2005年11月05日

鳥インフルエンザの脅威とはどういうものか

 鳥インフルエンザの感染可能性について色々報じられている。これがどういう文脈で問題視されているか、多くの日本人はあまり実感が無いようだ。これに関しては非常に良い論文があるのでこの機会に引用しておきたい(参照)。筆者のローリー・ギャレット氏は感染症やバイオテロなどの外交・安全保障への影響を専門としている。やや長いが内容は充実している。ほぼ全てを精読する価値があるだろう。一部引用する。

The havoc such a disease could wreak is commonly compared to the devastation of the 1918-19 Spanish flu, which killed 50 million people in 18 months.


 欧米人のイメージとしてはスペイン風邪ということだ。この件は第一次世界大戦との関連もあって鮮烈だ。ただ今の日本人には大規模な感染症の被害は国家的記憶としては薄く、ピンと来ないかもしれない。2ページ目あたりにはスペイン風邪の時の経緯が書かれており参考になる。

The CDC predicts that a "medium-level epidemic" could kill up to 207,000 Americans, hospitalize 734,000, and sicken about a third of the U.S. population. Direct medical costs would top $166 billion, not including the costs of vaccination. An H5N1 avian influenza that is transmittable from human to human could be even more devastating: assuming a mortality rate of 20 percent and 80 million illnesses, the United States could be looking at 16 million deaths and unimaginable economic costs. This extreme outcome is a worst-case scenario; it assumes failure to produce an effective vaccine rapidly enough to make a difference and a virus that remains impervious to some antiflu drugs. But the 207,000 reckoning is clearly a conservative guess.


 そして悪性の流行が大規模に起きた場合はこれほどの被害になるということなのだが、後述しているように確率の問題でもあり、脅威が実感されにくい。

 政治の対応は流行しなかった場合の非難を考えると及び腰になりがちだ。フォード政権下での豚インフルエンザ騒動は実例だけあって興味深い。インフルエンザに関する予想は至難で、必ずしも専門家の予想は当たらない。この時はこのような結果に終わった。

... I am asking Congress to appropriate $135 million, prior to the April recess, for the production of sufficient vaccine to inoculate every man, woman, and child in the United States."
Vaccine producers immediately complained that they could not manufacture sufficient doses of vaccine in such haste without special liability protection. Congress responded, passing a law in April that made the government responsible for the companies' liability. When the campaign to vaccinate the U.S. population started four months later, there were almost immediate claims of side effects, including the neurologically debilitating Guillain Barr・Syndrome. Most of the lawsuits -- with claims totaling $3.2 billion -- were settled or dismissed, but the U.S. government still ended up paying claimants around $90 million.


 直接の費用それ自体も洒落にならない莫大な額だが、ワクチンには副作用が付き物なのも問題だ。インフルエンザのように変化が激しく、急速な生産が必要な場合、検証する時間もあまりないのだろう。

 そして大規模感染の場合、ワクチンの生産量は足りず、途上国には行き渡らない。そもそも先進国での国内需要も足りないのだから。

There would thus be a global scramble for vaccine. Some governments might well block foreign access to supplies produced on their soil and bar vaccine export. Since little vaccine is actually made in the United States, this could prove a problem for Americans in particular. Facing such limited supplies, the U.S., European, and Japanese governments might give priority to vaccinating heads of state around the world in hopes of limiting social chaos. But who among the elite would be eligible? Would their families be included? How could such a global triage be executed justly?


 世界の指導者に優先的に配布するという話が大真面目に論じられている。それでもそれをどのように決めるかという問題は残る。

 この論文では、後半でグローバルな取り組みのための国際機関に予算を配分する事を提唱している。いざ発生したときの大規模な費用を考えると僅かな額だろう。しかしながら、それすら事前に決定することは非常に難しいだろう。スペイン風邪と豚インフルエンザ、2つの失敗はいずれも重い。

 そして、感染の初期段階ではむしろ泥臭い対応が重要だろう。隠そうとする農民への保障ということだ。例えばこのアナン氏の訴えは途上国を見捨てるなということでもあろうが、実際的ではある(参照2)。日本ですらそのように行動するのだ。しかし主な危険は中国ということになりそうだ・・・・・発生したとして、早期に把握できるのだろうか。場合によっては世界の命運がかかるのだが。

 最後に日本の厚生省のものをリンクしておく。(参照3)大声で色々言いたくないのは分かるし、心構えが必要な人々は一部でいいのだろうがこれは・・・・もっとも大規模感染に関する懸念はマスコミがツッコミを入れないといけない問題なのだが、それはいつものことだが日本では無理だろうか。
posted by カワセミ at 00:21| Comment(1) | TrackBack(1) | 世界情勢一般

2005年10月28日

国連安保理改革の行方(10)

 米国が、常任理事国入りを希望している日本に対し、多くの加盟国の賛同を得られる案を共に協議するという話が報じられている。いつもの事だが、雪斎殿のエントリはタイムリーでポイントを突いていて参考になる(参照)。
 私はこのテーマ関連のエントリで何度も述べているのだが、日本の常任理事国入りには賛成だがG4案には反対という米国の発言はそのままの意味で解釈すべきだろう。しかしながら日本国内においては米国は非協力的との印象を持つ人もおり、極端な意見となれば、米国も本音では反対で中国との裏取引で潰したのではないかという言すらある。誤りなのだが、米国としては日本の不信感を払拭する必要を感じたのだろうか。いずれにせよ、世界第二の経済大国をここまで面倒見なければならないとは、米国も気の毒なことである。
 これに対し、G4案推進の今までの経緯から慎重な対応を考える人もいるようだ。しかしながら現在G4案が通る可能性がゼロに近いことは周知の事実である。この問題については愚直ながら正攻法で進めるしかない。私は以下のような手順が重要ではないかと考えている。それぞれかなりのオーバーラップが存在するが、大まかな流れとしてはこのように進めるのが良いと思う。

・G4案失敗の総括
 この案はG4のどこか特定の国が執着したのかもしれない。しかしながらそれ以外の国から見ればG4の結束を示すものであり、四ヶ国全てに責任があることは明白である。この案に賛成するように世界の多数の国に強い要望を出し、中には日本も含めたG4からの脅迫という印象を感じた国もあるかもしれない。それであるが故に、結果として賛成を得られなかった案のどこが悪かったかを総括するのは重要である。それぞれの国がはっきりとしたコメントを出すべきだろう。できれば指導者の直接的な発言がより良い。また、G4のそれぞれの国がどのようなコメントを出すかによって、再度行動を共にするかといった、今後の外交展開を考慮する材料の一つともなる。また言うまでも無いが、賛同してくれた国に謝辞などを述べるといった事は大事だろう。

・G4諸国の外交方針の確認
 これは理念、あるいは建前の戦いとも言える。そもそも国連改革の一環としての安保理改革として、安保理をどうしたいのかというそれぞれの国の理念がこれまでは見え辛かった。単にステータスを占めたいのか、それとも常任理事国になった後に何か今までの安保理と違ったものにしようというビジョンがあるのかという事である。現実を考えれば、自国の立場が少しでも有利になればという程度の話かもしれない。しかし各国は建前を大声で主張してきた。それを再確認するのは重要だろう。そして日本はこれまで同様に負荷を負うと言うことをはっきりと宣言するべきだろう。単なる自己主張の延長である国は、この段階で方針が違うとして距離を置くのが良いだろう。次の行動での共同行動とも関連してくる。そして率直に言うと、インドはこの付近で怪しいかもしれない。

・改革された安保理における行動に関して
 これは米国の考え次第で大きく変わるだろう。米国は国連安保理をどうしたいのか決めかねているようにも見える。元々の要求水準が低く、セレモニーに過ぎないと考えているだろうが、機能すればそれに越したことはないとも思っているだろう。そのため、ある程度同盟とのオーバーラップを意図する方向で動いてはどうだろうか。
 第二次大戦直後は、これを本気で安全保障の強制力の源泉と各国が考えていたフシがある。軍事委員会などもあったようだ。しかしこれはあっという間に機能しなくなった。それを意図するというほどではないものの、小規模でも常設の多国籍部隊の設置を常任理事国の主導で構成すると提案してはどうだろうか。資金協力は当然である。そして参加はあくまで有志とし、しかしながらその貢献を毎年総会に報告するなど、数字で残るような枠組みが良いだろう。

