2010年02月21日

ハイチ地震と孤児問題、およびフォーサイト記事について

 久々の投稿である。昨年目を悪くして以来散々である。手術後の経過自体はまずまず順調という話であるが、それでも元通りとはなかなかいかない。視野の周辺は少々歪んでいるところがあり、結果的に山のように残った飛蚊症も手が出ない形だ。全国的に有名な眼科をいくつか訪問したが、当面定期観察で様子見にするしかなさそうである。仕事や生活は何とか続けられるがとにかく疲れる。行動力が半減したというところか。まぁ、幸いにも黄斑部にまで被害が及ばなかっただけ良しとするしかないが。

 さて、今回は地震で大きな被害を受けたハイチの孤児問題を取り上げてみたい。国内報道が相対的に少ないと感じているからだ。後述するがこの問題は今月のフォーサイトでも取り上げられており大変参考になった。

 米国では後述する事件のせいもあり継続的な報道があるが、背景のまとめとしてはBBCのこの記事あたりがいいかもしれない。(参照1)日本のWikipediaも比較的記述は多い方かもしれない。(参照2)独立の時期は古いにもかかわらず、独裁的なデュヴァリエ政権が崩壊したのは1986年である。他の中南米諸国と比較してかなり民主化の速度は遅い方と言えるだろう。同じ島を共有するドミニカ共和国とは大きく運命を分ける形となった。これは経済面でも同様で、一人当たりのGNIはハイチが$660であるのに対し、ドミニカ共和国は$4,390となっている。(世界銀行より:参照3、ドミニカ国は別にあるのに注意)なおハイチは台湾と国交があり、台湾に大口の債権国にもなっている。今回ベネズエラのチャベス大統領の言動が目立つ形になっているが、これも大口の債権国という事情があるからである。(参照4)

 とはいうものの、最大の影響力があるのは米国であることに変わりはない。過去の占領統治などの責任もあり、難民受け入れなどにも積極的であった。今回もフランスの呼びかけに賛同して債権放棄を進めている。また米国では経済力のある人は養子縁組をして若年世代に貢献するべきと言う価値観もある。そしていずれも教会の影響力は強い。(話は飛ぶが、常に米国で争点となる妊娠中絶問題もこの文脈を考えなければならない。教会などが相当程度養子の世話までするから、産むまでは責任を取れ、勝手に殺すな、という話だ)今回問題になったのはハイチ当局に無断で子供の連れ出しを図ったという事件であり、米国では大きな報道となっている。(参照5)人道的な団体を不当逮捕したような印象も受けるが、実際はややこしい事情があり、当該の人々が人身売買と区別が付かない場合もある。国内では産経新聞が臓器狙いの側面もあるというニュースを流していたのが目に付いた。(参照6)この事件そのものの最新の情勢としては、裁判官は関係者の釈放を命じたが尋問のために残留しているという状況のようである。(参照7)

 誰でもいいからハイチの子供を連れてこいと空港で怒鳴る米国人や欧州人の姿は日本人にはピンとこないだろう。ただ、そういう人々からすると日本人は極端な血統主義者にしか見えないのも事実だ。北東アジアには概してこの傾向はあるとはいえ、高所得国の割にはモラルがない、と思われているのは確実だろう。国内ではハイチへの援助の遅れを危惧している声もあるが、実際は孤児受け入れの話をさっぱりしないことの方が欧米での評判を大きく落としているのだ。とはいえ、国民性の問題もあるので簡単な話でもなく、そのせいでもあるのか半ば報道はタブー視されている印象もある。だから何かしなければと言うわけでもないが、日本は地震国でもあり、被災者の若年世代への援助は適切だろう。せめて孤児院建設のための助成とか立ち上げ時の人員派遣とか考えるべきだろう。もっとも国内でも子供にかける費用の少ない国であるというのが近年の現実だが。

 ところで今回のエントリはフォーサイトの記事に触発された物である。というより、その記事を読み、基本的な知識を各種の公式サイトで読み、欧米の主要なマスコミのサイトを見ればこのエントリを読む必要はない。この雑誌が休刊になるというのはかねて報じられており、大変残念な思いをしていた。今回の記事は海外からの訳だが基本的には日本人の書いた記事が多い。これは重要なことだ。海外の論調を追いかけるのも大事であるが、日本人の目から見て書かれた記事も、しばしば外国から出てこない内容があるからである。日本人が国際情勢に精通すれば、日本のみならず世界に貢献できるとも思う。最近は貴重な雑誌などの休刊が目立つ。外交フォーラムの休刊予定も既に知られている話だ。池内恵氏のように寄稿する中で失望の意を表明している人がいるが全く同感である。ちなみに私も一読者として昨年フォーサイト編集部にメールしてみた。まぁ、少々値上げしてもいいから何とかならんかと一言書いた程度だ。そうしたら意外にも返信があった。もはや問題なかろうと思うので記名部分だけ削って転載する。
 
