2007年05月13日

トルコ政治の混迷

 トルコの政治は混迷を深めているようだ。この記事を執筆している段階では、従来議会が指名していた大統領を国民の直接投票とする法案をトルコ議会が可決したと報じられている。(参照1)しかしながら大統領は拒否権を持っており、まだ紆余曲折がありそうな状況だ。

 与党の公正発展党(以下AKPと記述)は国民の広範な支持を得ており、国民の直接選挙とすることでその立場を強化したい意図があるのは間違いない。にもかかわらず、一方でトルコ国民は軍部の政治介入を容認ないしは支持してきた歴史がある。これはタイなどでの国民意識と比較すると面白いかもしれない。タイの場合は王室もあり、国民が政治的に一体感を感じる対象はかならずしも議会が主導的に持っているわけではない。ではトルコの場合はどうだろうか?

 専門家というわけではないので考え違いがあると指摘していただけると有難いのだが、トルコ国民の軍部に対する支持は、進歩性や公正性の象徴ではないかと思われる。尚武の気風はアラブ世界にも多いが、ケマル以降はそこに近代性を持ち込む事に成功した。アナトリア人という概念の抽出に成功した事が重要であろう。そして現在は軍部主導の国家安全保障会議という組織が強力な権限を有しており、時に内閣に対して政策や人事を指示する形となる。例えば(イスラム主義の)福祉党が政権を獲得した際は憲法裁判所への提訴という形を取って解党する事となった。

 日本人に対してこの状況を理解させるのはかなり難しい。無理に比喩を挙げるとすれば司法のそれかもしれない。選挙の結果地位を獲得した議員や政党がいたとして、三権分立の原則の下、司法府に所属する検察庁が告発し、裁判所が判決を下したら、国民の内心の支持がどうあろうとその結果をまずは信頼するというのがこの国の政治文化である。以前のエントリで多少関連することを書いたが、日本では法務大臣が死刑判決にサインしないことをしばしば批判される。これは単純に立法府・行政府が司法府ほど信頼されてないという事実の発露であるのだが、この側面に関して日本人が自覚的であることは必要なのかもしれない。しばしば政治文化はその国の体臭のようなもので自国では気付きにくい。他国からの介入も良い結果を生み出すことが少ないのは「無理をさせる」事になるからであろう。しばしば有益なのかもしれないが。

 しかしながら、今回の混乱に関しては確かにトルコ人の意見は多様である。AKPはまずまずの運営をしてきたとみなされていること、軍部や官僚エリートは既得権層であるとの見方も強いからだ。その意味で世俗主義者も必ずしも全てEU加盟賛成というわけでもない。

 なお、最近のトルコに関する記事は欧米では比較的手厚く報道されており、BBCなどは分かりやすく背景なども記しており参考になるだろう。(参照2/参照3)下記の引用部分などには注意する必要がある。

The European Commission has already warned that "the supremacy of democratic civilian power over the military" is a prerequisite for any country hoping to join the EU.


 とはいうものの、仏サルコジ大統領の誕生などもあり、トルコのEU加盟は当面進展しない方向で動くだろう。トルコ国内でもEUの交渉態度に不満の声が強い。確かに外部から見れば「嫌なら嫌と最初から言え」というところか。英国は異質なものを抱え込んで平然とする様は他になかなか見られない側面もあり、同情的なようだが。もちろん色々と思惑込みだがそれは言わないのが欧州人のお約束というものだろうか。
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2006年12月22日

最近のイラク情勢に思う

 たまにはトラックバックの形でエントリするのもいいかもしれない。という事で、Hache氏のエントリに触発された形でイラク情勢に関して感じたことを書いてみたい。

 この問題を語るときはイラク問題というよりアメリカ問題になってしまっている。そうであるからこそ、このエントリにあるように「イラクより台湾が重要なら・・・・」という議論も発生する。そしてその折には、アメリカは失敗した云々と世の中では喧しい議論がされるが、その一方でイラクという国の事を急速に忘れ去っていく未来図も容易に想像出来る。欧州ならまだしも、特に日本ではそうだろう。

 そのイラクに関して、フォーサイトの記事を読みつつ考える。この出井氏の記事は、とりわけ視点がイラクではなくアメリカに偏っている人にとってとても良い内容だ。現在の情勢が簡潔に示されている。現地での犠牲者の8割はバグダッドに集中しており、首都の治安が悪くなったのは'05.4に選挙を受ける形でジャファリ政権が発足してから後の事だというのだ。それまでのアラウィ政権においては真夜中まで店を開けていたがそれからはそうもいかなくなったという商店主の声なども引き合いに出し、その時期を境に金持ちから順に首都を離れていったとしている。

 つまり、イラクで起きているのは武力を伴う無秩序な政治闘争だというのが本質らしい。首都に被害が集中しているというのはそれであれば当然だろう。米国は、その国内的な政治文化を考えると、他の先進工業国と比較すれば民衆の武装に関して比較的寛容な政策を取りがちである事は容易に想像できる。そして占領統治もしくはそれに近い治安維持の経験は、歴史的に見て比較的現地での秩序が成立している地域が多い。強いて言うならば旧ユーゴの経験が近年にあるが、これは大規模な部隊の展開を極力渋っており、その事も記憶に新しい。だから「選挙後の」武装解除という事に関して優先順位を高くおかなかったのかもしれないし、決定的な要素であるとの認識が薄い、またはそれをやらずとも(困難は目に見えているので)何とか良い方法はないかと模索しているのかもしれない。選挙で一定の票数を確保した各勢力の武装組織を鎮圧するというのは米国のある種の自己否定という面もあるだろう。むしろ宗教指導者のシスタニ師が武装解除の重要性を説いているというのは示唆的だ。もっとも、現在の政治的な闘争の局面では影響力も限られているとこの記事にもある。実際、なまじ建前上は世俗の勢力に統治権があるべきとしているだけに裏目に出ているのであろう。そしてサドル師のような擾乱要因とみなされる人物は、きっちり政治プロセスにも顔を出している事には留意しなければならない。

 以前のエントリで、中東は猫の目のように情勢が変わり、昔のイラク支援を非難するというのは歴史に連続性のある国が陥りがちな世間離れではないかというような内容を述べた事がある。北朝鮮やフセインのイラクなどへの対応がまずかったというのは、あまりに昔の話を持ち出しすぎると。ところがそう書いた本人の認識もやや甘かったようだ。イラクの治安は良くないが、その良くない理由はやはり猫の目のように年々変わっているのだと。恐らく中東地域、あるいは治安の良くない多くの国もそうなのであろう。統治が安定し持続的な社会というのは、我々が考えている以上に地球上には少ないのかもしれない。

