2005年10月24日

小泉首相に関する個人的見解

 今度のぐっちーさんのエントリは非常に興味深い。小泉首相はかなりの経済通らしい。これで今まで疑問に思っていたことがかなり氷解した気分だ。今回はちょっと個人的なエントリになってしまうが許されたい。少し関連したエントリを書いた事もあるのでそれも見て欲しい。

 元々私は、小泉首相をそれほど高く評価していたわけではなかった。就任当初は少々残念に思ったくらいだ。有権者が総選挙において有能な野党を何がしか選択するという、主体的な行動で政治を動かすことが重要だと考えていたからだ。その過程を停滞させるような思いがしていた。また経済に詳しいとも思えなかったので、最初の半年くらいは明確に不支持だった。

 おやと思ったのは9.11の後だ。対応が極めて日本人離れしている。細かい部分も含めて安全保障や外交に関する発言が極めて正確で、欧米の伝統的な中道政治のリアリズムを感じたからだ。だから経済は怪しいかもしれないが安保の件があるので数年我慢せざるを得ないかと思って明確な支持派となった。これが2002年の頭くらい。後北朝鮮問題がクローズアップされるが、この時も欧州を歴訪して政策に対する支持を固めている。東欧の回り方を見ているとこの時に日露の領土問題解決の種蒔きもやっているのかなと思ったが、それはまだ分からない。まぁこれは今も色々動いてはいるだろう。イラク戦争の時も対応は興味深い。最後までフランスとドイツ、特にフランスの支持を固めることに労力を集中している。これはイギリスも同じであるが、明白に日本は能動的と言えた。
 経済政策に関しては当初丸投げとしか見えなかった。日銀の福井総裁の手柄でしかないと思っていたが、冷静に考えると日本の中央銀行の独立性といっても怪しい事この上ない(苦笑)竹中氏の行動も胡散臭いが政局の役には立っている。そもそもここ数年は苦しいと事の最初から言っていた。ひょっとして予定のうちか。為替介入は国内政治に影響を及ぼさないリフレ政策と解釈することは出来ないだろうかと考えた。となれば、国内政治上の問題が無くなれば?

 単なる予想だが、この後の民主党の政策がより緊縮財政に向かう可能性を見越して、短期的に改革競争的な雰囲気に持ち込み、リフレ政策で梯子を外すのではないか。ひょっとして真面目な前原党首はハメられている最中かもしれない。リフレ政策に傾きそうな主要な党内政治家を叩き出した後の導入と見えなくも無い。とすると、首相後継候補を閣僚にというのは、日頃腹を割って人と話すことの少なそうな小泉首相が、誰が自分の路線に近いか判定する作業なのかもしれない。そう考えると、実は距離の遠そうな安部氏が一番危ないかなと考える。次の首相は経済畑で少し地味目かもしれない。もっとも1年後に外交的に抜き差しならない事態が展開して(例えば北朝鮮が今にも、とか)総理が代わってられる状況に無く、やむを得ずとして任期延長という話もあるかもしれない。あるいは後継候補に失望となれば半ば人為的にそんな事をやるかもしれない。

 民主政治の歴史が長く、知識人の層が厚い国ならどこでも多かれ少なかれそうだが、特に日本人は政治家や官僚の能力を実態より低く見過ぎる傾向があると思う。頭のいいほうから数えて数%を除き、その後20??25%くらいの人がそんな考えに傾斜するのではないか。居酒屋談義で怪気炎がこの付近の層というところだろう。かえって日頃無関心な大衆のほうが「駄目ながらもそこそこにはまとめるんじゃないの?」とかタカをくくって結果オーライが日本の政治の風景かとも思う。小泉首相の件に限らず、最近自分で薄々分かっていたがやはり認識違いだったかと思う事が多い。世の中、自分が思う以上に頭のいい人は多いということだろう。
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2005年10月13日

保守政治勢力の変化と歴史観

 これは漠然とした印象であり、勘のようなものに過ぎないが、近年右傾化していると言われつつある論壇は、むしろ今年あたりから退潮の傾向があるのではないか。自分が良く見て回るブログで、最近保守論壇への嫌悪感を記しているのが目立つせいもあって、私がそう思っているだけかもしれないが。

 保守政治家といっても、様々な立場の人がいる、雪斎殿のエントリで、マトリクス化による分析がなされたものがある。非常に参考になるので目を通して欲しい。そしてここでの分類では強いて言えばx軸かと思うが、いわゆる保守政治家の中でも、儒教的価値観や土着的伝統政治を重視する「伝統主義者」とでもいうような勢力が退潮したのではないかという印象を持っている。そしてこの政治勢力はしばしば民族主義的ナショナリズムの傾向も重なる。

 この政治勢力の伸び悩みは様々な要因が考えられるが、私は情報化社会の進展が一つの要因だと思う。例えばブログなどで英語圏の情報も含む世界情勢に接している人で、一定以上の知的水準にある人は価値観の相対化が進んでいる。視野の広さが狭隘な視点に陥るのを防いでいるのではないか。そして自国が同じ立場に置かれればどうかという問いは自ら発せられる。そして、この民族主義的路線が経済的・政治的に高コストであることも理解しており、近年の経済情勢では選択し辛いとの認識があるのではないか。もちろん若い世代はしばしば民族主義やリベラルに過剰に流れはするが、それでも全体的に見ればどの時代と比較しても穏健とは言えまいか。

 主張の表出例として、第二次世界大戦の扱いなどがある。これに関しては近年冷静な議論も増えてきたので喜ばしい。最近だと中央公論(2005.11号)に記載された大杉一雄氏の論考が優れていると感じた。当然とは言え、問題を開戦前の外交過程に絞っている点、政治家の具体名を挙げてその行動を逐一記している点など、基本的なスタンスに好感を覚える。日本の南部仏印進駐が決定的なターニングポイントだった点の扱いが大きいのも適切だ。識者には常識とは言うものの、中学や高校の教科書等でももっときっちり記述されて良いことだろう。そして日本の取り得た選択、米国の取り得た選択を記しており、ルーズベルトの提案、日米首脳会談の模索などを取り上げている。

 この南部仏印進駐に関しては思うことも多い。時代を遡るが、日清・日露戦争は日本の侵略意図の開始とする史観がある。主に左派勢力から強く主張されてきたが言うまでも無く誤りである。これは朝鮮半島近辺を舞台とする安全保障リスクへの日本の反応として発生している。緩衝地帯とか中立地帯にどこかの勢力が軍を進めれば地域が不安定になるのは古来より変わりが無い。イギリスが第一次世界大戦に参加したのはベルギー中立侵犯であることを考えるべきだろう。冷戦期でもチェコは見捨てられたがソ連がスウェーデンやオーストリアに侵攻したら大戦争になったろう。そしてアフガンで勢力圏と緩衝地帯の認識を間違えて大失敗した。もちろん当時の南部仏印は英領マレーシア、シンガポールの目の前である。実のところ近代の戦争の多くが、この安全保障リスクへの対応で発生している。主要国が関わったものとなればその大半と言えるかもしれない。

 日本は自国の歴史を振り返るだけで適切な解に辿り付く事は出来たのだ。対米戦争不可避などといった主張は誤りに過ぎない。自国中心主義でなく、全て相対的に考えることがいつの時代も常に正解を導くのであろう。
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2005年10月07日

普天間基地移転問題では防衛庁も問題か

 米軍再編の話が挙がっているが、この話題の日本側の対応は相変わらず奇妙だ。ラムズフェルド国防長官の来日が中止されたようで、まだ紛糾しているようだ。もちろん国防総省の担当者はイライラしているだろう。何しろ衆院選、参院選、そして今回の衆院選といつも選挙を理由に先延ばしされているので、日本で完璧な政権基盤が出来たこの時期に強硬になるのは不思議ではない。マスコミへのリークが意外とか言っている防衛庁の担当者の感覚のほうが問題だろう。

