2007年12月01日

ニジェールのウラン、そしてフランス

 少し以前からの話であるが、国内での報道も少ないのでメモを残しておきたい。ニジェールと関係諸国の状況である。

 この国は元々フランスの旧植民地で縁も深い。そして経済的には世界の最貧国に近い水準であるのだが、近年の資源高騰の影響を受けて、世界有数の採掘量であるウラン鉱山開発が活況を呈している。また石油も産出するので世界の多くの資本の注目を集めている。
 しかしこの種の開発が国内で対立を激化させることがあるのもまた良くある話である。ニジェールの場合は、ベルベル人の系統であるトゥアレグ(参考:Wikipedia)が関与する紛争がしばしば伝えられる。ニジェールにおける人口比としてはおよそ8-10%であるが、古来より勇猛さで知られているようだ。事態は深刻で、最近もウラン鉱山がゴーストタウンになるような事件も報道されている。(参照1)

 このような背景があるため、外国企業がニジェールにおいて資源開発に参入するときに慎重に要する事がある。時間的には少し前になるが、フランスの大手原子力関連会社であるアレヴァ社とニジェール政府の間にトラブルがあった。(参照2)反乱軍を支援しているというのだ。しかし実際にトゥアレグなどが属する反政府勢力と一定の合意がない地域で採掘するのは難しいかもしれない。とはいうものの、結果としてニジェールにおける地位は後退した。サルコジ大統領もなだめにかかってはいるようだが。

 この同国のウラン鉱山に関しては日本も参入しているが、中国の活動も活発なようだ。政府とは一定の合意があるものの、現地ではトラブルに巻き込まれており、最近もウラン鉱山が襲撃され労働者が連行される事件が発生している。(参照3)

 またここで油断できないのはリビアかもしれない。近年は欧米との関係も急速に修復され、資源ビジネスが活況を呈している。フランスは原子力における協力のみならず多額の武器輸出契約も結んでいる。これを受けてかどうかは分からないが、隣国ニジェール量の資源埋蔵地域に関してリビア領であるとの主張を強めている。(参照4)フランスは当然旧植民地であるニジェールにも武器販売を続けているわけで、このあたりのやり口は大統領が誰になっても全く変わらないのがあの国らしいのかもしれない。むしろニジェールに対する意趣返しであるほうがまだしもすっきりするのだが、そんな米国のような考え方はしないようだ。

 このような情勢下において、ダルフール問題に関連して隣国チャドへの平和維持軍派遣がフランス主導で進んでいる。(参照5)確かに米国が動けずアフリカ諸国が及び腰な現在は称賛すべき行動なのかもしれない。ただそれであれば周辺諸国に対する外交はもう少し慎重であっても良さそうだ。確かにこの問題で気を遣うとしたらむしろリビア側であることは認めるが。
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2007年04月29日

リベリアの政情は安定したのか

 本ブログに関して、個人的な友人に対してはあまり知らせていないのだが、昨日の会話で2名程度の読者は増えることになるかもしれない。まぁ、本人に知らせるちょっとした業務連絡である。なお今回のエントリはそれを受けたものでもない。別に更新が急いで必要なわけでもないし、たまには前向きな話題も書きたいと思っただけである。このリベリアにまつわる話は以前の経緯が陰惨なものであっただけになおさらである。

 安全保障理事会は、4月27日にリベリアのダイヤモンド輸出を解禁する決定をした事が報じられている(参照1)いわゆる「ブラッド・ダイヤモンド」問題は映画の影響もあって国際的にも批判されていた。通常の一次産品(例えば原油が典型)と比較して、商品に至るまでの生産設備の問題が少ないことは、むしろ外国勢力による利権の問題を少なくさせた。正確に言うと政治的障害となる構造ではなかったというところか。いずれにせよこの問題での禁輸はそれなりに機能していたのだろう。出自が価値の一つとなる商品であったのは幸いというべきか。またあまり報じられてないようであるが、昨年時点で木材輸出などに関しては先行する形で認められている。

 例によってリベリアの基本情報を外務省サイトからリンクしておく。(参照2)若干情報が少ないのは残念であるので、手軽に参照可能なものとしてWikipediaのリンクも準備しておく。(参照3)この国は歴史的経緯を簡単にでも押さえておくべきである。いわゆる移民出身の「アメリコ・ライべリアン」が主導的な役割を担っていた事に注意すべきであろう。国旗にもその影響が示されている。私も当時の国際政治の雰囲気に詳しいわけではないのだが、かつてのリベリアはアフリカの中でも最も先進的な地域として国際社会から高い評価を得ていたという印象がある。特に70年代あたりはそうだったのではないか。中高校の教科書レベルでも船舶の登録数が屈指などという記述もあったようだ。ただ遠隔地の外国に起源をもつ少数支配という意味で当時の南アフリカ共和国と共通するような面もある。もちろん南アはシステムを固め過ぎていたので目立つという面はあった。しかし肌の色などは無関係であると言えるのだろうし、国際社会の評価は極端に違ったと思わざるを得ない。

 いずれにせよ、それなりの国際的評価があった時代と比較し、その後発生した内戦は悲惨で、少年兵・性的奴隷・民間人の虐待など陰惨を極める。上でやや批判したが相対的な人道性という意味で一定の現実解がそれまでにあった事は認めざるを得ないような事態だった。当時の国際社会の反応も鈍いものであったが。

 現在のサーリーフ大統領は、アフリカ初の女性大統領という事でニュース性もあったのか、各国からの就任式への参加も多かった。ただ米国はかなりリベリア和平を重視しており、この時もライス国務長官、ローラ大統領夫人が出席していた。経済畑で実務に強く、かつ強固な信念を持つ指導者として評価は高いようだ。米国のサポートを得られたという点も大きいのであろう。この付近(参照4)を読むとライス国務長官との相性も良かったのかなと思わなくもないが。一部引用する。

Liberia. What a promising future Liberia now has under the excellent leadership of Ellen Sirleaf Johnson, amazing possibilities there because the United States, with our African colleagues, insisted on Charles Taylor leaving and being brought to justice. And then it's maybe not remembered that the Marines actually secured the airport and the seaport to give a possibility for an end to that civil war, then a transitional government, and then the election of this fine president. And I was just at a conference in which we have pledged significant funding to Liberia, including debt relief, that the United States will lead. We were also active in ending the conflict in the DROC.



