2007年07月12日

北朝鮮問題と米国と安倍政権

 雪斎殿もこちらのエントリで取り上げておられるが、今月の「中央公論」に掲載されたシーガル氏の「拉致敗戦」という記事は興味深いものである。これを機会に北朝鮮関連と安倍政権に関するエントリを書いておく。私の基本的な考え方は過去のエントリ(参照1参照2参照3)などを主としてしばしば書いてあり、それを変更する必要性は感じない。ただし、表層に現れた米国の行動は異なるので人により誤解をするかもしれず、色々補足する必要もあるかもしれない。

 このシーガル氏の記事には、要点以外に様々なキーとなる要素が埋め込まれている。要約は雪斎殿のエントリを参照していただければ良いが、その他注意すべき内容は以下のような所であろう。

・2005年9月の共同声明は米国が孤立した形でまとまった。当時の日本も賛成している。
・これに反発する米国内の政治勢力はブッシュ大統領が抑えた。
・小泉前首相は常に制裁に抵抗した。刀は持っても抜くべきではないと言った。
・現在のブッシュ大統領は交渉を試すことに肩入れしている。
・小泉前首相は常に取引する用意があると発言していたが、安倍首相の立場は維持するのが難しいのではないか。

 つまり、レジームチェンジは(日本を含む周辺国の反対で)出来ず、制裁も出来ないという状況下で、交渉を試す価値はあるというのがシーガル氏の言であるが、これは外交の現実としてごく当然な帰結ではないだろうか。先日のチャ氏のフォーサイトでのインタビュー内容とも整合が取れる。

 また、小泉前首相のやり方もこうまとめると奇妙に思える面もあるが、外交交渉で解決するという考え方自体は当初からブッシュ大統領と完全に一致している事に注意するべきであろう。前首相がマスコミとのインタビューで「外交以外の方法で・・・」と問われた時に、それは戦争を意味するのかというような激しい反論をしたのを覚えている人もいるのではないだろうか。もちろん、日本国内にそれを望む人もいる。しかし日本人の多数派は、北朝鮮が怪しからんと大いに憤慨してはいても、戦争するかとなると二の足を踏むのではないだろうか。言うまでもないが他国がそうしてくれるのを望むのは政治的堕落でしかない。

 ただし、シーガル氏の日本が孤立する可能性の言及に関しては、深刻な懸念ではあるがアドバイスという面も強いと思われる。なぜなら、日本と米国は、北朝鮮が民主的な国になって自国民の人権を守る国になれば、それに越したことはないという点で全く一致するからである。つまり、拉致問題を硬直的に言い続ける事が良くないのであり、その解決を目指して交渉すること自体は望ましいのではないだろうか。米国が拉致問題の解決条件は何かと日本側に確認したのは、この文脈で考えると良く分かるだろう。米国も一貫して核廃棄というテーマに向って様々な試行錯誤を繰り返して来て、望みがあるかもしれないという段階までは来た。日本も同じようにするべきだと考えているのであろう。自国と大きく価値観の違う相手と対話することを嫌がるのは日本の伝統的な欠点の一つだが、今回はそれが悪い形で出てしまったかもしれない。北朝鮮の現状は悪としても、悪との交渉でもしばしば「結果として」善を生み出す事もあると考えるべきなのだろう。

 ところでこのような状況は、日本側は分かっているはずなのであるが、連携が極めて悪いとしか思えない。どのような国内事情なのかは推測しても憶測でしかないのだが、とにかく気になる点は多い。まず久間前防衛大臣は周知の理由で米国とうまくいっておらず、防衛省ラインでの外交はさして機能してはいなかっただろう。そして官邸は秘書官と補佐官との折り合いが悪く、拉致問題専任の有能な担当まで置いたにもかかわらず首相との面会も難しいというような事が以前報じられていた。では外務省のラインがどうかとなるが、この問題は官邸が肝いりで進めているだけに機能させていないのではないか。実は麻生外相の指揮下ではそこそこ動けるはずなのだが、この付近の関係が良く見えない。ただ外遊先などを見るとあまりコミットしていないようにも見える。その一方で参院選の翌日にこのような予定も組まれており、思惑ありという可能性もあるが。

 ただ今の時期は米国と共に大きく事態を動かすことがやり辛く、先送りにするのはやむを得ないかもしれない。Hache氏のエントリが分かりやすいのだが、イラク問題で最後の手応えを試す天王山という状況ではないだろうか。この時期に防衛大臣が久間氏であったのは正直痛かったという気もする。また日本ではあまり報じられてないが、アフガンへの派遣兵力が不足しており、この時期にNATOとの連携強化を表明した日本への期待も高まっている。例えばカナダなどは相当厳しい負担をしており、死傷者もカナダのこれまでの活動では見られないくらいの多数に上っている。(参照4)その一方で日本はヘリ派遣の打診などを断っている。(参照5)これが米国を始め他のNATO諸国にどう映るかは言うまでもない。確かにNATOとはまだ話し合いを始めた段階ではあるのだが、イラクに行けるなら(もっとマシな)アフガンは当然いけるだろうというのが国際社会の認識である。サマワの特殊事情はあまり知られていないのだ。個人的には象徴的な役割に過ぎない小部隊でもいいから、最初の一歩として今少し何かを貢献するべきと思うのだが。

 結局の所、情報収集が甘く、対話が足りないと外交が機能しないという当り前の事実がまた繰り返されているだけかもしれない。私は安倍政権を個人的に支持しないが、個人の資質もさりながら、政治力学的にどうにも機能しなくなっている感がある。外交くらいはもう少し切り回せると思ってはいたが。

 参院選の結果はどうなるだろうか。直前まで分からないのが常とはいえ、過去の数字の結果は大局的に見るとそれなりに妥当な値を示しているように思える。自民党は年々低減傾向、衆院選より野党有利、モラル的な事に敏感に反応する傾向あり、だ。年金問題も不思議な言を示す論者が多い。破綻は前々から分かっていたことだから大した事ではないなどと。浮世離れも大概にしろである。国民は馬鹿ではなく、数字の厳しさは百も承知なのである。単にその少ない資金を丁寧に、誠実に扱って欲しかったというだけなのだ。これは政治的には極めて単純なモラルの問題として論じられているだけなのだ。

 9.11の際に米国の政治が様々に注目された。ただその中でアラブ専門家の池内氏が著作の中で「落とし前をつけたい」と口にする米国市民の反応に注目していたのはむしろ適切な視点だったろう。以前のエントリにも書いたように政治はその感情の誘導という面もある。長い犠牲に米国人が耐えているのは「自分たちが望んだ責任」を少なからず感じているからではないか。

 今の日本人も年金問題で落とし前をつけるために「八つ当たり」したいのであろう。小泉前首相はそれを「抵抗勢力」に回した。苦笑するしかないがその結果得られる政治の動きは有益な部分もあったかもしれない。安倍首相はそうはいかないので何らかの形で緩和するしかない。現政権が悪いわけではないのは周知の事実なので機敏に動けば悪い結果にはならないはずだったが、どうにもうまくいっていないようだ。このままでは国民の「八つ当たり」は選挙でそのまま示されそうである。だから参院選の議席数は39±2程度の予測としておく。どうも40を割りそうな気がして仕方がない。もっとも投票率次第であるが。
posted by カワセミ at 02:04| Comment(13) | TrackBack(2) | 北東・東南アジア

2007年02月20日

タイにおけるテロ事件への覚え書き

 タイで爆弾テロを伝えるニュースが継続的に報道されている。久々の更新の割には相変わらず手抜きで申し訳ないが、備忘録を兼ねて記入しておきたい。

 タイは東南アジアにおいて比較的治安の安定した国というイメージがあるが、地域によってはそうではない。外務省が出している海外危険情報は日本人にとってかなり客観的な情報になっているようだが、特に南部地域に関しては継続的な危険情報が発し続けられている。(参照1)一時はイラクと同様の最高レベルの警告になっていたのは見逃している人も多いかもしれない。

 タイの南部地域でも最も南、日本では深南部と表現されることもあるパッターニー県、ヤラー県、ナラーティワート県の3県はマレー系のムスリム住民が多数派を占め、旧パタニ王国として独立していた期間も長いこともあり、継続的な独立運動が広く支持されている。住民も現在のタイ政府を植民地支配の宗主国のように思う向きもあるようだ。この件に関しては、ル・モンドでの記事がうまく表現しており一読すると良いと思う。(参照2)またWikipediaでも英語版ではここしばらくの動きが言及されており、比較的便利に使えると思う。(参照3)思えば昨年9月の大規模な事件の際にここでも取り上げておけば良かったが。

 今までのタイ深南部の運動は、このル・モンドの記事に書かれているようにテロ行為は現地がほぼ全てであり、ブーケットのような観光地や首都バンコクで大規模な事件が起こっているわけでははない。独立運動ではしばしば見られることだが、結局支配層がその地を去れば実質の行政は現地人の手で行うことになり、紆余曲折があっても最終的に主権の獲得に繋がる事が多い。実際タイにおいてもここは官僚の左遷の地ではあった。その意味で分離独立を狙うとすればこれまでの手法は正しい。他地域が平穏であれば損切りしようとの意図も働くであろうからだ。JIなどの原理主義との関係も囁かれるが定かなものではない。また米国などに対して働きかけることも可能であろう。世俗的で民主的なイスラム国家として独立すると宣言し、民主化を標榜し、タイの古典的な植民地主義を非難し、現在の枠組みは持続可能な秩序とはならないと主張し、無関係の地域でのテロ活動の取り締まりに協力すると申し出、米国の安全保障上の関与を求める、といった方針で臨むとどうであろうか。米国の事であるから、分権=民主化のような単純な反応をする可能性は相応にあるだろう。駄目でもタイ政府へ大幅な自治権を付与するように働きかけるといった期待は持てそうだ。

 しかしながら、昨年末バンコクで発生した事件は今までと若干異質だ。無論これは単独の事件で、深南部地域の情勢と無関係であるという可能性もある。ただタイ政府としては関与を疑っている向きもあるようだ。(参照4)まだ確定的な情報ではないかもしれないが。

 JIなどの原理主義勢力の活動がどの程度の広がりを見せているのか把握するのは難しい。ただ言えるのは、この種の団体の思想的な汚染は、古典的な民族主義的活動にかなりの悪影響をもたらすということだ。タイ深南部の独立運動に関しては賛否があり、現実問題としても完全否定より自治権などで宥めるのが有効と言えるかもしれない。しかしあまりに理念的過ぎる、現実の秩序をもたらさない思想に捉われては、全ての人にとって悲劇であろう。中東地域などと違い、現実に揉まれた政治が営まれているこのような地域でこそ相対的な政治の破壊が発生すると言えるのかもしれない。状況ははっきりとしないが、この件に関しては国際的にも持続的な関心が払われるべきだろう。日本国内の報道は相変わらず少ないが、妙に地理関係を重視する日本のマスコミであれば、せめてインド以東のアジアに関してくらいちゃんと報道してはどうかと思う。
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2006年10月10日