 米国での報道は、例えばNY Timesなどが典型だが、事実関係を淡々と述べているだけで感情的にでもない(参照)普天間基地以外の問題では特に対立することも無く意見が一致しているようだ。この件の米国側の見解では、珍しく朝日新聞の記事が参考になった(参照)。シュワブでの訓練場移転に関して、説得力ある代替案が無いという。言われてみると疑問が氷解する。兵士にとって日々の訓練がどれほど重要か、死傷率に影響があるかというのは日本人は忘れてしまったようだ。しかし防衛庁までこんな意見を言うようでは日本の浮世離れもまだまだ抜けてないとしかいいようがない。恐らく気候なども含めて類似した訓練施設の提示を求められているのであろうが、それは困難だろう。だとしたら日本の提示した当初案が問題だったのではないか。それこそ当初検討されていた嘉手納への統合を詰めて、それに伴い一部施設の移転の提案でもしたほうがマシだったのではないだろうか。

 ハイテク戦争になればなるほど、個々の兵士のサポートは重要性が増す。今回に限らずそれを考えるべきだろう。もっとも最近の日本は兵士の厚生面などの重要さも認め、米軍支援予算の柔軟な使用を認めるといった進歩はあるようだが。
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2005年09月17日

自民党・民主党の現在

 ・・・というタイトルにしたが、小泉首相を含む政界の人々について、日頃考えていることの雑記のようなものである。個人的な所感の寄せ集めのようなものだ。

 まず民主党の代表だが、一応立候補者が2名で代表選をする事になったのは歓迎したい。負ける人が分かりやすく負けるのが大事なのである。そしてどっちが負けてもしつこく再チャレンジするのを批判するべきでないと思う。そういう粘っこさも、最終的に政権を取って内閣総理大臣になる事を目指すのならば必要な資質の一つだからだ。この両名は個人の資質だけに絞れば民主党では一応最良のクラスなので特に文句も無い。個人的には別に推したい人もいるが、小選挙区で負けてたりするし・・・・

 自民党となると、今は明白に見えてはいないが、親欧米の合理的な新保守主義者が多く、やや国粋主義的とも言える古い保守勢力が減っているような印象がある。これは自民党をますます怜悧な強力さを持つ政党にするかもしれず、次の衆院選でも議席の減り方は少ないかもしれない。また減る事が分かっている以上、個々の議員も努力するだろう。民主党は相当覚悟を決めないと駄目だと思う。

 小泉首相個人だが、私は世間で思われているほどの伝統的な保守主義者ではないと思う。むしろ無政府主義的な色合いも少し持っている、自由主義者でかつ人権重視の、欧州で言う中道右派、考え方によっては中道左派かもしれないと感じている。貧富の差の容認傾向はあるが、ただ人権面には意外に敏感で、機会の権利や社会的正義については割と確固とした信念を持っているように思える。企業が従業員その他に対する対応で不法なものに関しては小泉政権になってやたら厳しくなった。公正取引委員会、労働基準監督所など軒並み活動が活発化している。
 その意味で、小泉首相の政治家としてのスタンスは、絶対的な距離としては安部氏や鳩山由紀夫氏、小沢氏あたりとは意外に遠く、菅氏あたりとは印象とは違って実は近いかもしれないと感じる。町村外相とは、少なくとも外交面での親和度は割と高いと思う。
 この人権重視の合理主義スタンスが分かりやすいのは外交面だが、これで一つだけ違和感があるのが靖国参拝である。他のありとあらゆる政治行動に関しては、日本で無く欧米の伝統で考えるとほぼ首尾一貫している。ただこれだけが違和感があって、天然ではなくかなり意識的に為されている印象が強い。
 最近、A級戦犯に関しての発言が、保守派の言論人から叩かれている。報道ではテレビ朝日での出演で次のように発言したと伝えられている。


田原総一朗
「この靖国の趣旨はどうですか?」

小泉首相
「私はそうは考えてません。私はあの戦争は避けなければならなかった戦争だと、」

田原総一朗
「良くない戦争ね。絶対しちゃいけなかった。」

小泉首相
「そうです。」 「いけなかった戦争です。その戦争で戦場に出ざるを得なかった方々たち、 本当に無念だったと思います。そういう方たちの気持ちをね、片時も忘れたことはありません。あのような戦争は絶対さしちゃいかん。」

田原総一朗
「そういうことは、A級戦犯は、A戦犯である。」

小泉首相
「これはもう戦犯として裁判を受けましたし、私は参拝しているのは、そういう特定の人じゃありません。こころならずも亡くなった方々に対して参拝している。」


 この一連の発言は、思想的には首尾一貫していて、使われている語句が非常に正確であると感じられる。むしろこちらの方が本来の小泉首相の考えに近いだろう。これは先に挙げた小泉首相が近いと思われる欧州の政治家の考え方とほぼ整合性があると思う。私の考えだが、こうではないかというのを少し補足したい。

 「避けなければならなかった戦争」というのは、当時の文明国の安全保障に対する理念として一応の基準とされていたケロッグ=ブリアン条約を前提としたものと思う。要は先制攻撃反対という事だ。イラク戦争ではそうではなかったが、フランスの説得も当時重視しており働きかけは手厚かった。小泉首相はこの種の法理的な側面を重視する傾向があり、無法かつ道義的ではないと考えたのではないか。そして「戦場に出ざるを得なかった人たち」というのも自由主義的史観からの批判ではないか。これは当時の米国における日系人収容の問題を考えると分かりやすいと思う。当時の米国は国家に対する忠誠を重んじていたが、20世紀初頭段階の一世とされる日系人は日本への忠誠を捨てていなかった。(これはパリ講和会議での日本の人種差別撤廃問題との関連があるが、ここでは論じない)しかし第二次世界大戦時点では割れており、日本に帰国する人もいれば米国に忠誠を誓う人もいた。それを日系人というだけで一律に(まさに米国が敵対していたファシズム国家のように個人の多様性を認めず)差別したという事に関する反省というのが構図だろう。だから小泉首相も、戦争に反対した数少ない言論人の封殺とか、多様性を認めなかった部分に関する批判としてA級戦犯の責任を問うていると解釈できるのではないか。最後の「戦犯として裁判を受けた」というのも、政治的決着として彼らを戦犯とするやり方が歴史で選択されて今日に繋がっている、というニュアンスだろう。

 だから、小泉首相としては靖国参拝自体へのこだわりは案外無いのではないか。恐らくいくつかの政治的目的を達するための手段だろう。例えば中国との係争点を、キナ臭くなりかねない国境紛争などから実害の無い部分にずらすとか、また国内的にも、民族主義的保守派の人々を実害の少ない形である程度満足させ、ガス抜きするとか、そんな所ではないか。

 これは日本の政治状況を考えると、様々な意味である種の現実解かもしれない。後継の首相が誰になるかは分からないが、ここまでマジョリティの支持を満遍なく確保できるかどうかは疑問だ。ただやらせてみないと分からないというのも、首相職の一つの側面ではある。
posted by カワセミ at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内政治・日本外交

2005年09月12日

衆院選雑感

 まだ全議席が確定したわけではないが、大体の情勢として与党圧勝は間違いないようだ。個人的には自公で280??290と考え、それでもちょっと高めの予想に過ぎるかと思っていた。結果はそれ以上と圧倒的だ。結局読みの至難な都市部小選挙区が雪崩現象となったようだ。ちょっと思いつくまま感想を書いて見たい。

 この結果は、世論調査で動向を調査し辛い都市部のサラリーマンなどが自民に流れたと判断するしかないが、その解釈としては自民の勝利というより民主の惨敗と評するべきだろう。郵政民営化そのものに関しては、現在の小泉路線がどうかという事に異論は発生するだろう。しかしながら、小泉首相が争点を郵政一本に絞ったとしても、有権者の立場としては全体としてどの政党が信頼できるかという判断の手がかりでしかない。個別政策を詳しく知ろうとしない一般の有権者としてはそうなる。これはむしろEU憲法の仏国民投票に政治現象としては近いかもしれない。もっとも今回の有権者の行動は牽制という意味合いではない。参院選や地方選挙ならともかく、与党をどれにするかというのを選ぶ衆院選では反対のための投票は多数派とならない。自立性がある政治勢力として信頼感が必要だ。内政・外交両面で民主党は信頼されなかったと言えるだろう。