 問題は山積しているが、まずは前進していると言えるのであろう。
posted by カワセミ at 01:48| Comment(4) | TrackBack(0) | サハラ以南アフリカ

2007年04月12日

スーダン情勢に関する観察(5)国連人権理事会の無力

 既に様々なページで話題になっているが、Google Earthはダルフール紛争に関する新レイヤーを追加したと報じられている(参照1)この試みは大変に有意義なものだ。情報とそれによる人の意識の変化のみがこの種の問題を解決するからだ。本ブログでも何回か取り上げているこの問題だが、簡単ながら状況の推移を記しておきたい。

 前回のエントリでICCの対応を取り上げた。その後戦争犯罪であることは間違いないということになり、代表的人物として容疑者も名指しして引き渡しを求めることになった。しかしスーダン政府はこれを拒絶している。(参照2)これは政治的に大きな情勢の変化と言えるだろう。信頼性の高い人物の情報がソースとなり、公式な国際機関からの正式な要請を拒絶したという事実が残るからだ。

 にもかかわらず、昨年国連の組織改編の一環として成立した国連人権理事会の対応はお寒い限りである。理事国の顔ぶれはこのようなものである。(参照3、下の47ヶ国)例えばこのあたりのページ(参照4)は分かりやすく書いてあるが、要はとにかく政治的な思惑が先行し、人権問題の対応という本来の責務は二の次になってしまうということだ。安保理の代替とは無茶だが、使える組織は使うというのは世界的に見れば常識だ。「品のいい」国は少数派なのだろう。日本も過去の歴史問題を引き合いに出されたりしているが、例えばここにあるようにスイスも人種差別国だというような表現で貶められたりする事がある。勿論大方において非難する国の人権の問題のほうが比較にならないほどお粗末であるのだが。

 ダルフール問題を扱った時の内容はこのようなものであるが(参照5、中ほどにダルフール関連、ページは30 March 2007時点)言うまでもなくここに形容されているような建設的なものであったとは言い難い。このページ全般を読むと理解出来ると思うが、本来の意味で人権を重視する民主主義国が少数派になって何も進まない状況である。この人権理事会、主要国で唯一反対していた米国の予想がそのまま的中したのは何というべきか。もはやジョークと表現しているメディアもあるがその通りであろう。

 ダルフール問題では、こちらの記事(参照6)が今少し人権理事会の状況をまともに伝えているだろう。重要なキーワードが次々削除されて見事に骨抜きになる様子が伺える。最後付近のこの文章が、的確に現状を表しているだろう。

If, as some diplomats claim, the EU draft is the strongest possible text that could win a majority vote in the Council, that in itself is an indictment of the body, confirming its inability to credibly address the world's greatest ongoing human rights crimes.


 そして現状はというと、この有様にスーダン政府はタカをくくったのか事態は悪化する一方である。隣国チャドとの紛争は以前から継続しているが、チャド側で200-400人と推定される多くの死者が発生したと報じられている。(参照7参照8)せめてこれが事態打開の糸口になればと言うくらいしか無い。中国により一層の関与を求める声も強くなっているようだが。
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2006年12月16日

スーダン情勢に関する観察(4)及び中央アフリカへの波及

 既に多くの人が取り上げているのだろうし、ここで私が付け加える意味がそれほど無いのかもしれないが、やはりエントリはしておきたい。ダルフールの紛争が、スーダンのみならず周辺諸国に拡大している。深刻な問題であるにもかかわらず、日本ではあまりにも取り扱われないニュースだ。大手マスコミでは日経のこれ「だけ」ではないかという印象がある。(参照1)検索してもろくにヒットしない有様だ。
 チャドへの波及に関しては以前のエントリでも取り扱ったが、ニュースの通り現在も事態が沈静化しているわけではない。ここ最近はそれに加え中央アフリカ共和国(略称CAR)への波及も問題視されている。

 このCARに関して少し補足しておきたい。例によって外務省サイトをリンクしておく。(参照2)ここはチャドと同様旧フランス植民地であり、現在でも影響力が強い。同国ではボカサが皇帝を称した事があり、現代史としては時代錯誤なエピソードとして比較的有名だ。経済的には世界の最貧国であり、そのせいもあって政情不安は続いてきた地域だ。しかし、近年は比較的公正と見られる選挙も実施され、国際社会の評価も徐々に高まっているようだ。人口構成としては、やはり旧フランス植民地の影響からかキリスト教徒がかなり多くの割合を占めている。そしてスーダンに近い北部地域は当然イスラム勢力の影響が強いわけで、伝統的に反政府勢力が生まれやすい地域でもある。無論それだけの単純な問題でもなく、途上国一般にある治安の力学を考えねばならないだろう。人権の状況については、Freedom Houseのこの国に関する記述をリンクしておく。(参照3)本文を読むと絶対的な評価は高くないが、個人的にはむしろ地域の現状を考えると相当まともな部類の政治ではないかという印象を受けた。他の各種ニュースソースでの印象でも、国の北部などを除けば何とか良い方向に機能してきているのではないか。そしてODAがそもそもまともに実行可能かどうかというのが、こういう経済的に厳しい地域の基準となるようにも思うが、皆さんはどう思うだろうか。ただ、政府が反政府勢力とみなす人々への人権侵害の報告はあり、そして無実の人々との精密な区別がされていない事も容易に想像出来る。状況も混沌としているのは間違いなく、国際的にも例えばこのような記事(参照4)で報道されてはいる。ただ、それでも安定との兼ね合いで評価は難しかろう。

 さて、ダルフールに関連する国際的な関心となると、アナン氏の言及もあり多少最近は増えてきているようではある。米国での扱われ方も微妙に違うのか、例えばワシントンポストの最新のコラム、引用する最後の段落では妙に強い表現だ。(参照5)

This crisis isn't going to fix itself. Sudan's President Omar Hassan al-Bashir rivals Iran's leader in genocide denial: He recently accused aid workers of exaggerating Darfur's crisis to preserve their jobs. Doesn't China feel qualms about propping up this ogre? Perhaps Treasury Secretary Henry M. Paulson Jr., who is in China along with a team of Cabinet officials and the Fed chairman today and tomorrow, might trouble to ask that question.