 以前、ぼんやりと、日本の西南戦争のような形で政治路線が確定して安定しないものかと思っていた事がある。実際、多くの国では、冷徹なようだが新国家建設の段階では大規模な流血による決着があったという事は多い。単一の勢力が勝利する事により、秩序が発生し、それを基盤として発展するのだろう。だが今のイラクではどうなのだろうか。むしろ米軍は、そのような大規模な衝突を抑止する機能をしている。必死で対話による解決の道を探っているのだ。そして各政治勢力は、今の段階で米軍が特定の政治勢力に対し大規模な武装解除や掃討作戦を行わない事を知っているのだろう。

 結論的に言えば、武装解除を徹底し、暫定でも何でも良いので中立な行政機構で効率よく動く軍隊・警察のシステムを整備し、選挙で選んだ政権にそれを引き継がせるべきであったとは言える。選挙後に武装勢力を政治プロセスに取り込むことにより、イラク軍なるより上位の存在にそれを引き渡すと米国は考えたのだろうか。しかし中東では、手持ちの武力だけが全てを決定する。我々は大規模な国民国家に対してかなりの信頼を半ば無意識においている。しかしそれは、結局欧州から発生した政治文化で、それとの文化的距離が遠い国で前提とすべきではないのであろう。それでも、昔の日本の韓国や台湾の植民地統治のように徹底的に武装解除し細部まで手を取り足を取りで行政機構を作るとか、一時の英国のようにあまり現地人を信用せず時に非情に秩序維持に徹するとか、別の政治手法を取る国がやれば違ったのだろう。しかし米国はああいう国だし、他にやる気のある国も無いのが現状なのだろう。
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2006年08月02日

イラン核開発問題安保理決議

 イラン核開発問題に関する安保理決議が採択された。奇しくも北朝鮮に対する安保理決議1695と連番となる1696となった。1695に関しては雪斎殿が原文へのリンクも含めたエントリで全文を引用しておられるので、そちらを参照されたい。

 対イランの決議案に関するプレスリリースはSC/8792として公表されている。内容はこのようなものだ。以下に決議部を引用しておく。

“The Security Council,
“Recalling the Statement of its President, S/PRST/2006/15, of 29 March 2006,
“Reaffirming its commitment to the Treaty on the Non-proliferation of Nuclear Weapons, and recalling the right of States Party, in conformity with Articles I and II of that Treaty, to develop research, production and use of nuclear energy for peaceful purposes without discrimination,
“Noting with serious concern the many reports of the IAEA Director General and resolutions of the IAEA Board of Governors related to Iran’s nuclear programme, reported to it by the IAEA Director General, including IAEA Board Resolution GOV/2006/14,
“Noting with serious concern that the IAEA Director General’s report of 27 February 2006 (GOV/2006/15) lists a number of outstanding issues and concerns on Iran’s nuclear programme, including topics which could have a military nuclear dimension, and that the IAEA is unable to conclude that there are no undeclared nuclear materials or activities in Iran,
“Noting with serious concern the IAEA Director General’s report of 28 April 2006 (GOV/2006/27) and its findings, including that, after more than three years of Agency efforts to seek clarity about all aspects of Iran’s nuclear programme, the existing gaps in knowledge continue to be a matter of concern, and that the IAEA is unable to make progress in its efforts to provide assurances about the absence of undeclared nuclear material and activities in Iran,
“Noting with serious concern that, as confirmed by the IAEA Director General’s report of 8 June 2006 (GOV/2006/38) Iran has not taken the steps required of it by the IAEA Board of Governors, reiterated by the Council in its statement of 29 March and which are essential to build confidence, and in particular Iran’s decision to resume enrichment-related activities, including research and development, its recent expansion of and announcements about such activities, and its continued suspension of co-operation with the IAEA under the Additional Protocol,
“Emphasizing the importance of political and diplomatic efforts to find a negotiated solution guaranteeing that Iran’s nuclear programme is exclusively for peaceful purposes, and noting that such a solution would benefit nuclear non-proliferation elsewhere,
“Welcoming the statement by the Foreign Minister of France, Philippe Douste-Blazy, on behalf of the Foreign Ministers of China, France, Germany, the Russian Federation, the United Kingdom, the United States and the High Representative of the European Union, in Paris on 12 July 2006 (S/2006/573),
“Concerned by the proliferation risks presented by the Iranian nuclear programme, mindful of its primary responsibility under the Charter of the United Nations for the maintenance of international peace and security, and being determined to prevent an aggravation of the situation,
“Acting under Article 40 of Chapter VII of the Charter of the United Nations in order to make mandatory the suspension required by the IAEA,

“1. Calls upon Iran without further delay to take the steps required by the IAEA Board of Governors in its resolution GOV/2006/14, which are essential to build confidence in the exclusively peaceful purpose of its nuclear programme and to resolve outstanding questions,

“2. Demands, in this context, that Iran shall suspend all enrichment-related and reprocessing activities, including research and development, to be verified by the IAEA,

“3. Expresses the conviction that such suspension as well as full, verified Iranian compliance with the requirements set out by the IAEA Board of Governors, would contribute to a diplomatic, negotiated solution that guarantees Iran’s nuclear programme is for exclusively peaceful purposes, underlines the willingness of the international community to work positively for such a solution, encourages Iran, in conforming to the above provisions, to re-engage with the international community and with the IAEA, and stresses that such engagement will be beneficial to Iran,

“4. Endorses, in this regard, the proposals of China, France, Germany, theRussian Federation, the United Kingdom and the United States, with the support of the European Union’s High Representative, for a long-term comprehensive arrangement which would allow for the development of relations and cooperation with Iran based on mutual respect and the establishment of international confidence in the exclusively peaceful nature of Iran’s nuclear programme (S/2006/521),

“5. Calls upon all States, in accordance with their national legal authorities and legislation and consistent with international law, to exercise vigilance and prevent the transfer of any items, materials, goods and technology that could contribute to Iran’s enrichment-related and reprocessing activities and ballistic missile programmes,

“6. Expresses its determination to reinforce the authority of the IAEA process, strongly supports the role of the IAEA Board of Governors, commends and encourages the Director General of the IAEA and its Secretariat for their ongoing professional and impartial efforts to resolve all remaining outstanding issues in Iran within the framework of the Agency, underlines the necessity of the IAEA continuing its work to clarify all outstanding issues relating to Iran’s nuclear programme, and calls upon Iran to act in accordance with the provisions of the Additional Protocol and to implement without delay all transparency measures as the IAEA may request in support of its ongoing investigations,

“7. Requests by 31 August a report from the Director General of the IAEA primarily on whether Iran has established full and sustained suspension of all activities mentioned in this resolution, as well as on the process of Iranian compliance with all the steps required by the IAEA Board and with the above provisions of this resolution, to the IAEA Board of Governors and in parallel to the Security Council for its consideration,

“8. Expresses its intention, in the event that Iran has not by that date complied with this resolution, then to adopt appropriate measures under Article 41 of Chapter VII of the Charter of the United Nations to persuade Iran to comply with this resolution and the requirements of the IAEA, and underlines that further decisions will be required should such additional measures be necessary,

“9. Confirms that such additional measures will not be necessary in the event that Iran complies with this resolution,

“10. Decides to remain seized of the matter.”