 今回厳しい結果に終わった民主党だが、個々の議員は真剣に考えている人もいるだろう。前原氏末松氏長島氏あたりが右派の代表格と思うが、そのような人々がどのような動きを見せるか注目したい。前原氏はややアジア主義的な側面もあるようだがリアリストではある。ただ小選挙区で勝利した前原氏はともかく、比例で復活当選という形になった末松氏や長島氏は自民党に移るというわけにもいかないので、少なくともしばらくは民主党の立て直しに注力せざるを得ない。それにまともな野党が存在しないと、やはり長期的には政治の現実として良くないので、個々人の立場としては色々思うところがあっても頑張ってもらうしかないだろう。

 自分としては、民主党には以下のような政策を推進して欲しい。ただこれは実現不可能なものも含むかもしれない。政界での民主党の立ち位置がどこになるかという問題と密接に関わるからだ。

・安全保障問題での現実的な対案策定
 実際のところ日本の取り得る立場としてはそれほどバリエーションはない。米国との同盟は必須、仮想敵国が中国というのも大声では言えないが事実関係としてあるので対処するしかない。つまり方法論がどうかという事になる。軽武装&米国との二国間で処理、が自民党とすれば、それに対抗するならもう少し重武装&米国含む他の民主主義国を合わせた結束、くらいしかない。

・農業問題への立て直し
 小泉路線としてある程度始まっているように思うが、不充分なうちに推進を謳う。株式会社参入、大規模農家形成促進など。少なくとも短期的には自給率低下も甘受する。そもそも日本はそれほど農業に向かない国ではない。重要なのは降水量や日照時間なので。

・少子高齢化対策強化
 一部米国と大差ないものになるかもしれない。例えば若年世代のシングルマザーへの援助強化などは国内的に抵抗が強いかもしれない。ただそこまでやらないと回復はしないだろう。ちなみに私は、少子化に関してはそれもそれなりの社会という見方は取らない。悲惨な事になると思う。自民党の認識はかなり甘い感がある。

・英語教育の徹底強化
 身もフタも無くいうと、国民の頭のいい方から数えて2割をまともにするだけでいいと思う。それだけで日本の持つ弱点が、内政・外交のあらゆる面に渡って改善される。経済停滞も脱することが可能だろう。ただ国内の抵抗は強くメリットが出るのに時間のかかる話なので当初は苦労するだろう。

 内政面でのポイントは、自民党の政策の中で民族主義的な側面が足を引っ張る部分に対して科学的・合理的な主張をすることだろう。それならまともな保守派政党で定期的な政権交代という展望もあるかもしれない。国民にしても、選挙のたびに気分次第で色々投票したいだろう。極端な主張の無い複数の政党が欲しいところだ。
posted by カワセミ at 01:25| Comment(17) | TrackBack(1) | 国内政治・日本外交

2005年09月07日

ポーツマス条約に思う日本外交の特質

 日露戦争終結の舞台となったポーツマス。そこの海軍工廠の閉鎖問題がしばらく議論されていたが、結局閉鎖を免れたようだ。しかし日露戦争というと歴史の彼方という印象があるが、わずか100年である。その後の第一次世界大戦、シベリア出兵、第二次世界大戦とさして息つく暇もない激動で人々の印象が薄れるのも早かったろう。20世紀後半の日本は随分のんびりしたものだったと痛感する。

 この戦争は米国の仲介によるポーツマス条約で終了した。この戦争は日本人にとっては名誉あるものと記憶された。人々の意識として考えれば、欧州で言うなら少し前の時代、ナポレオンとかせいぜい普仏戦争に相当しよう。苦難の末の勝利、悲劇と共に栄光もまたそこにあるという、「古き佳き時代」の戦争だった。しかし第一次世界大戦までの年月の短さを考えれば、消耗戦による限界を超えた悲劇は既に予見されていた。つまり今日客観的にこの戦争を見れば「大国同士の戦争としては驚くほど被害が少ない」と評されるべきだろう。しかし当時の日本人はそう考えなかった。補足すれば、実のところ自国の兵士の死傷に対する許容度は、欧米と比べて一貫して日本は少ない。恐らく1000年来変わってないのではないか。もっともそれを今日責めるのは無理だろう。日本だけではない。欧州もクリミア戦争での教訓は生かせなかった。どっちも自国の中核部から遠い辺境の戦争として国民に実感は薄かった。この偶然は今にして思えば悲劇的だ。

 セオドア・ルーズベルト大統領は日本での人気も高い。歴史的経緯を考えれば当然だろう。しかし後に右派勢力が非難する中国大陸の機会均等はこの時点で主張されていた。ハワイやフィリピンへの対応は知られている通りだ。日本国内の右派の論調はしばしば国内向けの論理のみになり首尾一貫しない。そうでない合理的な保守勢力が大人しいということもあり、外交上悪影響が出てくるのは今も変わらないように思う。
 そして大局的に見れば、日本の力の伸長、物理的に距離が近いという現実から、アジアにおいて日本が経済面で優越的な立場を取る事を米国は徐々に認めている事に注意せねばならない。これは石井=ランシング協定も含めて考えると理解しやすい。しかし軍事的な覇権に関しては容認しなかった。旧ソ連に関しても現実を認めるという点では似たような態度を取っており、今日の中国に対する外交もまた同じであることは興味深い。

 ポイントは、秩序を維持するのは大変な事だという自覚が、米国を含め世界の大半の国にはあることではないだろうか。それを変更するにはそれなりの正統性、手続きが必須だと。西欧は日本を表現するときに「秩序社会の伝統」という言い回しをする事がある。これはポイントを突いている。逆に日本が外へ出たときに秩序の無い世界を悪と判定し過ぎてしまう。実際はそれが普通、秩序を望むならそれを維持するのは覇者の責務と認識されることが多い。そして日本はその負担をしばしば不当なものと思ってしまうのだ。典型は戦前の大陸政策だが。
 世界の安全保障上の決定に日本が主体的な役割を果たすのはしばしば前向きな結果を出すとは思う。しかし、その種の負担が必須であると言う事は国民に説明せねばならない。勿論外交の専門家はこのような事情を良く分かっており、それ故行動を好まない。近年は欧州もまた日本の伝統的な立場に近付いているように思う。
posted by カワセミ at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内政治・日本外交

2005年08月17日

8.15に歴史を振り返るということ

 PCの調子が悪く、OSの再インストール作業からやる羽目に。ただでさえまめでない更新がより滞っている。何とか復旧してはいるが。
 この時期は戦争を振り返るというテレビ番組などが多く、どうせ良い番組もないだろうからせめて関係する本でもと目を通してみた。今回は新潮新書の「あの戦争は何だったのか」(保阪正康氏 著)を取り上げてみたい。全般として特定の思想的立場に立つというものではなく、客観性に徹する態度に好感が持てる。歴史的事実を極力公正に取り上げようというスタンスが感じられる。「大人のための教科書」と銘打っているが、一定以上の知識がある人にはやや蛇足な面もあるかもしれない。ただ新書という事でページ数もそれほどは無いので軽く目を通すには手頃だろう。関連したことも交えて色々述べてみたい。

 この本の構成は、第一章が旧軍の組織に関する概略の説明、第二章が開戦に至るまでの外交経緯、第三章から五章までが戦時中から敗戦に至るまでの経緯をエピソードなどを含めて記述している形になっている。そしてこの本の優れた部分はどちらかというと前半だろう。特に第一章は基礎知識として今日では比較的知られていないかもしれない、旧軍の幹部は極めて頭のいいエリートだったという事の雰囲気をうまく伝えることが出来ている。これは時の勢いの選挙で政権を得たナチスドイツと比較する言及があっても良かったかもしれない。選挙で選択されたというわけではないが、良くも悪くも日本国民を代表する知性として「頭のいい人達が決めているのだからまあそれほど間違いは無いだろう」というある種の信頼が国民に広くあったようだ。これは腐敗の多かった政治家と比較すると清廉に見えたことも相まって悲惨な結果を招く事にはなるが。