・米国と各国への最終的な説得方針
 米国を説得するとすれば、「安全保障に関する価値の共有」と、「確実性と長期の安定性」をキーワードにすると良いと思う。前者は、安全保障に関する考え方の違う事から、しばしば現在の安保理が機能しなくなる事を説き(例えば以前のエントリで述べたような感覚の違いがあると紛糾する。6ヶ国協議の紛糾も機能しない安保理と共通点があり、参考になる)価値観の共通する、かつ負荷を負う能力と意思のある国とするべきだろう。具体的に言うとドイツになると思う。そして、この拡大安保理のメンバーは比較的安定性がある。旧G5という、経済大国が含まれ、長い間米国と同盟を結んでいた国でもある。現在の安保理常任理事国の問題は大半中国、次いでロシアにあると思うが、ロシアを極力引き寄せ、孤立を避けたい中国を黙認に持っていくというのが近未来の風景として安定感があるだろう。不確実の脅威に対応しなければならない現代で、伝統的な価値観を共有する安定した確実な枠組みは価値がある、と主張してはどうだろうか。

 そしてこれが重要だと思うのだが、多くの国を説得可能な案が現実には無い以上、「あの付近の国なら仕方が無いだろう」というような、賛成というよりは容認を目指すアプローチが奏効すると思われる。米国は不安定の弧の戦略からインドを重視しているようだが、この選択は案外後で苦労する結果になると思う。
posted by カワセミ at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2005年10月16日

欧州と日本の国境問題に思う

 欧州で難民問題というと、直感的にはイスラム圏からの問題を連想してしまう。ただ文化的に近い東欧圏からのほうがむしろ伝統的な問題であるようだ。
 経済先進国との格差を動機とした移民の感覚は、日本も伝統的には持っていた。しかし遅くとも20世紀前半くらいまであり、それ以降は国内が繁栄しているので今日の日本人は忘れてしまったようだ。大まかにいって一人あたりGNPが2倍程度では移民の動機付けとしてはやや足りず、3??4倍とかそれ以上の格差が必要になるらしい。日本から見てそのような国は近未来を含めて存在しないので、皮膚感覚としては失われたままだろう。もちろん日本人にとって幸運なことではあるが。当然の事ながら、今の日本は難民の流入を警戒する立場だ。それでも島国であるので、地続きの欧州と比較すれば随分有利だ。また欧州社会が安定を確保するために払っている努力は難民問題だけではない。日本社会を欧米から評するとき、「秩序社会」というようなニュアンスで語られることが多いが、これの背景を考えると重い言葉のように思う。

 今となってはやや昔のものだが、このレポートは興味深い。東欧の国境問題は昔からややこしいが、チェコとスロバキアの分離の件などは確かに象徴的だ。当然ドイツは裏で支援していただろうとの想像は誰でも簡単に付くが、ただスロバキアも同じように西側に接近していったのは今日分かっている。当時の段階でも方向性は予想されていただろう。ドイツが難民流入対策の時間を稼ぐためにチェコとスロバキアは2つの国になったのか。そう言うのは確かに言い過ぎだろう。でも完全に否定できない面もある。19世紀の亡霊を見ているようなやや苦い思いもする。ウクライナ??ポーランド間に関してはEUで広く問題になり有名だった。それが東欧全域に渡っているかと思うと、奇麗事では済まないのだろうが。そしてラトビアが最近になってロシアとの国境問題における主張を強めている。それは西側への接近が一段落したからだろうか。ならばロシアの不満も分からなくは無い。個人的にはバルト諸国のイメージに似合わぬ逞しさに好感を覚えるのであるが。

 アジアで経済格差による移民となれば、少し前なら中国が主要なテーマであった。日本の経済援助はその流入圧力をかわすためのツールという側面もある。その観点で言うと、中国に関してはその問題が中国とその周辺国から中国国内に移行したとも言えなくもない。そして日本の少なからぬ政治勢力、例えば外務省のリアリスト派などは中国への経済援助によるメリットは少なくなったと判断したのかもしれず、そのような人々は日本の伝統的な反中派に戻ったという可能性は無いだろうか。問題は難民というより観光を名目とした入国にシフトしているので、マクロ的な対応は功を奏さないのかもしれない。

 もちろんナショナリズムという問題はある。しかし国境問題は本質的に人の管理と直結している。日本の領土問題はいずれも純粋な主権の問題に近い。それは世界的に見れば幸運な部類として認識されているのではあるまいか。
posted by カワセミ at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2005年10月08日

IAEAのノーベル平和賞受賞の意味

 ノーベル賞は、部門によって異なるが、スウェーデンのアカデミーや研究所が受賞者を決定する。しかしこのノーベル平和賞だけはノルウェー国会が選出する。そのため政治的との批判は常に免れないし、実際良くも悪くも欧州知識人の好む多少リベラルな傾向が反映される。
 今回のIAEAもその典型の一つだろう。イランや北朝鮮問題など、核不拡散への後押しという側面もあるが、米国に対する穏やかな抗議という面もある。プレスリリースはこのようなものだが、国際的な協力というのがミソだろう。 この付近に関しては、The Economistが率直かつ皮肉に表現している。(参照)米国がIAEAを散々に非難したことは記憶に新しい。確かに最終責任を取らない言いっぱなしの団体という面はあるし、理念的に過ぎるという批判はありだろう。
 しかしながら、国際的な権力政治というもので、この種の国際機関がある種の権威を持つ事により、政治的決着を図る事を容易にするという面はある。例えばロシアのような国に関しては意外にこのようなアプローチが効果があるようだ。あの国の政治力学もいま少し分かりにくいが、可能であれば極力文明的でありたいという傾向はあるように思う。例えばEUあたりが噛み付いた時の反応は、反発はするがなかなか微妙で興味深い。その意味で、前回の北朝鮮関連の6ヶ国協議で国際的な核不拡散体制への復帰を盛り込んだのは、ロシア経由で中国を説得するという当初から構想されていたかもしれない手法の現実化という面もあるかもしれない。実際に協議後のロシアの反応は素早かった。

P.S
 ロシア絡みだからというわけではないが、今夜のNHK、BS-Hiのバレエ「火の鳥」はお薦め。以前にも放送していたが、好評なので再放送となったのかも。
posted by カワセミ at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2005年09月30日

植民地の歴史に思う様々なこと

 米国が国内問題で忙殺されている度合が大きいせいか、外交の各方面が停滞気味になっているようだ。日本もこの時期に分担金の件で国連を牽制したのが効いたか、国連人権委員会が拉致問題の解決を北朝鮮に促している。この組織は国内の人権状況が怪しい国の発言力が強いと散々に揶揄される存在だが、ただあまり皮肉に考えるだけでなく、途上国の現実も考えるべきだろう。アフリカの一部地域のように生存権そのものが危機に晒されている国はもちろん、中進国に分類される経済水準の国でも国境紛争で人命が失われていることは多い。つまり、世界的に見れば日本の拉致被害という事件は先進国の贅沢としか見られない。もちろん国連の場では、加盟国の状況からしてその行動に多くを望めない。つまり、かなりの諸外国の支援を望みにくく、また人権問題の常として、その当事者たる国家の政府方針に密接に関連する。本質的に解決の困難な問題なのだ。
 しかしながら、日本の政府は有権者に負託を受けており、多くの民主主義国と同様、この問題を解決せねばならない。世界的に見れば贅沢だが、逆に世界の人権に対する考え方の水準を引き上げる効果も少しくらいはあるわけで、これは人権に対する考え方が近い国と共同して対処せねばならない。日本政府は、このように拉致問題の解決が本質的に難しいことをもっと率直に説明するべきだろう。

 ところで人権問題となれば、お約束のように出てくるのが今の先進国の植民地時代の話だ。今でも旧宗主国が批判されることは多い。この付近は洋の東西を問わないので日本に対する韓国の反応などはまだ理解できる範囲として鷹揚に構えていればいいと思う。もっともそんな対応したら先方はまた怒るのかもしれないが。いずれにせよ民主主義国のリベラル勢力の知的頽廃のせいもあり、未来志向的な政治論も少し減退気味だ。そのせいで過去に視線が向くのだろうか。誤解を恐れずに言えば、旧植民地の自己認識は旧宗主国の世論に大きく影響され、彼らが問題視する範囲で問題視しているとも言える。

 植民地支配の非となれば、個人的には19世紀後半の日欧米諸国のそれは近代化に寄与した点も多く、必ずしも完全否定されるべきではないと思う。しかしもう少し時代を遡った場合はどうだろうか。例えばスペインの中南米に対する対応はどうか。これは今日の基準からするとかなりネガティブに評価するしかないのではないか。もっとも時代が古いので人権に関する概念も19世紀とは違う。19世紀と現在との違いより大きいかもしれない。そしてイギリスもフランスもこの時代は無茶苦茶である。多分植民地支配の非を鳴らすとしたら、この地域が一番適合するだろう。とはいえ、真の主体となる人間も今や少ないのだが。

