した究極の段階で検討するということであろう。

 そして古今東西、歴史の解釈はこのように部分的にしか一致せず、その部分的な一致の範囲で運用されていくことが大半であろう。もちろん直接対立関係になかった第三国に対する解釈はある二ヶ国で一致することもあろう。しかし対立した当事国の双方で、完全に見解が一致したという例はあるのだろうか。なかなか思いつかないのだが。結局解釈の一致は究極のゴールとみなすべきなのだろう。

 また注意しなければならないのは、この核となる客観的事実の追求が当然視される国は、案外限られているということだ。社会の秩序を構築する上で発生するタブーは数多い。例えばイスラム地域の言論は、コーランは絶対であるという所から出発し、すべてをその原則で解釈する。それよりははるかに柔軟だが、韓国の朱子学的な思想もやや似た風景を示す。事実の中で何を重視するかを議論する前に、事実の項目の取捨選択が発生するのだ。日本人は驚くほどこれに慣れていない。時に欧米諸国より西欧のアカデミズムの原則に則って議論をするのだ。歴史認識の問題で摩擦が発生するのは、解釈レベルよりこの取捨選択の部分に内包されていることが大方であろう。

 さて従軍慰安婦問題の件だが、雪斎殿がエントリしており、大筋で異論はない。またこの問題の個別的事実を議論するのもここではしない。アカデミズムの原則で対応することで問題ないと思うからだ。しかし日本側の対応で気になる点はある。

 それは、日本の国家犯罪として為されたものではないということを証明することに気を取られていることだ。安倍首相の強制性に関する発言もそれを裏付けている。ただ少なくとも米国の論理としてはそうはならない。これはsex slave問題として取り扱われており、slaveであったか−即ち選択の自由が当事者にあったかという事が核心なのである。これは拉致問題の核心が、拉致されたことそのものもさりながら、出国の自由が無かったことが最も重要であるのと同様である。つまり首相の立場で一言コメントするのであれば、slaveではなく選択の自由が彼女たちにはあったという事をシンプルに示せばそれで良いのである。

 ただ、ここから先が恐らく日本人の感覚では慣れていないところだが、強者の責務に関してはより注意深く触れなければならない。現地での離脱はしばしば実質的に困難であったろう。そういう場合でも(その個人がどのような人物でも)民間人である以上、保護して然るべき安全な場所まで送り届ける義務がある。それは軍人である以上、時に危険を冒しても果たすべき責務であるという事である。むしろ与える報酬などは安くてもよかったのである。悪くすると「今の日本人も強者の責務を果たしていない。昔から全然変わっていない」という論調が広がるであろう。限られた条件で極力責務は果たそうとしたのだと訴えていかなければならないのだ。案の定、マイケル・グリーン氏から「強制性の有無に関係なく、被害者の経験は悲劇的で、日本の国際的な評価はよくならない」とコメントされている。実際悲劇的な結果に終わった人がいないとは言えない以上、今回の当事者の証言の真偽に関わらず問題とされる。少なくとも原則としてslaveではないと言い、責務は極力果たしたと語り、人道を語るだけで事足りた。今回の日本側の対応は、少なくとも対米という意味では明らかにうまくない。過去の実質はともかく、説明が下手すぎるのだ。もっとも韓国はというと、これはまた全然別の次元で駄目なのだが。
posted by カワセミ at 01:05| Comment(15) | TrackBack(4) | 世界情勢一般

2007年02月28日

ミサイル防衛とプーチン発言

 ポーランドとチェコがミサイル防衛への本格的な関与を決定したと少し前に報じられている。(参照1)前後してロシアのプーチン大統領が反欧米的な発言をしたとして話題になっていたが、その後やや軌道修正をしたようだ。ロシアの反応というのもなかなか面白い。

 直接的には東欧へのミサイル防衛はロシアを意図したものと解釈したらしい。しかし、米国の伝統的な外交政策から見るとこれは正確な表現ではないだろう。他の安全保障面で関与している国、例えば日本、パキスタン、トルコあたりを考えると分かりやすい。いずれも関与の程度や事情は様々なれど、本質的にはその国そのものの安定を第一義としている面が強い。そして副次的効果として周辺地域が安定するという、世界戦略全体としての合理性が追及されていることは言うまでもない。ポーランド、チェコもその見本のようである。NATO加盟国というだけではやや足りないと考えたのか、実質的な駐留を加えることはバルト三国やハンガリーなど周辺国へのメッセージにもなり合理的だ。また言うまでもないが、当事国が強く望んでいるのも間違いない。ユーゴ紛争の経緯で欧州の主要国が実に頼りなかったのは全ての国が良く覚えているのだ。

