2006年11月05日

スリランカの継続する混迷

 以前のエントリでも取り上げたスリランカの紛争であるが、ここ最近の状況悪化を受け、10/28に和平協議が開始された事が報道されていた。(参照1)しかしこの和平協議に関しては多くの失望を呼ぶ形で失敗したようだ。(参照2)地政学的リスクが増大する昨今の世界情勢では、このように長く続いている紛争に関しては関心が薄くなってしまったようだ。継続的に関与しているノルウェーや日本は良い仕事をしているのだろうが、しかし持続的な成果を挙げるには至っていないようだ。

 この問題に関しては、元より期待できない日本はともかく、米国でのマスコミの扱いもやや薄いように思われる。欧州諸国はやや取り上げていて、歴史的にこの地域に関与がある英国などでは、例えばBBCなどが忘れ去られないように報道を継続しているような印象がある。この報道では内戦に苦しむ国・地域の現状が示す典型のいくつがが示されているように思う。

 今回、スリランカ空軍が民間人を攻撃して犠牲者が発生した事件が問題となっている。(参照3)状況は日本人に理解しにくいが、少し前の同じくBBCの記事を読むと、この状況の背景が分かりやすいであろう。(参照4)一部引用する。

Some youngsters have been operating secretly and calling themselves the "people's force". They claim to operate independently but many suspect they have strong connections with the LTTE.

Members of this group suddenly pop up, carry out attacks on security forces and dissolve into the local population. This endangers the public because we bear the full brunt of any retaliation.

I am relieved to hear about peace talks. But it is not unusual in Sri Lankan politics to sign a peace deal on the one hand and authorise military activities on the other.


 この文章から、例えばイラクなどの現状を連想するのは難しくない。和平会談にはとにかく双方に当事者能力があり、かつ合意を遵守するという前提が必要である。ただ、構成員への規律は相当厳しくないと、民主主義国の軍隊でも虐待事件のような事は発生する。ましてこの種の内戦の当事者がどうであるかは議論の余地も無い。結果的にタミル人はLTTEの支配区域に集まるというような力学が発生する。

 1983年以降の、この内戦での犠牲者はおよそ65,000人と見なされている。人口がおよそ2千万人の国で一年あたり約3,000人の犠牲者という数字は決して少ないものではない。しかしこのような地域は世界にいくつもある。大きな力が外部から加わらないと、状況が固定化され悲劇が常態化するのであろう。その観点からすると、まずは分離を目指している向きのあるイスラエルの政策もそうそう非難できない。イラクで国家を分割できない理由にもなっている。単純に各地域で民族浄化が深刻化するだけだからだ。

 日本を含めた多くの民主主義国は、主権を預ける国家の単位が極めて大きいという状況に慣れ過ぎてしまったのかもしれない。中東でも比較的人口の少ない国がうまく統治している傾向がある。例えば欧州だと、中世〜近世のドイツ地域のように、公国レベルの単位で地域の統治が成立し、その後で統合の機運が高まり、国民国家が成立したという過程を経た地域がある。このような経緯を経るべきであった地域は世界に数多くあるのだが、多くの統合されない人々を抱えたまま、主権国家として成立すると問題を解決するのは難しくなる。主権国家システムがどちらかというと欧州的な文脈から発生していて、米国はむしろ主権に関する考え方は先進国としても特殊な部類であることを思えば、より文化的に距離が遠い国との相性が良くない事は推察できる。だからといって容易に解決策がないのも事実なのだが。せめて地方の部族的な統治単位を議会化するとか、軍事勢力を啓蒙的な組織として活用するというのが現実的なのであろうか。
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2006年09月02日

パキスタンとインドの緊張

 以前の雑記でもこの件はちらっと書いたが、ワシントンポストでうまくまとまった記事があったので紹介しておく。(参照)インドとパキスタンの問題を取り上げている。 Awkward Balancingというのは全くそうだろう。

 パキスタンのムシャラフ大統領の難しい立場に関しては周知の通り。

But at home, where he hopes to win election in 2007 after eight years as a self-appointed military ruler, Musharraf needs to appease Pakistan's Islamic parties to counter strong opposition from its secular ones. He also needs to keep alive the Kashmiri and Taliban insurgencies on Pakistan's borders to counter fears within military ranks that India, which has developed close ties with the Kabul government, is pressuring its smaller rival on two flanks.


 それでも努力の継続は認められていたが、国際世論の風向きが悪い方向に流れてきた。

"Our triumphs in the war against terror have become advertisements of our failure," he said.