 見本の一つはギアナだろうか。帝国主義というのも愚かなくらいの物扱いだ。ガイアナが旧イギリス領ギアナ、スリナムが旧オランダ領ギアナで、フランス領ギアナだけが現在もフランス領のままだ。ちなみにギアナ三国という言い回しがある事は恥ずかしながら知らなかった。ただバルト三国と違って植民地時代のややこしい事情による遠慮があったのか、その表現を回避している向きもあったようにも思う。なお東に行くほど経済的にましだが、これはクレオールの人口比率が多いから、というとまた物議を醸しそうだ。この付近はインド系住民が多いという経緯もありややこしい。この地域は絶対人口が少ないこともあり余り注目されないかもしれない。ガイアナは人民寺院の集団自殺で有名になってしまったが現地の人間には迷惑な話だ。

 フランス領ギアナに関しては、元々が犯罪者の流刑地だった過去がある。そのため20世紀前半まではひどい状況だったようだ。この付近は英語版のWikipediaがその歴史も含め記しており割と良いと思う。ちなみにここからの脱走を試みたアンリ・シャリエールの自伝「パピヨン」は映画化されたこともあり有名だ。もっとも映画は脚色も多いようであるが。今はクールーにフランス国立宇宙センターのアリアンロケットの打ち上げ基地があり、人口20万に満たないこの海外県のGDP25%を占めているそうだ。欧州宇宙機関の主力射場で、赤道に近い絶好の位置だ。手放したくは無いだろうが、失業率も多いので独立することも無いだろう。それに限らず、現在旧植民地の独立が少なくなっているのはEU域内扱いになるという事情もあるようだ。

 結局歴史問題というのは生き残った人間の子孫が現在どういう立場にあり、どう考えるかという事に尽きる。歴史はただ一つしかなく、あり得たかも知れない他の選択肢との客観的な比較など出来ない。欧州の歴史を色濃く反映する南米地域はその見本だろうか。ただこの地域での反米感情の逃避先がしばしば欧州文化への傾倒であったりするのは皮肉としかいいようがないのだが。
 アフリカとなると、南米の黒人や混血者のみならず、米国でも黒人は他の民族系統に属する人々と違って、自らのルーツとなるアフリカへの無関心が際立つ。アフリカ地域が世界から孤立しているのは、留学生などの移民、その子孫が故国に冷淡なことと無縁ではない。公然と指摘するのは皆が避けているが。曲がりなりにもグローバル化の一環として国際社会で厳しい競争に参加している国より、それに取り残され、孤立した国のほうが問題は多いのである。
posted by カワセミ at 00:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2005年09月25日

世界の民主化は意味があるか

 ブッシュ政権に影響を与えたとされる、ナタン・シャランスキー氏著作の"The Case For Democracy"が邦訳されているので目を通してみた。邦題は「なぜ民主主義を世界に広げるのか」であるがこれはどうだろうか。ちなみに宮台氏の後書きもちょっとポイントを外している気がする。
 それはともかくこの本の内容である。読み終えた後の最初の感想としては、「これは世間で誤解を生みやすい書だな」である。実際そうなっている向きがあるのではないか。

 政治に限らず、人が他人や書物を評するときにはいくつかのパターンがある。大雑把に分類すると加点法か減点法というところだ。前者は瑕疵があっても本質的な部分で高い価値があれば高く評価するというやり方で、後者は細かい瑕疵などが無い完璧さをもって良しとするやり方だ。私的には知識人には後者が多いが、最優秀な人物と真面目で良心的な庶民には前者が多いという印象がある。アメリカは前者が多く、日本は後者が多いとも言えるだろうか。そしてこの書物は、恐らく加点法でしか評価し得ないものだ。結果、多くの知識人には懐疑の目で見られるのは致し方ない。しかし欧米保守派の最優秀な人々とかには評価されそうではあるし、世間的にも時間の経過に伴って意図が理解されるようになるのではないか。なお、政治などを語るときには、前者を基本とする基本的態度を崩さず、後者のアプローチは個別政策の議論に落とし込んだミクロな議論にとどめるべきという方法論を私は信じている。

 ライス国務長官が引用した「街の広場テスト」は比較的良く知られている。曰、人が集まる街の広場で自国の政府を批判し、それで自分の身に危険が及ぶかどうかだというのが基準だという。ちょっと聴くと大雑把で粗雑な議論だが、それがこの本の主張の要所だと考えると少し違う。いくつか書内から引用する。

「・・・自由世界と恐怖世界の間には、自由社会内部のさまざまなグループ間の相違よりはるかに大きな断絶があるという事実を我々が忘れてしまったら、我々は明確な道徳性を失ってしまう。我々の間にあってしかるべき相違、自由社会の中の灰色の濃さの違いが、誤って白と黒と認知されてしまう。そうなると、自由社会と恐怖社会を分かつ本当の白と黒との境界線、善と悪とを分かつ本当の境界線が識別できなくなるのである」(P.17)

「体制批判が禁じられているところでは、社会は必ず三つのグループに分かれる。一つのグループは、現行秩序に賛同し、それにコミットしている人々(真の信奉者)から成り、もう一つのグループは、処罰のリスクにもかかわらず現行秩序に公然と反逆することを辞さない人々(反体制者)で構成される。これら二つのグループのメンバーについては、自分の個人的な考えと公の場での発言の間にギャップはほとんどない。真の信奉者や反体制派とは異なり、第三のグループの人々は自分の考えていることを表に出さない。このグループは、現行イデオロギーをもう信じてはいないが、体制批判に伴うリスクをも恐れている人々から成る。それが『二重思考者』である。」(P.64)


 様々な政治体制の中で、この種の二重思考者を生み出す政治体制だけが駄目で、それを他と区別し、この政治体制に宥和してはならないというのが核心的な主張だ。日本に例えると北朝鮮に宥和するような事が駄目だといっている。この種の政治体制では世論や政治家の行動が信頼できず危険をもたらすので、自由主義社会が通常行う信頼を構築していく外交が機能しないと説く。そして外敵を使って国内の統治を維持するとか、また書の後半ではパレスチナを例に取り、恣意的な教育が行われている例を挙げている。これは中国などを見ても専制政治には一般に観測される現象といって良いだろうか。

 ここで指摘したほうがいい事は、戦争というものは必ずしも民衆の感情によって発生するというわけでもないことだ。むしろ論理や力学で方程式の解のごとく出てくるものだ。例外は民主主義の定着と産業の勃興期に、世論や未熟なジャーナリズムが過大な影響力を持った場合だろうが、この記憶が今日の先進国に強すぎるかもしれない。実際は中東やアフリカの地域紛争のほうが世界的に見れば典型例だろう。

 後半では、イスラエルを例に取り、パレスチナ自治政府の問題の多くを指摘する。この部分には色々瑕疵も多く、一方的立場からの書と批判される原因にもなっている。しかしながら、以前のエントリに示した異なる政治体制間の紛争が永続しているという意味で(ここでは第一グループと第三グループ)世界的に見ても例外的な立場ではあり、現状のイスラエルは誤解されている面が多いだろう。イスラエルを消し去った地図で教育を行っている相手が紛争の当事者であること、神殿の丘に首相が訪れただけでそれがテロの口実になるという事実は同情に値する。対応手法の洗練度はもっと追求するにしても、倫理的な非の度合いは思われているよりずっと少ないだろう。これは欧州の反ユダヤ主義の陰険な反映という側面もあり、日本あたりがより客観的な事実ベースの報道をすれば良いのだろうが。対中国や北朝鮮でも個別事情は違うのに構造自体は類似しているのは指摘されるべきである。もっとも対中のために中東を利用するのかという批判をする人は出てくるだろうが。

 シャランスキー氏は良くも悪くもサハロフ氏の直系という印象がある。氏を批判するのであれば、その方法論にするべきであろう。本質的に自由主義社会がより良質で、自由化を進めることの長期的意義は認めつつ、費用や人命リスクといったコストには限りがあり、短期的な対応は至難な場合が多いことなどだ。そして客観的な価値基準を一律に適用することが現実の政治では困難で、他者からは恣意的に見えてしまうことも解消せねばならない。ただ、氏の知性を考えるとその種の批判など百も承知なのだろう。つまり、自由世界はもっと多くのコストを負担してくれという単純な、しかし切実さのあるメッセージなのだろう。
posted by カワセミ at 21:46| Comment(3) | TrackBack(1) | 世界情勢一般

2005年08月24日

EUと中国の繊維産業貿易摩擦(2)