北朝鮮の核実験と太陽政策の終わり

 北朝鮮が核実験を実施し、大きな問題になっている。もちろん世界の安全保障上の大問題であり、安保理での議論も進んでいるが、真の当事者は南北朝鮮であろう。そしてここ数日の報道では、韓国の太陽政策は終わり、国際的な制裁に加わる方向であるとされている。この事に関して触れてみたい。

 全ての国は自国の都合を中心に考えるのは外交の大前提であるが、それを頭で分かってはいても他国の立場になって考えるのはなかなか難しいものである。今回、北朝鮮は無茶なことをしたと思われているが、彼らの立場に立つとそう粗雑な計算でもない。彼らの行動の最優先事項は体制の維持であり、その次がそのための他国からの援助の引き出しである。そして米国は実際に核弾頭を有している国に対して攻撃した事は無い。これは北朝鮮に限らないのだが、自国は核武装でより安全になったと考えるものなのだ。
 そして、出来れば達成したい事としては、周辺の大国の影響力の排除と、「北主導での」朝鮮半島統一であろう。この双方に関しても核武装は絶対のカードとなる。前者に関しては言うまでも無い。後者に関しても、通常兵力で韓国に劣る北朝鮮が核兵器を持つことの意味は限りなく大きい。韓国を吸収できれば相当程度北朝鮮の経済は一息つける。そのためには韓国が米韓同盟を破棄して自国と排他的な関係を結ぶ事が必須である。「朝鮮半島の未来は当事者が決定する」という原則に国際社会が抗するのは難しいからだ。韓国には日本のような核アレルギーは無い。「民族の核」として歓迎する向きもある。だから北主導の統一も場合によってはいけるのではないかと考える。経済の分野では常に日本の後塵を拝することになる、しかし核武装した統一朝鮮には世界が一目置くだろうと囁くのだ。だから核武装は国際社会から批判されるという短期的なマイナスがあっても、最終的に引き合うのではないか。そのように北朝鮮が考えたとしても、それほどおかしな事ではない。

 ではその北朝鮮に対する韓国の立場はどうか?これも自国の都合という事を冷静に考える必要がある。以前のエントリでも少し書いたが、親北朝鮮勢力のみならず、保守的な勢力でも現状での朝鮮半島の統一は大きなコストを必要とし、韓国を苦境に陥る事は間違いないため、南主導の場合ですら統一は望んでいないというのが実態だろう。(もちろん、政治的スローガンとして取り下げることは出来ないが)しかし、南主導の場合ですら統一は嫌なのだから、北主導となるともっと嫌であるのは間違いないのである。そこの判断がブレることは今まで無かったように思われる。せいぜいが北の延命を望むといった所だろう。
 今まで日米の政治家が対北朝鮮政策で強硬な意見を出すたびにネガティブだったのはある意味当然だ。朝鮮半島問題の究極の解決策としての統一は、大きなコストを伴い真っ平御免だったからだ。しかし、戦時作戦権が返還され、米国が朝鮮半島の問題に関与しなくなるとなれば話は別である。北朝鮮の問題に自力で対処するとなると、北主導の統一という、さらに望まない未来があるかもしれないからだ。その意味で、核実験により米国が北に手を出せなくなるという読みは北朝鮮だけでなく韓国も懸念しているのかもしれない。北朝鮮がミサイルに核を搭載するのには数年かかるとされているが、今回の実験でミサイルに核搭載もなどとセンセーショナルな意見で危機を煽っているニュースが韓国筋から出ていたりする(参考)のはそういう背景を考えると筋も通る。

 以前、米韓同盟の行方に関して、簡単に崩壊はしないだろうと予想したエントリを記した。その一方で、今後危機があるとしたらその一つは戦時作戦統制権の返還問題ではないかというエントリも記した。今もこの考えは変わっていない。そして、北朝鮮の立場でもこのように考えるであろうとは言えるだろう。そこで2009年に統制権が返還されるのは確定であると米国は言明した。北朝鮮は、これを米韓が疎遠になっていくメッセージと解釈したのであろう。だが、果たしてそうであろうか。むしろ、2009年までは間違いなく継続する、そして返還されても米韓同盟は継続する、そこにポイントがあったのではないか。
 これをアチソン声明の現代版と言うのは言い過ぎであろうか?しかし、朝鮮戦争時冒頭、南進を韓国人は歓迎するだろうと予想した北朝鮮の読みは外れた。今回、太陽政策が間違いなく転換されるとなれば(まぁ、盧武鉉政権だし多少フラフラするとは思うが)まさに政治的に歴史が繰り返されていると言えなくも無い。確かに、韓国にしてみれば他の外国より同じ民族の隣国に肩入れしたくはなるだろう。しかし同じ民族の自国はそれより大事だという事で、当たり前の話なのかもしれない。

 つまり、北朝鮮はもう少し待つべきだったのだ。戦時統制作戦権が返還され、韓国のナショナリズムが高揚し、日本や米国との関係がより悪くなり、米韓同盟が解消されるまで。もっとも盧武鉉政権の時に瀬戸際政策を進めておきたいという誘惑もあったかもしれない。また待たせないための米国の経済制裁であったかもしれない。いずれにせよ、韓国に関する北朝鮮の読みは誤ったのであろう。そしてそれには、安全保障に対する考え方が違う(関連エントリ)というのも大きな背景になっているのであろう。恐らく韓国以上に米国のことを北朝鮮は読み間違うのであろう。

 また改めて確認しておくが、米国が武力行使に踏み切らないのは、中国と北朝鮮の関係もあるが、より大きな理由として、自国が被害に合う恐れがある日韓がそれを容認しないからだ。日本の立場は今後変化するかもしれないが、今まで公式には武力行使反対で首尾一貫していた事を忘れてはならない。現時点でもまだ変化してはいない。そして韓国に至ってはなおさらである。ソウルの被害は大きなものになるからだ。だから米国は同盟国への義務を果たすために攻撃しない。米韓同盟がある限り、場合によっては韓国が中立国になったとしても、武力行使には韓国の容認が必須であると考えるのが米国の政治文化なのだ。だから、米国が韓国の政策転換を待ち、然る後に強硬な路線を推進したと解釈するのも、あるいは米国がその機会を韓国に与えたと推察するのも、そう的外れではないのだ。この付近を未だ理解しない日本人は多い。
posted by カワセミ at 22:09| Comment(9) | TrackBack(8) | 北東・東南アジア

2006年08月22日

盧武鉉政権は中立を望んでいるのか

 今月のフォーサイトはなかなか興味深かった。内容もさりながら、それを読んで様々な事を考えさせられるという意味で刺激になる。今月は黒田勝弘氏が韓国の盧武鉉政権の政策に関して取り上げていたものが目を引いた。盧武鉉大統領は朝鮮半島の地政学に入れ込み、中立国となるのが韓国の将来として望ましいとしているらしい。その文脈ですべてを解釈すると筋が通ると。
 黒田氏も本文の中で述べているのだが、中立のためには力が必要で、そのために米国とのFTAで経済力を高める必要があるし、北朝鮮の核開発も、将来の統一コリアの軍事オプションとして残しておきたいという思惑がある。対日政策もその文脈から考えると筋も通る。中国との関係も良くは無い事実もそれを裏打ちしている。いわゆるバランサー論もそのような背景からの発言であった。以前のエントリに上げた戦時作戦権返還問題もそうであろう。

 ただ、誰もが薄々承知しているように、これは当面推進するのが難しい政治路線であるのは間違いない。そもそも中立に力が必要というのは理解していると思われるのだが、客観条件が余りにも揃っていない。この種の、論としては正しいか妥当性があっても、推進するための現実の政策として何が良いかという判断の段階で誤るのは別に韓国に限ったことではない。昨今だとロシアや中国もその手合いであろうか。

 中立というと、多くの人はスイスを想像するのではないだろうか。しかしこの国は中立といってもかなり特殊な事情が反映した国で、むしろ孤立主義の一形態に近い。外交は活発だが水面下での交渉が多い。韓国はスイスよりスウェーデン、それよりはオーストリアを参考にすると発言すればまだしも評価も得られたろう。そもそも世界的には非同盟というのがその主流の認識であり、それと異なる中立国の概念は上記のスウェーデンやオーストリアで分かるように極めて欧州的な外交文化から発生している。

 例えば冷戦期のオーストリアは、中立のための呼吸をとても良く分かっていたのではないか。地図を見ると分かるが、チェコよりも首都は東に位置している微妙な立地条件、孤立的な武装中立は難しい。その一方でドイツとの連合国家どころかNATO加盟も許されない。東側に行くなど真っ平御免。それ故外交が命である。他国との交渉に気を遣い、周辺国から持ちかけさせるように誘導する。ウィーンのブランド力はフルに活用。関係諸国の利益に気を遣った。それでもスイス同様、秘密外交苦労と無縁ではいられない。しかし戦火には巻き込まれず、市民生活の権利と豊かさは守られたのだ。今も北朝鮮との関係があるというのも伝統の反映か。

 韓国、または統一コリアに同じことが出来るだろうか。何らかの形での周辺諸国への外交的利益の供与が必須であるというのがポイントである。また安全保障面での脆弱性は否めない。それでも歴史を紐解けば、第一次大戦時のベルギー中立侵犯でイギリスは参戦した。中立国を侵犯するのが国際的に悪とみなされ、周辺の近代的、文明的な民主国は支援する。その歴史を韓国の周辺諸国も踏まえているであろうから、中立政策を取ったとしてもアメリカによる抑止はまだ有効である、と彼らは考えているのだろうか。これはあり得ない解釈ではないが、今の盧武鉉政権がそこまでの判断をしているとはどうにも思えない。このまま米韓同盟が解消する方向となれば、日本の南部仏印進駐に怒りながら、それでもその段階で軍事的措置までは取れなかった歴史がむしろ近そうに思われる。うまくいくシナリオのほうでアチソンライン再現、であろうか。単純な事実として、中立国は条件が整ってないと戦争に巻き込まれやすいという冷厳な側面があるのだ。

