与党の公正発展党(以下AKPと記述)は国民の広範な支持を得ており、国民の直接選挙とすることでその立場を強化したい意図があるのは間違いない。にもかかわらず、一方でトルコ国民は軍部の政治介入を容認ないしは支持してきた歴史がある。これはタイなどでの国民意識と比較すると面白いかもしれない。タイの場合は王室もあり、国民が政治的に一体感を感じる対象はかならずしも議会が主導的に持っているわけではない。ではトルコの場合はどうだろうか?
専門家というわけではないので考え違いがあると指摘していただけると有難いのだが、トルコ国民の軍部に対する支持は、進歩性や公正性の象徴ではないかと思われる。尚武の気風はアラブ世界にも多いが、ケマル以降はそこに近代性を持ち込む事に成功した。アナトリア人という概念の抽出に成功した事が重要であろう。そして現在は軍部主導の国家安全保障会議という組織が強力な権限を有しており、時に内閣に対して政策や人事を指示する形となる。例えば(イスラム主義の)福祉党が政権を獲得した際は憲法裁判所への提訴という形を取って解党する事となった。
日本人に対してこの状況を理解させるのはかなり難しい。無理に比喩を挙げるとすれば司法のそれかもしれない。選挙の結果地位を獲得した議員や政党がいたとして、三権分立の原則の下、司法府に所属する検察庁が告発し、裁判所が判決を下したら、国民の内心の支持がどうあろうとその結果をまずは信頼するというのがこの国の政治文化である。以前のエントリで多少関連することを書いたが、日本では法務大臣が死刑判決にサインしないことをしばしば批判される。これは単純に立法府・行政府が司法府ほど信頼されてないという事実の発露であるのだが、この側面に関して日本人が自覚的であることは必要なのかもしれない。しばしば政治文化はその国の体臭のようなもので自国では気付きにくい。他国からの介入も良い結果を生み出すことが少ないのは「無理をさせる」事になるからであろう。しばしば有益なのかもしれないが。
しかしながら、今回の混乱に関しては確かにトルコ人の意見は多様である。AKPはまずまずの運営をしてきたとみなされていること、軍部や官僚エリートは既得権層であるとの見方も強いからだ。その意味で世俗主義者も必ずしも全てEU加盟賛成というわけでもない。
なお、最近のトルコに関する記事は欧米では比較的手厚く報道されており、BBCなどは分かりやすく背景なども記しており参考になるだろう。(参照2/参照3)下記の引用部分などには注意する必要がある。
The European Commission has already warned that "the supremacy of democratic civilian power over the military" is a prerequisite for any country hoping to join the EU.
とはいうものの、仏サルコジ大統領の誕生などもあり、トルコのEU加盟は当面進展しない方向で動くだろう。トルコ国内でもEUの交渉態度に不満の声が強い。確かに外部から見れば「嫌なら嫌と最初から言え」というところか。英国は異質なものを抱え込んで平然とする様は他になかなか見られない側面もあり、同情的なようだが。もちろん色々と思惑込みだがそれは言わないのが欧州人のお約束というものだろうか。