 対EUでは6月に当面の妥協が成立したかに報じられていた中国の繊維製品問題だが、やはり尾を引いているようだ。(参照)EU域内での各加盟国の対立が深まっているとの事。繊維問題はとにかく政治的な争点になりやすい。日本はこの問題を世界で一番実感しにくい国ではなかろうか。
 欧州に関しては、北アフリカ諸国との関係で、一定程度代弁せねばならない事情から問題が複雑化していることは以前のエントリでも述べた。今回もフランスとイタリアが強硬派なのは符合する。自国内の産業としても当然移民が多い。ところでこの税関足止めは、昔の日本の対欧自動車輸出でやられたこともある。税関窓口の処理能力が追いつかないという建前だった。今回も同じなのだろうか。フランスはこの手の変化球が昔からうまい。結局買ってるにも関わらず大声で騒いで当時の日本人の感情を害した米国は随分損をしたようにも思う。また今回の交渉手法も妙に似ていて日本人としては笑える。(参照)数値目標つき自主規制って・・・・米国的には自由貿易の原則を曲げてないつもりらしい。
 米国は9/7に胡錦濤主席との会談を控えていることもあり、欧州の情勢横睨みといった構えか。ちなみにこの付近の記事は淡々としているが面白い。中国はEUの妥協を予想していたようだ。しかし空気が読めてないのではないか。EUはとにかく当座の時間稼ぎでもいいので何とか短期的な対応をしたいと取れる。フランスやオランダでの欧州憲法の否決や欧州サミットでの予算案の否決などの情勢を見る限り、EU内では北欧やイギリスがフランスに何がしかの妥協を探る状況のようにも思われる。まして英国のテロ後でイスラム系移民の扱いがますます微妙になっている時期となると、この問題はそれほど中国に妥協する余地は無いのではと感じられる。
posted by カワセミ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2005年08月21日

国連安保理改革の行方(9)

 常任理事国入りが絶望とかいうニュースが流されているようだ。極めて国内向けの議論でどこから出てきたのか分からない。今回の外務省の対応は奇妙な部分が多すぎる。
 今回の国連改革は様々な要素を含む広範な内容で、常任理事国増加問題に労力を割くのは一部の国に過ぎない。つまり情勢は極めて流動的で、ちょっとした事で様々な改革案件が進まなくなる。可能性は残っているがグチャグチャな状態でどうなるか分からずお手上げ、というのが客観情勢だろう。とはいえ常任理事国入りに限れば厳しい情勢であることは事実である。今までの日本の対応の奇妙さは色々あるが、いくつか確実に失敗といえる点を指摘しておきたい。

・常任理事国の容認を取り付けていないこと
 これは全常任理事国の容認が必要であることから当然だが、反対する国があったとしても一ヶ国に抑えるべきである。それでも平然と反対するかもしれない。今の常任5ヶ国はいずれもそんな外交を平気でやる国である。またアメリカが「G4案に反対」と公式に発言すればそれはそのままの意味なのだが、欧州の一国がそう発言する場合と米国が発言する場合とでは明らかに違う。これをなぜ理解していなかったのか。

・G4案そのものの問題
 アフリカから2ヶ国というのが決定的に無理。あの地域からは非常任を出す程度が限界だろう。そして常任・非常任合わせて増加数が余りにも多すぎる。この案が通った場合には、それ以外の国では将来に渡って望みがないという具合に受け取られるだろう。つまり、本質的に多数派を形成できない案である。もう少し補足すると、この案を推進した場合、自国にも何らかの可能性があるかもしれないと初期段階では支持を集めるが、絞込み作業が進むに従って反対する国が増えるという結果となる。つまり、最初から最終形をある程度提案し、それを止む無しとする国際的な雰囲気を作るという方針で進めるべきであった。ちなみにアメリカの国際的な提案は国連に限らずこのパターンが多い。外からはごり押しに見えるので日本のマスコミの受けは悪いが・・・・

 恐らく外交過程のどこかの段階で、今回は厳しいという感触を得ているはずだ。多分町村外相のすぐ下あたりの国連担当の外務省役人が無能だったと思う。その段階では失敗する場合の形態を調整しておかねばならないのだが、最後まで可能性があるという誤った判断をしていたようだ。結局、義務と権利はセットでなくてはならない。そうでない今の安保理は本質的には機能しない形式的な枠組みに過ぎない。最初は中国の反対で失敗させるための罠かとも思っていた。政治家はそれを意図していたフシもあるが、外務省が駄目すぎたようだ。政治的判断はやはり政治家が本職で、官僚は判断を誤るということだろうか。
posted by カワセミ at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2005年08月20日

「文明の生態史観」に思う

 未だ頭は盆休みモードという事で、書評もどきの気楽なエントリを続けてみる。もっともいつもが真面目というわけでもないのだが。

 今回取り上げるのは古い本となる。「文明の生態史観」(梅棹忠夫氏 著)である。これは雪斎殿のブログで引用されていて気になっていたものであるが、非常な良書と感じた。
 内容としては、著者の論文・エッセイ・講演録などをまとめたものである。ただ全体として生態学を基礎とする著者の科学的アプローチからなる聡明な視線がこの書に一貫したテーマを与えていると思う。中核となるのは「文明の生態史観」である。また世界の様々な地域を訪れ、様々な文明の実態を鋭い視点から比較することにより、本質を捉えることに成功している。
 「文明の生態史観」は、個別地域の文化というよりは、社会の発展段階を重視した論考だ。すなわち、西欧と日本を第一世界、ユーラシアの乾燥部分の周囲にある大帝国が形成される地域を第二世界とし、持続的な発展で社会を成熟させることに成功したのが第一世界であると説く。こういう社会科学的アプローチとしてはむしろ歴史時代以前が有効かも知れず、以前のエントリでも挙げたジャレド・ダイヤモンド氏の「銃・病原菌・鉄」が類似の視点を持つ説得力の強い好著として挙げられる。しかし、歴史時代以降も同様の思考によるアプローチが充分有効だという見解は、この書物によって充分に示されていると考える。
 またこの書物の魅力は、文明史観の着眼点による基本コンセプトの優秀さに留まらない。各地の文化を語るときの、漫遊記とでもいいたくなる、ある種の諧謔??おかしみを持った表現が大変魅力的なこともある。ちょっとした比喩とかも膝を叩きたくなることが多い。中には書かれた時代を反映するような??例えば欧州への空路の途中がインドや中東であるなど??といった部分もあり、逆に興味深くもある。梅棹氏は、もし今現在若い年齢であるとするならば、ブログなどを開いて大変な人気を博するタイプの人ではないか、などと夢想するのだ。

 しかし何より私が印象に残ったのは、この論文を発表したときの著者への反応を自ら語っている部分である。一つは、これを日本論として政治的な発言のごとく捉えた結果としての反応(日本にとって都合がいい、悪い考え方だ、との観点から)が多いということ、もう一つは、それでは日本はどうすればいいかという事に関する言及が無いとの批判である。これは今日から考えれば当時のマルクス主義すら力を持っていた時代には止むを得ない側面もあったように思う。しかし、いずれも科学的思考からは随分隔たった意見だ。ある文章が書かれるその背景の曲解というのは、日本人の悪弊かもしれない。そう考えると、21世紀に至った我々の現状すら、特に海外の論考となればその種の誤りを犯すことが多いように思われる。大半の公式論文がそのような意図を最初から帯びている国も中にはあるが。そしてどうすればいいかを提言するには、その提言にはそこに至るまでのプロセスがあるという事が大事だ。そうでなければ単に思いつきを綴っただけだになるし、それは恐らくは中途半端を嫌うこの著者の嫌がりそうなことなのだろうな、と思う。

 この本が書かれてから随分年月が経過するのに、未だその価値は衰えない。それは反面日本人の進歩は遅いものであったという事をつくづく実感する事でもあるのだが。北朝鮮情勢などを巡り、やっとその価値が本当の意味で理解されるのだろうか。
posted by カワセミ at 01:59| Comment(6) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2005年08月11日

ミドルパワー外交論に思う日本の外交

 遅れ馳せながら、最近話題になっている著作の一つである”日本の「ミドルパワー」外交”(添谷芳秀氏 著)を読んだ。結論を先に言うといささか残念な出来という思いが強い。そのためお薦めの本としては取り上げないし、リンクも用意しないが(まぁ、検索することは容易だろう)いささか思うところも多いので、本の感想と関連することに関して少しばかり述べてみたい。