中間選挙後のある種のムードの変化かもしれない。ただ当面の動きとしては、ICCの正式な訴追が重要であろう。様々なニュースソースが出ているが、その一つをリンクし、一部引用しておく。(参照6)

In a report to council members ahead of his address to the 15-member body today, prosecutor Luis Moreno-Ocampo said his office was preparing submissions for arrest warrants to judges of the ICC's pretrial chamber.

"We are planning to complete this work no later than February," Mr Moreno-Ocampo, an Argentine, said in the report, obtained by Reuters.

Actress Angelina Jolie, who has visited Darfur three times and is a goodwill ambassador for the UN refugee agency, welcomed the prospect of indictments, by the court, the world's first permanent criminal tribunal.


 継続的に取り組んでいる熱心な人が証拠を挙げたというのが重要なのだが、これも各種ニュースソースを見て私は妙な感覚を持った。「条件が揃えば告発が可能になる」のを訴追に消極的な人々が容認する、と解釈できるように感じたのだ。根拠はと聞かれても難しいのだが、何か潮目のようなものが来ているかもしれない。しかしこの種の国際政治はタイミングが全てであるのも事実で、チャンスは消え去るかもしれない。少なくとも対中国の部分となればどうしても欧米の世論頼みとなるのは仕方の無いところで、来年初頭にかけて注力するのは意味があるかもしれない。この問題に持続的に関心を寄せている人がむしろ疲れ果てていて、それを感じ取れないという事もままある話だ。それはこの問題に限らず、例えば日本だと拉致問題とかもそうなのだろう。
posted by カワセミ at 01:05| Comment(5) | TrackBack(1) | サハラ以南アフリカ

2006年10月22日

ソマリアの混乱とソマリランドの安定

 ソマリアは相変わらず混乱が続いている。以前にもエチオピアのソマリア派兵に関するエントリを記したが、このエチオピアの支援により首都から追い出されたソマリア政府が主要な都市を奪還した事が報じられている。(参照1)

 ここでエチオピアと長きに渡って対立しているエリトリアだが、ソマリアのイスラム勢力に対する武器援助の疑惑があり、米国と摩擦を起こしている事が報じられている。(参照2)エリトリアの独立の経過自体、反政府勢力がそのまま一国になり、一党独裁のまま独立しているというものであるから、その経緯が現在のソマリアとかぶるような印象はある。もちろんエリトリアは否定している。

 米国としてはイラクの混乱に目が行きがちだが、対テロ戦争という文脈で原理主義勢力の動向には継続的に関心が払われている。例えばこのヘラルドトリビューンの記事では、国境管理さえまともに期待できないという事実を冒頭に述べる形で記されているが(参照3)もちろんテロリストさえそうする事が出来ると言及することを忘れてはいない。「低強度民主主義」の問題は以前から指摘されているが、今はその問題を指摘する風潮が強くなっている時期でもある。

 そのような地域情勢の中でやや特異と言えるほど安定しているのが、国際的にはソマリアの一部と見なされているソマリランドである。この地域は旧英領ソマリであるが、言語や宗教ではソマリアの他地域と同一性が強いものの、氏族社会的な地域の現状から自治的な性向が従来から強い。そして彼らとしてみれば、この30年間のソマリアへの参加は失敗だったという意識のようだ。仏領ソマリがジブチになったのだから自分達もいいだろうというわけではないだろうが、今の時代ではタイミングも悪い。自国の混乱を恐れるアフリカ諸国は軒並み反対という情勢だ。

 そのソマリランドの現状に関しては米国務省サイトでもソマリアの項の中で特に注記されている。(参照4)まとまっているのでその部分を少し長いが引用しておく。

In 1991, a congress drawn from the inhabitants of the former Somaliland Protectorate declared withdrawal from the 1960 union with Somalia to form the self-declared Republic of Somaliland. Somaliland has not received international recognition, but has maintained a de jure separate status since that time. Its form of government is republican, with a bicameral legislature including an elected elders chamber and a house of representatives. The judiciary is independent, and various political parties exist. In line with the Somaliland Constitution, Vice President Dahir Riyale Kahin assumed the presidency following the death of former president Mohamed Ibrahim Egal in 2002. Kahin was elected President of Somaliland in elections determined to be free and fair by international observers in May 2003. Elections for the 84-member lower house of parliament took place on September 29, 2005 and were described as transparent and credible by international observers.

 民主主義がそれなりに機能している事から、好意的な記述が並んでいる。旧宗主国の英国でも感覚的には同じなのか、例えばBBCのサイトでも同様の記述である。(参照5)英国としてみれば、第二次大戦時にイタリアに圧勝したゆかりの地域でもあり、それなりに関心を呼ぶのかもしれない。このソマリランドに関しては公式のサイトもあるが(参照6)概略を見るにはWikipediaの記述が便利だろう。(参照7)

 ソマリランドの民主化の経緯は示唆的だ。旧来の伝統社会と近代的な民主主義が初期段階で摩擦を起こさないため、氏族社会の指導者層を二院制の議会の片方に移行させている。いわゆる貴族院的な発想だが、日本なども明治時代にそのような手法を取ったと言えなくもない。民主主義の歴史の古い国は初期段階に類似の方策を取り、その結果二院制が多いという面もあるのだろう。(もちろん成熟した民主国家で、政治的な意思決定を比較的簡素化できる人口の少ない国は一院制でも良いのだろう。北欧などはそうかもしれない)そして一度議会の形にして動かしだせば、議会政治の進展によって政治を成熟させる事は可能であるとも言えるのだろう。一度固定した政治体制は人間の行動を規定するという意味で、政治は力学だと言うと古典的に過ぎるだろうか。ただ同じ人間が政治の状況により全く違った行動を取るというのは間違いがない。もちろんそれが権力者であれば、その国の将来に大きな影響がある。

 このソマリランドのソマリアイスラム主義グループに対する立場は、領域を侵せばそれは敵になるというシンプルなものだが、この記事(参照8)で示唆されているように自らをタリバンに対する穏健な勢力と位置付けるのは、国際的な承認を取り付ける方法としても有効であろう。いずれ何らかの形で国際的な容認が徐々に進むのではないか。エリトリアとのバランスということもあろう。