 一見して分かると思うが、ここで押し出されているのは、まずIAEAという国際的に正当性を認められた組織に対する非協力である。もちろん、実質の外交努力を担っているのは欧米露の多国間の働きかけであることは言うまでもない。しかしそれは第4項での記述の"Endorses, in this regard,"以下にまさによく現れているのだが、その取り組みを認めるという形で間接的に扱われている。これは適切なアプローチだろう。

 先の北朝鮮に関する決議でも、決議が通る通らないに関わらず状況は全ての関係諸国に明らかであった。しかし、韓国内の世論の反応はこれまでと異なってきている。無論ミサイル発射という事実自体に直面したことが重要だが、明確な形で国際的に正当性を認められた外交文書が作成されるというのは、大きな意味があるものなのだ。そして今回のイランに関してはIAEAと二段構えである。民主主義国はもちろん、そうでない国も政策を巡っての国内議論は様々な力学が働く。その中で何が優勢になるかというのは、この種の文書一つであっさり決定することがしばしばある。これは、何だかんだといいながらもそこそこの大国意識がある日本人は、米国など一部の国を除き、多くの国と比較してそれほど実感していないと言えるかもしれない。

 しかし、その日本にしても、イランのアザデガン油田などを巡って色気を示す向きもあったところ、まずは核開発問題が重要だというメッセージを発することが出来た。実のところ実質的には政策転換なのかもしれない。しかし、こういう場で賛成して首尾一貫したメッセージを発していれば必ずしもそうとは取られない。恐らくこの決議案が出るタイミングで行動することを計画していたのであろう。今回の日本に関する部分も引用する。

Japan, which traditionally had friendly relations with Iran and was a country committed to nuclear non-proliferation, had undertaken its own diplomatic initiative towards the peaceful resolution of the issue. Japan would contribute its own efforts through continuous dialogue and engagement with Iran.


 この短い文書でownを2回にcontributeと、これは国連の報道官が大島氏の言を受け取って表現し直した部分であろうか。経緯はともかくもちろん意を受けているのであろうし、このように国際的に報道されるようにしてあること自体、様変わりという印象もある。この調子ならイラン問題での失敗は無さそうかなと言う気もする。

 それにしても、対北朝鮮決議との関係は興味深い。あれで7章関連を削った結果、この対イラン決議でも削るというのは、中国やロシアも難しい。またこの件ではIAEAを前面に押し出すことで受益者としての立場を再確認させてもいる。プレスリリースではロシアが軍事的な対応を除外されているという立場を示しているが、現段階ではそれで構わない。そして北朝鮮がまた何かリアクションを起こしたら、先の安保理決議1695のみならず、この対イラン決議1696の内容も重要となる。イランより甘くしたのがまずかったと主張することは容易である。

 多国間外交はこのようにややこしい経緯をたどる。今回、非常任理事国といえど、安保理メンバーとして活動していたのは真に幸いであった。常任理事国入りに関する国内的な議論も今まで以上にまとまるであろう。今になってみれば、自分から常任理事国の地位を投げ捨てた戦前の愚が良く分かるかもしれない。また、戦後少ない外交リソースをアメリカに一点張りしていた理由も合理性はあったと実感できるだろう。日本外交の質に問題があるとすればそれは質というより量の少なさだが、それを補う事に関してもコンセンサスが出来つつある、と信じたいところだが・・・・
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2006年05月29日

イラン核開発問題に対する米国のプラン

 イラン核開発問題は膠着し進展していない。イランは全てのウラン濃縮をロシアに移転することはしないと明言している事に関しては、ここしばらくのニュースで広く伝えられている。今は欧州諸国が強硬な態度を示している段階だが、具体的リアクションに関しては色々迷いがあるようだ。それは米国も同じだが、この記事に示されている内容は興味深い。(参照1)

 イランの政府高官の銀行口座などを調べ上げ、金銭的な自由度を縮小することに注力するというものだ。これに政府資産の凍結なども加わる。これは北朝鮮に対して行ったことがかなり効果があったと判断しての事であろう。またリビアに対しては効果があったので似たような反応を引き出せる可能性があるかもしれないと推察した面もあるだろう。またイランであれば北朝鮮問題の場合の韓国や中国のように実質的に経済制裁の効果を減殺するような国はあまり出てこないと言うことであろうか。もちろん日欧が協力すると言うことが大前提であるが。
 ここで主要国の中では日本とイタリアの打撃がもっとも大きいと予想されている。この2国は今回のイラン版6ヶ国協議に参加していない事は興味深い。個人的にはここに何らかの形で参加して、プロセスに加わった責任がある、として国内的な説得材料を準備する方向で動くべきだったと思うが。なおこの制裁は、直接には石油禁輸を含んでいないとされていることは重要である。市場でやりとりされる資金は透明度があるが、アザデガン油田などの契約金は直接政治家の懐に入ってしまうと言うことであろう。この構図はイランに限らない。市場主義者の米国はこの種の構図を常に嫌うことは意識しておいてもいいかもしれない。ちなみに欧州もこれは良くやることである。フランスなどはお家芸かもしれない。

 なおアザデガン油田の件であるが、9月に契約が終了する可能性が報じられている。(参照2)そしてこの報道内容は興味深い。これだけで判断は出来ないが、安倍氏はこの契約の推進に拘っている可能性がある。もしそうだとしたらこれは非常に危険な判断だ。日本の核拡散への反対は自国の利益が関係ないときだけだという批判がしばしばある。事実イランに対しての批判は北朝鮮に比較すると極めて少ないものである。あまりにも基準が恣意的に過ぎるのは否めない。安倍氏は北朝鮮への経済制裁も早期から唱えていたが、その制裁の効果を中国や韓国が減殺する可能性に関しては積極的に説明責任を果たしていなかったように思われる。つまり国内的なガス抜きで、小泉首相などとの役割分担かなと思っていたのだが、ひょっとしたら天然で言っていたのかもしれない。だとしたらどうかなぁと思う。米国ですら金融口座凍結の際は、韓国や中国が当面の反対は出来ないように偽札作りの動かぬ証拠を見せて回っていた経緯を考えるべきだろう。(まぁ、そういう努力も韓国は無にしようとするが・・・・・)

 積極的に日本がリアクションを取れるタイミングはあまり残ってないだろう。ただ調整作業自体はかなり続きそうなので、7〜8月付近のどこかで最終決断をするという感じか。小泉首相が訪米する時に調整はするのだろうと思うが。
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2006年05月19日

米国とリビアの国交正常化

 米国がリビアとの国交を正常化し、テロ支援国指定も解除すると報じられている。(参照1)ライス国務長官はイランや北朝鮮の重要なモデルであると述べているようだ。苦境にあるブッシュ政権にとっては、核開発を断念したリビアへの対応は、何がしかの成果として宣伝したい思惑もあるかもしれない。