 これは多少補足が必要かもしれない。原理主義はイスラムというよりアラブの問題という逃げ方をイスラム諸国がすることは多い。東南アジアもそうだし、実際北アフリカではそのような傾向がある。先のエントリで上げた中央アジアも最近までは世俗臭が強かった。西欧のリベラルな伝統から大声では話されないものの、今まで以上にイスラム地域全体に対する懐疑の目が高まっている背景がある。これが政治的に周期的な流れに過ぎないのか、長期的トレンドとして欧米の世論が硬化していくのかは考察の余地がある。

 ともあれ、国際政治の構図としては以下の通りである。

Some observers suggested that in different ways, both Pakistan and India are using the terrorist threat to bolster their competing relations with the West. Just as Pakistan, the regional underdog, may be exaggerating its role as a terror-fighter, they noted, India, the aspirant to global influence, may be exaggerating its role as a victim of terror.


 チェチェンでのロシアの主張などもそうであるのだが、努力する側はいくら政治的に制限された条件下で努力してもその不足を責められるが、一旦被害者と見なされた側はマクロ的に少数の被害であっても主張する事は容易いという事情もある。インドとパキスタンの人口が巨大であることを考えれば、西欧のような安定した地域を基準としてさえ一定の騒乱は発生する。まして地域の実情を考えれば論じるまでも無い。そしてインドはこの事情を良く理解していると思われる。

 国民国家が成立し、民主主義の初期段階とみなされる時期ではナショナリズムが高揚し対外的に強硬な世論が形成される事がままあるのは良く知られている。この場合、危険を増大させる要因の一つは、そのアイデンティティの範囲が確定していない時である。その意味で中国はまだ専制的な体制を維持しているし、統一バネは江南の開発が進んだ近世以降は非常に強力である。しかしインドの多様性はそれよりはるかに大きく、歴史的にも現在のインドの範囲をカバーする統治は脆弱と言えるだろう。そのような政治環境では、パキスタンに対して宥和する余地はかなり少ない。

 そしてこの時期での米印関係は非常に重要だ。実質的にインドに自制を促す強い政治力を持っているのは米国くらいだからである。だが現在のブッシュ政権はインドにこの地域でのフリーハンドを与えたと誤解されかねないメッセージを送っているのではないか。この点では米議会の懸念のほうが正しくないだろうか。そして米国はミャンマーに対しては強硬であること、中東地域へのフォローが大変である現実など、妙にインドに要求を出せない客観条件が揃い過ぎている。だが、成熟途上の民主主義国は、一度外交が破綻するとしばしば大胆な行動を起こすものである。その意味で、私は妙な不安を感じているのだが。
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2006年08月28日

日本の対中央アジア外交

 小泉首相の中央アジア諸国歴訪が伝えられている。(参照1)カザフスタンとウズベキスタンを訪問し、エネルギー戦略を含め話し合うという。なかなか興味深いことではある。いずれも人権問題ではお寒い限りの状況で、さすがに小泉首相も釘を刺すつもりのようだが、今回は戦略外交重視ということか。もっとも欧米の行動もこの付近の国に関しては少々怪しいのであるが。

 両国の基礎データを外務省からリンクしておく。(参照2参照3)頭に入れておいたほうが良いこととしては、この両国が旧ソ連の中央アジア諸国の中では大国と見られていること、ウズベキスタンのほうが人口としてはむしろ多いこと、しかしながら昨今の経済開発はカザフスタンのほうが進んでいることである。資源は石油や天然ガスも豊富だが、金属関連が充実していることに着目するべきだろう。特に世界第二位のカザフスタンのウランは、原子力の重要さが再度注目されてきている昨今、注目しておくべきであろう。

 ところで、この中央アジア諸国に対する日本の外交方針に関しては、麻生外相の演説という形で外務省のページに明確に記載されている。(参照4)私は次期総理と目されている候補の中では、少なくとも個人の資質だけを取れば麻生氏が最も優れているであろうと判断しているが、この演説の内容も的確でかつ華があって良いように思う。