 さて、その後のプーチン発言である。ワシントンポストで紹介されており、このような内容らしい。(参照2)全体として伝統的なロシアの主張に沿っており新味はないようにも見える。しかしながら部分的には興味を惹かれる。またここではあくまで欧州的な文脈で話していると理解するべきであろう。例えばこの付近の言い回しは典型かもしれない。
In connection with this the role of multilateral diplomacy is significantly increasing. The need for principles such as openness, transparency and predictability in politics is uncontested and the use of force should be a really exceptional measure, comparable to using the death penalty in the judicial systems of certain states.

 そしてわざわざ言及した下記の部分は、つい深読みしたくなる。少し長いが引用する。
I am convinced that the only mechanism that can make decisions about using military force as a last resort is the Charter of the United Nations. And in connection with this, either I did not understand what our colleague, the Italian Defence Minister, just said or what he said was inexact. In any case, I understood that the use of force can only be legitimate when the decision is taken by NATO, the EU, or the UN. If he really does think so, then we have different points of view. Or I didn't hear correctly. The use of force can only be considered legitimate if the decision is sanctioned by the UN. And we do not need to substitute NATO or the EU for the UN. When the UN will truly unite the forces of the international community and can really react to events in various countries, when we will leave behind this disdain for international law, then the situation will be able to change. Otherwise the situation will simply result in a dead end, and the number of serious mistakes will be multiplied. Along with this, it is necessary to make sure that international law have a universal character both in the conception and application of its norms.

 NATOやEUではなく国連が正統性を持つという表現だが、それが一定の正当性を持つという事は了解しているという大前提があるように思える。またロシアは国連において、国際法の比較的伝統的なプロセスを重視することが多い。これは大陸欧州や日本の伝統的な保守主義者とあまり距離感はない。ただ実際の国際政治ではしばしば強引で、その割に表面を取り繕うことに敏感というのも面倒といえば面倒だが。しかしその後のこの部分などは賛同者もそれなりにいるであろう。

I think it is obvious that NATO expansion does not have any relation with the modernisation of the Alliance itself or with ensuring security in Europe. On the contrary, it represents a serious provocation that reduces the level of mutual trust. And we have the right to ask: against whom is this expansion intended? And what happened to the assurances our western partners made after the dissolution of the Warsaw Pact? Where are those declarations today? No one even remembers them. But I will allow myself to remind this audience what was said. I would like to quote the speech of NATO General Secretary Mr Woerner in Brussels on 17 May 1990. He said at the time that: "the fact that we are ready not to place a NATO army outside of German territory gives the Soviet Union a firm security guarantee". Where are these guarantees?


 事情が違うだろと言えばその通りなのだが、外交巧者な欧州諸国にしてやられているというロシアの伝統的な被害者意識が今に至っても出てくるという感があり面白い。事象自体は直接の関連性がないだけに意識の構造として変化がないように見える。ただ大きな目で見れば現代ロシアはその結果から恩恵を受けているかもしれない。

 また関係ないが、ふとNATOと日本の立ち位置を考えた。ブレア首相の「欧米が一致すれば他はついてきます」という発言は客観的な事実ではあるが、政治レベルでも国民感情としても面白くないという意味でロシアと日本は良く似ている。しばしば渋々ながら賛同するというところも共通点がある。するとロシアにとっての核兵器は日本だと憲法九条かなと思えなくもない。そしてロシアはともかく日本は、力学としてはNATOやアンザス条約等への統合圧力が常に一定レベルで存在しており、それを外交上かわすための方策はあまり無いのであろう。またその付近が日本の安保政策の中心的な論点である。ロシアでも欧州との距離感が常に課題である。ただこの国の場合、米国を意識して余計なノイズが入り過ぎる感はある。
posted by カワセミ at 01:17| Comment(4) | TrackBack(1) | カナダ・欧州・ロシア