 ちなみに私がこの本に関して不満に思うことの一つは、開戦に至る経緯と、開戦後を同じような筆致で一連の流れで書いていることだ。実際は開戦するまでの経緯が圧倒的に重要だと思う。開戦してしまえば軍事の論理で無理が生ずるのは自明で、二度の世界大戦に関係した主要国は程度の差こそあれ至らないところは随所にある。もちろん当時の軍部の無責任さは責められて然るべきであるが、開戦前の外交の稚拙さと同一に語るのは誤りであり、この本はそれを意図してはいないものの、両者を混同させてしまいかねない注意力の弱さはあるかもしれない。
 それでも第二章は重要な指摘をしている。いわゆる石油神話の否定もそれだ。意図的に軍部を煽るネタとして使ったと。そして実際に対米開戦を推進したのは陸軍ではなく海軍、それも機密のベールに覆われていた軍務局や軍令部作戦課の連中だとして、具体名も挙げている。推測としているが恐らく間違ってはいないだろう。また石油に関しては、官僚主導のビジネスの失敗を隠蔽するという側面もあったのではないかと私は疑っているが。いずれにせよ制裁と言っても当時の情勢では日本のような強大な海軍国を相手に海上封鎖など出来るというわけでもない。今日の中東諸国でさえ抜け道を探すのに苦労はしていない。

 ただ、これらの指摘が国内論理の指摘にとどまっているのは私には不満だ。(もちろんそれはそれで非常に重要だ。国内の論理の延長で戦争までやったのだから)というのは、第二次世界大戦発生はまず欧州、1939年で、日本は1941年に対米開戦しているからだ。そして1941年の6月にはバルバロッサ作戦が発動し、当初のドイツ軍は連戦連勝だった。そしてこのままドイツが勝つだろうという予想は日本のみならず米国でも強かったことだ。第二次世界大戦の発生とその経過に関しては、当時の著名人の予測はそれほど当たっていない。ソ連に関しては客観的な理由もある。フィンランドに侵攻して手痛い目にあい、フィンランド成年男子数より多い数の兵を投入してやっと勝ったからだ。諸外国がここでソ連軍の無能を見て取ったのは間違いない。多数の将校がスターリンによって粛清されたことも知られている。ドイツはソ連に間違いなく勝つだろうと見られていたのだ。つまり、欧州全土がドイツに席巻されそうで、今にもイギリスは屈服しそうで、にも関わらずアメリカは参戦せず、というのが1941年後半の客観情勢というわけだ。その客観情勢こそが、実は最大の要因であったのだろう。

 今日でもハルノートを最後通告と称する人がいる。1941年の日本があたかも追い詰められてどうしようも無かったかのようだ。同盟国が連戦連勝で、「仏ヴィシー政府の要請」で仏領インドシナに駐留するのに?ちなみにハルノートの英文はこのようなものだ。意図的に前文を無視する人が多すぎるように思う。今に続く、米外交の粘り強さの伝統を感じる。脅威があるから軍事オプションの準備はするだろう。しかしギリギリまで外交で解決しようとする。今日の6ヶ国協議を見てもそれは理解できる。もっとも、今も昔も、特にアジア人はそれがなかなか理解できないようだ。駄目な国に限って陰謀論に走る。せめて日本だけはもう少しマシになっても良さそうなものだが。
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2005年08月12日

政権選択と指導者の資質

 世の中は選挙で大騒ぎ、この自分のマイペースなブログまであちこちでリンクされて苦笑している。論壇系とか大層な表現されても困ってしまう。まぁ、今回は同じように思う人がそれなりに多いせいかもしれない。今日はそれに関連して思ったことを少し書いてみたい。それは政党の党首の資質ということだ。

 これまでの自民党の首相は、個人ベースの資質で見ると必ずしもリーダーとしての器量を備えているとは思い難い人もいた。しかし、近年の選挙では、この党首の資質を見て投票する政党を決める傾向が強まっているのではないかと思う。
 これは海外の民主主義国を観察するとやや傾向があるようにも思う。例えば中級国家と見られる人口1,000??3,000万程度の国では、比較的指導者個人の資質にはうるさくなく、政党の持つ総合的な政策に注目が集まらないだろうか?もちろん個人の資質が重視されないわけではない。ただ細かな部分に至る個人攻撃の段階までエスカレートしない事が多いように思う。
 これに比して、米国は言うまでも無く、旧来からの大国と見られる英仏といった諸国では微に入り細に渡って資質を精査されるという印象がある。これは対外的な軍事行動の可能性と関連していないだろうか?例えば米国で言うところの大統領と州知事に求められる指導者の資質の違いと同じようなものが、民主主義国の規模の違いに応じて、どこかに一線が存在しているように思う。

 日本は国際的な安全保障の役割において身を引いてきた経緯から、規模に似合わない政治的選択だったように思われる。しかし、イラク派兵などが典型だが、これからはかなりプレッシャーのかかる判断をしなければいけないだろう。不承不承ながらも国民の多数派から容認を取り付けなければならない。その時に指導者の器量が結果を左右する。
 もう5年以上前と思うが、以前、2chで日本の核武装の是非を論ずるスレッドを見たことがある。皆口角泡を飛ばす勢いで思ったより真面目に意見を述べているのだが、その時に「お前等何か大事な事を忘れてないか?今日本が核武装したとして、スイッチを握るのはあの森だぞ?」という一言があり、読んでいて思わず大笑いした。スレも一気に冷水を浴びせられたような雰囲気になっていた。ただこれはある側面で本質を突いた問いかけだ。政治状況の変化と指導者の選択の傾向はどこかで微妙に同期している。まぁ森氏は過小評価され過ぎの傾向があったとは思うが、それでも当時も今も安全保障上の重大な決定を託そうという人では無いように思われているのだろう。
 そうしたことが今回の衆院選にも影響するのではないかと思うわけだ。民主党は、恐らく今回思った以上の敗北を喫すると思うが、党首の資質が大切だという教訓をそこから汲み取る事が出来るだろうか。日本の政党政治は、実はそういう経緯から再度の出発を模索するのかもしれない。
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2005年08月08日

解散・総選挙に思う日本の政党政治の状況

 結局参院では郵政民営化法案が否決され、小泉首相は衆議院を解散した。選挙日程は奇しくも9.11だが、米国のそれほどではないにせよ日本の将来もいささか変わる日になりそうだ。思うことは色々ある。今回のエントリはいつにもましてまとまりが無いが許されたい。

 以前のエントリでも書いたように、私は自民党がかなり善戦するという予想をしている。理由は簡単で、あれだけ落ち度の多い今までの自民党でも政権の座にはあったからだ。今回小泉首相の下で守旧派と世間的には見られている人々を追放して戦う選挙戦ではそれなりの追い風があり、そして主に岡田代表などを代表とする民主党執行部の無力により、改革勢力としての政治姿勢にやや疑問符が付いている。少なくとも(マスコミの報道はどうか知らないが)客観条件的には小泉自民党に有利と思われる。何だかんだといいながらも、都市部の知識人サラリーマンなどがマジョリティの帰趨を決めてきたと思うが、その付近が大幅に戻ってくるかもしれない。例えば今回だと東京一区、自民党の与謝野氏と民主党の海江田氏だが、しばらく海江田氏が勝利していたが今回は与謝野氏が勝利するのではないだろうか。まぁここは普通のサラリーマンが多いわけではないが。

 大雑把な色分けをすれば、小泉自民党は小さな政府志向で親米非中韓、亀井派を中心とした政治勢力と民主党は大きい政府志向およびやや反米の親中と見えなくも無い。問題はこれが最終的な政治勢力の色分けとして定着するかどうかだ。というのは、もしこれが定着すると、今後の政治展望としては後者の長期低迷・万年野党化しかないと考えているからだ。それでは55年体制の奇妙な反復でしかない。そしてこれは現在の米民主党の停滞に不思議に重なる。ただ米国では民主党右派の懸念はかなり深刻なことから巻き返しもあるだろう。日本ではあるのだろうか。