 この内容と関連することに関してコメントを加えてみたい。まず、市場主義を謳っていることがあり、重要な原則であろう。市場で繁栄している国が市場の発展に尽くすという、日本にとっては当たり前の行動であるが、当事国にとっても最終的なメリットは大きい。近年は二国間での契約で資源を囲い込もうとする動きがままあり、これは歴史を振り返っても定期的に出てくる動きである。しかし、結局これは天然資源に恵まれた一部の国家を潤すだけであり、大局的には失敗に終わることが多い。昨今の中国の資源囲い込みを巧妙な外交と称する人もいるが、これも実質的に'73の石油危機の最大の責任者と目されるかつての日本と大差ない損をしていると言えるだろう。結局売る側は利益の最大化を目的として足元を見るのである。小国は大国に振り回される弱い存在というよりどう利用しようかと抜け目なく振舞う油断ならない存在というのは冷戦時代から変わらない風景である。需要国に取ってみれば、同じ資金で市場から調達するのと比較し、最終的には割高であろう。そして供給国に取ってみても、ただでさえ乱高下する一次産品に頼る経済は脆弱であるというのに、政治的な動きに左右されることは経済の混乱を増大させ、長期的な発展は阻害されることが多いのだ。
 次に、世俗的なイスラム地域の安定の重要さを指摘していることがある。原理主義の浸透を防ぐ必要があるというのはこの地域に限ったことではないが、世界全体を見渡すとすれば北アフリカ地域と並んで浸透を防ぐべき最前線と言える。欧米の政治家であれば明確に意識しているのであろうが、日本人でこの当たり前の認識をしている人が少ないように思う。欧米との協調も意識した発言かもしれないが、原理主義相手だとそもそもビジネスすらなかなか進まない。
 さらに、周辺地域とのセットで考えて、明確に戦略を語っていることが目を惹く。アフガンからパキスタンに至る南方ルートの整備は、実際にこの地域が長期的に安定する唯一の道であろう。経済発展に海へのアクセスが重要なことは、皮肉にも21世紀になってますます高まっている。一次産品にはコストをかけられないという絶対的な事実はむしろ近年強化されているのではないだろうか。それこそ二国間契約で有利な条件で釣り上げるとか、長期には例外とみなされる場合だけであろう。日本のような工業国でも、一次産品は入手できるできないが問題になるというより、安く入手するというのが肝要になっている。ともあれこの南方ルートの整備はインドとパキスタンの緊張緩和にも役立てることが出来るであろうし、今少し他の民主主義国も巻き込んでみたいところだ。日本が顔になって欧米がバックアップという形が出来るくらいになればいいが。

 現在の小泉政権は比較的世界全体を視野に入れた外交を展開しているが、国連の常任理事国入りの運動を始めたことが良いきっかけになったという側面もある。その意味では、むしろこの外交の活発化が直接の国益だったといえないだろうか。
posted by カワセミ at 19:59| Comment(1) | TrackBack(1) | 中央・南アジア

2006年05月13日

スリランカに見る平和創出の難しさ

 国内対立で紛争が絶えないスリランカであるが、停戦監視の努力にもかかわらず多くの死傷者を出す事件が発生した。(参照1)今後の戦闘激化が懸念されている。この種の内戦の終結が困難なのは世界で共通ではあるが、和平を促す外国勢力の持続的な関与がある事、島国で国境監視も比較的容易である事など、条件的に有利な面もある。また厳しい経済水準から政治の現状を考えると国民の資質も比較的高いように思われる。にもかかわらず状況は厳しいようだ。

 例によって外務省のサイトを引用する。(参照2)日本からすると重要度の薄い小国という印象があるがここでの記述は多い。要人往来も活発である事が分かるだろう。日本との関係を記したページ(参照3)に率直に理由を記述しているのが面白い。シーレーンにあり地政学的に重要なこと、親日的であることと記されている。外務省はこういうときに建前を記述するに留めることが多かった印象があるが最近はそうでもないのだろうか。

 同じページに昨今の情勢も比較的詳述されている。かなり多くの国が関与しているのが分かるだろう。にも関わらずこの国の反政府勢力との交渉は至難であろう。よりによってというか、恐らく世界で最初に女性の自爆テロを組織的にやり始めたと思われる、「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)が交渉相手となっている。他のタミル人組織に対しても、インドとの関係が深すぎるなどの理由で攻撃的であり(ちなみにインドはラジブ・ガンジー首相まで暗殺されているくらいなので、近年は腰が引けている)米国など主要な民主主義国からはテロ組織として認定されている。やっている事それ自体は、自爆テロ以外に少年を拉致して兵士に仕立てるとか民間人への攻撃も辞さないなど残虐を極めるのでそう評価されるのも当然だろう。にも関わらずタミル人の間で一定の浸透がある。無論地域の実験を握っている以上、恐怖からの服従という面はある。しかし少数派が抱える恐怖というのはなかなか厄介だ。

 LTTEのリーダー、Prabhakaranへのインタビューが公開されている。(参照4)当然LTTEの言い分に偏っているわけだが、内容は反政府勢力の言い分としてある種の典型を示す。自分たちは迫害され、やむを得ず抵抗している、言論は役に立たない、議会は多数派の専制であるという論調。ただ、スリランカのタミル人くらいの社会集団となれば、民族浄化のごとき未来は可能性がそれなりにあるという恐怖が動機となっている。そのため、自らが弱者であると認識されている集団で、相対的にカリスマがあり強いリーダーと目されている人物により穏健な人物が取って代わることは本質的に至難なのであろう。