2007年02月20日

タイにおけるテロ事件への覚え書き

 タイで爆弾テロを伝えるニュースが継続的に報道されている。久々の更新の割には相変わらず手抜きで申し訳ないが、備忘録を兼ねて記入しておきたい。

 タイは東南アジアにおいて比較的治安の安定した国というイメージがあるが、地域によってはそうではない。外務省が出している海外危険情報は日本人にとってかなり客観的な情報になっているようだが、特に南部地域に関しては継続的な危険情報が発し続けられている。(参照1)一時はイラクと同様の最高レベルの警告になっていたのは見逃している人も多いかもしれない。

 タイの南部地域でも最も南、日本では深南部と表現されることもあるパッターニー県、ヤラー県、ナラーティワート県の3県はマレー系のムスリム住民が多数派を占め、旧パタニ王国として独立していた期間も長いこともあり、継続的な独立運動が広く支持されている。住民も現在のタイ政府を植民地支配の宗主国のように思う向きもあるようだ。この件に関しては、ル・モンドでの記事がうまく表現しており一読すると良いと思う。(参照2)またWikipediaでも英語版ではここしばらくの動きが言及されており、比較的便利に使えると思う。(参照3)思えば昨年9月の大規模な事件の際にここでも取り上げておけば良かったが。

 今までのタイ深南部の運動は、このル・モンドの記事に書かれているようにテロ行為は現地がほぼ全てであり、ブーケットのような観光地や首都バンコクで大規模な事件が起こっているわけでははない。独立運動ではしばしば見られることだが、結局支配層がその地を去れば実質の行政は現地人の手で行うことになり、紆余曲折があっても最終的に主権の獲得に繋がる事が多い。実際タイにおいてもここは官僚の左遷の地ではあった。その意味で分離独立を狙うとすればこれまでの手法は正しい。他地域が平穏であれば損切りしようとの意図も働くであろうからだ。JIなどの原理主義との関係も囁かれるが定かなものではない。また米国などに対して働きかけることも可能であろう。世俗的で民主的なイスラム国家として独立すると宣言し、民主化を標榜し、タイの古典的な植民地主義を非難し、現在の枠組みは持続可能な秩序とはならないと主張し、無関係の地域でのテロ活動の取り締まりに協力すると申し出、米国の安全保障上の関与を求める、といった方針で臨むとどうであろうか。米国の事であるから、分権=民主化のような単純な反応をする可能性は相応にあるだろう。駄目でもタイ政府へ大幅な自治権を付与するように働きかけるといった期待は持てそうだ。

 しかしながら、昨年末バンコクで発生した事件は今までと若干異質だ。無論これは単独の事件で、深南部地域の情勢と無関係であるという可能性もある。ただタイ政府としては関与を疑っている向きもあるようだ。(参照4)まだ確定的な情報ではないかもしれないが。

 JIなどの原理主義勢力の活動がどの程度の広がりを見せているのか把握するのは難しい。ただ言えるのは、この種の団体の思想的な汚染は、古典的な民族主義的活動にかなりの悪影響をもたらすということだ。タイ深南部の独立運動に関しては賛否があり、現実問題としても完全否定より自治権などで宥めるのが有効と言えるかもしれない。しかしあまりに理念的過ぎる、現実の秩序をもたらさない思想に捉われては、全ての人にとって悲劇であろう。中東地域などと違い、現実に揉まれた政治が営まれているこのような地域でこそ相対的な政治の破壊が発生すると言えるのかもしれない。状況ははっきりとしないが、この件に関しては国際的にも持続的な関心が払われるべきだろう。日本国内の報道は相変わらず少ないが、妙に地理関係を重視する日本のマスコミであれば、せめてインド以東のアジアに関してくらいちゃんと報道してはどうかと思う。
posted by カワセミ at 02:25| Comment(4) | TrackBack(0) | 北東・東南アジア

2007年02月08日

コソボの国際的な地位はどうなるのか

 少し時間も経過したし、ちょっと今の時点ではあまり書きようもないのだが、これに関しては多少なりとも触れておきたい。コソボ問題であるが、かなり独立国に近い線での自治が認められる方向で国際社会は仲介を進めている。(参照1/参照2)ただ、当然ではあるがセルビアは猛反対の構えだ。