編集部あてのメールありがとうございました。「値上げがあっても」とまで書いていただき、本当に痛み入ります。
『フォーサイト』休刊決定にあたっては、読者の皆様には多大なご迷惑とご心配をおかけし、本当に申し訳ありません。にもかかわらず、暖かいメールをいただき、感謝の気持ちで一杯です。私たち編集部としては、精一杯の努力をしてきたつもりですが、力及ばず、今回の結果を招いてしまったことに忸怩たる思いがあります。今はただ、「価値ある雑誌だった」と評価していただけるよう、残る3号、良いものを作ろうと、次の企画を考えているところです。
この間、読者や筆者の皆様から、休刊を惜しむ声が続々と編集部に届いています。こうした声に接するたび、この雑誌を続けていくことのできない寂しさを感じると同時に、すばらしい読者に恵まれてきたのだという事実を再認識し、励みに感じる毎日です。本当に、本当に、ありがとうございました。
またいつか、何らかの形で「フォーサイト的なもの」を世に出せる日がくることを、私たち自身、願っています。それが、どんな形になるのか今はまったくわかりませんが、私たち編集部員が胸にともす「フォーサイトの灯火」が消えることはないと思います。またいつか、何らかの形でお目にかかりたいです。どうぞ、あと3号、見守ってやってください。


 そしてそれなりの反響があったのだろうか、今月のフォーサイトにおいて、今夏をメドに有料版のWebで復活する旨が記されていた。現在のようなままというわけにはいかないが、深く掘り下げた記事としたい、と記されていた。まだ具体的なことは記されておらず今後どうなるかは未知数だが、まずは復活を喜びたい。
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2009年08月29日

近況と昨今の内外情勢に関する雑記(2009.08)

 昨年から眼病に悩まされ、最終的には網膜剥離で入院手術ということになってしまった。思っていたよりもかなり大変だった。評判の良い眼科ということもあり術後の経過は良いが、まだ何かと不便なのは否めない。とはいうものの、失明もせず生活も仕事も何とか継続できそうなので良しとするしかないだろう。追加で別の治療は考えないといけないかもしれないが。まぁ、そんなこんなで何とか生きている。

 すっかり世情にも疎くなったのでなかなか復活とはいかないが、せっかくなので様々なテーマに関するちょっとした所感でもメモして、久々の挨拶としておきたい。

衆院選:
 いよいよ明日が投票ということになった。今回は自民党が政権継続というわけにはいきそうもない。民主党も頼りない印象があるせいか世の中のフラストレーションは大きいようにも思える。しかし私としては、元々の期待が大きくないせいもあるが、今まで定期的な政権交代がなかった民主国家としては昨今の状況はまずまずなのではないかと思っている。もちろん真の論点は先送りにされ、数回の衆院選を経ないと意味のある論争は生まれないかとしれない。ただ30年くらいかかりそうなものが半分程度にまで縮められた印象はある。それはまだ見えにくいが良心的といえる少数派の議員、心ある官僚の努力の結果だろう。マスコミはもう一息で脱皮というところだろうか。紆余曲折は多いに違いないが。不安視されている外交・安全保障政策も、右派的政策は左派政権で実現が容易になるという性質を考えると、かなりの混乱を経た後に一定の成果は出せるかもしれない。歴史を振り返るなら、明治末期から大正期あたりの不安定な政党政治の時代がまた来るのかもしれない。その時とは異なり、今の日本人は議会政治の中にしか良い解は無いことを理解していると思う。

アフガン情勢:
 率直に言うと展望は悪いだろう。破綻国家が世界に悪影響を与えるのは事実なので全く関与しないというわけにはいかないが、投入コストは青天井になりかねない。コストを絞って封じ込めに舵を切る戦略が最も適切と思われるし、英国は以前からこの意見が強い。保守派の間ではコンセンサスが出来つつあると思うのだが、オバマ政権がどのあたりでバランスを取るつもりなのかはまだ見えてこない。失敗と評価されるにはまだ若干の余裕があるが、国内政治の帰趨によっては政治的資源が急速に失われかねない。医療保険改革がアフガン情勢に影響ありというのは筋違いに思うが事実だろう。しかし米国の現状を思うと、日本の健康保険制度は自国民があまり意識していなかった様々な要素によって支えられているということを実感する。