 この書物では、日本は旧来の大国外交から身を引いた「ミドルパワー」としての外交を推進しているとし、戦後の歩みの中でそれがどのように展開してきたかを述べている。中級国家として、カナダ、オーストラリアなどとの比較、近年の人間の安全保障などを含めて論を展開しており、権力政治のような大国外交でない所で独自の存在感を示す政策を推進する事をミドルパワー外交としている。
 しかし、私はこの著作で展開されている上記のコアコンセプトそのものに問題があると考えている。この著作自体は、日本の戦後外交を比較的良くとりまとめており、事実関係を整理して概観するには比較的良いと言える。しかしながら、上記の「ミドルパワー」という観点からそれを説明しようとする箇所になると必ずしも説得力があるとは言い難い議論になる。例えば中曽根氏が中級国家という言葉を使ったあたりなどはそうだ。著者はそれをミドルパワー外交の面から説明しようとする。しかしその時期は日本の経済力の絶頂期に近かったことを忘れていないだろうか。つまり、世論の反応も前提に「中級にとどめたい」という負担回避の側面があったことも鋭く指摘すべきだろう。この著者は自己の主張を何らかの形で大きく盛り込みたいという誘惑に対し、もっと怜悧に自制的であるべきではなかったか。

 何より、この著作自体で引用している部分にしばしば本質に近い部分が隠れている。例えばミドルパワーの代表格であるカナダにおいて、本来の主張では国家の規模を表すニュアンスがあるとしている。しかし著者は規模より政策の中身が重要だとする。果たしてそうだろうか。また第二次大戦後間もない1947年という時期にジョージ・F・ケナンの言として「アメリカ、ソ連、日本、イギリス、ドイツ」を「パワーの中枢」と位置付けていることが表現されている。そして現在、米前国務副長官のアーミテージ氏は「世界的な政治影響力」を持つ国として「アメリカ、ロシア、日本、イギリス」を挙げている。個人的には現時点ではロシアが抜けてドイツとフランスが入ると思うがまぁそれはどうでもいい。問題の本質はこの「影響力」というところだろう。
 少し前に「小さくてもキラリと光る日本」とかいう表現があった。この著作にも「大国面をしない大国」のような表現が引用されている。これは確かに日本の自己認識や願望を表す側面があった。しかしこれがいかに浮世離れした、日本国内でしか通用しない議論であったかはもはや論ずる必要も無いだろう。人口一億二千万の世界第二の経済力の国を「小さくても」と表現する奇怪さはもちろん、他者の目に関する無頓着さがむしろ日本の外交の足を引っ張ってきた。近年の日本はそういう非現実的な論から脱却しつつあるように見える。その状況下で、この著作は新時代のそれに対する提言というよりは、むしろ旧時代の残滓としてそこに存在しているように思える。

 ミドルパワー外交としての政策に意味が無いと言っている訳ではない。ただ本来規模を表す側面があるのは、単独で影響力の少ないところを国際的な力を結集しようとするニュアンスがあるからだ。日本の場合は例え権力政治から身を引いたとしても、その身を引いているという事実が変化していないという事を常に外部から継続的に確認されるという立場にあることを自覚するべきだろう。例えばIAEAが継続的に日本を監視してきた意味を考えるといい。そして世界的に大きな国際問題が発生した時、影響力の大きな国がどう反応するかは常に報じられる。日本としても、米国はどう反応するか、英仏独はどうかと報道し、カナダやオーストラリアのことはさして扱わない。では海外から見たとき、日本はどちらのカテゴリに属するのだろう。

 これは世界の歴史をどう解釈するかに関しての著者の考えの反映かもしれない。19世紀には英仏独襖露が欧州で権力政治を展開していた。その延長で現在は米露中などと考えているのではないだろうか。それは恐らく適切な見方ではない。その基準だと大国外交は「世界または地域秩序の形成とそれの維持に主体的に関わり、影響力の中枢にある国」と表現されると思われるが、その意味では冷戦期には米ソのみが大国であり、冷戦後は米国のみが大国だ。それを支える国として欧州や日本があり、それが唯一の巨大な存在で、現在のロシアや中国はむしろアウトサイダーと見なすべきだろう。そして間接的にはロシアも中国も米国の恩恵を受けていると言えるだろう。(ロシアに関して言えば、現在のロシア国境線は米国主導の世界秩序で守られているとも言えるし、中国に関して言えば日本や韓国や台湾の核武装と向き合わずに済み、経済発展している)事実として世界秩序は米国がほぼ単独で取り仕切り、それに対する中国やロシアの影響力は日本や欧州の一国と比較して高いというわけでもない。ましてWTOのような世界的な通商ルールに関する発言力などは皆無に近い。その観点からすると経済力が重視されねばならず、大国は日本や英仏独を定義せざるを得ない。

 いずれにせよ、日本はもう少し自己の立場を考えるべきだろう。日本が何か外交で動きを見せたとき、それは日本がどの程度リソースを注ぎ込むか、またどの程度の負荷を背負う意思があるのかということに注目が集まるのが現実だ。ちょうど日本が米国を見る視線と同じように。いずれにせよはっきりしていることは、現在のミドルパワー外交の代表格たるカナダやオーストラリアも含め、世界の大多数の国は日本に対して「ミドルパワー」と表現することは無いということだ。結果としてミドルパワーの影響力となっても、タダの出し惜しみと見られるのが関の山だろう。
posted by カワセミ at 00:06| Comment(2) | TrackBack(1) | 世界情勢一般

2005年07月29日

国連安保理改革の行方(8)

 町村外相が国連分担金の削減を示唆する発言をしたと報じられている。これは相当の波紋を引き起こすだろうなと思っていたら、案の定騒ぎになっているようだ。ライス国務長官との会談が急遽セットされたのも明らかにこの影響だろう。

 日本人の気付きにくいところだが、そもそも日本が諸外国にどのような外交を行うかというのを事前に予測するのは難しいことが多い。ここが分かるのはいい加減付き合いも長いアメリカくらいではないか。少し以前は、ある国が日本と外交するのにアメリカに頼みに行く事がしばしばあり、「対米追従だからそうなる」と批判する日本人も多かった。そういう側面もあるが、日本はどう考えているのか説明を求めに行くという面もあったのだ。
 今でも欧州あたりからは「政策決定プロセスが民主主義国にはあり得ない位不透明だ」というような非難をされる事が多い。近年だと、例えば小泉首相の自衛隊イラク派兵などは、国民が空気を読んで腹芸的に認めたようなものだ。多かれ少なかれ国内が多様な民主主義国は議会政治の中でそれが決まっていく。そこが見えない日本は外から見れば本当に分からない国なのだろうな、と思う。まして第二次世界大戦前は相当不気味に見えただろう。Becauseを説明しないと外交の場では狂人扱い、が欧州の伝統だが、明治や大正の政治家がそこそこやれていたのは、国内をまとめること自体が大変で、その延長上で欧米とコミュニケーションを取れていたからではないかという気もする。国民国家としての統合度が高まると、自覚が無いうちにそれが失われたのかもしれない。

 そして今回の国連安保理改革は、端的に言えば日本問題という気もする。これは単純な話で、今まで常任理事国が増加しなかったのは、候補の筆頭級である日本がやる気が無かったからというのが最大の理由だ。他の国が意向を示しても反対派が「日本も入ってないのだから」と切り返して潰すことが可能だからだ。その意味で日本はある程度の義務を背負っているとすら言える。大国は世界の問題から逃げることが出来ない。何もしないこと自体が多くの国に迷惑をかけることもあるというのを日本人はもう少し自覚すべきだろう。もちろん国連だけの問題ではなく、多国間外交すべてにおいてだが。

 AUは予想通り分裂傾向のようだ。実はこの最終的な決着の仕方が一番重要だ。なぜなら、アフリカ諸国がまとまらないことがG4やAU案失敗の原因であるような形であれば、それ以外の案が出てきたときに反対し辛くなるからだ。事実今はジョーカーの押し付け合いに近い様相ではないか。
posted by カワセミ at 00:58| Comment(3) | TrackBack(3) | 世界情勢一般

2005年07月14日

国連安保理改革の行方(7)

 各国の立場、案も出揃い、これからが本番だと思っていたが、本番だけあっていきなり強烈なのが。他国にも反対を促すという内容。理事国は最大20ヶ国前後というのはやはり本気で言ってるようだ。首尾一貫していて言ってる事が変わらないといえば、それはその通りなのだが。
 米国に関して言えば、ボルトン人事等で揉めていてまだ国連外交の準備が出来ていないので、今様々な事態が進行するのを嫌ったのではないかという可能性もあるように思う。ただ政権としての見解は方向性として堅いので(ともあれ、短期的には国連を実効性のある機関にするように努力するということ)態度は明確だということではないか。
 それにしても日本の国連対応の担当者の反応は少し変な気がする。小泉首相は今回「難しいことは最初から分かっている」とあっさりしたコメントを出しておりこれはその通り。町村外相も分かっているようだ。だったらもう少しやり方があるように思う。それよりAU案に案の定暴走の気配がある。これとの妥協は可能なのか。条件闘争の一環の側面もあるが基本的に調整力が弱い以上、最初の見込み通りに収拾出来なくなるのではないか。
posted by カワセミ at 23:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 世界情勢一般