(2006.11.15追記)
北方へ戦乱が拡大している模様。NY Timesの記事。これは相当まずい。
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2006年09月07日

プーチン大統領の南アフリカ訪問

 プーチン大統領が南アフリカ共和国を公式訪問していると報じられている。ロシア大統領の訪問は初ということで様々なメディアで取り上げられているようだ。

 今までの歴史的経緯も含めて記してあるものとしては、BBCの記事が比較的良いだろう。(参照1)冷戦時代にはANCをソ連は支援していた。ソ連はアフリカの多くの国に政治的に強い影響力を有していた。この歴史的繋がりはエリツィン時代あたりに一度疎遠になっているが、それを取り戻そうとするかのような試みである。

 今回の訪問は多くの財界指導者を伴ったものであり、経済協力の対話を強く押し出したものとなっている。(参照2参照3)ただソ連時代もそうなのであるが、経済開発というのを資本の投入による一次産品の利益を得るものと考えているフシがある。いわゆる他の先進工業国のように知的活動による付加価値の創出を重視する側面は弱いようだ。また今回のプーチン大統領の訪問は、かつてアフリカでソ連時代にやっていたことを今は中国が行っていることに刺激されたという側面があるのだろう。原子力を取り上げたというのもなかなか興味深い。南アフリカ共和国は、恐らく核兵器を完成させた後に核武装を断念した例としては世界で唯一の国であり、原子力技術の供与においては国際的な摩擦を起こすことが無いと判断したのであろう。また、これは不適切ではあるのだが、ロシアは自国の石油資源を経済的な資産と考えるのみならず、政治カードと考えているフシがある。その強化という観点からすれば、アフリカ諸国への働きかけは有効かもしれない。しかも南アフリカは上記の記事でも書かれているように金やプラチナ、ダイヤの大産出地でもあり、ロシアとの協力体制が築かれれば市場に対する影響力は増大する。

 その意味で一石で二鳥も三鳥もという面はあり、なかなか巧妙な外交のようにも見える。しかし総合的に見るなら、原子力技術の供与という面を除けば古典的な資源外交であり、いかにも古色蒼然とした感は否めない。アフリカ地域で中国と正面からぶつかったとしても、逞しい現地の人間にボラれるだけのように思われる。

 以前のエントリでアフリカ南部地域から日本に対する働きかけがあったことも少し書いた。日本の自動車産業などへの期待は大きかったのだろう。今回のロシアでも上記の記事にあるようにミニバンの組み立てがきちんとリストに入っている。日本は治安情勢の厳しい地域への投資には他の先進国以上に二の足を踏む傾向があり、この件も例外ではなかったのであろう。その意味で、ムベキ大統領は権力政治に傾倒する傾向のあるプーチン大統領をうまくあしらったと言えるのかもしれない。

 遠交近攻というのもこれまた大時代的な表現だが、遠方にある世界の様々な国に対して外交を進め、近隣諸国に対しては発言力を増大させようという意味では、プーチン大統領と小泉首相はやや共通点があるのかもしれない。ただ、一部手法が似ているとしても、最終的に自国の国益にきちんと戻ってくるのか、現地の人間に信頼を得ることが出来るか、足元を見られるような事がないかと総合的な評価をするとかなり実態は違う。小泉首相の場合は特に目立つが、あまり国内評価の高くなかった過去の政権でも帳尻はそれなりに合っていた。結局どの国でも、そこいらのトータルの結果はちゃんとGNPの数値に現れているのではないか。失敗はサウジやイランへの資源外交とか、中国やロシアと似たような外交を展開したときに顕在化している気もする。欧米諸国はうまい具合に民間企業が上前をハネているのである。
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2006年07月29日

選挙を控えたコンゴ民主共和国

 ワシントンポストでコンゴ情勢が記事となっていた。(参照1)大統領選挙、議会選挙を控えた同国の混乱を伝える内容である。この機会に一度この地域に関してエントリしておきたいと思う。メモ代わりの感想のようなものだが。

 この記事におけるコンゴとは、コンゴ民主共和国である。世代によっては旧ザイールと表記したほうが隣国のコンゴ共和国と区別がついて分かりやすいかもしれない。参考のために外務省サイトをリンクしておく。(参照2)アフリカは情勢の安定しているところも多々あるのだが、このコンゴ民主共和国とその周辺国はそうでない地域の見本のようなものだ。正直、地図を見るとこの顔ぶれは・・・・と思わざるを得ない。ややまともと言えるのはタンザニアくらいだろうか。

 ところで、日本ではアフリカの混乱を未だに欧州諸国の植民地政策の負の遺産などと主張する人々がいる。確かに歴史は連続しているので何の悪影響も無いと言うことは出来ない。しかし、正の影響もあったはずであり、また独立後は、たとえ冷戦に振り回されていたとしても、まさに独立国であったことは事実なのである。それで植民地時代より劣悪な政治が継続したとなれば、それは相応の評価があるべきであろう。
 19〜20世紀の植民地政策は、昔日のスペインなどとは違いそう略奪的とばかりは言えないだろうと、以前のエントリでも少し感想を述べたことがある。そしてこのコンゴ民主共和国に相当する地域を統治したベルギーの実績はそれなりに評価しても良いとは言えないだろうか。現地にかなりのインフラ投資を行い、医療水準も上がるなど、かなり民生の向上に貢献したのだ。日本の植民地統治にやや近く、さらに良心的かもしれない。隣国のオランダと違って、というと語弊が大いにあるのだが、ベルギーの外交は無定見な利己主義の要素は比較的少なく、実直さがあると思うのだがどうだろうか。今でもEU内では手堅い外交をしている印象があるが。