 ノルウェーが中心となり、停戦監視のミッションが北欧諸国によって展開されている。しかしWikiの項目でも示されているように(参照5)多数派シンハラ人からの評判はあまり良くない。LTTEの肩を持ち過ぎるという。これもまた世界でよく見られる光景だ。停戦監視を継続しようとすれば、それをしばしば破ろうとする勢力に多くの妥協をする事は当然である。テロに対する一方的な被害者であると考えている人々に不評なのは当たり前だろう。それでも長期で見れば、手法はどうでもいいし条件が重なっただけの偶然でも良いから、平和が継続することによって互いの不信を緩和させ、次の段階に進むしかないのだろう。ただこのLTTEに関しては、そのような手法が有効かどうかは議論の余地がある。地域を管理する現実の勢力として対処するべきか、それとも短期には混乱があっても別の現実を作り出したほうが長期には良いとするべきか、判断は難しい。ただ後者を選択したのがイラク戦争だが、現実で分かるように良い結果を得るためには長期のリソース投入が必須とはなる。
posted by カワセミ at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央・南アジア

2006年03月04日

ブッシュ大統領のインド政策に関する所感

 ブッシュ大統領がインドを訪問する。原子力エネルギーに関しての協定の件で、議会との軋轢はかなり激しいようだ。NPTに加盟していない国に特別な地位を与えるべきで無いと。これは複雑な問題を含んでいる。
 この付近の文章を、コメントを含めて読んでみて欲しい。議論としては極めてストレートなもので、現段階でインドの将来に懐疑を持ち、肩入れし過ぎるという意見はごく真っ当だと思う。私もそうだが、日本人一般の知識人もそれほど信じ切れないのではないか。
 これに関しては、上記にリンクもあるこのインド側のテキストを読むとむしろ雰囲気は分かりやすいかもしれない。例えばこの付近など。

The essence of what was agreed in Washington last July was a shared understanding of our growing energy needs. In recognition of our improved ties, the United States committed itself to a series of steps to enable bilateral and international cooperation in nuclear energy.


 米国としては積極的な戦略として選択したと言うより、戦略的環境を追認し、選択肢が少なくなった状況で管理することを選んだように思われる。現実問題として中国とインドのエネルギーの消費はあまりにも大きすぎる。それを緩和しなければならないが、核エネルギーの利用くらいしか即効性が無い。核兵器の問題にしても、インドに廃棄させるのがほぼ不可能な以上、関与政策を模索するしかない。また中東地域の不安定は数十年の単位で持続的と見るしかなく、パキスタンの扱いも困難である。この国に核武装を許したことが現在多くの問題を引き起こしていると思うが、今はそこで生じた問題の尻拭いをやらねばならない段階だろうか。中東の不安定はイスラムの問題ではなくアラブの問題とするべきなのに、その周辺での苦労も多すぎる。不安定な世界情勢下では安定している地域の相対的な価値は高まる。インドは自国を高く売りつけることに成功したというべきか。

 日本としては、カシミール問題などを抱えているインドに深入りするのにはリスクもあり、純経済的な関係を政治家は志向すると思われる。常任理事国入りの交渉時に関係者は良く分かったと思うが、世界的な視野での外交能力にはやや問題のある国である。経済の問題としても、恐らく日本の関与がかなりの程度インドの行く末を決めるが、ここの判断は率直に言って難しい。儒教文化圏で無いので国内消費の性向も高く、中国のように過剰に輸出主導にはなりにくいであろう。しかし投資は相当地域事情を考えないとうまく行かないが、日本でそれなりの判断力を有する企業はさして多いとも思えない。良くも悪くも専制政治家を抱き込めば何とかなり、米国に「独裁者との談合は日仏の得意技」と揶揄されたような手も使えないだろう。

 また、この手の政策が全部ひっくり返る可能性がある。それはAIDSと鳥インフルエンザ問題なのだが、これは簡単に予想も付かない。中国もインドも統計自体を取ることすら困難なようである。なお日本がテロの標的になるとしたら、この後者のワクチンを巡っての脅迫絡みかなと思うが、この件に関しては日米欧で世界の指導者に優先的に配るかというような話もしているようだ。

P.S
 エントリと何の関係も無く一言。3/3はやはり国民の祝日とすべきでは。江戸時代ですらそうだったと聞くが。海の日と交換するべきであろう。
posted by カワセミ at 01:30| Comment(0) | TrackBack(3) | 中央・南アジア