2005年07月05日

国連安保理改革の行方(6)

 AU諸国が独自案を出すと報じられている。このニュース、私が見た範囲では、新聞社サイトなどの各種マスコミで外交筋からと称して「予想外の事態」とコメントがあったと思う。少なくとも午前中にはそうなっていたがこれが現在は軒並み訂正されているようだ。これは分からなくも無い。
 この「外交筋」が何なのか良く分からないが、多分交渉に当たっている外務省の高官のとある人物だろう。ただこの発言は絶対に叩かれる。というのは、国連安保理改革はこのアフリカが大きな山になっているからだ。私も今までのエントリで「アフリカの二ヶ国を決めるあたりで破綻か」と書いてきた。この部分が決定的要因になると確定しているものではないが、話し合いがまとまらない確率が極めて高いのは常識だろう。要は、G4案がうまく通らない場合の言い訳的に使って、見え見えで早速叩きが入ったので引っ込めたというところか。もっとも今までもなぜかこの「外交筋」からは米国の意図を陰謀論的に取る向きがあった。だとすると天然での意見かもしれない。そうだとすると無能であることは間違いないので問答無用で更迭するべきだろう。
 いずれにせよ、ここからが本番である。今までは言わば前振りに過ぎない。報道を見る限り町村外相のコメントは極めてまともである。少なくともまだ大きな失敗はしていないようだ。G4案とAU案の擦り合わせに成功し、米国とどこかで妥協点に達すればうまくいくかもしれない。ただし、その妥協は「日本に有利な形での破綻」に至るかもしれないが。
posted by カワセミ at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2005年06月20日

核拡散問題に関する近年の議論、および考察(3)

 核拡散の問題に関して取りまとめて見ようと考えていたが、この分野は海外の良書や良い研究が多く、少なからず米国での見解が日本にも当てはまってしまうし、個人の見解を述べること自体にさして積極的な意味がないようにも思えてきた。
 ここで日本は核武装国でないので立場が違うし、一日本人として発言する意味もあるのではないかと思われる向きもあるが、私の見解としては、いわゆる先進国と言われる米国の同盟国??具体的にはNATO加盟国と日本、豪州などだ??は核の傘という点で相対的安定を保っていることから、安全保障環境の変化そのものに不利益を蒙るという点で立場は類似していると考える。この付近の感触は前のエントリで紹介した著作で日独あたりの空気が良く表されているし、傍目八目的な的確さは否定すべくも無い。
 そして、現時点での世界の現状となると、このWolfsthal氏の論文が良書を引用しつつ的確にまとめあげている。こんなものが無料で読めるのだからBlogを書く意欲など無くなるというものだ。またさらりとした文章ではあるが、しかしながらこういう文章を書けるようになるためにはどうすれば良いかという事を考えると少し立ちすくむ思いもする。

 それでも少しばかりコメントしてみたい。

・3つのノー
 大別してルーズニュークと国家による核開発の2つの問題であるが、これが同一の文脈で語られるのは一見したところ意外だ。しかしながら、少し落ち着いて考えると最終的には未管理核の脅威に行き着くという観点でマクロ的には順当だろう。ただ日本のような精密な軍備を持とうとするような国が核開発を試みる場合、この論理が理解されにくいが故の摩擦が発生するのではないか。

・米国の影響力の低下
 これは実際のところ、それほどでもないのではないか。冷戦時代の意識が残っている米国は、旧ソ連の荷物まで背負わされたという微妙な被害意識を持っているのだが、特に核の問題となるとそれがセンシティブになるのかもしれない。かといって他の国に任せられないのがまた難しいところだ。世界的に見ればマシなほうのフランスでも怪しくて仕方ないだろう。

・平和的な核施設を持つことが他国への保険
 日本も含めて、まさにそのように行動している国が多い。しかしそれ自体が脅威の拡散になる事でもあり、核拡散の本質的な問題の一つだろう。恐らくこの至難なミッションを世界で最も精密にやり遂げたのが日本だ。そしてしばしば言われる、イランは日本のようになりたいのではないか、という指摘は恐らく適切ではないか。もっともイランは比較にならないほど日本より稚拙で、失敗しそうではあるが。

 この問題は、調べれば調べるほど微妙なバランスだということが分かる。仮にアメリカが孤立主義になった場合、安全保障問題で真っ先に全世界の課題となるのは核拡散問題だろう。例え核武装国でも、それを防ぐための軍事行動というのは至難極まりないだろうから、ありとあらゆる局面で手遅れになるのだろう。
posted by カワセミ at 22:21| Comment(0) | TrackBack(1) | 世界情勢一般

2005年06月17日

国連安保理改革の行方(5)

 国連改革に関して議論は尽きないので、またエントリを入れてみる。今回米国の言い出した「常任理事国は日本と後一つの途上国」という発言はかなり波紋を読んだようだ。しかしこと米国に限れば話はそう単純ではない。ボルトン人事などまだ紛糾していて、国連にどのように相対するかがまとまっていない。米国政治では議会が重要なのだが、議会の超党派委員会の報告書も議論百出で細部に合意というわけではない。分かりやすく言うとこれから決めるという状況だ。そもそも石油食料交換プログラムの件でまた揉めていてとてもそんな話をしている余裕はない。案の定資金初出もまた中断だ。(参照、要登録)
 それでも以前から分かっていることはある。以前のエントリでも書いたが、米国としては広範な国連改革こそが眼目で、それは前述の議会報告書でもライス国務長官のこれまでの発言も同様で一致している。常任理事国増加問題には関心そのものが薄い。例えばNY Timesのこの付近の記事(要登録)ではあっさりと書かれているが、現在の主流の提案(G4案)とコーヒークラブの対抗案がいずれも理事国を25ヶ国にするという点では同等と見ているという感触が分かる。国の選択はまだ真剣に考えたものではないと思う。日本に関しては断れないにしても。

 それで日本はどうするべきか。米国がこのような状況だからその一挙手一投足に振り回されてコロコロ発言を変えるべきではない。私はG4戦略そのものに賛成ではないが、それでも一度打ち出した意見を簡単に取り下げるべきでは無い。その点ではここ数日の日本政府の対応は評価できる。しかしながら、話が煮詰まってきたらどうするかは腹の中で考えておく必要はある。
 個人的見解としては、G4案の常任6ヶ国増加は無理だと思う。特にアフリカの2ヶ国が不可能に近い。そして実現可能な数とすれば、結局は米国の言う2ヶ国程度で落ち着く公算が強いのではないか。それは日本とインドになるかもしれないが、それは公正でないと思う。権利には義務がつきもので、まさに米国の主張しているように、自由と民主主義を基盤とし、世界の平和と繁栄に貢献する意欲と能力を兼ね備え、実行する国で無ければならない。つまり日本とドイツだろう。地域的バランスが悪いが、そもそも条件に当てはまる国の分布するバランスが悪い以上仕方が無い。日本が首尾一貫するという意味でも、この組み合わせで認めるようにブッシュ政権を説得するべきではないかと思う。もちろんインドやブラジルが入ればそれはそれで良いのだが、国連の形骸化に貢献したとの謗りを甘受するだけの覚悟はしておく必要があるだろう。
posted by カワセミ at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2005年06月15日

核拡散問題に関する近年の議論、および考察(2)

 核に関して議論する際、特に日本では国内的な事情やいくつかの特定国の思惑に目が行き、世界全体を見渡した場合の議論が甘いように思われる。前回指摘した核保有国の核軍縮を強調するのもバランスが悪い。逆説的だが、確かにそれは非核保有国の主張の正当性を見かけ上高めるという性質もあり、一理あるが故にむしろ有害でもあるのだが。核保有国は非核保有国に関するコミットメントを継続しつつ政治的に良好な環境を醸成しなければならないという複雑な義務を抱えている。