 中立、というより非同盟政策は難しい。旧ユーゴが典型であるが、緩衝地帯という役割があった故に適切なタイミングで周辺国が介入することが出来なかった。強固な国民国家であることが中立の最低限の条件となる。つまり、中立政策の推進が可能になるとすれば、平和裏に南北の統一が出来たその瞬間に、地域の安定のためそのような道を歩むと宣言するしかないのであろう。分断国家である今現在、中立政策を推進することが何を意味するかは自明である。まして韓国はあまりにも地域主義の激しい国だ。そういう時の統一バネは外部に対して団結することで発生し、ここでも反米や反日は論理としては辻褄が合ってはいるが、だからといって朝鮮半島内部の問題がすんなり解決する保証は無い。

 ともあれ、彼らの理想とする未来に行き着くまでの問題のほうがはるかに重大なのは疑いない。統一コリアを夢想しながらその政策を考えつつ実際の統一からは逃げ回るより、積極的に朝鮮半島問題の究極の解決策としての統一を主張し、国際社会の支持と支援を取り付けるための外交にフォーカスを絞ったほうが良いと思うのだが。それでこそイニシアティブも取れるというものだ。何と言っても当事国なのだから。
posted by カワセミ at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 北東・東南アジア

2006年07月06日

北朝鮮ミサイル実験の米国内の報道に関するメモ

 ワシントン・ポストが条件付きで武力行使の容認を示す社説を掲載したと報じられているが、日本国内での報道が奇妙に大きいのが気になっている。米国が何か新規な立場に転換したかのような言い方になるのはバランスが良いとは言えない。軽く有名数紙の論調を取り上げて今回のミサイル発射問題の取り上げられ方をメモしておきたい。なお各記事はインターネット上で参照できるが登録が必要な場合が多い。

 ワシントンポストの該当する記事はこれであろう。(参照1)が、内容を見て分かる通りごく常識的な見解で、北朝鮮を非難し、中国と韓国の非協力を問題視する従来からの米国を代表する意見である。日本国内の意見とも大差ないだろう。話題になっている最後の部分も以下の通りである。

If China and South Korea are serious about stopping North Korea's development of weapons of mass destruction, now is the time to demonstrate it. If they are unwilling to act, the Bush administration should consider other means of preventing further North Korean missile launches. A proposal by former defense secretary William J. Perry and former assistant defense secretary Ashton B. Carter that the U.S. military destroy the long-range missile before it was launched, published on the opposite page last month, struck us as premature. But if diplomacy continues to fail, it must be an option for the future.


 外交で解決出来ない場合もある、と読者に覚悟を示したものとも言えよう。しかし今に始まったことでもなく、最終的なオプションであること自体は周知の事実である。これを大げさに扱う日本国内の報道はやや不健康であろうか。

 次に保守系のシカゴ・トリビューンを取り上げてみたい。(参照2)若干の軽侮の意図を込めながらも、挑発であるという意識にとどまっているようだ。いずれ対処せねばならない課題という意識は成立したであろうか。次のように読者に警句を発している。

The North Koreans know it too. We can expect more tests in the months and years to come. Eventually, unless an effective way is found to force the North Koreans to stand down, we will one day awake to the news that Pyongyang has a nuclear missile capable of hitting Berlin, Paris, Moscow and Los Angeles.


 あのう、Tokyoは、と思ったのは私だけではないだろう(苦笑)こればっかりは日本自身で騒ぎ出さないとどうにもならない。まぁ、米国としては以下の文章に集約されるのだろう。

The U.S. hasn't said yet what measures it would support. The Bush administration's subdued response may be the right, calculated, first response.


 最後にリベラル系と目されるNew York Timesを取り上げたい。(参照3)孤立路線と関与路線双方ともうまくいかなかったという認識が前面にあるようだ。中国の見解を重視しているのがこの新聞社の特徴をよく示しているかもしれない。

That could change now. The Chinese warned the North Koreans not to fire the missiles; the fact that Mr. Kim dismissed that warning is bound to anger China's leaders.


 また前半部分はブッシュ政権への批判を含めているが、非難するというまではいかない。歴代政権いずれも相手にしてうまくいかなかった地域だという認識は客観的だ。



 全般として感じるのは以下の点だ。米国政府が国内的に説明するのは、昨年9月段階で多くの国が複雑な交渉に参加し、一応の貴重な合意を達成したにも関わらず、北朝鮮はそれを踏みにじったという事になるだろう。これは事実として明白に示されているし、米国政府が最大限とも言える譲歩をしたという認識も当時から変わらず存在するだろう。むしろ北朝鮮に失望させられ続けてきた日本がこのロジックが見えにくくなっているかもしれない。またこの件に限らず、多国間の複雑な交渉を経てやっと成立した外交的資産をいとも簡単に踏みにじるのは、欧米諸国では非常に嫌われる。北朝鮮とは全く違うにせよ、日本も国内的な理由が成立すると平気で外交経緯を無視する傾向が少々あるので注意するべきだろう。
 もう一つは、これから安保理に持っていくという事で、外交交渉は思いのほか初期段階と見られている事ではないだろうか。実際、経済制裁が効果を発揮するのには時間もかかるし、それを始めるための下準備のステップであるのは事実だ。これから関係国に協力を求めるという手順となる。そこでの反応に応じてオプションが変化していくというのが自然な考え方であろう。ただし、一度事態が動くと初期段階が数年間でその後が週単位で激変するという可能性は充分ある。

 日本は待たされているという印象もあるが、とはいえその一方で国内的な準備も覚悟も足りないのは先日の人権法案の経緯でも示されているように思える。本当は、集団的自衛権やスパイ防止の問題などはとっくに片付けておくべきだったのだが。
posted by カワセミ at 23:25| Comment(0) | TrackBack(1) | 北東・東南アジア

2006年07月05日

北朝鮮ミサイル実験に関する所感

 既に大きく報じられているので内容に関して説明の要は無いだろう。北朝鮮がミサイル実験を行った。とはいうものの、報道の熱意に比して直接の情報自体はあまり出回っていない印象がある。

 この実験、全般としてはどのように解釈するべきだろうか。経済制裁で困っている北朝鮮が、何らかの形で事態を動かそうとしたと考えるべきであろう。直接の目的が米朝直接対話であることは広く知られている。北朝鮮の政治的目的を達成させないためには、米国はこの程度のことで右往左往せず、何等外交カードにならぬと平然としておくべきであろう。その意味で今回の対応は正しい。北朝鮮が決定的なミスをすれば別であるが。例えば核実験がそれに当たるだろう。

 ミサイル実験の意義だが、テポドン2に関してだけは確かに良く分からない。だから全くもって私の個人的な見解となるが、これに関しては北朝鮮も失敗の可能性が相当ある事を見込んでかつ実施したのではないだろうか。というのも、純軍事的能力としては、今まで知られている能力を示したに過ぎず、かつ全て海上に落下している。長距離ミサイルの実験は失敗した、というのが米国における第一の報道ではないか。例えば全体を要領よくまとめて報道したものとしてこのワシントンポストの記事があるが、議論を読んだ長距離ミサイルは失敗したと、ある種の安堵を感じられないことも無い。恐らく北朝鮮はそういう反応があることも理解しているだろう。実験は注意深く米国を根本的に刺激することを避けたものと解釈するのが妥当ではないかと思う。また宥和政策に流れる韓国と中国を刺激しないという側面からも問題ない。微妙な点は残るが、微妙に国際秩序の現状維持の範囲で刺激していると解釈するべきと思われる。北朝鮮が意識しているかどうかは分からないが、例えば米国の報道だとイスラエルの兵士が人質になっており、現在進行形の焦眉の急という状況だ。もちろん直接には、ミサイル基地への攻撃は無いとの米国内の政治的動きを受けて安心したのが最終決定に至る重要な要素ではある。

 しかしながら日本の立場ではそうそう気楽なことも言っていられない。今に始まった事ではないが、この北朝鮮問題、常に日本の立場が微妙である。ここで激しいリアクションを起こすと「北朝鮮すら根本的にはやっていない」国際秩序の無法な紊乱者と見られる。これは国際社会に対する影響力が大きい以上、そういうものだと甘受せざるを得ない。これはイスラエルの立場が大きく参考になる。当然の自衛すら時に悪意を持って報道されるのだ。よほどの自制心をもって対応しないと術中にはまると考えておくべきであろう。今回に関して言えば、例えば万景峰号の入港禁止などの経済制裁を開始しながら人道的措置で学生を下船させるというような判断は正しく、その種の人道的原則は手堅く継続するべきということだ。

 当面、舞台は安保理に移る。世界的視野で見れば、日本がどう行動するかが鍵を握る。今回も日本のリアクションで開催したという形を取っている。英仏との協調も開始していたのが適切だったようで、スムーズに推移しそうだ。結局民主主義国の結束で処理するしかないのだが、最終的に武力行使に至るとしても、ユーゴ紛争時にロシアの容認を何とか取り付けたような外交を中国に対して可能かどうかが問題となる。それはロシアが極東地域への関与をどこまで考えているかに影響されるのであろう。

 今後国際社会での論争が進み、多くの国が本格的に厳しい態度を取るとしたら、国際的にはどのような主張でまとめられていくのかということを考えておかなければならない。以下の2つの場合を典型として思考を巡らせるのが良いと思われる。先に言ったユーゴ紛争のような、国際的な広範な人道・安全保障上の課題として対処するのか、個別の主権侵害に対する反撃といったフォークランド紛争型のような対処をするのかということだ。
 ここではフォークランド紛争のように明白な領土上の侵害がないことから、より主権を強く押し出すなら、北朝鮮が決定的なミスを犯さない限り時間のかかるものとなる。前者であれば広範な国際的合意を取り付けるのにやはり時間もかかり、安全保障上の脅威があったとしても人道問題という側面を重視し、北朝鮮国内の人道問題も含めて最終的に責任を国際社会で取る仕組みが確立しない限り、戦争にまで踏み切れない流れとなる。

 結局、関係国がどこまで負担を負うのかというのが判断の基準になるが、日本人はどのような判断を下すのだろうか。先送りという気がしなくもないが。
posted by カワセミ at 19:26| Comment(1) | TrackBack(5) | 北東・東南アジア

2006年06月25日

北朝鮮ミサイル危機に関する政治の風景

 北朝鮮がテポドン2ミサイルを発射するかどうかという件で関係国は気を揉んでいる。交渉カードとしての側面が強いのは最初から明白だが、北朝鮮には様々な思惑があり構図は複雑だ。この件で興味深いコラムを見つけたので紹介しておきたい。

 GLICK氏が北朝鮮問題を例にとり、イラン問題でイスラエルがどうするべきかを論じている内容だ。(参照1)3ページに渡って記載されており、ここで述べられていることはおおむね正当であると思われる。全般として、今まで間接的に米国を脅迫していたのに加え、新しく直接的に米国を脅迫していることは交渉上のメリットがあるとの解釈を取っており、個別の既存の脅威に適切に対応することがそれに対する対応として正解であるとしている。
 2ページ目の交渉上のメリットとして3種類挙げているのは面白い。政治上の弱点の利用、同盟国との関係の利用、結果的な国際政治上の認知。確かに労少なく利多しの感がある。

This week the US placed great pressure on Seoul to cancel Kim Dae Jung's visit to Pyongyang. It is not unreasonable to assume that Pyongyang took his visit into account when it timed the launch of its latest provocation. If Seoul had not bowed to US pressure and canceled the visit, North Korea could have exploited it to announce in Kim Dae Jung's presence that it was canceling its planned launch. By doing so it would have weakened the position of US officials who insist on refusing North Korea's demand for direct talks.