 以前モンテネグロに関してエントリを書いたが、コソボと比較すると状況が違うことが良くわかると思う。モンテネグロは長い自治の伝統があり、独立することで総合的に見れば状況が固定化して地域の安定をもたらすと解釈可能だろう。しかしコソボはどうであろうか。100%完全な独立国となると地域に混乱をもたらすだろう。

 日本のメディアはセルビアにとってコソボは京都みたいなものと解説することがある。それは感情面の事実ではあっても、「主権」を語る際の表現としては、極めて不誠実で危険なものとなる。東プロイセン一つ例に取るだけでそのような表現は問題があることが誰にでも理解できるだろう。現実と遊離した秩序は維持不可能だが、地域に混乱をもたらすような措置は取れない。今回はその典型例と言えるであろう。

 同地域の居住者は、以前からアルバニア系が圧倒的となっている。(参照3)このため独立はアルバニアへの併合に繋がる可能性があり、これは即座にマケドニアの不安定に繋がる。またこの併合方向での国境線の引き直しは、近年の国際社会が注意深く避けてきた方向での秩序変更であることも自明だろう。分離独立のほうがまだしも「民主的」なのである。また、この問題は現在何とか欧州域内で矮小化させているが、世界的な問題に拡大する可能性もあり、その意味からも認められないだろう。

 そのように考えていくと、国連特使の仲介案の内容は直接的には違和感を感じないでもない。普通に考えると、外交などでの制限された内容で名目的にセルビアの主権を認め、自治に関しては、セルビア系住民の人権を確保することを条件に今まで以上に大幅に拡大するというのが順当な所ではないだろうか。というのも、地域の現状がこうである中での独立の達成には、モンテネグロなどの例でも見るようにEUなどの関与で上位組織への大きな主権の移譲を利用して安定を図るしかないであろうからだ。にもかからわず、独自に条約を結んだり、国際組織への加盟も認め、一方で法案の拒否権を国際社会が任命した監督官が持つというのは奇妙に見えなくもない。

 しかしながら、必ずしもそういう文脈で捉えるべきではないのかもしれない。まず、ロシアはこの件に関して、意外にも必ずしも拒否権を行使するとは限らないようだ。(参照4)そして、例えばこの記事(参照5)に見られるように、それはセルビアを欧州の一部にするためのプロセスという見方もある。この付近は米国務省のダニエル・フリード次官補のインタビューの記事により典型的に示されている。これを読むと今回の仲介案の本質がやや見えやすくなるかもしれない。(参照6)読後の感想は人によって違うと思うが、これは日本人や、恐らく大陸ヨーロッパからはなかなか出てこない反応ではないだろうか。本当にそれでいいのかとも思うが、その一方で建設的ではある。だがしかし、たとえばこのような意見はというと、

Russia last year raised the point that independence for Kosovo may set a precedent for breakaway regions like those in Georgia, such as Abkhazia and so forth. Is there concern of creating this type of precedent?

Well, separatists may claim this as a precedent, but separatists have existed for a long time. The fact is Kosovo is not a precedent for other conflicts at all. It just isn’t. Kosovo is a unique situation, because NATO was forced to intervene to stop and then reverse ethnic cleansing. The Security Council authorized effective Kosovo to be ruled effectively by the United Nations, not by Serbia. UN Council Resolution 1244 also stated that Kosovo’s final status would be the subject of negotiation. Those conditions do not pertain to any of the conflicts that are usually brought up in this context. It’s not applicable to Abkhazia, or South Ossetia, or Transdniester. Nor is it applicable to Chechnya or to any separatist conflicts in Europe.


 確かにそうかもしれないし、筋論ではあるが危険な道でもある。米国はコソボ独立にフルサポートの構えであるが、EUとの調整は取れるだろうか。かと言って何かをしないと問題が残存するだけというのもまた事実なのだ。また今回の仲介案などは、例えばこのセルビアに3年間住んでいたというフリード氏など一部の人のリーダーシップで出来たものかもしれない。もちろん実際の所は分らないが、歴史はどうなるか先の見えない時に少数の人間の選択で決定する瞬間があり、今回もそうではないかと、ふと思ったのだ。
posted by カワセミ at 01:57| Comment(6) | TrackBack(1) | カナダ・欧州・ロシア

2007年01月28日

南米南部共同市場はどこまで発展するか

 米国の一般教書演説に関してエントリする予定だったが、今年はどうにもコメントする気力がない。ここ数年のそれに近い内容であるということもあるし、ここしばらくの各種議論を受け継いでいるということもある。もう多くの人が様々なページで丁寧に解説しているので付け加えることもない。