 その後独立し、国名を変えながら歩んだ同国の歴史は、モブツ大統領の長い独裁が多くを占める。反共に徹することで多くの西側諸国から冷戦期に援助も受けたのだが、とかくこの人物は評判が悪かった。内外から得た富の着服の度合いは相当なもので、他のアフリカ諸国と比較してもより悪質だったと言えるだろう。独裁者のお約束のように、自分がいるからこの国は安定していると称していた。西側諸国はもちろん苦々しい目で見ていたのだが、結果としてこれが当たっているという現実をどう考えるべきか。別段モブツ大統領が立派な見識を持っていたとも思い難いだけに複雑な思いである。ユーゴのチトー大統領は完璧でなくてもずっとマシな人物であった。もちろん地域なりの水準があるのだろうが。もっともこの人物の評価も非常に難しい。

 モブツ政権が打倒された後のコンゴ民主共和国だが、日本ではコンゴ内戦という表記がされていた事が多かったように思う。この件ではいつも以上に日本のマスコミでまともな報道がされていた記憶がほとんど無い。ここでは手軽に読める記事として英語版Wikiをリンクしておくが、記述は結構充実している。(参照3)タイトルからして正確と言えよう。

 このコンゴの混乱が、書いてあるように"Africa's World War" とか"Great War of Africa." と呼ばれていた事を知らない日本人も多いのではないだろうか。多国間の紛争という客観的な事実がもう少し多くの人に伝わるべきだったろう。そしてこの手の紛争はいつも醜悪だが、国境を越えて略奪し、長々と資源の採掘までやっていたというのは何と表現するべきか。また、ここではルワンダで発生した虐殺による政治不安が波及した事も認識しておかなければならない。紛争を放置すると周辺に悪い影響を与えるのは当たり前の事実だが、これはその典型例だ。ここまで現実の結果として出てくるまで放置されることはむしろ珍しいだけに、多くの国はこれを教訓とする必要があるだろう。それにしてもWikiのこの項目はかなり秀逸なほうだ。内容もさりながら、リンクなどでも雰囲気を伝えようとしている。例えばこの記事、(参照4)この有害なメッセージに誰もがルワンダでの記憶を重ねるだろう。そしてそのルワンダ、ここではWikiの記事中の文章を引用するにとどめておく。各種の報道からは、事態は国際的に比較的隠蔽されていたとの印象があるのだが、どうであろうか。

Despite frequent accusations of misdeeds in the Congo, the Rwandan government continued to receive substantially more international aid than went to the vastly larger Congo. Rwandan President Paul Kagame was also still respected internationally for his leadership in ending the Rwandan Genocide and for his efforts to rebuild and reunite Rwanda.


 このコンゴを巡る戦争で、敵味方はそうそう固定的だったわけでもない。民族や政治の小集団が様々な思惑で様々に行動する。実際のところ中東もそうである。10年前のどこそこの国の外交がまずかったというような議論は、時に紛争そのものを語る言葉としては浮世離れしていることも頭に置いておいたほうがいいだろう。これは世界の主要な民主主義国が共通で間違えることではあるが。日本周辺ですら、国民国家としての枠組みはかなりしっかりしており、入れ替えは相当の政治的インパクトだ。政治集団が細かい時の対応の難しさは、国内が強力な地方分権体制であり安全保障問題の経験も深いアメリカですらイラクで苦労しており、多くの国民国家にとっては歴史的記憶も薄く対応が難しいのだろう。そして中東は概して小さな国の方が政治がうまくいっているが、アフリカも本来そうなのであろう。だが、20世紀以降は経済などの要因がそれを許さないようである。

 最後になったが、しばしばこういう地域のことも取り上げているfinalvent氏の関連エントリにも敬意を表してリンクしておく。今回の選挙で、コンゴの未来が多少なりとも良くなるようささやかに祈りつつ。
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2006年07月22日

エチオピアのソマリア派兵の背景

 近年無政府状態と言われてきたソマリアでは、国際社会の調停により暫定政府が存在しているが弱体な存在であった。イスラム勢力が暫定政府を首都モガディシオから追い出して実権を握りつつあることは報じられていたが、この度エチオピアがソマリア領内に派兵しており、波紋を広げている。

 米国務省サイトでのソマリアの項目を挙げる。概況が記されており、Wikipediaなどもこれを引いているようだ。(参照1)北部は地域社会がそれなりに機能しており、首都を含む南部情勢が特に問題になっている。和平への試みは色々とあった。しかし欧米などの影響力のある国はそれほど本腰を入れているという風でもない。近年は中東に労力を割かれているという印象もあるし、悲劇という点ではダルフール的なものに目が行く。(といっても何がしかの実績を挙げる活動をしてきたとも言い難いが)地域社会の取り組みはどうかといえば、東アフリカ諸国での枠組みはないこともない。IGADがそれだが、しかしこの組織は、Wikidediaの項目(参照2)で参加国の顔ぶれを見ただけで期待できないのが分かるような代物だ。適切とは言い難い決定もあり、上記国務省サイトから引用する。

In 1997, the Organization of African Unity and the Intergovernmental Authority on Development (IGAD) gave Ethiopia the mandate to pursue Somali reconciliation.


 ところがこのエチオピア、ソマリアとの間に恒常的に紛争を抱えていた国だ。実質的な権限がさして与えられていたわけではないが、単なる調停役としても不適格と言えるだろう。エリトリアとの間との紛争も続いており、イスラム教徒からの評判はただでさえこの地域で悪くなっている。

 この付近の経緯を含めて報道したニュースとしては、BBCのものが1ページにも関わらずうまく背景も含めてまとめており、参照すると良いだろう。(参照3)その他のニュースソースも一部挙げておく。(参照4参照5)最初のソースから、両国の不和の状況を記したものを引用しておく。

The bad blood between the two nations reared its ugly head again when Igad unveiled recent plans to send regional peacekeeping troops to Somalia.

Many Somalis were outraged at the thought of Ethiopian troops - even peacekeeping ones - being deployed.

Ethiopia has also been uneasy with the military successes of the Union Islamic Courts (UIC), the Islamists who have pacified the capital, Mogadishu, and now control huge swathes of southern Somalia.