 ここで、先日のエントリで紹介した議論でも触れられていたが、近年の核拡散に関する論文等でしばしば引用される書籍があるので紹介する。"the nuclear tipping point"である。日本語訳だと「核の転換点」であろうか。(参照)リンクしているのは安価なペーパーバックのほうである。ハードカバーのも存在しているようだ。今の所邦訳は無いと思われる。
 この書籍では、国家が核武装を目指す場合の政治的な動向に関して論じており、序論として核兵器の歴史と現在の状況、ケーススタディ選別の解説など、次に各国を例に取った具体的なケーススタディ、最後に全体を通してのまとめ及び今後の展望とおおまかには三部構成になっている。そして各国ごとのケーススタディを扱った第二部が全体の中核を成しており、ページ数としても3/4以上と大半を占めている。具体的に各国の情勢に関して触れることにより、核問題の実相を多面的に浮かび上がらせようと意図している書物である。そしてこのケーススタディでは、Foreign Affarisで言うところの「異変を知らせる炭鉱のカナリア」として、次の8ヶ国について記述されている。現在米国が注意しなければならないと考えている国があるとしたら、その選択としてこれらを挙げる事は適切といえるかもしれない。具体例とされている国は以下の通り。

・エジプト
・シリア
・サウジアラビア
・トルコ
・ドイツ
・日本
・韓国
・台湾

 各章は数十ページずつの分量で、各国の第二次大戦後の安全保障小史も兼ね、核兵器に関する政治的立場、具体的な過去の政治家のコメント、冷戦期及び冷戦後の政治状況の変化、米国のこれまでの対応の解説、米国の政策の今後に対する提言などが手堅くまとめられている。細部に至るまで細かく目を通したわけではないが、全般としては緻密に組み上げられた方程式のような印象を受ける、極めて冷静で合理的な内容だ。この問題を深く知らない人に対する啓蒙の書としても、また専門家に対する現実の指摘と政策の提言としても優れていると思う。
 内容を細かく語るのは著作権の問題もあり、興味のある人は読んでいただけると良いのでここでは触れないが、日本を例にして感想のようなものを述べてみたい。

 冒頭、笑えることに昔話題になった「沈黙の艦隊」に関して触れている。これは当時国防総省がきっちり調査して、米議会で「無駄なことに税金を使うな」と叩かれた事でも有名だ。しかし、冷静に読むとかねてから知られている米国の伝統的な主張と一致する。すなわち、「核武装の意図はないというが、世論というものは短期間で変わり得るものだ。能力がある以上核武装の可能性があるとするのは当然である」という意見だ。まさにその世論の変化、すなわち政治の変化に関する点が日本に関する議論の中心となっている。これは歴代の自民党政権に触れる中で良く出ている。
 米国側の視点ということであるが、自民党の歴代政権は様々な形で核武装を模索していたという一貫したトーンで書かれている。岸政権や佐藤政権はかなりのタカ派と見られていたようだ。わけても佐藤政権は非公式な発言でジョンソン大統領にショックを与えている。そして中国の核武装の日本に対するインパクトは、一般の日本人が考えていたよりずっと大きかったようだ。非核三原則が幻想であるというのも、当の自民党関係者の意見として取り上げて指摘している。
 英語というのははっきりした言語で、ここで書かれている表現は日本人としては留保を付けたくなることが多い。ただ、やはり歴代の日本の政治家は世論の反対にもかかわらずかなりきっちり検討していたのだろう。日本人が感じているほど核武装の可能性は低くは無かったのかもしれない。内容を読む限り、日本に無知とはとても思えないような冷静さで、世論動向も踏まえている。そして論理的な整合性はちゃんと取れている。自民党は経済専念の印象とは違い、安全保障に関する責任能力で政権を維持し続けたと私は思ってきたが、過去も未来もそういうことで合っているのかもしれない。
 最後の提言は、一書籍の意見とはいえ、米国保守派の見解の中核を成すような印象を受ける。すなわち、「アメリカが日本に果たしている抑止と安全保障に関して、日本が信頼しているという事を疑うようなことをするな」「大量破壊兵器の拡散防止に注力せよ」「議論のあるところではあろうが、ロシアや中国に対して『日本カード』を使って日本に誤ったメッセージを送るな」の3つだ。米国の立場に立つなら、誠に的確な提言であろう。他国に関しても、米国の関与のあり方が議論の中心だ。ここで挙がっているのは大半米国の同盟国である。シリアも間接的にはそうなのだろうか。裏の繋がりが良く指摘されてはいるが。世界を相手にしんどい事だと苦笑するしかないが。
posted by カワセミ at 22:41| Comment(4) | TrackBack(1) | 世界情勢一般

2005年06月12日

核拡散問題に関する近年の議論、および考察(1)

 イランと北朝鮮における核兵器開発問題の出口はなかなか見えない。核兵器誕生以来、この究極の攻撃兵器を巡って世界は振り回され、それは今も継続している。ここで場合により資料を引用しつつ、何回かのエントリで私の考えを述べてみたい。
 まず、核兵器獲得のインセンティブは基本的に費用対効果による。純粋に使う用途よりは世界的に見れば安全保障面での政治的ツールとしての役割が大きい。この動機は国によって異なるが、米国と同盟を結んでいる先進工業国と地域大国を目指す途上国は様相が異なる事が多い。
 例えば日本の場合どうだろうか。私は少なくともソ連や中国のような、米国と緊張関係にある国に関しては核の傘は有効に機能する(もしくは、そういう方策が政治的に最適解となる)と考えてきた。少なくとも冷戦期に核武装を考えるとなると、ほぼ次の二種類の事態が発生した場合に限られると思っていた。

(1) 韓国、台湾など、近隣の米国の同盟国が核武装した場合。
(2) ドイツ、イタリア、スウェーデン、カナダなど、世界の主要な工業国が核武装した場合。

 いずれも米国の核拡散に対するポリシーが変化した場合を示す。少なくとも抑止のために存在する核については、抑止環境の変化が唯一の理由ではないかと考えている。しかし、冷戦期以降の不安定な状況では、この抑止環境が変化し、米国のポリシーもかなりのメンテナンスを伴わないと機能することが難しくなってきた。
 私が近年の米国の政策で最大の失敗と考えているのは、パキスタンに核保有国となるのを認めてしまったことだと思う。これは、良くも悪くも(本当に良くも悪くも、だが)大国の特権的な印象がある核兵器を、場合によっては地域大国が認められる事があるという悪い先例を作ったと考えられる。例え当面の不公正さはあっても、当面インドには認めてパキスタンには安全保障の傘を提供して我慢してもらうべきだったろう。案の定この悪影響は後にイランに及ぶ。

 核拡散に関しての議論で良いものがあり、引用する。(参照)主要部の日本語訳は現在発売中の「論座」7月号に掲載されている。ここでの議論は、将来見通しの部分に関してはいくつかの留保が必要だと思うが、現状認識に関してはほぼ完璧に近いと思う。内容自体は読んでいただくとして、いくつか感想を述べてみたい。

・NPTの抜け穴
 少し補足すると、民生用の技術として開発し、兵器技術に転用しようとする国があるのは今に始まったことではない。ほとんど核不拡散体制の成立当初から出てきているに近い。そのため民生用の技術も禁止しないと核拡散は防止できないという悲観的な見解は昔からあるものだ。

・核軍縮の試みと不拡散体制
 現在の核保有国が核軍縮をすると核兵器の拡散は止まるかというと、それはナンセンスというのは全くその通りだろう。むしろ米国のような強力な核保有国(他の国でもいいのだが、現実問題として存在しない)が抑止のために軍備を整備したほうが、同盟国は核武装を断念することが多い。もちろん一部途上国は、現在の核保有国が核軍縮する中で自らが核武装するのはメリットが大きいと考えるだろう。

・北朝鮮核実験時の日本と韓国
 日本が最初に倒れるドミノになるとしているが、これは外れるだろう。恐らく非核三原則の三番目、「持ち込ませず」を解禁する形で対処するのではないか。というのは、韓国に核武装させたくないというのを日本は最初に考えると思われるからだ。

・イランの核武装
 ここで話題に出ているパキスタンとイランの識字率だが、前者が30%で後者が97%とある。私はぼんやりと60%-90%くらいのイメージを持っていたので少しばかり認識が甘かったと痛感した。恐らくイランは中東で最も近代的国民国家を作りやすい国だろう。一般の印象と違ってイラン国民は宗教面では最も世俗的でもある。「聖なる体制」は家に戻れば無いようなもの、だそうだ。むしろ近年の韓国などに近い形かもしれない。この国に関しては何とか米国と同盟関係にまでなって核の傘を提供するのがベストなのだろうが・・・・
・北朝鮮核武装問題の進展
 最後の部分で述べられている悲観的な読みはかなり鋭い着眼点だ。事実手を出しにくい環境が揃っている。伝統的な米国の政権ではこうなる可能性が高い。ただブッシュ政権に限ればどうなるか分からないと思う。韓国が反対している限り武力行使は出来ないが、かといって米軍の朝鮮半島からの撤退は韓国の核武装を促すだろうというのは、述べられているように当たっているだろう。
posted by カワセミ at 16:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2005年06月10日