 それにしても金大中の訪朝は危ないところであったとしかいいようがない。さすがにこの点は米国が完全に読み切ったと思われる。本質的に北朝鮮は米朝二国間交渉で全ての利益を得ようとしており、そこから視点を外さないことが肝要だろう。

 3ページ目の、イランにとって弾道ミサイルはイスラエルに対して必須では無いという記述は、我々にとっても示唆することは多い。テポドン2は北朝鮮にとって日本に対しての必須の道具ではなく、韓国に対してはなおさらである。そしてその後の、

If Israel were to seize the initiative against Iran and its terrorist proxies in Gaza and Lebanon while preventing their deployment across from the Golan Heights and in Judea and Samaria, it would be accomplishing two goals at once. First, it would be diminishing the most immediate Iranian threat it faces today while enhancing US options for dealing with Teheran's ballistic missile arsenal and nuclear program. Second, by dealing with the Iranian threat that endangers Israel alone, Israel would be increasing international awareness of the fact that the Shihab missile program is not first and foremost a threat to Israel, in spite of Iran's attempts to portray it as such.


ここで示された文脈でも、拉致問題や化学兵器の問題を包括的に解決すると欧州で一貫して主張していた小泉政権の方針が正しいことは明白である。

 政治的な利用という点では、ミサイル防衛が政治的に重要な案件であることを前提とした方策であるという意味で、この台湾発の記事も興味深い。(参照2)

Many Asian nations would cheer if the United States shot down a long-range missile tested by North Korea, but a failure would raise unsettling questions for allies that rely on the America's military umbrella.

 現在の技術水準でミサイル防衛がうまく機能しないことは、一定以上この分野に興味がある人であれば素人でも予想が付く。が、それが今現在の段階で機能しないと全ての人にとって明白になることは、ブッシュ政権にとっての政治的ダメージになる事もまた明らかだ。撃ち落す作業を試みるかどうかという判断を下す段階でプレッシャーが発生する。このミサイル防衛を歓迎しない政治勢力は日米にもいるし、中国やロシアとなればなおさらだろう。それを考えると、ロシアのシュワロフ大統領補佐官の「発射させればいい。飛ぶかどうかも分からない」という発言(参照3)の解釈もまた変わってくる。直接的には日米などに悪い顔をしているわけでもないがロシアの国益には沿っているかもしれないのだ。
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2006年06月17日

日本の北朝鮮人権法案に関する個人的メモ

 自民・民主の合意で日本の北朝鮮人権法案が可決される見通しだ。しかしながら世論の一部では反発があるようだ。最終的には様々な保留を付けた形になって落ち着いたようだが、率直に言うと日本国内の世論に関しては様々な懸念がある。恐らくこの微妙な問題を扱うときには短期的な振幅が大きくなり、政治家、特に議会のそれが最後まで責任を果たせるか心許ない側面もあるからだ。

 私の北朝鮮問題に関する基本的なスタンスは、以前のエントリやその後の7月に書いたいくつかのものと変わっていない。拉致問題は、北朝鮮国内の国民の人権も含む広範な人権問題の一環として対処するしかない。現在の国際社会で、民主主義国として振舞うのであれば理念としてはそうあるべきで、他に方策は無い。自国の国民の人権のみを言い募るのであれば、最初から最後まで完結的に自国のみで対処する以外にない。

 最近のこの法案に関する混乱に関しては、ここしばらくのEreniの日記で丁寧にフォローされている。6/10の氏の日記で民主党衆院議員の長島氏のブログが炎上している事に関しての書き込みがあり、以来現在に至るまでこの問題の構図をきちんと扱っている。一読されることを推薦する。

 その後の6/15の日記で米国の北朝鮮人権法案に関する説明もされていて、そちらに要所がまとめられている。全内容へのリンクもあるが、ちなみに英文での原文はこのようなものだ。またこの法案の目的として、「民主主義体制の政府下における朝鮮半島の平和的統一の推進」が明記されていることは興味深い。最終的な朝鮮半島の安定はその形しかないことに関して共通の認識はあるかもしれない。

 長島氏のブログの件だが、これは当初のメッセージをもっとシンプルなものにすれば良かったろう。まず最初に「拉致問題は国際的な広範な人権問題の一環として取り組み、当然北朝鮮国民の人権も対象になる」「それに関して日本がどのような負担をするかは別の議論で、議会は現在の日本がどういうことに取り組めるか、社会の安定ということも踏まえ慎重に議論している」とでも表現し、法案の事実関係を淡々と説明すれば充分だったのではないか。世慣れてないと私が表現するのも失礼だが、微妙な失言というか、庶民の生々しい生活感から遊離したような発言がこの人にはたまにある。にもかかわらず政策的には比較的穏健で良識的な保守派なので、ツッコミを入れやすいのだろう。貴族的な感覚とでも言うべきか。しかし、少なくともこの問題に関しては、議会政治家の役割を示唆してもいる。

 米国でアブグレイブ収容所の虐待問題が発覚したときに、米国世論の反発が思ったより小さいと私は驚いた。一昔前の基準なら、少なくとも国防長官の首は怪しかったのではないか。この時思ったのは、イスラム教徒全般に関する米国人の生々しい反発は日本人の想像以上であるということだ。しかし米国の立法府、行政府の人間は、中東の民主化を前面に押し出している。これは社会科学的にテロを抑制する方策であるというのがまずあるが、政治面での副次的作用として、上記の大衆の負の感情を前向きな方向に誘導するという側面があるからだ。そこでの政治家の、特に議会の責務は、感情を抑制した議論を行い知的で文明的な政策に落とし込む事であり、時には国民感情の負の部分の対外的な隠蔽でもある。この事情は日本でも実のところ大差ないだろう。幸か不幸か日本は民主主義国の中では国民の資質はやや高めで政治家の資質が少し低めの傾向があり、この事を意識する事が少なかった。しかし、この北朝鮮問題は、明らかにこの危険な問題をあぶりだす懸念がある。

 いわゆる右翼性向を持つ人が、北朝鮮の人間などどうなっても構わないと公言するのは、実のところ実害は少ない。どんな国でもその種の人たちはいる。しかし、サイレントマジョリティに属する人たちも、率直に言えばそのような感情をある程度有してもいる。特に自民党を中心としか保守政治家の言動が慎重になるのは無理からぬことだ。

 確かに不運な条件は重なっている。日本人は世界的に見ればまだ貧富の格差は少ないほうで、難民が来た時に面倒を見る生活レベルも高いものを想像し過ぎてしまう。公民権の平等を経済的な平等と勘違いしている。実際はどの国もその本人の資質と働きに応じた待遇しかしないのだが。国内の貧しい負担者以上の水準を用意することは無いだろう。また今まで在日に甘すぎた点、スパイ防止法や移民の認定に関する手続きなど、政治の怠慢であまりにも準備が出来てない部分が多過ぎた。結果このような過剰反応が世論の一部には見られる。それは無理からぬ事。だがここでは、結果的に当面の人道の向上があれば充分なのだ。様々な政策で米国などと協調することは充分可能であろう。ロシアなどを口説いて、難民キャンプを設置するなどの方策が出来れば良いのだが。コストも抑えられるし、政策全般に関する中国の説得も恐らくそちらのルートからのほうが効率的だろう。

 ともあれ、問われているのは情勢が厳しくなってきた時の日本人の覚悟だろう。例えば現在での可能性は少ないが、米国が万難を排して北朝鮮政府を打倒するとなったらどうだろうか。日本人の一部は当初喝采を叫ぶだろう。北朝鮮の国民にとってもそれは幸せなことだとかいう言説が流行する。しかし米国の感情としてはどうなるだろうか。それは、「日本のためにやってやる事だ」という認識が大きなものとなるだろう。拉致問題のみならず、核、ミサイル、化学兵器に関しても米国より脅威を受けている以上当たり前だ。そして今度こそ集団的自衛権を行使しなければならず、これに関しては何の言い訳も出来ないだろう。短射程のミサイルなら日本にも届くし、市民の犠牲も全くのゼロとはいかない事は始まる前から容易に推察できる。そうなった時に「拉致被害者などどうでもいい」と世論の風向きは変わらないだろうか。その程度の覚悟で、全世界で大声で主張していたのかと。それは結果的に、全ての問題を日本だけで処理しなければならない状況に結びつく。

 現在の日本は、韓国が同胞と称している北朝鮮国民や自国の拉致被害者の人権に関して無関心であることを冷淡な目で見ている。しかし、日本自身の立場は、そもそもどれだけ異なっているのか。例えば難民問題、自国への流入に懸念を示すのは米国も中国も同じだ。米国も脱北者の受け入れはごく最近で、それも少数。少し前の、やや非好意的な記事だがこのあたりは参考になる。だがしかし、限定された政治的条件で出来ることをどれだけ実行するかでその国の器量は問われる。先の難民への支援だと、それは韓国が中心になって対処する以上、支援はある程度必要になるだろう。米国がこれだけ嫌な思いをしながら韓国に駐留している、その同じことを、経済の側面だけとしても出来るかどうか。

 北朝鮮問題は、本質的には台湾問題などと比べると取るに足らない問題かもしれない。実は遠隔地の中東問題と比較しても、日本そのものへの影響が大きいとは限らない。だがしかし、時間の経過に伴い、現在の日本は政治的陥穽に陥る危険を明らかに増大させている。人道面でも、安全保障面でもだ。議会政治家はどれほど自覚的なのだろうか。全ての政策に先手を打ち続けねばならないプレッシャーが存在している。
posted by カワセミ at 13:53| Comment(9) | TrackBack(3) | 北東・東南アジア

2006年05月06日

中台関係の当面の安定

 台湾の陳総統が、南米への外遊に伴う立ち寄り先として希望していた米国内の都市に関して、ほぼ純然たる給油目的となるアンカレジが選定されたことに不満を表明しているようだ。(参照)New York Timesなどでもやや背景を含めて報じられているが、(参照2)この中台関係の現状に関しては基本的な状況を確認しておいてもいいかもしれない。

 現時点での客観的な分析としては、このロス氏の論文が冷静にまとめていると思う。台湾の独立路線は頓挫したというものだ。全文を読むには購入する必要があるが、和訳は「論座」の」5月号に掲載されている。

 端的な事実は下記の通りであろう。

But it has not resulted in widespread calls for a formal declaration of independence. Voters, reflecting Beijing's military and economic hold on the island, have preferred to accommodate China's opposition to Taiwan's independence.