 日本の民主党の問題は外交や安全保障で強い。これを指摘する人は多く、今まで私が目にした複数の世論調査でも一貫している。今回国内的にもどうかという話になるとは思うが当面それはおいて、この問題に関して考える。なぜなら、この外交姿勢が日本の政党政治の縛りになっている側面が強いと考えるからだ。そもそも日本の政治勢力で、外交・安全保障面で戦略上奇矯でない現実的な範囲で対立点が発生するとしたらどのようなものになるだろうか。恐らく、米国との同盟維持は一致するだろう。その上で軽武装路線で米国と密接に行動するか、やや重武装路線で独立性を保ち、対米協力を高めに売りつけるかの二種類くらいしかないのではないだろうか。分かりやすくいうとイギリスみたいにやるかフランスみたいにやるかの違いという事だろう。そしてその現実が対立点を生み出し難い現状になっているのではないかと考える。

 安全保障上米国から独立性を保った外交を意図したいのなら、その分米国をアテに出来なくなる面が強くなる以上、自国の負担が増えるのは当然だろう。日本の左派勢力は対米自立を唱えつつ防衛費の削減を要求している。本質的な論理矛盾であり、議論として成立しない。論理的に成立するとすれば、日本人に提供する安全保障の要求水準を引き下げて議論する、言い換えれば脅威を矮小化して現在が過剰と表現し、実際に発生するマイナス面を正当化するしかない。社民党がこれで、つじつま自体は合う。注意して欲しいのは、この種の主張は世界的に見れば大国の周辺にある小国ではしばしば実際にあることだ。まして国内的に国民の人権を軽視する場合はなおさらだ。しかしこれは極端に日本人の多数派に受けが悪い。日本人が自覚している以上に日本は外から見れば誇り高い国家だということだ。この種の風景は色々他にもある。
 また重武装・独立性重視に傾くのは、軽武装・協調路線より相対的に保守勢力が採用するのが当然だろう。軽武装路線を小泉自民党が担っているとしたら、ここの政治勢力が当面国内に存在しない。確かにこの路線は核武装なども含めて検討の要があるので日本で支持を集めるのが難しいのだろう。
 総合的に考えれば、大まかな路線として親米軽武装を唱えることで一致し、そこからブレずにほんの僅かな違いで論争するという話はあり得る。ただ何がしか独自のカラーを出したいという色気が政治家にはどうしても発生する。それは例えばチャイナスクールの罠に絡め取られるとか、多くは不幸な結果を出してしまう。
 このように日本の外交・安全保障政策の停滞は構造的な問題もあり、実際のところは政治家ばかりを責められない。むしろ多数派は悪い条件の中で良くやっていると言えるかもしれない。そして政治は透明性が大事なのは言うまでも無いが、日本の不幸は、有権者がなまじ先が見えることだろう。短期はともかく、長期で見れば路線選択は概して正確だ。マジョリティは常に決まっている風景が継続している。しかし予定調和では議会政治の活動が停滞する。では、切磋琢磨し、もう一段の進歩をする余地はどこにあるのだろうか?

 あるとすれば、それは人権という面ではないだろうか。日本の外交では、他国の人権に無関心か冷淡であることが多い。だから拉致問題などでも外国の視線は、中韓はともかくむしろ民主主義国の視線が時に痛い。自分に回ってきたときだけ大騒ぎかと。それでも建前上無条件で支持するというのが民主主義国の気概ではある。不幸な事件であったが、対外関与のあり方を強化するきっかけになればまだしも進歩の一助かと思う。だから民主党は主張するとすれば自民党以上に北朝鮮や韓国、中国国内の人権問題に鋭く批判的でなければならない。視野はより広く、世界的でなければならず、国際的な枠組みの提案者で無ければならない。自民党を親米とすれば民主党は親米+親EUというところだろうか。ただ、今の日本人は例え短期的でもこれ以上の負荷を背負うのが本当に嫌なようだ。本当に限られた選択肢しかないのが現状なのだろうか。
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2005年08月02日

政権選択の選挙とは

 郵政民営化法案で世の中が騒がしい。自殺者まで出たということでそれすら政争の具にされている。この件に関しては言及もしたくないくらいだ。そしてこの法案が否決されたら衆院解散・総選挙になるらしい。民主党に政権が交代する可能性はあるのだろうか。あるかもしれない。しかし私は必ずしもそうならないと思っている。

 元々私は、社民党や共産党のような左派政党は政治家としての最低限の役割を果たしてないと考えている。この付近は日頃のブログで分かると思う。「現実的な政策」を挙げる複数の政党でしばしば政権が交代するのが理想と考える。だから選挙の際はいつも選択に悩んだものだ。少なくとも国政選挙においては、過去一度も自民党に投票したことは無い。もっとも社民党や公明党、共産党も無いが。本心を曲げてという思いはあったが、総合的に考えると短期的にリスクがあっても、長期的に見れば政治の水準が向上するのに政権交代は必須と考えたからだ。選択肢は実に少なかった。しかしながら、今回衆院選があるとすれば、私は初めて自民党に投票するだろう。

 元々日本の政治状況は、全国的に見ても保守層が厚い。問題は保守層の中で政党のバリエーションが無いことである。民主党の近年の伸びは、野党第一党効果、二大政党制期待からの保守層の流入という側面が大きい。政権交代が無ければ民主主義ではないという思いは多くの人にあるだろう。しかしながら、有権者の投票行動を仔細に見ると単純ではない。政権(というより担当する政党の)交代に直接絡まない参院選や地方選挙では、割と地滑り的に野党が勝つこともある。しかし、衆院選だけは少し様相が違い、自民党がなかなか大崩れしない。これは政権交代に直接絡むために有権者が慎重になっているからであるのは明らかだ。そして安定した社会ではリスク許容度が高まり、野党が勝つことが多い。だが、近隣諸国との激しい摩擦がある昨今はどうだろうか。政権交代によるリスクが許容できないと考える有権者は多いのではなかろうか。

 日本の政治制度においては、有権者が思っている以上に内閣総理大臣の権限が強い。三権分立が徹底している米国では、大統領権限は強大だが立法に口は出せない。というか、許可が無ければ議会にも入れないくらいだ。(アメリカ人はこういう所ではやたら潔癖だ)立法府の多数派の総裁を兼ねているのだから決断すれば何でも出来るといっていい。そしてこの個人の資質が重要な事に、近年の日本人は気が付いてきたと思う。これは中曽根氏がまだ元気に政治活動をしていること、今の小泉首相対米関係など含めて若干似た部分があるという事も影響しているかもしれない。不思議と長期政権は外交上それなりの実績を残している。というより長期政権で無いと残せないのだろうが。そして今は外交の季節ではある。

 今回の総選挙があるとすれば、岡田党首は、限りなく昨年の米大統領選のケリー候補のような負け方に近くなると予想する。有権者の信頼を得る、最後のハードルを越せないと思うのだ。前回の衆院補選の結果を見ても、これまで確実だった都市部での勝利が怪しくなっている。そういえばブッシュ大統領も前回より都市部で得票を伸ばしている。これは世論調査でははっきりとは見えないが政治意識の高い良質な保守有権者の行動が左右したのではないだろうか。これが菅党首ならやらせてみると駄目という可能性があってもリスク許容で勝利するかもしれなかった。もっとも、それとて対中韓発言などを聞いていると最近はやはり駄目かもしれない。時代の巡り合わせとか運とか、そんなものが政治家には必要なのかもしれない。これも米国で言うと、ゴア氏あたりだろうか。レベルが違うにしても。

 そして小泉首相が圧勝する可能性が一つだけあると思う。それは自由民主党の党名を変更することだ。例えば「自由党」などが候補だろうか。実際に政策においては社民主義的な福祉重視の側面が減退し、自由競争重視の傾向がある。意思決定プロセスも近代的になってきている。だからある意味現実には合っている。これを実施すれば「自民党をぶっ壊す」という小泉首相の発言は一応整合性があったことになるが。
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2005年07月17日