 パンナム機爆破は、日本人には実感が無くても欧米人には強い衝撃を与えた大きな事件であった。9.11以前では最大級のテロ被害だった。そのため批判する人々もまだ根強く存在する。(参照2)しかしながら、この論説(参照3)に見られるように、現実的な脅威の査定というリアリズムからして評価する向きもある。実際、9.11という大きなインパクトがテロ国家としてのリビアを過去の存在にしてしまったという側面もあるし、見込みのある国から対応するべきなのであろう。また、現実には人口600万に満たない規模の国でもあるし、優先度が重大なもので慎重に扱わなければならない課題とはみなされなかったのかもしれない。

 ここで、リビアでの石油ビジネスを指摘して、それが円滑に進むように今回のテロ支援国解除指定があったのではないかという指摘もある。しかしながら、この論説(参照4)で国務省から述べられているように、純粋に安全保障上の決定というのが正確なところであろう。実際、欧州企業との競争は現実にも厳しいからだ。米国としては、中東地域以上にあの付近は欧州の担当だという意識がありそうに思われる。これは現地の人間の感覚とも近いのかもしれない。例えばル・モンドのこの記事(参照5)、ややある種の空気を伝えているかもしれない。そしてここで示されているドイツへの肩入れというのは、そのまま日本にもある程度適合してもいる。日本人としては注意して対応しなければいけない感情であろう。

 ただ、リビアの人権の現状に関しては、フリーダム・ハウスのレポート(参照6,リビアを地図から選択)を見る限りにおいてはまだまだお寒い限りのようだ。政治的自由と市民的自由、両項目で北朝鮮と同レベルの世界最低ランクに評価されている。この評価が絶対というわけではないが、アフリカ各国の国情に応じて、イスラム地域も含めて細かく評価を分けているあたり、それなりの指標にはなると考えられる。

 そのため米国の今回の決定に関しては批判する向きもあるが、今回の判断には、後継者と期待されている人物の存在があるのではないか。カダフィ大佐には多くの息子がいるが、そのうち上記のル・モンドの記事にもあるサイフ・アル・イスラム・アル・カダフィ氏が改革派と目されている。リビアは王政になったと揶揄する新聞記事もあったが、立憲君主制になるならある種の現実解という表現も可能だろう。改革者はしばしば体制内から出ることもある。要は結果なのだろう。氏は自分が後継者であるとしてはいないが内外の信望は高いようで、そのように推測している向きが多い。元々英国への留学を始め、欧州での滞在も長くビジネス畑の人物のようだ。特に言論の自由の推進に注力し、政治犯釈放などの動いている事もあり、欧米の民主主義国からの評価は高い。氏のインタビューを含む記事があり(参照7)、なかなか興味深い。氏は外交を主な任務として世界中を精力的に回っているそうだ。リビアはイスラム地域の中では比較的教育水準が高いようでもあるし、人口も少ないので政策の実施も効率的になることが期待される。政治家の力量次第で展望は開けるのではないか。実際イスラム地域では小規模な国のほうが政治はうまく回っている傾向がある。部族的な小規模秩序の延長と考えればいいのかもしれない。

 ちなみにサイフ氏、実は去年日本に来ている。リビアはアフリカの国としては珍しく地球博に単独パビリオンを構えていた。そこで万博関係者に茶菓子を配っていたというのはなかなか微笑ましい。(参照8)しまった、事前に日付調べられたのだろうし、見物に行けば良かったか(笑)
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2006年04月02日

イスラエル選挙雑感

 少し時間が経過したが、やはり一言だけでもイスラエルの選挙に関して触れておきたい。結果は英語版Wikiで早速項目まで出来ており、便利なので参照すると良いだろう。結果そのものは事前に予想されていたということもあり意外性はそれほどない。有権者のメッセージとしてはシャロン路線の追認と見て良いだろう。

 一院制で、しかも選挙制度が比例代表となると議席の分布がこうなるのは無理も無い。ただイスラエル内の政治的な多様さを考えれば、有権者の政治的な需要を満たすという必要もありやむを得ないのかもしれない。日本人のように(そして恐らくは米国人もそうだが)大まかに合意があれば大政党を作ってその中でのグループ論争という形を取るというのは気質に合わないのだろう。

 イスラエル国内のアラブ人だけでも有権者の20%近くはあり、しかも複数の政党が存在している。これは中東が本格的に民主化した際には地域や宗派でかなり小党分立の状況が見られるようになることを示唆しているものでもある。それを緩和するのは地方分権の強化と連邦の権限の限定なのだが、民主化が成熟した国家でないと難しい。現状アラブ地域は小国のほうが政治がうまくいっている傾向があるが地域の現状として今後もそうなのであろう。大国を作ると抑圧的にならざるを得ない。少なくとも現状では。

 イスラエルにしても、宗教と言う側面があるので禁欲的な主張やあるいはかなり少数の人しか支持しないような国家主義的な主張も、政党としてそこに存在するのはガス抜きの側面もあって好ましいだろう。集団国外追放という、民族浄化もどきの主張する政党もあるとはいえ・・・・もちろん、今回の選挙結果は分離壁の維持や一方的撤退といった、ある種の現状固定化による穏健路線が広く支持されたものとは言えるだろう。

 ハマスに関してだが、本当に好戦的な幹部はイスラエルに大半殺害されていると言う事情もあり、実質としては当面内政に専念するという雰囲気でもある。これは中長期的には好ましいことだろう。そこで国内の支持が固めれば、仮に将来(国内的に)妥協的と見られる政治姿勢を取る際にも、政治基盤としては強固となるからだ。補足するとアメリカが現段階で交渉しないというのも方策としては適切だ。ハマスがどの路線に転ぶにせよ、現段階で関与することのメリットは無い。むしろイスラエルや米国と対立的存在であるということを内外に示し、一定期間の膠着状態を生じさせることが今後の展開に繋がるだろう。現状、多くの人を納得させるような綺麗な解決策は無いだろう。ある種の現実を作ってそれがやむを得ないものと追認させるしかないと思われる。今回のイスラエル選挙の結果も、イスラエル国民がそれを望んだ結果のように思われるのだが。
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2006年02月21日

西サハラの主権はどこにあるか

 タイトルに示す西サハラの件、どこかの機会でエントリしておこうと思っていた。つい先日ル・モンド・ディプロマティークの記事(参照)を見かけたのでこれを機会に立てておこうと思う。広大な地が世界地図で空白となっているが、人口は約30万人程度のこの地域、ある意味で世界史と現代の縮図だ。