 結局台湾の有権者の意向がまず第一の要素となるのであるが、この点に関して、日本の親台マスコミの見解とは異なり、精彩の無い党首を擁した時でさえ、国民党は多数の支持を得ていたということが指摘されている。また陳総統が選出された際の選挙でさえ、支持は39%にとどまっていた事、拙速な独立そのものは90%が反対していたということだ。そして最近の世論調査では民進党は支持を急落させているという。

 思い返せば、確かに台湾の有権者は中国との直接対決は一貫してリスクが大き過ぎると判断してきたのだ。今現在、宙ぶらりんな状態であることは間違いが無いが、市民生活そのものに影響が出てはいない。台湾のような国においてはそういう選択となるのは無理もない。これでも独立路線への支持はまだ高いほうと言えるのかもしれない。

 ただ、ここでロス氏が意図的に触れなかったか、あるいは自然に重視しなかった事に関しては補足してもいいかもしれない。台湾くらいの規模の国(と仮に表記するが)においては、自国だけで決定的なパワーにはならないため、集団安全保障に関して外国の支持を取り付けるのも能力の一つとして判定されるという事だ。陳総統自身がブッシュ政権と折り合いが悪いという事情がかなりの悪影響となって跳ね返っている。日本風に言うと空気が読めないという所か。米国の対テロ戦やイラク政策に関して、何らかの形で支援したと言う印象は薄く、かつ自国の防衛にすら積極的ではない。これは国民党の妨害の結果でもあるのだが、少し自国のみの利益を追求し過ぎた感はあるだろう。

 その間の中国はというと、今現在の中台関係を「現状」と規定し、ここから変化することを「現状の変革」であるとして米国にアプローチをした。これは正しい外交と言えるだろう。過激な策より長期的に取り組んだほうが成功するというコンセンサスが、少なくとも共産党の上層部においてはなされたのかもしれない。

 しかしながら、とかく中台関係には不確定要素が多すぎる。次期米大統領の政策が民主主義に関してより原則重視になればまた違うし、中国が台湾から発せられるメッセージを誤解すれば混乱が発生する。台湾の独立路線の支持は、民主主義国では日本も含めて高いが、政治的に支持が集まるかというとそうでもない。ここしばらくは関係を管理する作業に労力を取られることになるだろう。
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2006年03月11日

北朝鮮核危機への対応の困難さ

 イラン問題が急速に先鋭化する状況で、北朝鮮問題に手をつけられない状況が継続している。この問題は本ブログでも度々取り扱ってきたし、その見解は今でも変わらないが、再度触れておきたい。

 北朝鮮問題の基本構図は、仮想的に抑止が成立している状況において、その間隙を的確にすり抜ける形で北朝鮮が核開発を継続しているものと考えられる。抑止が成立し辛い中東地域とは本質的な構図が違う事を熟知するのは重要であろう。

 ここでCFRにて、うまいリンク集にもなっている論説があるので引用したい。(参照)表題もthe Other Nuclear Rogueとまた明快なタイトルになっている。まず過去に報告されたこの軍事的選択を仮定した検討結果は米国では政策判断の前提となっていると思われる。(参照2)基本的に踏まえておかなければならないのは、例えばこの認識だ。

North Korea, unfortunately, has a history of unpredictable, and often violent, reactions to even slight provocations. Therefore, even the most modest U.S. military action risks escalation to higher levels of conflict and most analysts agree that no military option should be chosen without full recognition of such danger.


the most modestというあたりの表現が面白いのだが、予想される反応の見積もりが至難であるというのは分かる気がする。そしてこの後にこんな部分がある。

Some suggest that, in light of potentially large casualties, proceeding without South Korean agreement “would be immoral as well as ill-advised.”


 このimmoralという表現こそ、米国の政策決定プロセスにおける、ギリギリの段階での判断ポイントなのだが、この付近の感覚をきちんと理解しているのは民主主義の同盟国でも少ないかもしれない。

 そして最新の報告としてリンクされているこの長文の文書、(参照3)冷静にまとめられており、内容を見るに重要度は高いであろう。北朝鮮問題における米国の思惑を根拠無く述べる知識人は国内外に多いが、最低限こういう基本文書に目を通してからとするべきであろう。特に安全保障問題は、論理と力学で理路整然と決定する側面も強いからだ。最後の段階では価値観となるのだが。

 全てを熟読する必要があると思うが、気になった点を。中国に関して多くの記述が割かれているが、このように明快に表現されている。

WHAT IS CHINA PREPARED TO DO?

The well-rehearsed policy options for dealing with North Korea range, on an ascending scale of severity, from acquiescence, to negotiation, coercion short of military force (sanctions), and, as a last resort, military force.China’s position on these options is clear.It will not tolerate North Korea’s erratic and dangerous behaviour so long as it poses a risk of conflict, but neither will it endorse or implement corrective policies that it believes could in themselves create instability or threaten its continued influence in both centres of power on the Korean Peninsula, Pyongyang and Seoul.


 そして結論としては極めてシンプル。

The advantages afforded by its close relationship with Pyongyang can only be harnessed if better assessments of Beijing's priorities and limitations are integrated into international strategies.


 そういう意味でも、首尾一貫して日米韓が結束することは重要なのであるが、これがまたうまくいっていない。安保理も余り役に立ちそうも無い。結局米国が相当強力なリーダーシップを発揮しないと何も動かない、が現実のところではないだろうか。イラク戦争のみならず、イラン問題もこれも、行動しなければ状況が打開されないのは間違いない。そして変化へのリスクを取って果敢に行動する国がイニシアティブを取るのは当たり前の事実だろうから。そしてイラン問題が先になるのは理解できる。欧州→ロシアと外交調整が進む延長で北朝鮮も対処しなければならないからだ。もちろんその後に中国となるのだろう。
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2005年11月13日

書評を兼ねた近年の中国経済に関する印象

 もう読んでいる人も多いと思うが、今回は山本一郎氏の著作「『俺様国家』中国の大経済」を取り上げてみたい。氏は「切込隊長」のハンドルネームでblog界では有名なようだが、著作という形で読んだことは無かったので興味深くはあった。体裁は整っているが硬質で皮肉な文章になるのかなと予想していたが、フタを開けたらその言い草はblogと同じような勢いで展開していた。もっとも、これは本の帯に「中国13億の民に告ぐ!『愛読無罪』」などと書いている時点で予想できねばならず、その点は私も要反省だ(苦笑)

 それはともかく内容だが、とにかく中国は経済に関する基本的なデータが信用出来ないというのが大前提としてある。で、そういう実体を個々の事例を極力挙げる形で極力説得力ある形で示し、可能な範囲で推論するというのがこの本の基本コンセプトである。事例としては各章で、ファンダメンタル、不良債権、通貨政策、エネルギー問題などを取り上げ、それらに共通する問題点として、統計の杜撰さ、および捏造、党決定の絶対性による硬直性などを様々な事例を紹介する形で示されている。ある程度の常識がある人には「多分そんなところじゃないかと思っていたがやはりそうだったか」という印象になるだろう。ただ、この本はもう少し無邪気に中国に関わろうとしている人々への警告の書であるのかもしれない。文章としてはあの言い草だし、叙述も銀行の決算書が山賊に襲われて決算できませんといった個別のエピソードが面白すぎてエンターテイメント的ではあるが、要所のメッセージは真面目なものである。
 それにしても、私も色々な本を読んでいるつもりだが、およそ経済に関して語る本でこれほどまともな数字らしい数字が出てこない本も珍しい。大学レベルの数学知識は普通必要になると思うが(一般人向けの本でも多くは高校レベルを想定しているだろう)笑えることに四則演算のレベルすら怪しい。著者もそのような事を書いているのだが。

 その他この書籍の内容に関しては読んでもらうしかないとして、感想を交えつつ関連したことに関して述べてみたい。ここで挙げられた中国経済の無茶苦茶さは、実のところ昔から知られていたものである。普通に考えればこういう国が経済発展することはない。では、なぜ少なくとも近年は発展してきたか。それを考えるほうがむしろ重要だろう。これに関しては為替が全てとも言える。ドルペッグ制により通貨の信用を擬似的にドルとリンクさせ、貿易黒字によりドルや円を稼いでいるという事だ。中小企業で該当する業界にいる人は分かると思うが、コスト競争力の関係上、中国に進出しないとそもそも明日明後日の契約が取れないという場合が既に多い。低コスト化の努力をしていない企業とは取引を打ち切る顧客は多い。気楽に「長期的に見れば日本に不利」などと言っている場合ではなく、全く自社の商品が売れずに半年で会社が無くなるかもしれないのである。要は、中国が狙っているのはこういう状況がほぼ経済の全領域で発生することである。そしてこれを脱却するには、ほぼ同時に(できれば業界ではなく国単位、さらに可能なら主要な経済大国全部で)撤退とすることだろう。

 最近のFinancial TimesとかThe Economistといった、海外の経済関係のマスコミの論調が非常に微妙である。日本が中国への新規投資に慎重になり、会社によっては撤退しているところもある。欧州企業はそれを有利な条件で買う事は可能ですよと。可能だけど実際それってどうよ、というニュアンスだろうか。要は、彼らも良く分かっていないという事だ。つまり最後に持っていた者がジョーカーの引き合いのごとく損をする可能性があると。まぁ、フォルクスワーゲンとかは確定組に見えるがどうだろうか。そういえば高速鉄道もドイツということになりそうらしいが、ドイツはまた中国で大損するのだろうか。

 いずれにせよ、中国の経済成長、はどうなっているか分からないとして貿易収支とするが、いつまでも成長を続けるのは不可能だ。それを買う国が存在しなくなるという単純な事実によって。何らかの形で調整が発生するが、それがどう展開するかは誰にも分からない。
 歴史を長期で見れば、日本は20世紀末から21世紀初頭に自国の経済低迷を脱するために中国を使い捨てにした、と悪のほうに分類されるかもしれない。そもそもの経緯として1989年の天安門事件直後、日本が他の欧米諸国を出し抜く形を取ったのは否定できないということもある。少なくとも中国が将来そのように解釈するのはもう確定に近く、仕方ないかもしれない。ただ、少なくとも先進国の間ではそう思われたくないなという気もする。しかし、ドイツやフランスが失敗した場合にはそんな意見が盛り上がる可能性もありそうだ。アメリカやイギリスはきっちり逃げ切るのだろうが。
posted by カワセミ at 15:45| Comment(13) | TrackBack(1) | 北東・東南アジア