 今回は、先日会合が行われたと報じられている(参照1)メルコスール(南米南部共同市場)に関して、良い機会なので取り上げておきたい。まず日本外務省のサイトをリンクしておく。(参照2)この組織はEUのような共同市場と比較して、古典的な関税同盟としての性質が濃い。様々な経緯にコメントしなければならないのだが、比較的分かりやすいものとしてこちらの年表をリンクしておく。(参照3)

 当初の大きなトピックとして、南北米州全域を含むFTAAの構想との関係が重視された。FTTAに関しても外務省サイトをリンクしておく。(参照4)クリントン政権時の米国は積極的であったが、そのFTAAに先行するものとしてこのメルコスール諸国に対する期待が高まり、日本などでも(いつものことであるが)バスに乗り遅れるな式の言論が流行したのは覚えている人も多かろう。しかしその後のアルゼンチン経済危機などで停滞してしまったのもまた周知の事実である。関税同盟と先に述べたが、これを受け2001年にアルゼンチンは単独で大幅な関税に関する例外措置を導入している。メルコスール諸国での存在感はブラジルに次ぐ事を考えれば、この時点でかなり域内の足並みは乱れていると言えるだろう。

 また先のFTAAに関するリンクにもあるように、メルコスール諸国と米国との交渉は必ずしもうまく行っていない。ブラジルとの対立点でも分かるように、自国に有利になるようWTOとFTAAをうまく使い分けたいのは同じということである。例えば知的所有権に関してはかなりの意見の相違がある。エイズのコピー医薬品の問題などは単独で話題になることも多いので思い出す人も多いだろう。しかしこの種の経済協定ではうまい具合に例外措置を作らないと紛争の火種になるのは当然である。まして古典的な農業分野に関しては論ずるまでもないだろう。

 メルコスールの民主主義条項に関しては少し補足が必要かもしれない。これは米州機構などでの規定をここにも反映したものと見るべきであろう。そこでは法の支配の原則が強調されているが、裏を返せばそこからの逸脱−超法規的措置を牽制しているということだ。例えばクーデターにより民間資本を接収するなどが念頭にある。これはつい先日のメルコスール諸国の会合にて、メルコスールの正式加盟を申請しているベネズエラのチャベス政権に対しての課題にもなった。ただブラジルのルーラ大統領としては、接収でなく国の負担を伴った買収であり、直接的な問題はないという見解のようだ。

 このベネズエラであるが、メルコスール諸国の見解が割れる原因ともなっている。上記の解釈はともかく、ブラジルとすればFTAAやEUに対する交渉に害になるだけであり益がない。しかしアルゼンチンは不足する外貨の手当てをベネズエラにかなりの程度依存しており推進派である。これに左派政権となっているボリビアの加盟問題もあり、政治的な対立も大きくなっている。まぁ、モラレス大統領の選挙をチャベス大統領は公然と支援していたという話だから豪快な話だ。またメルコスール共同軍の創設をチャベス大統領が言い出す可能性があるが、言うまでもなくそのような政治的統合は期待出来ない。

 ここ最近の動きで重要なこととしては、ウルグアイ(参照5、外務省基礎データ)が単独で米国との通商協定を結ぶ方向にに乗り出した事がある。(参照6)これもややこしい経緯がある。元々この国はその規模以上のかなりの外交大国である。域内の主要国間の調整のみならず国際社会での存在感もそれなりにあり、欧米では進歩的なイメージも強い。ところが国境でのアルゼンチンとの摩擦が深刻化し、ブラジルも頼みに足りない情勢だ。これもBBCのサイトをリンクしておく。(参照7)これは国際司法裁判所にて、当事者のアルゼンチンを唯一の反対者として14-1でウルグアイに有利な決定が下されている(参照8)にもかかわらず、両国間の道路封鎖から始まったアルゼンチンの執拗な嫌がらせは継続している。(参照9)この政治的摩擦でウルグアイ国民の近隣国に対する感情はかなり悪化している。そのままメルコスールへの不信感に繋がるのは当然かもしれない。域外へのFTAAやEUとの交渉に臨み極力協調して活動してきたのが辛うじてメルコスールの一体性を支えてきたが、その政治的意思もここしばらくは減退しているのかもしれない。ブラジルも各種FTAへの興味は強く示している。今後、域外諸国との連携で先行するアンデス共同体諸国も米国との個別FTAに乗り出しており、これがどの程度成功するかということもメルコスール諸国の判断に重要な影響を与えるのだろう。
posted by カワセミ at 17:43| Comment(3) | TrackBack(0) | 中南米