 上記の記事はフランスのある種の知識人を代表する意見として的確だ。多くの事実関係を整理して把握するのにも役立つ。ただ恐らく、これを読んでも大半の日本人はピンと来ないはずだ。まずスペインの旧植民地支配からの経緯がある。
 今でもセウタやメリリャなど、モロッコに飛び地としてスペイン領がある事を知っている日本人はいるかと思う。ただスペインは沿岸部にそのようなものを多数抱えていた。中にはセウタやメリリャの維持を条件に放棄したものもある。そしてモロッコ自体はフランスの植民地であったわけだが、この地はアフリカの中でも旧列強に振り回された見本のような国だ。(それでも西洋文明の恩恵も最大であったろう。と言うと現地の人は反発するに決まっているのだが)様々な事件の舞台となり、特にタンジールの地などは国際管理だったこともある。ここで発生したタンジール事件などはWikipediaにも記載があるのだが(参照2)一歩間違えればサラエボのそれではなくこれが第一次世界大戦の原因になったかもしれず、日本では知名度が低いが重要な歴史的事実として踏まえておかなければいけないだろう。なお年代を見ると分かるとは思うが、歴史を考えるに当たっては、日露戦争などは必ずこの付近とセットで理解しないととんだ視野狭窄となる。あれは英仏の複雑な動きやドイツの二枚舌外交の所産でもある。当時の日本人は名政治家に恵まれていたのは、こういう事情を理解して振舞っていたと言うことに尽きる。

 モロッコに話を戻す。沿岸の飛び地だけでなく、モロッコの南部地域は元々スペインの勢力範囲で、それを少し早い段階で放棄していた事が重要な歴史的経緯となっている。そしてその南の西サハラの放棄はすんなりとしたものではなかった。この付近東ティモールその他とも事情がかぶるが、今日モロッコはそのような経緯を正当性の根拠としている。問題はそれを国際的に認めさせるプロセスに失敗したということと、現地住民の反感を買いすぎたことだ。

 この件、英語版のWikipediaで西サハラの項目がうまくまとまっている。これをMINURSOの項目も合わせて見ると良く分かるのだが、力学的にはむしろ最近動いてきた件である。そして西サハラの人権の項目などを見ると生々しい汚らしさの空気がやや分かるかもしれない。この項目が議論中になっているのがさらにその感を増す。つまりここでも人権問題がある種のリトマス試験紙となっている。独立を目指す勢力であるポリサリオ戦線側とモロッコ双方に問題があるのだが、ただポリサリオ側をテロ組織認定して欲しいと言うモロッコの要請は却下されている。要は欧米がモロッコに強い嫌悪感を抱いていると言うことだ。そして西サハラ領有の主張は無理があるでしょと思っているわけであって、これは現時点となっては挽回がかなり難しそうだ。そして西サハラ地域はスペインの支配のせいもあり、住民の意識としてはやや近代的なようでもある。贔屓の原因でもあるのだろう。

 さらにこの地域で、沖合いに石油や天然ガスの資源が存在する可能性があることが問題を今日的なものにしている。人口30万前後ならその地域だけは圧倒的に豊かになれる可能性があり、独立したくもなるだろう。まぁ、イラクと違ってこれこそ石油も主要な原因だ。これは事態を動かすテコにはなるかもしれない。

 要は、モロッコは恐らく失敗したのだ。成功のための方策はいかなるものであったか?恐らくはスペインが手を引いた後、現地の住民の主権を極力尊重する穏健な態度を示しつつ、アメリカの容認、できれば支援を取り付けることだったろう。今となっては累積した失敗を取り返せないように思われる。モロッコで原理主義的な勢力が急速に勢力を伸ばしているが、そういう政治的な閉塞感も背景になっているのだろう。ただそうであるにもかかわらず、旧植民地の問題を奇妙に引きずることにより、アフリカの大半の地域から承認を得ているこの地域の独立は欧米の大半から認められていない。様々な理由がある。ここで最初に挙げたル・モンドの論説の最後の部分を引く。「紛争終結となれば必然的に、どちらか一方が正しく、もう一方は正しくなかったということになる」確かにそうだ。だが米国の多数派の考え方は違うしスペインも意識としては複雑だろう。「主権を巡る争い」はいつも解決が困難である。
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2006年01月27日

パレスチナ選挙結果に関する簡単な感想

 パレスチナ議会選挙でハマスが過半数を確保したと報じられている。やや意外感を持って受け止められているようだが、そのこと自体にやや違和感を持った。日本やアメリカに限らず、多くの民主主義国はパレスチナを語るのに自国の基準を知らず知らずに当てはめているのだなと改めて思った。

 いわゆる途上国に分類される国では、基本的に秩序の維持が最大の正統性を確保する。犯罪が発生したときに、曲がりなりにもそれを取り締まる組織に頼るしかない。実質的な能力に付き従うと考えてよいだろう。現在、パレスチナ自治政府の能力は限定されている。ハマスはテロ組織といっても組織化されており、福祉や医療などのサービスを市民に提供している。特にガザ地区では自治政府は世の中の現実解であるとパレスチナ市民にみなされてないのだろう。それを考えると自治政府の選挙結果は健闘したと表現することも可能だろう。

 またこれは私の推察に過ぎないが、パレスチナの多少インテリな知識人としては、イスラム聖戦のような過激な組織ではなくまだ理性的で市民に実質的な義務を果たしているハマスを選択したのだぞという意識もあるのではないか。また自治政府の支持母体であるファタハの軍事部門であるアルアクサ殉教者団もイスラム聖戦同様に悪質だ。現在の自治政府はその面にも管理能力をさして発揮していないように思われる。

 「どのような国も、その始まりには汚れたオムツを付けているものだ」という言葉がある。例えば中国なども、日本では近年反中感情が高まっているというものの、共産党初代の毛沢東の無茶苦茶さを考えれば、大局的に見れば長い時間をかけて少しずつ理性的になってきていると見えなくも無い。ハマスもスローガンは簡単には降ろせないとして、最低限イスラエルとの緊張関係を管理する能力さえ示し、結果的に共存する路線を長く続ければ望みもあるのだろう。そして50年とか100年とか経過して、人間が入れ替わって緊張が和らいだところで和平を進める、といった程度が現実解ではないだろうか。その意味ではイスラエルの壁設営も幾分は意味があるかもしれない。距離を置くことの意味もそれなりにあるのだ。もちろん引き裂かれる個別事象の悲劇は多く、近代的リベラリズムが敵視する手法ではあるが。

 では、民主主義国が現在享受している安定した社会というのは短期間に手に入らないのだろうか?方法は無いことも無い。それは、より統治能力の高い外国の治安維持部隊が大規模に展開し、山のように資金を投下し、テロ組織に関しては徹底的な掃討と武装解除を行い、市民に治安の良さと復興による豊かさを実感してもらい、それを5年なり10年なり続け、その間必要になる恐らく10万かその付近の兵力を維持し続け、何千人犠牲が出ても絶対に撤退しないことだ。平和で安定した社会というのは、そこまでやってやっとそこそこ確保され、それでもいつ崩壊するか分からないものなのだ。書かなくても分かると思うが、それは現在米国がイラクでやっていること、もしくはよりよくやるべきだった事と変わらない。

('06.1.29追記)
選挙結果、および選挙制度のリンクを追加しておきます。ハマスの政党名はイメージ戦略としてもうまいですね。選挙制度のページでは、やや下のほうにパワーポイントファイルへのリンクもあります。
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2006年01月17日