 これらのニュースの背景には若干補足が必要かもしれない。そもそも大ソマリ地域という言い回しがあり、エチオピア領ソマリなどが存在する。また冷戦時代からの経緯もある。エチオピアは親ソ連であり、現在のエチオピア経済の苦境は社会主義の失敗も原因の一つである。1977年にはソマリアとの間でオガデン戦争(参考ページ:参照6)が発生している。もっともソマリアが当時軍事大国だったのは、事前にソ連の援助を大量に受け取っていたということもありややこしい。結果的にソマリアはソ連に捨てられ、米国は全面的に代わりにはならなかった。
 このオガデン戦争、ソマリアが領土欲から起こしたものといわれている。エチオピア領ソマリの一部であるオガデン獲得を狙ったものだ。結局は失敗し、ソマリア軍は大打撃を受け、戦争の敗北からくる混乱が政権崩壊となった。そして安定的な政府はなかなか成立せず、まだ記憶に新しい米クリントン政権時の失敗へと繋がる。それにしても、当時のガリ事務総長の意欲的な提言は、現在のブッシュ政権ならどう扱っただろうか。とはいえ、時代は9.11をまだ経験してはいなかったのだが。なお米国は今回のエチオピアの派兵に懸念を表明している。(参照7)穏健なイスラム教徒の主導権を期待するという意図とされている。ユーゴ紛争時のムスリムのごとく、イスラム教徒を保護するようなこともあるのに、今回はレバノンで叩かれているタイミングでもあり報われないことだ。いずれの場合も総合的に見て妥当性はあると思うのだが。

 不思議なことに、ソマリアは地域としての一体性は強い。民族的にはほぼ一様で、ソマリ語が通じ、宗教的にもイスラム教だ。内戦は民族紛争というより氏族の抗争のレベルだ。直感的には和解できないというほどでも無さそう印象がある。エチオピアも人口が多い割に一体性は強い。そして気候面も極端な乾燥気候というわけでもなく農業はそこそこ成立する。海運も、現在のエチオピアは内陸国だがジブチなどの利用も可能で、地域としてはそれなりに可能である。様々な面から考えても、他のアフリカ地域と比べてこの東アフリカ諸国の条件は悪くないはずだった。しかし政治は混乱し、戦火は絶えず、経済は苦境に陥っている。国の発展は分からないものだ、と思う。
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2006年04月15日

スーダン情勢に関する観察(3)及びチャドの混乱

 また派手な事態になっている。スーダン政府がチャドの反政府勢力を煽って現政府を転覆させようとし、これに当面失敗、チャドのデビ大統領は怒り狂って国際社会がダルフールをどうにかしないことにはチャド領内の難民は全て叩き返すなどと言い出した。フランスはデビ大統領を支持し、自国民保護のためにチャドに派兵して戦闘機も飛び回っている状況だ。戦闘自体はまだかもしれないが。そして安保理もさすがに動き出し、6月にダルフールへの代表団派遣が決まったらしい。

 関連エントリは以前にも挙げているので必要に応じて参照して欲しい。この件、国内報道は皆無に近いが国際的な関心は高いだろう。手軽に見ることが出来るものとしては、Washinton Postがかなり関連記事を載せており参考になる。まず直近の状況としてはこんな具合だ。(参照1)もう少し内容を補足してあるものとしてはこれもいい。(参照2)この記事ではデビ大統領の不正が挙げられているが、率直に言うとこの付近の地域の現状としてはマシとは言えまいか。現政権はまだ理性的な判断が出来るように思われる。ちなみにこの記事にはこんな部分もある。

The rebel leader, Mahamat Nour, told reporters that he believed he has enough support to take over the government by the weekend.


 随分簡単な話だ。本気でそう思っていそうだし、また事実しばしばそうである地域の現実と言うのはなかなか理解できないものである。

 安保理の動きはと言うと、数日前だがこのような記事がある。(参照3)この後プレスリリースも出たようだが、具体的な進展は無いようだ。建前は守る必要があるが、相変わらずの停滞と見て良いだろう。当面の対症療法としても、チャドへのフォローなどは動き出すべきではないだろうか。それなら日本の出来ることもありそうだ。
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2006年03月06日

スーダン情勢に関する観察(2)及び関連の雑記など

 ダルフール危機によるチャドへの難民流入は以前から問題になっていた。最近はスーダン民兵組織のジャンジャウィードが一部越境して、両国間にまたがる問題となりつつあるようだ。極東ブログさんの方で関連エントリを挙げておられるのでそちらも参照されたい。なおBBCの報道するところによると、チャド政府は公式に非難しているようだ。(参照)

 いつもの事だが、馴染みの薄い国なので外務省サイトからチャドの基本データをリンクしておく。(参照2)昨年の外相来日時のものも面白い。(参照3)世界の最貧国であることは間違いないし、動乱の歴史が続いたが、この10数年くらいは現実主義的な外交で実績を挙げているようだ。もちろん判断基準を上げ過ぎてはいけないが。そして目を引くのは、この国は台湾と国交を結んでいることだ。もちろんそれだけが混乱の原因ではないだろうが、中国から一定の働きかけはあったと思ってよいだろう。
 またその種の議論をするなら、近年チャドの石油開発が比較的進展している事を挙げるほうがより重要かもしれない。エクソンモービルの公式サイトで明確に示されている。(参照4)国境から地理的に遠いDobaなどチャド南部での事業が主ではあり、カメルーン経由のパイプライン事業などが進んでいる。ただ他の地域での埋蔵可能性も模索されているようだ。該当地域でのチャド反政府勢力などへの支援の件もある。こういう言い方は物議を醸すが、経済先進国の民主国家では石油など一次資源を巡っての戦争は引き合わないが、途上国ではしばしばあるというのが現実でもある。

 具体的対処は悩ましい。AUに期待をかけていた人がいるが、そもそも国内の怪しい国々に国外の問題に関与する能力があると考えるほうが無理があったのであろう。資金援助なら日本も出来るが、これほど金の使い方の信用ならない案件も少ないかもしれない。民主主義国がやるとしたら将校など中核部の派遣ということになろうが、フランスの外人部隊とどう違うのかと揶揄されそうだ。中長期的には民間軍事会社の下請け的なアプローチがアフリカ地域では現実解かもしれない。民主主義国が圧力をかける先は自国に籍を持つ企業となる。ただ今回は話の上がってきているNATO関与の類がまだしも現実的であろう。フランスはルワンダでのいきさつもあり、道義的には責任ありだ。いつものごとく面倒な案件はスルーかもしれないが。