中国の繊維産業貿易摩擦で考えたこと

 この件は様々な国を巻き込んで揉めている。どうというわけでもないが少し感じたことがあるので書いてみる。
 この問題では、欧州は北アフリカ諸国、米国は中米諸国との義理もあり動いている。対して日本は、繊維となると関係する諸国は多いはずだが外交的対応はあまり無いようだ。欧州諸国が典型だが、北欧などを除きODAに関してはそれほど鷹揚というわけではない。日本も最近財布の紐が固いが、それでも伝統的に援助を取り付けること自体は難しくない傾向がある。丁寧に窮状を訴えればそれなりに助力する事が多い。しかし、こういう政策面での外交バックアップは日本はいつも腰が引ける国だ。外国の窮状のために外交方針を変えるようなこと、まして内政面で法律を整備することに至っては実にやらない国だ。
 これは純経済的な問題もあるかもしれない。GNPの貿易依存度は主要工業国では日米が際立って低い。米国は超大国で世界中にしがらみがあるとすれば、日本だけが例外と言えないことも無い。実際は今でもかなりの程度孤立できる国なのだろう。それが政策面にも影響していると思われる。しかし金を出しても冷淡な国と思われやすいのも事実で、また実際に自分に身近なこととなると途端に身勝手になるという傾向自体もそれほど否定できない。
 少し前、日本の経済が好調なときに「円経済圏」を絶叫した人々がいた。結果的に実現しなかったわけだが、アメリカの横槍が無くても間違いなく破綻していただろう。アメリカはどうせ破綻したのだから恨みを買うようなことをせず放置して置けばよかったと後悔している向きがあると聞く。確かに、通貨の影響力を持つという事はそれを使っている国に責任が発生すると言うことである。使ってもらっていることにメリットが生じている以上義務でもある。しかし、「金利政策」と一つ単語を上げただけでも破綻確定な気がするのだが。
posted by カワセミ at 23:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2005年06月08日

国連安保理改革の行方(4)

 何と言うか、毎日新聞のこんな記事に文句をつけても仕方が無いのだが、日本のメディアの駄目な面が色濃く出ているなと思う。焦点は当面アフリカなので、それを中心に書くべきなのだがもっと彼らを主体的に書くべきだ。
 コーヒー・クラブはなかなかうまいやり方を考えたなと思う。非常任理事国の増加を言い出してきた。確かにアフリカは一部諸国を除けば常任理事国の地位は遠く、まだしも望みがある非常任理事国の増加に傾くのは筋として分かる。そして結局のところ、常任理事国の増加は特権階級の国を増やすだけで改革の理念そのものに反している面がある。どうもG4諸国は目先の交渉にこだわって、総合的に前向きなメッセージを打ち出す事が甘くなっていたかもしれない。やはり何がしかの負担を負う事を示さないと駄目だろう。
 「米の本音」というが、民主主義国の外交が分かってないとしか言いようが無い。自分たちならそう考えるという程度の、日本の旧左派、ロシアや中国のような稚拙な世論に過ぎない。この種の外交では公式発表が全てなのである。日本だけなら拒否権付きでもOKという米国の意見表明はそのまま取るべきだろう。
 結果的にうまくいくかもしれないが、そもそも自国が常任理事国になるためにG4のような枠組みを利用するのは外交手法として良くないのではないか。果たして常任理事国にして良いかどうか怪しい国まで無思慮に巻き込むのは問題があるだろう。もちろん既存の常任理事国と比較してどうかという問題はあるにしても。とかく全体像が見えなくなるのが日本の悪い癖だ。ドイツはともかく、果たしてインドやブラジルが常任理事国の地位にふさわしいと信じて共闘しているのだろうか。例えばインドは拒否権の地位にこだわっている。本筋は廃止なのだが、このように新たな特権を得ようとする態度では既得権益を保持する現常任理事国の亜流に過ぎないと見られるだけだ。代わりに新たな負担をするという話も余り聴かない。もちろん現常任理事国もいい顔をしない。さすがに日本やドイツはこの付近の空気が読めていて必死に止めているが、現在は足を引っ張るだけの存在のようだ。
 常任理事国の顔ぶれに問題があるのは間違いない。しかし政治の現場では、積み重ねられた歴史は重みがあり、なかなか覆せないものだ。それを改革するには少なくとも短期的な負荷を背負うしかない。そして安全保障に責任を持つという事は、近代というものを共有してきた歴史が必要なのだろう。インドはアウトで、ブラジルはボーダーラインだろうか。アフリカからの二国は論外だろう。そして常任・非常任理事国の数を増やすという事は、それが機能しにくくなるということと道義であり、改革という理念的な目的自体に反するという本質的な矛盾に対する回答を示すべきだろう。もちろん、日本やドイツに関しては、より機能させなくするために常任理事国入りを目指しているという皮肉な見方は可能なわけだが。
 しかし、この種の国際的な枠組で話し合いをするたびに、いつもいつも米国の言い分が一番合理的なのは一体どういうわけだろう。結構身勝手に言ってるだけの事も多いはずなのだが。単純に他の国がそれより駄目というだけの話だろうか。
posted by カワセミ at 23:10| Comment(1) | TrackBack(2) | 世界情勢一般

2005年05月26日

NPT体制の危機に思うこと

 前回のエントリを書いた後、NPT体制の危機が報じられた。英仏独とイランとの交渉は形式上継続協議であるが、実質的に破綻していることは明らかである。結果だけ見ると何年も前に米国が言っていた通りというのはもはや苦笑するしかない。北朝鮮に対する中国の説得も、やっているようではあるが進展しない。日本の力量となると言わずもがなである。世界の主要国が揃いも揃って見事に何の役にも立たない。こと安全保障問題に関してはどいつもこいつも使えない連中だと米国が思っているのは間違いなかろう。つくづく強制力の担保というのは永遠の課題なのだなと思う。ある国がどうしても核武装すると決意し、止めざるを得ない時どうすれば良いかとなると解は自ずから明らかである。
 核兵器拡散の問題というのは昔から課題が多い。民生技術を隠れ蓑に兵器に転用するというやり方は今に始まったことではなく、ほとんど原子力発電の歴史の当初に近い時期からある。これを抑制するのはむしろ冷戦時代のソ連のように無慈悲な国があったほうがまだ機能した。そして化学兵器の技術となるともう手が出ない。
 この化学兵器の問題、日本人にはピンと来ないが欧州の人々にとっては政治的インパクトが大きい。第一次世界大戦時に多量に使われ、塹壕の中で兵士が無力に死んでいったイメージが今でも根強い。戦後の障害者問題もあり記憶があまり薄れなかった。日本でいうところの核兵器の記憶のようなものか。人間は自国がひどい目にあわないと何も実感できないのだろうか。愚かなことではある。イラク戦争時に大量破壊兵器が問題になったが、あれはやっぱりフランスに味方して欲しかったからだろうなと思う。良くも悪くもフランスは欧州世論のドミノの先頭である、他の国への影響は大きい。化学兵器があるとなればフランス国内的には問題は無くなる。何しろ関連機材だの何だの、ドイツと並んで自国の取引が無かったとも言えない状況だったのがまた情けない。何しろフランスの場合は当の政府がどこまで把握してるか怪しく、政府が断言することが難しい。日本や米国のように兵器輸出を厳格に管理している国から見れば危ないとしか見えないだろう。このノリで中国に武器や技術を流出させられてはたまらない。もっとも欧州だけではなく、最近はイスラエルのレーダー技術まで中国に流れるとか何とかという話で米国との関係が相当まずくなっている。この情勢では日本がさぞやマシに見えるだろう。
 産業が高度化したり、社会が新たな発展段階に達すると、様々な社会的課題が発生するが、安全保障問題に限れば、現代世界の様相を考えると真っ先に標的になるのは米国でしかあり得ない。ある国だけにしかやってこない種類の危機というのは案外少ない。あるとすればそれは国内要因が主体で材料的には今までの歴史で出尽くし感もある。以前のエントリで対応すべき課題には様々な対象があると書いたが、様々な波がありながら結局先進工業国に分類される国は米国と類似のパターンで国際的な課題が波及してくるように思う。前回のエントリで可能性として上げた中国の不安定に対する対応などはレベル3/4の脅威の好例だろう。問題は脅威が顕在化する時期と、自国が基本的に回避可能な内容の脅威は何かを判断することだが、それこそが事の本質で、分かれば全ての問題に対処可能になる鍵なのだろう。世界的に見れば核拡散と環境問題ということになろうが、各国の時間的余裕の温度差は大きい。混乱は誰もが知っている通りである。
posted by カワセミ at 23:10| Comment(1) | TrackBack(0) | 世界情勢一般