2005年10月26日

韓国の戦時作戦統制権返還問題について

 米韓同盟が危機に瀕していると言われている。とはいうものの、簡単に崩壊するという考えに私は与しない。以前に記述したエントリ(参照)があるが、私の考え方としては今も変わっていない。しかしながら、それから事態が好転しているというわけでもなく、中にはまずい経過を辿っているテーマもある。その典型がこの戦時作戦統制権返還問題である。
 これは極東ブログさんの方で扱われているエントリ(参照2)もあり、そちらも目を通して欲しい。ただこの韓国の要求は、他の米国の同盟関係や様々な作戦時の多国籍軍の状況と比較するといかにも唐突な感が否めない。いつもの自己主張の現れとも見れるが、これは他の問題と違いとても危ない話なのだ。そもそも同盟国の要求する内容ではない。説明が難しいのだが、なかなか良い資料(参照3)があったのでそれを使わせてもらう。いつものことながら手抜きだ(苦笑)

 これを見ると、指揮の下に作戦統制と戦術統制がある。そして戦術統制は、編成後の部隊に対する指示であり、これは同一の作戦区域で行動する限りにおいては、何があっても統一しなければならない性質のものである。この資料ではコソヴォに展開する部隊においてロシアは戦術統制しか受けないと記されている、逆に言えば、ロシアとNATOくらいの関係の場合においてすら(いくらロシアが準加盟国扱いとは言え)戦術統制は必須なのだ。理由は簡単で、そうでないと犠牲が増えるだけだからだ。
 そして作戦統制だ。これは司令部及び部隊の組織化が含まれているというのがポイントだろう。多国籍の混成部隊を編成する権限もあると考えるとイメージが湧きやすいだろうか。これが共同軍事行動ということで、同盟の意味である。海上で日本のイージス艦が米空母を護衛するなども具体例と言ってよいだろう。この権限を独立して持つと韓国は主張しているのである。これが何を意味するかというと、同一の地域で共同作戦は行わないということだ。同盟国でそれが成立するとなれば、それは全く違う地域で個別に活動している場合だ。例えば二度の世界大戦の欧州における対独東部戦線と西部戦線などが例だろうか。まさにせいぜいその程度のものだ。ちなみに両戦線で戦術統制を受けなかった部隊はあっさり壊滅するか良くて何の役にも立たないという結果だった。それがこの作戦統制−戦術統制の現代的な階層化の概念に結び付いていったのだろう。

 つまり、戦時の作戦統制権を独立して持つというのは、その地域における作戦を終始責任を持って最初から最後まで自力でまかなうという事だ。少なくともそれが国際常識だ。米国は当然そう解釈する。もっともこれは韓国のいつもの錯乱として主張されているのかも知れず、それで国民の生死まで左右されかねないとなれば、それは政治の恐るべき責任放棄でしかない。そして北朝鮮はこれをどう解釈するのだろうか。

 以前のエントリで、米国は教師の国と書いた。これは奇妙に今回の事態に符合する。米国は粘り強い指導を行う国だが、それは生徒が教室にいての話だ。自力でやると教室を出て行く生徒を探しに出かけることは無い(日本的感覚であると少し違うのだろうが)まして授業を妨害すると容赦なく叩き出すのが彼らの文化だ。韓国はそれを理解しているのだろうか。現状を見るに、さして覚悟あるわけでもなく、いざとなったら泣き付くだけのようにも見える。だがこれは、一度事態を動かすと簡単に回復できない問題かもしれないのだ。
posted by カワセミ at 22:18| Comment(0) | TrackBack(1) | 北東・東南アジア

2005年09月21日

6ヶ国協議における米国務省の発言に関して

 このブログを見ている人なら多くの人が目を通しているとは思うが、かんべえさんの昨日の日記('05.9.20分)はなかなか興味深い内容が含まれているので参照されたい。私の受けた印象は少しばかり違うので、当たっているかどうかはともかく所感を述べてみたい。別に反論というわけでもないが。

 まず、米国のライス長官への質疑応答はこのようなものだ。米国の政治家、それも高官となれば無駄な言葉はそうそう使わない。この種の公式声明を読むと、少なくとも後で見て嘘は言ってないしポイントは突いているということは多い。ましてライス氏となれば。全体の半ばほどのこの部分はかなり気になる。

QUESTION:
Madame Secretary, you didn't want to discuss it up until now. I mean, does "discuss" mean --

SECRETARY RICE:
When the North Koreans have dismantled their nuclear weapons and other nuclear programs verifiably and are indeed nuclear-free, when they are back in the NPT, when they have gotten into IAEA safeguards, I suppose we can discuss anything.

QUESTION: (Inaudible.)

SECRETARY RICE: I suppose we can discuss anything. But I would just have you take note of the fact that the North Koreans asserted their right to peaceful nuclear uses. All that is done here is that we've taken note of that assertion and then a number of the states have made very clear what the sequence is here. The sequence is dismantling, NPT, IAEA safeguards, and then we can discuss. Because I don't think there's anyone who is prepared to try to go back to a circumstance under which we're debating sequences.


 NPT体制に戻るのがポイントと考えているらしい。これから先は私の想像になるが、これは中国に対する配慮ではないかと思う。中国の立場に立てば、外交上譲歩する相手としては日米は国内事情を考えるともっともやり辛い。つまり、譲歩するにしても、日米相手ではなくNPT体制を相手にしたいからではないか。例えばEU諸国などの意見が入る。今回ロシアも今日の北朝鮮のゴネに釘を刺しているのもそのサポートではないか。

 ヒル氏の公式声明は後半の具体例が重要だろう。

The United States desires to completely normalize relations with the DPRK, but as a necessary part of discussions, we look forward to sitting down with the DPRK to address other important issues. These outstanding issues include human rights abuses, biological and chemical weapons programs, ballistic missile programs and proliferation, terrorism, and illicit activities.

The Joint Statement accurately notes the willingness of the United States to respect the DPRK’s sovereignty and to exist with the DPRK peacefully together. Of course, in that context the United States continues to have serious concerns about the treatment of people and behavior in areas such as human rights in the DPRK. The U.S. acceptance of the Joint Statement should in no way be interpreted as meaning we accept all aspects of the DPRK’s system, human rights situation or treatment of its people. We intend to sit down and make sure that our concerns in these areas are addressed.

The Joint Statement sets out a visionary view of the end-point of the process of the denuclearization of the Korean Peninsula. It is a very important first step to get us to the critical and urgent next phase - implementation of DPRK commitments outlined above and the measures the United States and other parties would provide in return, including security assurances, economic and energy cooperation, and taking steps toward normalized relations.


 ここで日本の立場を思い出して欲しい。拉致問題の陰に隠れがちだが、日本はミサイルと化学兵器の問題を含めた包括的解決を一貫して主張し続けており、むしろ米国のほうが妥協しがちだったかもしれない。その単語が含まれていると言う事は、日本は少なくとも米国に対しては名を捨てて実を取ったとは言えないか。そして人権問題もきちんとコメントしている。やはり拉致問題は、韓国の拉致被害者や北朝鮮の国内統治も含む、広範で包括的な人権問題の一環として取り扱うべきなのだろう。
posted by カワセミ at 23:36| Comment(5) | TrackBack(2) | 北東・東南アジア

2005年09月04日

中国の周辺としてのベトナムの歴史

 中国と日本の関係がギクシャクしているので、アジア各国は困っているようだ。安保理常任理事国問題その他での各国の動きはかなりややこしい。世界にある大半の国は我々が思っている以上に受動的な外交をしているというのを認識しておいてもいいかもしれない。
 一方でこれをチャンスとばかりに日本企業の進出を期待している国もあり、ベトナムはその代表格といったところか。日本人の活動も最近活発なようだ。この付近のサイトはなかなか楽しいので紹介しておく。また年内のWTO加盟を目指して外交的な働きかけも活発なようだ。ちなみに日本はこれを支持し、他国に対しての働きかけもしている。小泉首相とカイ首相は親しいというような話も伝えられており、案外小泉首相の個人的なリーダーシップかもしれない。

 ベトナムは中国の周辺にあるということで、古来より随分苦労してきたようだ。後漢の伏波将軍馬援は中国人にとっては英雄かもしれないが、ベトナムにとっては民族的英雄のチュン姉妹の敵でしかない。さしずめベトナムのジャンヌダルクといったところか。今に至っても国民の人気は高いようだ。
 ベトナムと朝鮮半島の比較は面白い試みかもしれない。朝鮮半島は、地域主義が強い面はあっても比較的早期に民族的な一体感を得ていたようだ。新羅成立が大きかったかもしれない。それと比較すると、ベトナムといっても北ベトナムに限定して考えたほうがいいだろう。そして大勢力の周辺でローカルな中心を自称して小中華主義となるのは案外よくあるパターンで朝鮮半島に限らない。キン族もその傾向があったようだ。中国に次ぎ地域では文明的な存在であると。少なくとも近世までは一定の相似性があったのではないか。そしてその後の展開は誰もが知っている通りだ。恐らくベトナムのほうが、より厳しい現実に揉まれた結果、観念論に逃げなかったということではないだろうか。一国の歴史をそう簡単に語っていいものではないが。

 個人的には南のチャンパ王国の歴史を直接継承する国家が継続するとどうだったかと夢想する。(ちなみになぜかWikipediaの項目が妙に詳しい。同じように考える人がいるのだろうか)この付近は日本人には馴染みが薄いが、沖縄や台湾との関係という点でももう少し見直されるべきだろう。日本が江戸時代に鎖国しなければこの国の運命は変わっていただろうか。日本は北部のキン族よりこちらに肩入れしたか、それとも逆か。明の海禁政策の時期なら影響力はなおさら強いだろう。そして日本でもイスラム教がそれなりに信仰されただろうか。フランスの植民地支配の経緯はどのように?歴史のifを語るのは禁物とはいえ、興味は尽きない。