歴史教科書問題で考えたこと

 日本の一部歴史教科書が戦前を美化していると中韓あたりを中心に批判されている。わざわざコメントすることさえ面倒でもある。しかしながら、これに対する各国の反応は少し面白いようにも思う。どのような国も自国の感覚から完全に逃れて物事を判断することは出来ないようだ。
 韓国の態度は日本から見ると奇妙な過剰反応でもあり、現実的な客観主義からの遊離にしか見えない。これは儒教的(朱子学的と言った方がいいかもしれない)なある価値観の元に歴史が規定されるべきとの考えによるのだろう。啓蒙主義からは遠いが、ただ歴史を現時点における過去の解釈とするならば、それは普遍的な現象でもあり、そのマイナス面の拡大に過ぎないと表現することも可能かもしれない。これが中国あたりになってくると党の公式見解とはっきりしていて、むしろ韓国のような思想の隘路に陥ってないだけむしろ爽快にすら思える。
 欧米となるとなかなか微妙だ。例えば米国ではなぜかこんなものがニュースになってしまう。日本の一地方都市が採用しただけでなぜわざわざニュース化するのかと。もちろん事を大きくしたい左翼系日本人か韓国人の影響という気もするが、地方自治の権限が圧倒的に強く、文化的にも多様な米国でのニュアンスとして、地方によっては保守化世論が堅いというある種の誤解を生んだ結果なのかと思う。ちなみに日本国内での政治路線の対立は地方の対立という構図を生まないという事は外交の際にしばしばコメントしておいてもいいかもしれない。主要な先進国の大半は、実は地方によって温度差がある国内世論を一本化するのに多大なエネルギーを費やしているからだ。強いていえばフランスが日本にやや近いくらいだろうか。ベルギーくらいのサイズの国でさえ、誰もが知っているあの状態だ。その意味で、韓国の地方対立も日本人には奇妙に思えるが欧米の大半の国ではそれほどネガティブなイメージを生んでないのだろう。
 欧州の捉え方は(欧州とくくるのも問題ではあるが)例によってナチスとの比較であるが、ただ欧州諸国の学校教科書は米国のそれと違って余りにとんでもない教科書までは使われてはいない。日本に近く精密に作られたもので運用しているように感じる。その意味で米国の方が教科書の多様な記述に容認する度合いが大きいというだけであって、米国が欧州より日本に好意的と言わんばかりの国内報道は誤りなのだろう。実際のところ、リベラルな連中が勘違いしてるのは日本自身も含めて民主主義国共通なのだ。そして、外交に長けた国でも、欧米どころか日本自身も含めて、なぜか頭のいい連中もアジア外交は少し勘違いすることが多いのだ。Foreign Policyなどを例に取ると良いだろうか。南米や欧州については素晴らしい意見が多いのに、アジア絡みは現実の厳しさからやや離れてしまい、妙に認識の甘いところがある。その意味でも、日本の外交は欧米への説明責任を果たす部分にエネルギーを注ぐべきだろう。
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2005年06月30日

在日米軍再編問題で思うこと

 米軍再編は日本や韓国に大きな影響を及ぼしそうだ。韓国は当事者がフラフラしているのでどうなるか怪しいが、日本の落としどころはまだ分かりやすい。しかし以前のエントリでも書いたようにがっかりするような議論が横行している。そろそろ現実主義になってもいいと思うのだが。
 今回目をひいたのは、こういう内容が極めて率直に伝えられているということだ。台湾のために沖縄には海兵隊が必要であるという。これは明快な論理だ。今までであれば話をぼかして、「攻撃力を持たない日本にこのような部隊がいることは意味がある云々」で済ませていただろう。直接には中国の領海侵犯がきっかけだろうが、先日の2+2の戦略対話の反映であろう。この種のやや不正規な作戦への対応まで考えているというメッセージはそれ自体が有効でもあり、歓迎したい。もちろん可能不可能の議論を別にすれば、アジアで米軍駐留に最適なのは(横須賀のようなインフラが大事なところを除けば)台湾という事になるのだろうが。海兵隊は中長期的にはオーストラリア等へ訓練地含めての移転かと思っていたが、どうもしばらくは無理そうだ。
 先日の潜水艦発射の弾道ミサイル実験といい、どうも最近の中国はアメリカとのコミュニケーションがうまくいっていない。あの国は経済優先で物事を考える国では無いのだが。「米軍の空母を沈めるため」に潜水艦を増強中だが、問題は仮に一隻沈めることが出来たとして、その後どうするかという話だと思うのだが。
 日本はというと、ますます米軍を人質状態にしているありさまだ。ただ、変な建前のために公海に出てから荷物の積み替えの類をやらなくなったのはかなりの進歩だろう。そういう不合理な部分で金がかかっていたので、費用的には同額でも進歩はある。まだ不足かもしれないが、それでも不況が続く中、防衛費の本格的な増額に関して国民のコンセンサスはなかなか取り辛い。ゴールはGNP比1.5??2%のようにも思う。もう少し時代環境が違っていればグローバルにNATOあたりとの連携を考えて負担を軽くする事が出来ただろうが、今は向こうが機能していない有様だ。対中武器輸出問題の展開を見ているとうんざりする。冷戦時代の記憶を早々と忘れてしまったようだ。欧州の伝統的な欠点はアジア政策が駄目なことであるが、そういう事も間接的に日本の安全保障政策の拘束要因ともなっている。当面のどのような方針を取るべきかは明快だろう。
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2005年06月24日

エネルギー問題における日本の状況

 エネルギー問題だが、昨今中国の動きが騒がしい。ただこの件、基本的構図をかなり勘違いしている人も多そうだ。以下の私の見解は言い過ぎの部分もあろうかと思うが、大筋的外れでもないと思う。
 まず中国の動きだが、ユノカルあたりへの買収で騒ぎになっているが、これは特定の政治的動きと解するべきでないと思う。中国の経済活動はエネルギー効率が非常に悪い。そのため、心理的には日本の過去の石油ショック時に近い。短期的には採算を度外視してエネルギーを確保しようとの動きになる。その様々な動きの一環であるというだけだろう。イラン油田に食指を伸ばしているようだが、これは現実に採算が合わないかもしれないので欧米日が手を出し辛いところに突っ込んでいっていると見るべきだろう。ロシアの石油もそうで、日本と中国との両天秤が話題になったりするが実際は「本当にそれ、採算に乗るのか」と日本が露中のやり方に疑問を抱いているというのが客観情勢だろう。
 日本の立場としては、「どこからだろうが買えればいい」という状況だ。日本のように金払いの確実な国に石油を運んできたがる国はいくらでもある。海外に日本への優先供給を可能にする油田を確保する必要は無いだろう。独自石油と意気込んだ結果はことごとく死屍累々で、さすがに近年石油公団も解散となったようだ。もっとも利権の巣のような団体なので色々面倒だったようだが。小泉政権でなければ存続していたかもしれない。
 一次産業を国内に抱えることは、社会や産業の発展段階が進展している国にとっては微妙な話だ。なぜならその国の一人当たりGNPや国民所得から見てその数字を一次産業では達成できず、何らかの形で補填する必要があるからだ。これが成立するには国内に貧富の差が存在してある集団にとってはそれでも問題ないという形にするしかない。日本に関して言えば困難で政治的な解を得るのに苦労する。昔の日本で炭鉱を閉鎖していったような経緯が一番分かりやすいか。一次産業は政策を間違えるとあのパターンで尻拭いに苦労することが多い。まぁそれでもあの時は高度成長期だったからマクロ的には吸収出来てどうにかなった。今ならどうだろうか。そして米国が国内資源を開発しないのは、その問題を抱え込むことになる側面があるからだろう。今は買ったほうがマシという事だ。もちろん将来資源が枯渇して、バレル$100以上が恒久化する見通しとなれば話は別となる。また一次産業の問題は、経済的問題の前に文化だ雇用だと政治問題となって解決が困難になることが多ということもある。農業の補助金制度などは典型と言えるだろうか。日本も昔「黄金色の稲穂・・・」などとやったが、フランスも小麦で同様の主張をし、黄金色の色まで同じだったときには思わず笑ってしまった。
 日中関係は色々揉めているが、中国は様々な形で秋波を送っているようではある。これは省エネ技術が欲しいというのがかなり大きいようだ。酸性雨の問題などもあり、日本としても中長期的には自国のためにも協力するのが良いのは明白だ。ただ短期的にはそのような政治状況では無い。
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2005年05月21日