イラン核開発問題の厳しさ

 北朝鮮の問題もさりながら、ここ最近イランの核開発問題が注目を集めている。ロシアのウラン濃縮に関する仲介案が蹴られたのが直接の問題ではある。客観情勢だけ見れば、核武装の意図は相当強いと見るべきだろう。ロシアとしても、仮にイランへの経済制裁となっても原油価格の高騰は自国を潤す。ウクライナを巡ってまずい流れになったのを引き戻せるかもしれない。

 核問題に関して関連したエントリを書いたことがあったが、私の考え方は特に変わっていない。そして今回考えなければならない事は、これは各国の核開発を考えるにあたって、力学的にはむしろ新しい情勢であるという事だ。これも以前のエントリで紹介したが、今日核開発を懸念されている直接的な該当国とは別に、地域や世界の情勢を変える可能性があるとしてこの書籍で「炭鉱のカナリア」と称されている8ヶ国の顔ぶれは興味深い。シリアを米国の裏の同盟国とここでは仮に仮定すると(非常にややこしい議論になるのでここでは割愛するが)いずれも米国と深い関係を持ち、安全保障上の関与を何らかの形で受けている国々だということだ。そしてむしろより深刻とも言えた1970年代あたりの各国の核開発問題??ブラジル、アルゼンチン、南ア、韓国、台湾など??も米国の関与で断念したと言える。そして安全保障上米国と関係の薄い、時代と状況によっては対立的な国としては、ロシア、中国、インドという国があるが、米国は伝統的に(渋々ながらも)核武装はむしろ容認する路線であった。これは世界の現実を認めたという実際的な判断もあるが、同時にソ連存在時には、ソ連の同盟国に関してはソ連が核開発を抑止するという役割を果たしていたと言える。そして良くも悪くも核武装は「大国の特権」であった。冷戦の終了時にはルーズニュークの問題がクローズアップされたが、それに付随して、この「核武装の抑止」機能が低下していたことにも着目し、エネルギーを注ぐべきだったろう。

 私は、パキスタンに核武装を認めたという事に批判的な立場だ。これは、米国の伝統的な「同盟国に安全保障上の関与を行う一方、核武装を断念してもらう」という外交路線から逸脱したからだ。イスラエルはこの事に配慮するだけの判断能力はあり、公式に核武装していると発言することは無かった。イランで問題なのは、パキスタンが核武装している情勢で自国が核武装することは、市民の多くが当然視していることだ。The Independentは大統領の政治的な立場を指摘する。(参照)しかし背景はそうでも、核武装そのものは広く国内的に支持されていることから、政権がいかように交代しても推進される。むしろWall Street Journalの以下のような欧州に対する皮肉な諦観が率直だろう。(参照2)ちなみにこの記事で懸念されているイスラエルの件だが、イラクのオシラク原子炉の件はイランも良く承知しており、それなりの対策もしていると言われている。軍事作戦自体が困難かもしれない。

What we are really witnessing is a demonstration of what happens when Iran's provocations are dealt with in a manner that suits Europe's feckless diplomatic "consensus." After more than two years of nonstop diplomacy and appeasement, the world is no closer to resolving its nuclear stand-off with Iran. But Iran is considerably closer to acquiring the critical mass of technology and know-how needed to build a nuclear weapon.


 中東諸国の特徴として、政権が一般に専制的、抑圧的なことがある。そのため本音ベースでは市民は自国の政権を好んでいない。政権が米国と関係が深いサウジやエジプトで米国の人気が無く、政権が反米的なイランではむしろ米国は(相対的に)好まれている。中長期的なことまで考えると、この市民の相対的な好意を維持しつつ、核武装を断念してもらうという路線しかない。つまり今の聖なる体制が変革され、民主化されないと国内的な力学上核武装を断念できないのだろう。イランの核武装にはまだ数年程度の余裕があるとされる。しかし逆に言うと数年程度の余裕しかない。そして仮に民主化したとしても、新興の国民国家はナショナリスティックで近隣諸国に攻撃的なのが歴史の常だ。(イラクもそれが懸念されている)いかなる要素を考えても、イランの核開発問題は波乱含みだと思う。
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2005年09月01日

近代トルコのケマル主義の成功とは

 ハリケーンによるニューオーリンズの被害、バグダッドでの橋からの転落など、多くの犠牲者が出る悲劇が報じられている。心から哀悼の意を表したいと思う。
 もちろん大変な悲劇であるので当然ではあるが、そのため欧米でも国際ニュースの関心はどうしてもそちらに向いてしまう。しかし奇しくも北オセチアでの占拠事件から1年であり、チベット占領から40年でもある。いずれも関心が一時的にそれているのは皮肉な現象のようにも思える。いくつか政治的なリアクションが進展する可能性があるトピックだと思うのだが。

 そういう昨今の情勢とは無関係に、ふとトルコの事を考えた。最近ではEU加盟問題が話題になっており、予定では10/3にEUでの加盟交渉開始となる。しかし欧州では反イスラムの風潮は強くなっており、今回もキプロス承認問題を理由にEU外相理事会では慎重意見多数となった。おまけにドイツではより保守派の政権が誕生しそうな雲行きである。トルコとしては至難な道のりだろう。しかしEUに加盟することがトルコにとって本当に幸福な道なのだろうか。この興味深い歴史を持ち、文化の狭間に存在する国は常に悩んでいるようにも見える。

 先史時代ならともかく、歴史時代、それも近代になればなるほど、指導者の資質が歴史に及ぼす影響は深い。しかし20世紀はどちらかというと負の側面のそれが目立ったかもしれない。個人で世界歴史に及ぼした影響が大である人物となると、ヒトラーであったりスターリンであったりする。では正の影響を持つ人物として挙げるとどうだろうか。存外挙げにくいが、ケマル・アタチュルクはどうだろうか。世界的に見ても、20世紀で5本の指に入れてもいいのではないかと私は思う。
 手軽なところではWikipediaの項目もまずまずではあるし、そもそも参考書となる書籍の類に困ることも無いだろう。私がこの人物に関して最も優れていると感じる点は、多民族の広域帝国を否定したことだ。過去に栄光の時代を持つ古い歴史の国はどうしてもその残照が邪魔をする。ギリシャですら国際社会に過大な要求をすることしきりだ。オスマン・トルコの栄光は世界に冠たるものであったし、普通の国ならそれから簡単に脱する事は出来ないだろう。