2007年01月14日

憲法改正は参院選の争点になるか

 再び安倍内閣を含めた国内政治雑感を記す。この問題は各議員、各党の方針などを細かく追わないと正確な政治の実態は分からない。しかし違和感や危惧のようなものはあり、それ自体はおかしいものではないと考えるので書き残しておく。

 安倍首相は、年頭に「憲法改正を目指したいという事は参院選でも訴えていきたい」という趣旨の発言をしたと報道されている。各種報道ではあまり強いニュアンスではなかったと感じられるが、発言の内容自体を考えると、参院選の最中に政治課題の一つとして言及するという事に関しては間違いないとしてよかろう。この件、耳にした直後は「意外に政局的にも長けているな、うまい考えだ」と思ったが、同時に大きな違和感も残った。この件はどういう具合に考えるべきであろうか?

 周知の通り、参議院は衆議院と異なり優越院ではない。議院内閣制の原則により政権を担う政党を選択するのはあくまで衆議院である。極端な話、次の参院選で自民党の獲得する議席がゼロになったと仮定しよう。あり得ない仮定だが、それでも政権は自民党が維持する。しかし、ゼロとは言わずとも、期待されるより大幅に少ない議席しか獲得できなかったとすれば、内閣総理大臣は党総裁としての責任を取って辞任せざるを得ないだろう。ここに参院選のやや複雑な性質がある。つまり、自民党政権は望むが、現在の安倍氏が政権を担う事には反対であるという立場に立つ有権者は、あえて野党に投票する可能性がある。後継として次期首相に期待される有力な人物がいればその可能性はさらに強まる。総裁選を戦った麻生氏、谷垣氏、あるいは福田氏、可能性は少ないであろうが小泉前総理の再登板を望む人、考えは色々であろうが変化を望む野党支持者は一定数いるのではないか。
 ここで憲法改正を争点に挙げればどうか。これは憲法改正の必要性を認め、推進しなければならないと考えている有権者を一定程度縛るものとなる。上記のような考えを抱いている有権者も、ちょっと今回の選挙は大事な意味合いがあるから自民党に入れざるを得ないな、と考える人もいるのではないか。その意味で党の政策そのものはおおまかに支持する有権者を繋ぎ止めるにはなかなか良い方法だ。だが憲法改正はそのように選挙の争点にして良いものであろうか?

 憲法改正の手続きには、総議員の2/3の賛成と有権者の過半数の賛成が必要である。この条件自体良い悪いの議論はあり、ルールを改正すべきという意見はあろう。しかし現状がこうである以上、そこから発生する政治的意味合いは確定している。この条件を満たす政治的状況は、「立法を職業としている議会政治家の間に、近未来の政治に対し憲法改正が必要であるという事に関して広いコンセンサスが成立し、国民もその政治家のイニシアチブで発生したコンセンサスを認める」というものである。もちろん議会サイドが国民意識より遅れているという場合もあろうが、議会政治家に改正の必要性とその内容に関して広い合意が無ければならないというのは間違いない。
 自民党と旧社会党の時代はこの合意が成立する事はなかった。硬直的な旧社会党の責任が大きいが、有権者はそのような政党でも野党第一党として扱い、他の野党より大きな支持を与えた。この時代ですら両党の合意があれば憲法は改正できたが、しかしそのような事はなかった。これも政治の現状の反映であり、結局有権者も腹が決まってなかったと言えよう。
 しかし現在の政治情勢はそこまで硬直的ではない。民主党も多くの議員が改正の必要性を認めている。そもそも憲法改正には最終的に国民投票がある以上、議会政治家の役割はそこに提出する改正案を練り上げる事である。もはや耳にする事も少なくなった「選良」という言葉が示す責務を果たすのはこういう時しかなかろう。確かにここしばらくの民主党は硬直的な傾向があるが、与党としては例えばこういうべきであろう。「憲法改正についてはしばらく前から必要であるという事に関して与野党間で広範な合意があり、選挙の争点にする類のものではない。議論を重ねれば議会は適切な合意に至るのではないかと楽観的に考えている」あるいは民主党側としてもいう事は同じだ。年頭の発言の後素早く「憲法改正は国会議員全体の広範な合意によってなされるもので、与野党間に広いコンセンサスが必要だと我々は考えている。選挙の争点にするというのは今までの経緯を考えれば勇み足であろう。我が党としてはいつでも対話に応じるつもりであり、合意案も問題なく出来るのではないかと考えている」という所か。