戦後の日本政治の変遷と安全保障政策の今後

 不思議と世界的に歴史問題がクローズアップされる時期である。欧州では現在に近い歴史として、第二次世界大戦後の変遷も注意深くはあるが論じられている。冷戦終結というインパクトも日本とは比較にならない。日本では1945年から同じような安全保障環境が続いてきた錯覚さえある。では政治的にはずっと対米従属を継続してきたと言えるのか?やや偏見が混じるかもしれないが私の考えを書いておきたい。
前回のエントリではロシアとの領土問題を取り上げたが、第二次世界大戦後しばらく、少なくとも鳩山政権の頃までは、対米一辺倒という志向はむしろ薄かったと言える。その後しばらく政治的な論争も継続した。政治路線として米国との同盟を日本人が最終的に選択したのは、1960年の安保改定の時だろう。
 その後ニクソン政権が日本に与えたマイナス面は多かった。現在伝えられているところによると、佐藤首相との個人的相性は最悪に近かったという話だ。首相の米国大統領との個人的な信頼関係が案外外交に効いて来るのは後に中曽根氏、小泉氏が証明するが、実はかなり昔からの話だ。これは日本国内の世論の屈折にも繋がる。その後の日中関係の急進展は、頭越し訪中の意趣返しのような気分が日本にあったせいでもある。ただアジアの連携で米国に対抗、と本気で論じる人間は実に多かった。日中国交正常化が1972年だが、この事実を考えると、日本が対米一辺倒で外交を継続した時期はせいぜい10年強と見なすことすら可能である。日本人のナショナリズムは昔から変わらず強いままで、政治の場では常に代替策を模索し続けてきたとは考えられないだろうか。
 そして現在に至るわけだが、対露関係は停滞したままで、日中関係はご存知の通りの情勢だ。国連外交が多国間交渉での道義的立場の維持という側面があり、特に安全保障関係では実質的意義が薄いことにより機能し辛いことを考えると、日米同盟を中心とする以外の政治的模索は常に敗退してきたと言える。これは日本が集団的自衛権を行使していないのが主な原因である。以前のエントリにも書いたが、兵士を危険に晒すということの政治的価値が増大している以上、一方的な関係をそれなりに容認する唯一の例外である米国以外との関係が構築できないのは自明だ。この当然のことが論じられない戦後の言論空間とは何であっただろうか?
 集団的自衛権の行使を条件にした場合、いくつかのバリエーションが過去にはあった。G7が結成され、サミットが毎年開かれ、政治的役割を増大させて来た時期だ。このサミットの歴史はかなり興味深い。仔細に見ると米国が議長国の際は政治・軍事的協力の強化を目指し、フランスが多国間外交での新しい役割を与えるというパターンが観察される。そしてフランスは政治的役割強化に関しては常に抵抗者であった。国連の安保理に常任理事国の地位を占めていることからも、この安保理こそ安全保障の権威とすべきと考えていた。EUの統合が現在ほど進んでいない70年代??80年代初期は独伊の反発もあったように思われる。ここでポイントとなるのは日本の立場で、日本がこのG7強化にコミットしなければ、安全保障に関しては他の欧州諸国にも配慮してNATOで処理しようという話に落ち着くしかないからだ。
 このNATOに関しても日本はチャンスを逸して来たと思う。ロシアとNATOとの関係は複雑な面が多く、関係が強まったり弱まったりと微妙だ。しかし冷戦終結後、NATOフルメンバーとは言わないまでもそれに近い関係に一気に進展する可能性がある時期があった。結果的には現在まで混乱が続いているのだが、そうなっていたら日露関係が大きくロシア側に有利な形にシフトする危険性があったのではないか。例えば領土問題でロシアは飛躍的に自己の立場を強化し得たと思われる。ユーゴ紛争期に日本はかなり資金的な貢献をしている。この時期にNATOにオブザーバー参加を打診することはやっておくべきではなかったか。今ならやるかもしれない。小泉首相は北朝鮮問題その他で東欧を外遊先に含めていた。ロシアとの領土問題の交渉は、表面的な報道とは別に水面下では結構詰めているのではないか。もっとも私の単なる過大評価かもしれないが。
 昨年のシーアイランドサミットでは、アフリカ諸国からG8に対し、平和維持部隊への協力の提案があったそうだ。(参考)アメリカで「民主共同体」的な米国主導の新国際組織の議論がされているようだが、この付近からの派生となるかもしれない。攻撃は米国、復興と治安維持は国際組織、というのは現場での効率という意味では良いだろうし、長期でみれば合理的な方向性として出てくるかもしれない。またモメそうな話ではあるが、日本が将来安全保障の役割を増大させるとすれば、こういう枠組を改良したものになるのではないかと思っている。復興と治安維持の任務を果たすのだから、事前の決定にも参加させろという言い方しか出来ないだろう。今からフランスあたりに行って外人部隊の運用ノウハウでも身に付けておくのが正しいかもしれない。
posted by カワセミ at 19:44| Comment(1) | TrackBack(3) | 国内政治・日本外交

2005年05月04日

集団的自衛権の議論でがっかりしたこと

 日本の集団的自衛権の行使に関しては様々な議論がある。色々な意見があってもいいのだが、責任政党と目される自民党と民主党には現実的な議論を期待したい。しかしこのような意見のやり取りを聞いてすっかり意気消沈した。曰、「日本周辺なら良いが地球の裏側までは行かない」だそうだ。ふざけるな、冗談ではない。
 これは世界における日本の位置付けを考えると容易に理解できる。この種の議論が成立するのは、例えばブラジル、ナイジェリア、南ア、あるいは少し前までのインドや中国といった地域大国である。日本は世界的な経済大国で、全世界にその利害を有している。日本の商社マンは世界中を飛び回り、日本の資産は全世界に存在する。そして集団的自衛権を行使する際は、日本は海・空軍力の提供が主な任務になることも容易に推察できる。どのような観点から考えても全世界が潜在的な対象なのである。もちろん結果的に日本周辺が主な活動範囲とはなるだろう。しかし原則がそれではお話にならない。
 イギリスとフランスはさすがにまともなのか、北朝鮮の核武装が自国の安全保障の筆頭級の問題と認識している。イラク派兵でもめたフランスも、北朝鮮なら無条件に参加と言った事がある。日本は中東地域に関して同じ意識を持てるだろうか。それに現代における安全保障の問題は常に全世界で関連がある。朝鮮戦争の時代でさえ、米国の朝鮮半島の派兵で欧州が脆弱になると英国は青くなっていた。世界的にある一定以上の深刻さを持つ問題が発生した時には、G7+オーストラリアくらいの国は何らかの態度表明と対処が必須である。繁栄を支える条件は案外脆弱であり、繁栄している国はその事に敏感でなくてはならない。国連の常任理事国になりたいのならなおさらだろう。
 その意味でアメリカが日本に対して「グローバル・パートナー」という表現を多用し、地域限定的な表現があまりないのは本質を良く分かっているといえる。アーミテージ氏によると、「全世界的な政治影響力を持つ国はアメリカを筆頭にイギリス、日本、ロシアの4ヶ国」だそうだ。個人的には仏独が入りロシアが抜けるとは思うが。仏独軽視は国防総省筋だけではなかったのかそれじゃ揉めるよなとも思ったがそれはまぁ余談である。
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2005年04月25日