 これは20世紀以降の歴史の本質なのであろうが、この多民族を統治する広域帝国はほぼ全てが失敗している。オスマン・トルコもそうだし、オーストリア=ハンガリー帝国もそうだ。時代が少し下がったソ連もそう見れなくも無い。大日本帝国も、太平洋戦争でうまく講和して存続などしていたら末路は悲惨だろう。このあたりに共通するのは、テロ頻発などでとにかく治安維持などの社会インフラ維持のコストがかかり、経済効率が悪く、赤字続きで中心となる本国が疲弊することだ。フランスもなまじ地理的に近く、他の植民地と別扱いのアルジェリアに未練を残して大失敗した。やや関連したエントリを書いたこともあるので場合によっては参照して欲しい。日本の戦前の満州・朝鮮もどのような歴史過程を経てもアルジェリアのパターンだったろう。成功するのは完全に国民国家として統合したときだけだ。日本を例に取れば、台湾でやや成功の可能性が高かったくらいか。それと人口が少ない南洋諸島の一部程度といったところか。恐らく、この付近のルールを最初に察知したのは米国と次に英国だろう。米国の場合は対中南米で問題続きの割に深手を負わなかった。引きどころがうまいのだろう。ただこれは国によってタイミングというか、運もある。植民地からの移民に対する嫌悪感が増大していた社会情勢がその方針を補強した。

 そのような情勢を思うと、ケマルはあの時代としては、まさに先覚者ではないだろうか。議会政治と法の統治、政教分離など、近代国家の基礎となるコア部分をキリスト教文化と混同せずに導入した。日本の歴史を参考にしたとも聞くが、しかし島国の日本のように地理環境の隔絶がないのに、そして重要な通商路となる海峡を擁しているのに妙な色気を示さず選び取った道だった。そして専制的な政治を行いながらも議会政治を育てた。当時のトルコ社会の伝統を思えばどれ一つでもそこそこ出来ただけで歴史に名が残る。これだけ多くのことが出来たのは、やはり対外戦争の英雄だからだろう。思うに、19??20世紀前半で欧州諸国と戦争をしてそれなりに健闘可能だった国はここくらいしかなかったのではないか。ケマルは愛国者であるという国民の信頼を得ることが出来た。戦争が強くないと駄目だというのはある側面の真実なのだろうか。

 そして事実として、トルコは戦後NATOにも加盟し、民主主義の世俗国家として他の中東諸国とは隔絶した道を選んだ。もちろん国民は近隣のイスラム諸国よりよほどましな生活をしている。先のイラク戦争でトルコ議会は米陸軍の国内通過を認めなかったが、米国は同盟国の裏切りに怒りつつもそれを容認したのは、トルコの議会政治の伝統に対する敬意が存在していたからではないだろうか。議会の扱いに苦労する国内政治があればこその対応だろう。

 他の中東諸国はケマルのような人物に恵まれなかった。イランは場合によっては近代化の可能性があったかもしれないが、歴史の女神は微笑まず、不幸な展開を示したといってはいけないだろうか。
posted by カワセミ at 22:26| Comment(4) | TrackBack(1) | 西南アジア・北アフリカ

2005年08月27日

イラク民主化の混迷に思う

 憲法起草での厳しい交渉が連日報道されている。クルド勢力とシーア派の妥協は成立したように思われるが、スンナ派の取り込みには苦労しているようだ。簡単に論じられる問題でもないが、いくつか感じたことを書き記してみたい。

 本来、スンナ派はアラブ人という事でシーア派勢力との共通点があり、スンナ派という事でクルド勢力との繋がりがある。クルド勢力は一般に思われているより政治の現実に対する柔軟な対処能力があると見られ、フセイン政権下のイラクでも制限は多いもののそれ相応の自治権を確保してきたようだ。そのため、クルド勢力はフセイン後はスンナ派主導の旧来のイラクからシーア派主導の近未来のイラクに鞍替えしたと見れないことも無い。これに旧来一定の受益者と見られてきたスンナ派が反発しているという構図だろう。スンナ派は学歴の高い層が多く、知識人的な反発傾向も他地域より強いようだ。しかし旧来の行政機構を極力保ったまま連邦制に移行するのは恐らく現実解だ。そして安全保障や外交面では極力一元化を残すと。確かに軍事力も含めて極端に地方分権を進めると民族浄化発生となるのは世界の多くの地域で証明済みで、とりわけ注意を払う必要がある。国家建設方針におけるこのような原則は米国ではかなり早い段階から提言されている。代表的なものはこの付近で、内容的にもイラクでの現在の試みと多くの共通点がある。

 むしろ今までの段階で、治安維持といった汗を流す行為を米軍頼みにする構図がかなり早い時期から発生しているのは興味深い。日本や西欧的な近代ナショナリズム感覚だと理解しにくいが、世界的に見れば治安維持行為は時の政府の大きな負荷の一つで、自分たちの権力に問題がなければ手を抜きたくなる分野の一つだ。米軍関係者から撤退も選択肢の一つだと牽制発言があったのもそれを受けている。権力者は権力に伴う義務を果たさねばならないが、それをきちんと果たせということだろう。それをそれなりに果たしてきた歴史を持つ国が今日先進国といわれるのかもしれない。これが日本や西欧などだと、この種の安全保障上のアウトソーシングは、国際的な治安維持や核の傘といったもう少し高いレイヤで発生しており、比較するのは面白いかもしれない。

 イラクでの暴力が深刻だというのは様々な形で報じられている。しかし米国のメディアも含めて、もう少しバランスの取れた報道が欲しいようにも思う。例えばインドなどは典型かもしれないが、選挙になると死人が出るというのは世界的に広く見られる現象だ。今回もそして今後も、政治的イベントに伴う混乱は発生する。イラクは長い時間をかけてその度合いが減少していくと見られるが、現在の短期的な情勢に一喜一憂する報道では大局が見通し辛くなっているだろう。かといって米国のメディアを批判しても、興味は国内的な事情から来ている以上、仕方が無いのだが・・・・
posted by カワセミ at 12:49| Comment(3) | TrackBack(0) | 西南アジア・北アフリカ

2005年06月26日

イラン大統領選雑感

 強硬派と見られるアフマディネジャド氏当選との報。予想されていたラフサンジャニ氏ではなく、しかも選挙結果はかなりの大差でもあったので国際的に大きなニュースになっている。まだ情報も少ないので所感を一言だけ。
 イランの核開発問題での交渉は、かなりの程度この大統領選挙待ちという側面があった。そして現在のところ先行きが見えない状況だ。しかしながらメリットもある。なぜなら交渉相手の政治的態度はすんなり一本化されており、イランの国内政治力学に気を遣うあまり袋小路に陥る可能性は少なくなるからだ。歴史的に見てもタカ派のほうが軍縮交渉の類をまとめやすい。その意味ではそう悲観したものでもない。
 もちろん楽観視できる情勢ではない。イランは人権問題が極めて深刻だからだ。主要な民主主義国の大半を敵に回す可能性がある。そして核問題を短期的に抑止可能でないとなったら状況は北朝鮮よりはるかに危険だろう。イランの国境管理は不可能に近く、北朝鮮のように封じ込めに近いことも出来ないのだ。
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2005年04月20日