 参院選での扱いがこじれると事は面倒になる。与野党が政治的妥協に失敗すると、互いに政治的に態度を硬化し、コンセンサスが得られない状況が続く可能性がある。近未来の政治情勢を考えれば、自民党が例え公明党との連立で計算したとしても衆参両院で2/3を達成する事はほぼ不可能であろう。つまり悪くするとこのまま憲法改正がなされない状況がずるずる続くのだ。しかしそれで非が民主党にありと世論の多数派が認識しても、選挙の野党第一党効果から民主党は一定の議席を確保し続け、情勢は動かないであろう。

 もちろんこれはただの危惧であり、民主党内での議論を促すための牽制の一つに過ぎないと解釈する事も可能である。実際は柔軟に対応するのかもしれない。しかし現状では明らかに危険性が潜んでいる。それは自民党にどこまで理解されているのであろうか。
posted by カワセミ at 23:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 国内政治・日本外交

2007年01月13日

米軍の規模、再拡大へ

 明けましておめでとうございます、というのも遅いくらいまたまた間を空けてしまった。ロシア絡みとか、微妙に言いたい事は色々あるのだが今ひとつ考えがまとまらない。ちょうどというか、エレニさん所で会話していたのだが、彼女もこの地域に関しては同じような感覚があったのかもしれない。ロシア含む欧州は日本人の腹芸にも似た側面があったりするので日本人もそれなりの知識人が丁寧に取材すれば分かるはずなのだが。

 ブッシュのイラク新戦略に関しては様々な論者がコメントしているし、溜池通信殿でも取り扱っているので私が加えるような事などは無い。国内マスコミでの報道は、一時的な増派の部分を放置して報道してきたツケが回ってきた形だがもはやいつもの事でもありどうでもいいように思う。

 むしろそれに関連して、米軍の規模そのものを拡大するというニュースがあり、そっちの方に興味を惹かれた。国防総省としてはこのように発表している。恒久的に陸軍と海兵隊双方を増やすというのだ。特に後者はかなり野心的という印象がある。とはいえ、元々クリントン政権時に米軍の規模は大きく削減されており、それを少々元に戻しただけという見方はあろう。しかしその間にRMAはかなり進行しており、戦力自体は強化されている。結局RMA信奉者のラムズフェルド氏の辞任は米軍再拡大を意味したのだが、そういう解釈は早期からされても良かったかもしれない。

 この決定に関してはもう少し細かい報道もある。(参照)軍事的見地から持続可能な方策としてのルール変更であったようだ。一部引用する。

But Pentagon rules limited those troops to no more than 24 months of active-duty service every five years. Part-time soldiers who had been to Iraq once could be sent back only if they volunteered.

The result is that only about 10 percent of the 522,000 soldiers in the Army National Guard and Army Reserve are available for service, and more than half of the units that deploy now have to rely on volunteers from other states in order to fill their ranks, military officials say.

 9.11直後のアフガンへの対応時から問題点は指摘されていた。今回の決定はイラクへの対応のための直接的な政策というより、もう少し狭い地域での小規模な制圧作戦を長い時間持続的に続けるためのものという事であろう。近未来の風景となれば、イスラエルを抑えるためにレバノンの一部地域で展開とか、まぁあくまで例だが、要所に当たるポイントでの活動を順に積み重ね、何十年もしたら広い地域がそれなりに民主化していたというような構想をしているのかもしれない。イラクへの増派も米軍の規模拡大も、今回は新国防長官が軍の意向を汲んで、というプロセスを辿っているので民主党の反対も通らないであろう。なまじ占領統治の技術を上げてしまうとまた世界は悩むことになりそうだが。
posted by カワセミ at 03:17| Comment(6) | TrackBack(2) | 米国