衆院補選結果

 民主党側の不祥事から始まったこともあり、薄々今回は自民党が勝つのではないかと思っていたが、都市部ということもあり判断は微妙だった。今回意外だったのは得票差である。いくら低投票率とはいえ、都市部でこの票差は近年にない状況だ。(参照)低投票率でのこの票差は政治的な関心の高い良質な無党派層を民主党が逃したというような結果ではないか。誰もが思う事ではあるが、今回の選挙は確実に対中でのトラブルが影響したと思われる。つまり、あまり勉強する必要が無い、実務能力や経験を確実に有している人材に流れたと思う。
 安全保障問題が怪しくなると国民はリスクを取りにくくなる。日本の民主党はそこそこには頑張っていると思うが、近年の米国民主党と同様の悩みを抱えていると思う。確かに野党第一党としてはかなり強力にはなってきた。しかし国民の「安心」に対する要求水準の向上速度のほうがやや速いのではないか。

 この政党の問題は外交面と政党としての権威の二つに尽きる。内政に関しては色々ありながら今の日本はそれなりにリスクを取れる。現実感のある外交をどの程度継続可能かということが問題だ。対米を中心とした対民主主義国の外交で継続ないしは向上が見込まれると国民に判定されるのは大変だろう。
 後者に関しては少し補足を加えておきたい。菅党首が以前年金問題で辞任した。率直に言うとこういうところが駄目である。もちろん直接的にこの問題は感心できるものではなかった。しかし、野党第一党の党首というのは、政権交代すれば内閣総理大臣となり、この国のトップとなる。海外に目を転じると、それこそイラク戦争の成否のような大問題が発生して、それでも辞めるか辞めないか微妙、辞めるとしてもその下の国防長官クラスか、というのが相場だろう。それほど地位は重く、ちょっとやそっとの事で替えてはいけないし、また決定するときにそれだけの重みを持っておかねばならないのだ。あの問題が起こった瞬間私は直感的に「この問題では本人の資質がどうであろうが辞めさせるに辞めさせられないな」と感じた。しかし結果は残念極まるものであった。なお念のために菅氏に対する自分の評価を書いておくが、「小泉氏とそっくりで、やらせてみないとどうなのか全然分からない」である。政治家にはたまにこういうタイプがいる。うまくいけばブレア型の芯の強い強力な指導者、駄目に転べばボロボロであろう。中間はあるまい。ちなみに岡田氏はというと、すっきりと全然駄目だと判定できて楽である。自民党と民主党の本質的な差は比較的少ないので、党首を中心とする執行部の人材は最重要なファクターなのだが・・・・

 まぁ、小泉首相の在任中は様々な意味で与野党共に動きを取りにくいので、その後でどうかというところであるが、これも大変なことになりそうだ。来年秋というのが絶妙な時期である。北朝鮮情勢がとんでもないことになっていていつ戦争になるか分からず、とても総理が代わってられる状況ではないのではないか。ブッシュ大統領と仲もいい事だしとりあえず留任、という可能性が高そうに思えて仕方が無い。何しろこんな予定(8月31日欄)も控えている。何の予定になるやら・・・・・
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2005年03月30日

日本における安全保障の議論(2)

 昨日のエントリで「要求水準の類似した国」と表現したが、もう少し補足したい。
ミもフタもなく表現すると、民主主義が一定水準以上成熟していて、それなりの経済力を有する国となり、1990年以前に加盟しているOECD諸国の中から選ぶしかない、となる。ちなみにアメリカがノービザによる入国を認めている国ともほぼ一致する。
 要求レベルが違う国と組む場合の問題は当初から分かりやすい。自国の国民に対し提供する安全保障の水準以上のものを他国には提供できない前提があるし、こういう時に集団安全保障を発動するという共通基準の策定自体が困難であるという単純な事実がある。例外は、レベルの高い国は低い国に一方的にサービスする場合で、これは少し前までの日米安保が典型だが、こういう事例は特殊な歴史的経緯や継続条件が重なった場合しか成立しないと考えるべきであろう。
 日本が主体の場合、どうであろうか?アジア主義者の中でも比較的理性的な論を述べる人はASEANとの連携を主張する場合がある。長期的には悪くないかもしれない。しかし、少なくとも短期的には、「日本がほぼ一方的に彼らにサービスを提供する」のは間違いなく、これを率直に語るべきであるのにその努力が足りないと言える。自国以上の能力を持つ米国との同盟でさえ時に逡巡するのに、それ以外の国を相手にして自国の兵士を危険に晒す事が今の日本に可能であろうか?そして相手国のマスコミが「日本は自国の世界戦略のためにやっているので、恩に着る必要など無い」とか言い出したらどう反応するのだろうか?少し前の日本、最近の韓国の事を考えると教訓になるかもしれない。
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2005年03月29日

日本における安全保障の議論

 昨日のエントリにも少し書いているが、日本の安全保障に関しても少し細かく述べておこうと思う。不思議と日本国内での議論で、私が言うような話され方をされる事が割合的に少ない気がするからだ。「そりゃ当然○○だからだ」というコメントがあれば歓迎したい。

 まず、安全保障問題を、「国民の生命、財産に対する脅威」に関する問題であると定義する。この問題には様々なレベルがあり、明日隣国が本格的に侵略してくる、核兵器で攻撃されるという最悪の事態から、日本人が生み出した富を多少収奪されるというものもある。いくつか具体例を挙げてみたい。

 ・領土紛争を抱えており、場合によっては自国の兵士や民間人が死傷する。
 ・そこまで深刻な事態ではないが、資源の領有を巡って争いがある。
 ・在外資産の接収が行われる。
 ・国内、ないし海外で活動している日本国民が殺害や誘拐等の犯罪のターゲットとなる。
 ・不利と思われる内容での商業上の取引を強要される。

 さまざまな内容が想定されるが、いずれにしても安全保障に関する政策は、自国の安全保障に対する要求内容と水準をどの程度に設定するかに第一義的に規定される。

 この一例として、対北朝鮮で問題となっている拉致問題を取り上げてみたい。日本人はこのような犯罪を絶対容認しない。私もこの考えに強く賛成する。このstandpoint1989さんのような見解は大事にすべきであろう。米国で「こういう拉致事件があったらどう対応するか」とある上院議員に聞いたら即座に「海兵隊の出番」と返ってきたそうだ。どう対応するかの問題はともかく、この「個人の人権」を大切にする視点は肝要である。民主主義の根幹は自己決定権であり、自分の人生は自分で決められるということにある。だからこそそれを剥奪するこのような拉致事件は、民主主義の古い伝統がある欧米では、筋金入りの自由主義者ならずとも絶対に容認されないのだ。日本で「向こうでそれなりの暮らしをしていたのだからいいじゃないか」というような連中がどういう政治的態度を取っているか考えると良い教訓になる。
 しかしながら、これを世界的視座で考えてみたらどうであろうか?韓国は日本よりずっと多くの人間を拉致されているのに融和的である。もちろんこれは親北の世論の屈折が原因で感心できることではないが、北の政権崩壊による過大な重荷に対する恐怖が背景にあり、安全保障上より厳しい環境にあるからでもある。そして実際に国境紛争が絶えず日々何人も住民が死傷するような地域ではどうであろうか?もちろん拉致問題などは誤差範囲程度の話で議論にもならない。

 このように、安全保障に対する要求水準は、それぞれの国の置かれた状況や歴史的経緯、国民意識などによって様々である。そして高い要求水準を満たすにはコストがかかる。そのため経済力との相関があるし、自国の軍備の充実度、同盟の強固さに関係する。そして日本の要求水準は世界的に見てどうなのか?疑いもなく最高水準であろう。その最高水準を満たすためのコストは現状においてどのようなものか?そのため必要な軍備はどの程度か?どういう外交であるべきか?整理された議論が必要だと思う。

 その観点からして、過大な要求をする民族主義者に限って同盟軽視の傾向があり、基本的に論理矛盾という観が拭えない。要求水準や現在の脅威度を低めに設定する社民党や共産党のほうがまだ見解としては整合性があるかもしれない。適切かどうかは別にしても。そして安全保障を共にする同盟外交は、要求水準の類似した国と組まないと機能しないという事も示唆している。
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