欧州の周辺としての北アフリカ

 中国のニュースで一喜一憂する世間に面白くもないと思いつつ過ごす昨今。ふと目に付いたこれをamazonで購入してみる。カミュ作「異邦人」(参照)。カミュの出自を最近再確認して、気になってまた目を通してみようかと思ったのだ。今更言うまでも無い著名な古典であり、私も若い頃に読んだような気がする。薄い文庫本で数時間程度で読破できる内容ではある。もっともそこから受ける印象は若い頃のそれとは違っていたが。
 この作品が何をどう表現しているというのは、それこそ世界中で何十年も語られてきたことなので省略する。印象に残ったのは舞台となっているアルジェリアの首都アルジェ近辺の奇妙なほどに鮮明な風景だ。映像的と言っても良い筆致である。そしてフランス人の視点を通しているのでそこでのアラビア人は野蛮なだけのよそ者のような印象。若い頃は主人公の不条理さや内面的な真実性だけに目が行っていた気がする。しかし今はもう少し引いた、行ったことも無い場所への奇妙な現実感がむしろ残る。殺人を太陽のせいと表現した主人公の言にすんなり納得してしまうのは、年を取ってむしろ私が妙な先入観を持ったからだろうか。
 アルジェリアがフランスの植民地だったのは周知の事実である。ただ、他の植民地と違ってここはフランス本土と同等という扱いであった。だからアルジェリア独立戦争に関しても当時の他の植民地と扱いは違ったし、現代においてもフランス人の意識は微妙である。この付近の事情はこのあたりを読むと若干なりと参考になるだろう(参照)。この件は戦前の日本における韓国の地位と若干かぶる部分があるかもしれない。それゆえ、昨今の教科書問題などで複雑な摩擦が発生している近隣国のうち、韓国について欧州人に説明するときは「フランスにおけるアルジェリアやモロッコを想起して欲しい」と相違点がある事に内心眼を瞑りつつもそのように表現してみてはどうかと思う。いずれも権威主義的ではありながら、確かに近代化の始まりとはなったのだ。もちろんその一方で失われた人命は少なくないことも忘れてはいけないが。
 そしてこの付近のフランス人の複雑な感情は、1991年にイスラム原理主義政党が選挙で勝利し、クーデターで軍部が転覆した件でも微妙に表現された。アルジェリアは西欧的な民主主義があっても良いと考える人々がフランスを中心として欧州人には多かった。こういう潜在的に土壌がある(かどうかは知らないが欧州人がある程度そう思っている)地域にはテコ入れのような形で外部から強制的に民主主義を押し込んではどうかという論が盛り上がった。それは後にユーゴ紛争への対応にも影響している。そしてこの経緯をアメリカは良く覚えていた。イラク戦争で最終的にフランスは賛成すると考えたのは疑いない。アメリカにはイラクを北アフリカやバルカンに比べて文化的にはるかに下位に見下しているフランスの微妙な心情は随分差別的なものと思えたろう。それは遠くローマ帝国の版図とも関係しているし、19世紀のイラクはどこの勢力圏であったかという事実への屈折した反応かもしれないが、この付近のフランス人の感情をアメリカに理解しろといってもそれは無理かもしれない。
 モロッコはいま少し穏健かもしれない。欧州の諸大国の角逐の場であったが故に、20世紀近くまでまるまる完全な植民地というわけではなかった。相対的に短期間とはいえそれでもフランスの影響は強い。フランスとしてみれば、山のような投資を行って作り上げたカサブランカの大港湾施設が丸々取られたというところであろうが、所詮植民地支配のための投資ではあった。これまた日本の立場とかぶるが。いずれにせよ現代のカサブランカは欧州の一部のような著名な観光都市であり、ナショナリズムの傷も浅かったのか今のモロッコはEU加盟を希望してすらいる。(もちろん経済的な利益が主目的で、そもそもまるで無理な話ではあるが)それにしても2度にわたるモロッコ事件は欧州大戦の可能性と関係していただけに、バルカンではなくこれが発火点だったら、この付近の地域の運命は相当変わっていただろう。
 そしてこういう歴史は北アフリカの人々の言動に微妙な影響を及ぼす。イスラム教徒といってもアラブ人と同一視されるのを嫌がり、「我々はより文明的な地中海人」と表現したりする。必ずしもベルベル人の言だけでも無いようだ。欧州風な国民国家的雰囲気ではある。ただ先進工業国ではあまり公然と表現しなくなったこの種の差別的な言動の実態はこういう国家でより深刻ではある。マレーシア人は貧乏人を「タイから来たのか」と揶揄し、イラン政府は「パキスタンごときが核兵器を持っているのになぜ我々が駄目なのか」である。良くも悪くも日本や欧州は奇麗事が身に付いたのか。本当に良くも悪くもだが。
 オランダの映画監督暗殺事件が与えた衝撃は大きい。あの国のイスラム教徒の半数はトルコとモロッコの出身者で占められる。欧州のリベラルな政治家が多文化主義を標榜しつつ「よりましな文明人の仲間」として優遇したのが目に見えるようだ。だがそれは中途半端さゆえの悲劇に結び付いたのではないか。続きを読む
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2005年04月07日

イラク民主化の長い道のり

 イラクで新大統領が選出された。とはいうものの、全般として報道は極めてあっさりしたものである。CNNだから当たり前ではあるが、どこもこんな具合に淡々としたものである。ところで従来日本のマスコミは、各勢力が激しく対立していて今にも破綻しそうだという論調が多かったように思う。しかしながら、そろそろそれが自勢力の拡大のための主張に過ぎないという勘所が分かってきたようにも思われる。これはイラクだけの話ではなく、例えば近隣国の韓国や中国にしても、今にも致命的な対立か国交断絶かという勢いに見えてしまうが案外そうでもないような感触を見せており、日々の利害には実に聡い。文明的と見られるヨーロッパでももう少し見かけが上品なだけで、内実は似たり寄ったりのようだ。つまり日本人の感覚だけがずれているという単純な話だろう。外国が対日外交を進める際、何も言わないからそれでいいのだろうと判断することが多いのも頷ける。辛うじて付き合いの長い米国が若干呼吸を知っているというところか。それでも民主党筋は普通に欧州的な冷淡さがある。

 ところで、イラクのスンニ派地域にテロリストが多いといっても、逮捕者はサウジ人が60%前後と報道されていた。外国人が多いのである。この地域の反米感情が強いといっても、イラク全体としては相対的に学歴の高い人たちが集中しており、実際の行動に及ぶとは考えにくい。これもまた単純な話で、シーア派地域やクルド人地域では部族社会の伝統が残っていてよそ者が活動にしくいので、現代的に都市化された場所を拠点としただけであろう。
 そしてこれは根拠も無く言いにくい事ではあるが、ファル-ジャはやはり犠牲になったのではないだろうか。つまり、米軍は限られたりソースで混乱を抑えるために事態を局所化することに注力したと。バグダッドをそうするわけにはいかなかったから。確かに悲劇の最小化ではあるが。
posted by カワセミ at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 西南アジア・北アフリカ