 現在のベトナムは、ドイモイ政策を受け継いで改革を進めているが、米国あたりから見ると依然として人権には問題ありとされている。例えば上院での報告などがこのようにあるが、恐らくこの見解は正しい。(専制政治の例に漏れず、米国がこの種の問題にうるさいことを軽視した結果か)そして国内的には、やはり中国同様官僚の腐敗が深刻なようだ。南北朝鮮とベトナムの現状は、政治においては国民性云々よりシステムの問題が決定的だというのを象徴しているようにも思える。遠い国に幻想を抱き、親しくなると失望するのは日本人に限らない。しかし、プロとして国民を代表し政治に携わる者が専制政治の国に過剰な期待をするのは、80??90年代の対中外交の誤りと同質なものとは言えまいか。ベトナムは長期で見れば明治期の日本のように徐々に国民国家としての民主的様相を強めていくかもしれない。しかし、まだまだ時間のかかる話ではないだろうか。
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2005年07月13日

北朝鮮問題に関する補足の補足

 北朝鮮問題だが、この論文に関して引用し忘れていたと思うので念のために。

 下記に引用した部分などは、ブッシュ大統領の「米国は中国ほど北朝鮮に影響力を持っていない」という発言も考えるとそのまま解釈していいだろう。このような前提で私も今までの文章を書いている。とはいうものの、このような対応にも限界があるわけで、それ故昨今の停滞と混乱があるのだろう。

To some degree what's going on, under the aegis of these six-party talks, is sort of a game of chicken between the United States and China. We're both saying, "I'm not doing anything, I'm not doing anything, the car is going to crash," each hoping that the other will step in and do something. I'm not sure how this works.
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2005年07月12日

対北朝鮮問題に関する提言(補足)

 対北朝鮮政策に関する提言を書いたが、その後Cirincione氏のこのインタビューを読んだ。前半部分の日本語訳は現在発売中の論座に掲載されている。重要な点としては、米国の対北朝鮮政策が固まっていないのは政権内で路線対立があるからだというらしい。すなわち、核開発を止められれば良しとするか、核開発だけが北朝鮮の問題だけではなく、政権交代策を含めて検討するべきかという事だ。これに関して少し書いてみたいと思う。

 基本的に私の意見は以前のエントリと同じで、6ヶ国協議は破綻しているという考えだ。外交交渉の場としては、手を尽くしたが失敗したという形を整えるためのものと考えている。そして米国の政権内で路線対立があるという事は、日本が軍事的な内容も含めた実質的な負担を負うという決意も含めて意見を表明すれば、その路線決定にかなりの影響力があるという事も示している。政権交代策が適切だというのはいくつか理由がある。

・核兵器開発意図の強さ
 クリントン政権の時の失敗でも分かるが、通常兵器に大きく劣る北朝鮮が核カードを欲しているのは切実感がある。これはむしろ米国のような軍事大国が理解し辛いことかもしれない。あのような途上国は、核さえ持てば日頃うだつのあがらない状況を大きく改善できると考えるものなのだ。

・核兵器開発が仮に停止された場合
 それほど強い意図を持っている限り、かなりの見返りが無いと停止には応じないと思われる。しかし高い確率ではないが、周辺諸国が安全保障面での一定の保証と経済援助を約束した場合は核開発の停止に応じる可能性がある。しかし、あのような閉鎖国歌を完全に査察し切れるものだろうか?10年経過したらまた問題が発生という事にならないか。そしてそれが決着したとしても、通常兵器でソウルに対して脅威が存在している事実は変わらない。そのせいもあり韓国が北朝鮮への攻撃を止める構図もあまり変わらないだろう。そして核開発の停止により安全保障面での一定の保証を得たとすれば、麻薬や偽札といったアンダーグラウンドなビジネスはこれまで以上に展開するだろう。つまり、核開発以外の現在の問題は相変わらずということだ。

・他国への悪影響
 パキスタンに核武装を認めたことによる悪影響は既に述べた。核開発を断念させたとしても、それにより一定の報酬が得られるというのは実に悪いメッセージになる。

・拉致問題など人権問題の停滞
 これは言うまでも無いが、政権交代以外では容易に解決しない。安全保障と人権に関する基準が抜本的に変化するのは、専制政治においてはその大半が指導者の交代でしか実現されない。この意味で、政権交代策以外に拉致問題の解決は難しいという事実を、日本の指導者はいずれは率直に国民に伝えるべきだろう。今はタイミングが悪いかもしれないが。

 拉致問題は広範な人権問題の一環として処理されるべきであるが、現在の6ヶ国協議はそれを扱うのに適切な場ではない。何しろ事実として機能していない。再開されるという報があるが、短期的な合意があったとしても最終的な解決には至らないだろう。そのため、この協議を関係国のメンツが潰れない形で収束させる必要がある。例えば中国に今までの外交に要した費用云々の名目で資金を渡して、今後の政策の黙認を促すべきだろう。それは実質的に北朝鮮難民に関して中国領で人道的な扱いをするための費用として使われることになるかもしれない。
 欧州諸国に関しては、ユーゴ紛争の時のアプローチをより反省を踏まえて洗練化させた提言をするべきだろう。北東アジアの政治的緊張という点に関しては、仏独あたりと米国との亀裂を修復するという政治的要素も念頭におきつつ、PKFに近い性質を持つ治安維持部隊を国際組織として作って、政権交代後の安定策の一つとする。ここには日本も加わるが、フランスあたりに絡んでもらうと良いだろう。アフリカ等でドライな治安維持任務には経験が深い。小規模な部隊でもいいので、ロシアあたりに入って貰うとなおいいだろう。北朝鮮に関しては、イラク型の戦後の混乱は薄いだろう。割とすんなり新しい政権に服従すると思われる。この種の事前の出口戦略を策定しておく事により、軍事オプションの発動に至る際の外交的摩擦を低減させることが出来る。(逆に、イランに関しては日本のアプローチも有用ではある)

 軍事オプションの目標は脅威除去に関しては専門家の方策を取り入れることになるだろうが、金正日個人とその周辺の重要人物以外の罪を問わないというアプローチをして、中核部分の除去をすることに注力する。政治的には「金正日が悪かった」という形での解決は可能性が充分あるからだ。もちろん民間人への攻撃を極力回避すべきなのは言うまでも無い。
 北朝鮮問題に限らないが、概してアジア政策はG7などを中心とした欧米経由で固めて実行すると大体はうまくいくのである。この付近が結束する場合と、米国単独で行動した場合のロシアや中国の過去の政治的反応を考えると参考になるだろう。

 ただし、このような基本方針を立てても、中国の不介入という確約が取れたとしても一定の犠牲は発生する。それを何より日本が飲めるか、飲めるとしたらどの程度かというのが国際的に見ても問題の核心のように思う。今回は米国は頑張ってもらうとして、それ以外の有志連合諸国はその大半が後方支援として安全な場所で働いて貰わねばならない。政治的にはそういう事は必要だし総合的に考えれば有益だからだ。そうなった際の日本は多少は米国の気持ちが分かるようになるだろうし、政治的成熟を遂げることになるだろう。
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2005年06月27日

対北朝鮮政策における一提言

 北朝鮮情勢は膠着状態である。事態が動くかもしれないという時期に、やや予想外とも思えるイラン大統領選挙の結果となり、こちらが大問題となるかもしれない。米国で以前からしばしば指摘されていたように欧州のアプローチは失敗コースだろう。普通に考えると米国は仮想的に抑止が成立している現在の北朝鮮情勢を、少なくとも短期的には動かしたくないと思っているだろう。しかし膠着状態であるという事は、逆に各国の思惑もほぼ固定化して流動性が少ないということでもあり、外交の基本的方針は立てやすい時期であると言えるのかもしれない。ここで、北朝鮮政策に関して現時点で日本が取るべき基本的な姿勢を提言してみたい。

 まず各国の思惑、基本的スタンスを整理したい。私は以下のように認識している。

米国:
 短期的には核拡散防止が成立すれば良しとしている。中長期的には北朝鮮が明確に核武装国として成立する可能性があるが、これは容認できない。

中国:
 北朝鮮の体制がいま少し親中国的な政権であることを望むが、次善の策として現状も容認したい。ごく小規模な量であれば止む無くではあるが核武装も容認。

ロシア:
 極東において継続的なプレゼンスを維持することが重要。極東地域の不安定化は望まない。

韓国:
 微妙な立場。親北朝鮮の世論が強く北に融和的。これに保守派は反発しているが、しかしそのような政治勢力も現状で北との統一は真っ平だという本音があるため、結果的に北朝鮮の体制維持という点では国策として合意が成立している。

北朝鮮:
 当然、現在の体制維持が最優先である。

 ここで、日本の立場が最も微妙である。拉致問題なども含め、北朝鮮の現体制の崩壊を望む向きも多いが、その結果にはリスクが存在することから慎重である。またそれは米国の軍事力頼みであるため自らリアクションも起こせない。自国から軍事オプションを言い出せば相応の武力行使が義務となるからである。

 次に、経済制裁問題に関して言及したい。私は短期的には単独制裁に反対である。経済制裁は米国にも経験があるが、米国とても単独では他国の抜け道をフォローできず、実効が上がるまでには時間がかかっている。そして単純な事実として、この制裁をキャンセルするようなリアクションが他国から出てこないかを検討しておく必要性がある。例えば、韓国が「北の人民がかわいそうだ」というのを大義名分として、北の体制維持を目的に山のような援助をする可能性はないだろうか。私は充分にあると思う。そして、経済制裁だけで体制が崩壊した例は世界的に見て極めて少ない。せいぜいが政治カードとしての効用だが、これは拉致問題自体が恐らくは金正日自身が深く関わっている以上、効力は無いだろう。経済の論理で安全保障問題を動かすことは難しいという、国際政治上の基本的な構図はここでも変わらないと思われる。ただし、経済制裁が有効である局面は無いでもない。それは、北朝鮮が唯一反応する、軍事的な強制力とセットになった場合である。つまり、軍事的な制裁の前段階として巧妙に使われた場合、その段階で問題が決着する可能性がある。

 いずれにせよ、国際的な枠組が重要であり、特に韓国を間違いなく日米同盟側でコントロールすることが大切である。(もちろん、南北セットで経済制裁をかけるというような事態にまで至るのなら話は別だが、現在の韓国とてさして覚悟があるわけではないのでそこに至るまでに渋々ながら妥協するとは思う)ここで、実質的に破綻している6ヶ国協議に変わり正統性をどこに求めるかが当面のテーマになる。具体的には、国連安保理か民主主義国の合意の2種類であろう。前者は古典的なアプローチで、後者はユーゴ型である。そしてこの中間のやや後者寄りのアプローチとしてG8などの枠組みがあり、この付近が適切と考える。なぜなら、北朝鮮問題は次の2つが主な課題であるからだ。