 日本などにもダルフールPKOへの部隊派遣などを期待する声があるようだが、治安維持業務となるとすぐに動き辛い難しい案件でもある。幸い資金援助はしていることもあり、チャド政府との関係は良好であるから、フランスなどの協力も取り付けつつまずはチャドに人道支援のための小規模な部隊派遣を行ってはどうであろうかと思う。これは有志連合の形でも良いであろう。個人的にはこの付近を振り出しにNATOにオブザーバーとしての地位を保持しておくべきだと考えるが、この件はまたそのうち。

 中国への働きかけは、これも米国やフランスなどと協力して進めるべきであろう。また日中間でもめている靖国参拝問題にしても、小泉首相の間はいいとしても、次期首相に関しては様々な要因から継続できない可能性は充分にあるので、一定のオプションも持っておくべきであろう。そういう時にこういう人道問題を意識してもいいかもしれない。例えば多国間協議の場でこんなコメントはどうであろう。

 「中国が自国の歴史に関して被害感を持つのは理解できるし、当時人道上の大きな問題であった事は理解できる。現在、靖国参拝は平和を祈念する意図から継続しているが、貴国の誤解を解消するまでにいささかの時間を要するのであれば、現在の内閣としてはそれを控える事も検討している。しかしながら、それには自国民同様他国民の人権も重視するという貴国の態度が示されなければ、我が国の国民の理解は得られないであろう。貴国は政治大国としてスーダンに大きな影響力を持っているようであるし、この悲惨な虐殺を止めさせるための大きな尽力が出来るであろう。貴国の今後の外交を見守った後に日本政府として今後の行動を決定したい」

 靖国参拝問題のような、世界的に見ればつまらぬ問題のために運命が左右される国はたまったものではないが、良くも悪くも大国に振り回されるのが運命だという事実を鑑みれば、それが結果としていささかなりとも人道的な方向に結びつくのなら、多少歪んだ形でも悪くないのではなかろうか。ただここで肝要なことは、今内閣に限るとすることである。行く行かないではなく、人それぞれの信念を尊重するかどうかが問題だからだ。そもそも恒久化を約束するには立法化するしかない。それは禍根を残すし、日本だけではなく、例えばムハンマド風刺画問題のようなものにも国際的な悪影響を及ぼすのだ。
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2005年11月21日

スーダン情勢に関する観察(1)

 この方面ではちと不勉強で情報通というわけでもないのだが、スーダンに関しては話題があれば軽くでも取り上げたいと思う。私が取り上げたからどうなるというものでもないが、ダルフールなど本当に放置されている感が強く、忸怩たるものがある。一応外務省のスーダン概況も見て置いて欲しい。(参照)

 今回、米国の国務副長官ゼーリック氏と、スーダンの第一副首相サリバ・キール氏の会見が報じられている。(参照2)ちなみに"CPA"とは1月に締結された包括的和平合意の意である。キール氏はスーダン南部を地盤とする反政府組織SPLAの事実上のトップで、対外的にはスーダンの第一副首相の肩書きであるが実際は反政府勢力の指導者ということだ。そして米国はこのSPLAを継続的に支援してきた。前任のガラン中佐はカリスマがあったようだが、今年7月にヘリの墜落で事故死している。後任のキール氏はまだ未知数といったところだろうか。ガラン中佐は統一主義者の側面が強かったようだ。キール氏は分離主義者といわれているようだが、ただ「スーダンの将来は国民が決める」との意見も持っており、知的で冷静な民主主義の信奉者との評価もあるようだ。

 今回の会見は、残念ながらダルフールに言及しつつもその点に関しての具体的リアクションの進展は無い。確かに南部で米国が領事館を開いたことは重要だ。そしてCPAを着実に実行することが間接的ながらダルフールの解決に近付くのも理解は出来る。とはいうものの。

So I think, as the President said, while there's a lot of focus on Darfur, understandably, where I was yesterday, it would be a huge mistake, in my view, if we let our attention turn from the criticality of working with the Government of Southern Sudan and then the Government of National Unity in the peace process.

 まぁ、そうかもしれない。しかし当面の大きな悲劇に対応する事はより重要ではないのか。

As the President said, we will proceed with our AID mission and it's not limited by the sanctions in any way. And the sanctions were really applied for three different reasons: One is the North-South struggle; the second is terrorism; and the third is Darfur. And so I've been very clear to all parties -- is that we have to resolve each of those problems to remove the sanctions. And we have to resolve them, not only with words on paper but actions, in fact. The reason that I've come here four times is I'm trying to push the actions so that we can sort of repair the relations and help a unified Sudan in peace to move forward as part of the international community.


 この優先順位であると発言している訳ではないが、しかしながら米国はそのように考えているという気もする。確かに政治プロセスが安定しないと何も進まないのであるが。

I met the members of the SLM very briefly yesterday with the objective of trying to know what objectives are they fighting for and so then when they go for negotiations, the (inaudible) was they can not be assisted by anybody except when their objective is not -- this is one. (・・・以下略)


ダルフールのSLMの動きはやはり鍵なのだろう。

 全般として、とにかく管理可能な状態に移行することが当面の問題で、それすら困難なのだろうという印象が強い。確かにスーダンの情勢は中国の横槍が無くても手を出すに出せないかもしれない。となれば、現地のSPLAの実効統治だけでもまともにしていき、それを基盤にして事態を進展させるしかないというのは現実解なのだろうか。
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2005年08月01日

南部アフリカ諸国との経済関係の可能性

 近年、日本から中国への投資が減退気味のようだ。実のところ、中国が日本に求める投資は今程度のものではなく、少なくとも数倍、十倍以上といった規模なのだろう。ただそれは達成不可能な数字で終わりそうだ。個別企業はともかく、業界とかの単位で見ればリスク分散化の傾向がやや出てきているかもしれない。
 そして日本のような経済大国の動向は世界的に影響が大きい。だったらうちにと秋波を送る国は多く、例えばベトナムなどは相当入れ込んでいるようだ。そして今日もこのようなニュースが報じられていた。南部アフリカ関税同盟諸国からの、将来のFTAを目標としたEPAの申し出だ。これは検討に値するのではないだろうか。