(1) 核開発問題
(2) 人権問題

 (1)は言うまでも無い。(2)はいわゆる拉致問題も含むが、日本がやるべきはこれを北朝鮮の広範な人権問題の一環としてアピールすることであり、また自国の国民のみならず、北朝鮮国内の国民の人権も含めて問題視するべきだろう。人権問題一般の解決として国際的なアプローチを図り、その中で拉致問題も解決するのが一見遠回りながら最も確実な方法であると考える。そしてこの両者を課題として解決するには民主主義国の合意というユーゴ型のアプローチのほうが安保理より適切である。安保理では人権問題に冷淡な国の発言力も強く、そもそも機能するかどうか疑わしいからだ。そして人権問題を包括的に扱うことにより、日本以上にいる韓国の拉致被害者が無視されている点に関してもクローズアップされるだろう。国際的な注目が集まり、民主主義国からの圧力が高まるにつれ、韓国国内での拉致被害者への無視という政治状況が若干なりと修正されてくるのではないか。

 手順としては、G8で極東ロシアの安定に何がしか一定程度協力するという前提でロシアを説得し、米国などとの協調路線に誘導して軍事的アプローチが現実味があると北朝鮮政府に思わせるという感じか。米露関係の修復を模索するタイミングと呼吸を合わせる必要があるだろう。(なお、日本との領土問題などとの連立方程式もあり、実際のアプローチは極めて複雑だ)その段階では中国も黙認コースになると思われるし、韓国も共同歩調となるだろう。それで経済制裁なら、戦争に至らずに解決する可能性があるかもしれない。金正日は計算は出来る独裁者のようだ。であるとすれば、それなりの金を渡して第三国への亡命を薦めれば容認する可能性もあるかもしれない。金を出す側としては正義という面で割り切れない思いはあるにしても、戦争を回避するという総合的な人道性という面で考慮の余地はあるだろう。今後別の国に同様のアプローチをするためにも、国際基金でも作って第一号の実例になってもらってはどうだろうか。アフリカの小国の独裁者にはこの手のアプローチも案外有効であるから。
 当面、次のG8サミットあたりが振り出しだろうか。中国は政治大国化する有効なチャンスを逸したかもしれない。日本が湾岸戦争で、欧州がユーゴ紛争でそうであったように。
posted by カワセミ at 21:14| Comment(0) | TrackBack(1) | 北東・東南アジア

2005年05月28日

台湾問題に関する懸念

 現在の台湾は、国家統治の実情からして実質的に独立国と言えるだろう。しかしながら正式にそうなれない理由は誰もが知っている通りである。この問題に関する対応はなかなか悩ましい。関係国の思惑が交錯して、互いに誤解が発生する可能性が高いからだ。
 中国側は普通に疑心暗鬼だろう。台湾の独立を裏で日米が援護しようとしているのではないか、と。戦前の日本で対欧米に悪意のある誤解をしていたのと同様だ。ある意味分かりやすい。
 ここで米国側の意見がなかなか興味深い。確かForeign Affairsあたりと記憶していたのだが、専門家の意見で「ほとんど台湾側に非のある形で紛争が発生したとしても米国は政治的に関与しないわけには行かないだろう」というような内容だった。これは的確な分析である。
 台湾側の認識や行動もなかなか微妙だ。ある意味では「米国は我々を助けないわけには行かないだろう」とタカをくくっている面がある。専制政治の侵略に晒された民主主義国の危機を放置するわけにはいかないだろうと。だから極めて深刻な自国の危機であっても、防衛努力はそれほどしていない。そしてこの認識自体は恐らく正しいのが米国側の苛立ちを招いている。
 日本人にはピンときにくいかもしれないが、米国の武器輸出方針は欧州のそれと違い無原則ではない。敵味方を峻別し、条件の適合した国しか販売することは無い。技術流出に至っては極めて厳格で、ブラックボックス部分を開けると外交上大変なことになる。武器が第三国に流出するのも決して容認しない。世界で最も入手が難しいのは日本製の武器としても、恐らくその次に困難なのではないか。そして台湾への武器供与を認めているのは米国側としてみれば大変な特別扱いという認識だ。にもかかわらず、国防にそれほど予算をかけようとしない台湾の現実を見ると防衛努力を怠っているようにしか見えないだろう。この付近のギャップから摩擦が発生し、米台間が一見疎遠になる瞬間は無いわけではないだろう。で、中国が「今しかチャンスが無い」と思ったらどうだろうか。そう、戦争というものはこうやって起こる。「今なら勝てる」「先手を打たないとやられる」のどちらかだ。長期目標を立てて、じわじわ侵略というのは案外無いものなのだ。
 さすがに米国はこういう事を良く分かっているのか、仮想敵国との対話チャンネルはいつも充実させてある。冷戦時代、極めて初期から核兵器の誤使用を防ぐためにソ連と話し合っていたことが思い出される。もっとも一部の人間に言わせれば「米ソが談合で世界支配をするため」であった。現在でも米中蜜月と同様の主張をする人がいるが、いつものように誤りであろう。
posted by カワセミ at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 北東・東南アジア

2005年05月23日

中国の反日デモに思うこと(3)

 多少追記しておかねばならないと思ったので軽く補足する。昔から中国の反日運動は韓国に影響される事がしばしばあるという事だ。今回は盧武鉉大統領の反日発言が背景にある。中国は日本から見ると身勝手に見えるが、実はそれなりの計算をしていて、それほど大きなダメージは無いと推察される行動を繰り返す。韓国の行動に対する日米の反応をかなり観察していたフシがある。昔から韓国が強硬に発言すると日本がそこそこは妥協するという事がある。色々あっても小泉政権もややそういう面があり、過剰に中国だけに厳しいという不満があるようだ。確かに冷静に考えれば、第二次世界大戦時には中国は確かに被害者といえるだろうが、韓国はかならずしもそうではない。一緒にするなという思いは根強くあるようだ。
 その前の段階になるが、韓国が安保面での交流強化を中国に言い出したあたりがかなり誤ったメッセージになったと思う。この付近は歴代の韓国政権がかなり一線を引いていたポイントだ。日米の当局者は、例え具体的進展が当面は無いにしても反応が鈍すぎではなかったか。問題は相手がどう解釈するかであるから。

 ところで日中の経済の結びつきに関しては強まっているが、いわゆる右寄りの人たちからの「短期的に利益を得ても長期では損をするのではないか」という財界への批判がある。これは当たっている面もあるが認識が甘すぎるだろう。今日の経済の現状だと、そもそも次の半年、一年程度の短期間を乗り切るために中国進出が必要で、それをしないと会社そのものがすぐに消え去る危険が高いのだ。進出しているのは大企業ばかりではない。残留組が市場に残るのは間違いが無い。
 仮に撤退するとしたら、ほとんど全ての企業、できれば欧米のそれを含めて一斉に資本が逃避するというパターンしか可能ではない。それ相応の国際的大事件が必要だろう。どうも小泉政権の行動を見ていると、中国のミス待ちになっているようにしか見えないのは偏見だろうか。
posted by カワセミ at 21:56| Comment(1) | TrackBack(2) | 北東・東南アジア

2005年05月16日

安全保障に関する考え方、そして北朝鮮問題

 北朝鮮問題が紛糾している。6ヶ国協議はおろか、付託を検討している安保理さえ機能するかどうか分からない情勢である。つくづく安全保障問題は意識の共有が無いと解決が難しいと思う。
 この北朝鮮問題、本質的には戦争に至らない要因が揃っている。イラクと比較してなぜ北朝鮮に武力行使がないのかという疑問があるが、これはライス国務長官が補佐官の頃に答えた次の内容のコメントが極めて本質を突いている。「北朝鮮に関しては、半世紀に渡って抑止が成立してきた。しかし中東地域はそうではない」
 以前のエントリでも関連することを書いたが、抑止が成立し、現実に周辺諸国に害を及ぼす可能性が無いか程度が低いものであれば、戦争という手法は取るべきではないし、事実として好戦的と見られることのある米国を含めて民主主義国はそのような外交を行っている。戦争に至る場合は、将来の危険性を高く判断した予防戦争という事になる。いわゆる米国の先制攻撃ドクトリンはこの予防戦争に留まらずそれ以上に踏み越えるとの懸念から批判されているのだが、それはここでは置く。いずれにせよ、高い可能性で抑止が成立する場合は武力行使は基本的に選択されないし、事実として朝鮮半島に成立した国家は対外的に膨張するような行動を歴史的にあまり見せていないということもある。
 しかし核兵器という問題は厄介で、今のところ北朝鮮を関係国が無視する行動を取っているのは、これを認めると周辺国の外交はそれを前提にした外交をせねばならず、そのこと自体がstatus quoへの深刻な影響を招くからに他ならない。その意味で、ブッシュ大統領自ら発言した「先制攻撃は考えていない、外交で解決する」という内容はそのままの意味で取るべきなのである。そもそも今まで攻撃していない事自体がこの言葉を保証しているとすら言える。そしてその基本的な考え方を変更するには、変更せざるを得ないと誰もが考えるイベントが必要になるのだ。それが北朝鮮の核実験であろう。こういう論理は、民主主義国なら良く熟知している。しかし当の北朝鮮が、恐らくそうではないのだ。

 戦争というものに対するイメージは国により色々である。今日の主な民主主義国は二度の世界大戦を想起するだろう。しかし多くの途上国は必ずしもそうでなかったりする。時に日常に密接に関連していることもある。かつてパキスタンの核武装が問題視されたとき、日本の反核団体が訪問したことがあった。広島・長崎の悲惨な写真を見せて、こんなひどい事になるから核兵器を持つのを止めろ、と。彼らはそれを使った米国に行った時でさえ、「このような悲惨な兵器は二度と使用されてはならない」というような反応は返って来た事を頭に置いていただろう。多くの民主主義国でもそうだ。だが、回答は次のようなものであった。「これは素晴らしい威力だ。これをぜひ憎い奴らの上に落としてやりたい」
 また、大国と見られつつある中国と国境問題に関して話し合った時のこと。中国はどこが中国の領土・領海だと考えているか、と問う。しかしはっきりした答えをなかなか返さない。業を煮やして問い詰めた日本人に、「領土や領海はその時の力関係で変わりうるものだ。どこがどうこうとはっきり言える話ではない」と答えたと聞く。

 そう、「安全保障に対する考え方が違う」とは、こういう事だ。

 TVニュースや新聞で一行で書かれる事の実態は、こういう埋め難い溝なのだ。

 だから私は北朝鮮問題の先行きを悲観的に見ている。安全保障に対する考え方が違うからだ。限定空爆など、「最もうまくいった場合」の結果であろう。この予想だけは外れる事を願う。
posted by カワセミ at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 北東・東南アジア