 具体的な同盟諸国の顔ぶれは、南アフリカ共和国、ボツワナ、ナミビア、レソト、スワジランドといったところだ。この付近の国に関しては日本人には馴染みが薄いかもしれない。まずは外務省のページで基礎情報を確認するのがいいだろう。同ページのレソトの選挙監視の話などもなかなか興味深いものであった。
 南アフリカ共和国がこの地域の中心であることは間違いないが、ボツワナ、そして独立後それほど年月が経っているわけではないナミビアも経済データが意外に高い数字を示していると感じる人は多いのではなかろうか。南アとの関係や欧州諸国の継続的な関与によりアフリカ諸国では比較的恵まれたほうだろう。ボツワナでは一人当たりGDPは$3,000に達している。(南アより高い)もっともそれ故にAIDSの蔓延はより悲劇的な色彩を帯びているし、ジンバブエのムガベの政治も「本来ずっとましなはずの国なのに」という前提の元での悪評ではある。その意味で米国がジンバブエを圧政国家の見本に挙げたのは、期待して良い水準に対して極めて低いということで誠に適切ではある。もちろんベラルーシもそうで、この付近は欧米的な価値観からすると当たり前に言及しただけだろう。

 この南部アフリカ諸国であるが、識字率も相当高い。手元の百科事典だと2003年推計で南ア、ナミビアで男女とも85%前後、ボツワナで80%前後の数字が確認される。特にナミビアは私の認識が足りなかったのか非常に高いと感じた。海に面すると言う事はそれほど経済や社会に有利なのかと思ったりもする。ちなみに牧畜との関係で女性のほうが識字率が高い傾向があるのは面白い。またキリスト教の普及地域でもあり、欧米人のみならず日本人もややコミュニケーションが取りやすいようだ。ものの考え方の馴染みがあるのだろうか。もちろん地域によっては日本人の想像の及ばない大変さだ。スワジランドで報告される内容に関しては、裏付けを確認しないと言及するのがためらわれるものがある。

 輸出産業に関しては鉱産資源が有名だが、近年はここでも繊維関係が重要なようだ。女性の識字率の高さなどを考えても、軽工業の類は成立余地が大きいのかもしれない。牧畜が盛んなことから、羊毛製品の伝統はあるようだが。
 また、貿易による最終消費地を欧米とすれば有利な側面はある。海路が重要なのだが、その場合は中国などよりよほど条件がいい。日本に輸入する品目に関しては引き続きアジア近隣諸国が有効だが、少なからず欧米への迂回貿易の形を取っている工業品目に関しては検討の余地があるだろう。特に自動車は有利だ。南アは実は自動車産業の歴史もある。やや熟練した労働力も確保できるかもしれない。そして欧州諸国は、アフリカ諸国への植民地経営の経緯からやや贖罪的な側面もこめて貿易面での優遇措置を取っている。(この付近、日本のアジア政策ともやや共通点がある)欧米諸国からの非難はかなりの期間かわせるだろう。「ではアフリカの雇用をどうするのか」の反論で済む。何と言ってもアフリカへの援助は、産業の振興こそが最も肝要なのだ。ただ与えるだけの援助は長続きもしないしその場だけのものだ。それはアフリカの中でも先進地域たる南部アフリカを振り出しにしないと成立しないのではないか。
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2005年07月01日

アフリカにおけるAIDSの悲劇

 この問題に関して触れること自体を避けたくなるような、重苦しい問題である。20世紀最大の悲劇はと聞かれて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか?二度の世界大戦?共産主義者による膨大な虐殺?もちろんそれらもあるだろう。しかし当事者の絶望感という意味では、アフリカ南部におけるAIDSの流行が最大のものではないだろうか。それは今も進行中である。
 率直に言うと、スーダンで起きている事態もそうであるが、アフリカとなると国際社会は途端に腰が重くなる。援助の効果が上がってないように感じられ、徒労感だけが募るからだろう。それでも欧米はマスコミ含めてそれなりの継続的な関心を有している。例えばワシントンポストではこのようにボツワナ関連の記事を掲載している(参照)ブッシュ政権を批判するのは容易いし確かに不充分ではあるが、しかし充分な援助自体は不可能なのだろう。
 アフリカ南部のそもそもの状況については日本人にはやや誤解があるかもしれない。南アフリカ共和国に隣接しているという事情もあり、モザンビークはともかく、ボツワナやジンバブエはそれなりに発展した社会である。ボツワナなどは少し前の時期なら中進国扱いでいいかもしれない。2001年時点でも一人当たりGNPは$3,000超になっている。ナミビアも$1,700前後である。ジンバブエは悪評高いムガベのせいもあり、近年は低迷しているが。そして1980年前後の段階で、このあたりの国は平均寿命は60歳強くらいにはなっていた。現在は40歳を切っている場合もある。
 その意味で、エイズの蔓延による絶望は、心理的には先進国でいうところの世界大戦のような突発的な転落というものに近いかもしれない。そこそこ文明的な生活を享受していたのが奈落の底に叩き落されたようなものだろう。アフリカ人の性意識など批判しても仕方が無いが、ありとあらゆる事が裏目に出た感もある。
 関連して、ブラジルのコピー薬の件。これはは有名だが、知らない人は少し以前の記事だが一応この付近を見るといいだろう。(参照)最近の動きとなると、ちょうど極東ブログさんがエントリを起こしたものがあるので参考になると思う。(参照)これに関する私の考えだが、緊急性と人道性が高いことを考えると、途上国相手にはコピー薬の類も黙認すべきだろうと思う。そして、恐らくOECD加盟国あたりが対象になるのだろうが、そういう先進国への還流を極力抑制して製薬会社に対する動機付けを維持する、というところが現実解だろうか。より質の高い治療薬を求める市場は充分に存在するであろうから成立するだろう。それ自体が不幸なことではあるが。
 そして、これも嫌な話ではあるが、AIDSへの本格的な取り組みが強化されるのは、近年爆発的な流行が懸念されているアジアで状況が深刻化してからだろう。アフリカではスルーされてしまうのが現実だ。神戸発として報じているこのニュース、アフリカの現状を見れば今さら言うまでも無いのだが・・・・・
posted by カワセミ at 23:27| Comment(3) | TrackBack(3) | サハラ以南アフリカ