G2論:
 この種の言説に関して過剰に反応する必要はないと思う。過去は日本に関してもあったし、当面の成長エンジンに注目は集まりやすいものだ。ペッグ制の現実を考えるとG1論の変形の感もあるし多少の屈折も感じる。ただこの種のレトリックで持ち上げて国際的に有用な役割を中国に果たしてもらうというやり方はあるかもしれない。中国が貢献しやすい国際的な責務を民主国家で共同して考えてみるのは良い事だろう。例えば難民の受け入れなどは日本よりハードルが低そうだ。

新型インフルエンザ:
 ワクチン輸入に関して不用意な言及。正直ぞっとした。意味が分かって発言しているとは思えないが。今少し深刻な病状をもたらすウイルスであれば世界はどう報じたであろう。

核廃絶問題:
 この問題の本質を扱った論評が少ないと思う。つまり、この半世紀強という時間で、核技術を扱える国は潜在的に増加し続けてきたという事実を冷静に指摘しなければならない。1950-60年代あたりの、現在先進国といわれるような有力な工業国や地域大国の試みに
は、多くは米国が核の傘を提供するか、有効な安全保障上の関与を行うことで対処した。またこれは自発的に核開発を断念するに至った唯一のパターンであることにも注意する必要がある。そして、それらの米国の申し出に最終的に納得出来なかった国がインドなどのように核武装国となったわけだ。そして、パキスタンあたりを皮切りに、次の発展段階にあたるやや外交上の安定感に欠ける国々まで手を出せる段階に達したというのが21世紀初頭の現状というわけだ。リアリストの立場からこれに対処しようとしたら、核廃絶というようなテーマを挙げて時計の針を逆回転させようとするのは当然のことである。少なくともロシアをこれに納得させるのは充分可能と思われる。中国も現在の水準が高くないので微減程度で済むだろうし、核武装国の政治的資源は維持可能と踏めば協力は取り付けられる可能性がある。むしろ英仏あたりをどう扱うかがかなりの難題となる。
posted by カワセミ at 22:19| Comment(3) | TrackBack(2) | 世界情勢一般

2008年12月31日

2008年を振り返って

 別に1年のまとめというわけではないが、年末なのでちょっとした所感を記しておきたい。金融危機以来の状況の変化は大きいのでなかなか追いかけられない。エントリを増やしたいという気はあるのだが、どうにも途中で止まってしまうという状況だ。

麻生政権:
 これは私の個人的な予想が大きく外れた結果になった。首相就任直後のマスコミの報道には違和感を持ち、そもそも解散など微塵も考えていないのだろうと考えていた。なってしまえばこっちのものとばかりに、「解散するために就任したわけではない。内閣総理大臣の責務を果たすために就任したのである」とでも発言して平然と任期切れまで居座るかと考えていた。しかしその後の各種報道、本人の発言を見ると必ずしもそうではなかったようだ。もちろん公に出来ない事情があるのかもしれないが不可解に思える。なぜなら、逆説的だが今の首相の政治的な拘束条件はあまりないからだ。次の選挙は普通にやれば自民党は下野する可能性はかなり高い。負けて元々、勝てば自分の手柄くらいに思えば少々強引な事も可能である。もっと理解できないのは定額給付金関連の経緯だ。こういう施策は行政コストの単純化を第一に考えないといけない。年収にかかわらずとにかく配るとして、富裕層は負担を増やすことにして帳尻を合わせるだけの話だろう。経済畑の首相にしてどうした事か。外交面では悪い対応をしていなくても、基盤となるのは国内での立場の強さだけにどうにもならない。つくづく人物と地位の関係は微妙なものである。次の首相が誰になってもどうなるか予想が付かない。やはり選挙区の候補者選定と党首を含む党の要職を選出する予備選段階の民主化を相当強化しないと日本の政党政治の先行きは暗いのではないだろうか。

雇用情勢:
 逆境になると社会の悪い面が出てくるという点では日本に限らない。それでも、表面に出てくる事象に陰鬱さが目立つのは否めない。性格的にあまり明るい民族性ではない上に、儒教的な禁欲性が変な形で出てくる。そして日本の場合は福祉機能を一定程度企業にアウトソーシングしている面が強かっただけに、福祉機能ごと失われるという形で労働者へのダメージが大きくなる。一例を挙げると住宅だろう。欧州などは公営住宅にかなり力を入れる伝統があるが、日本は企業が寮を用意したりする。これは賃金以上に各企業の違いが大きいので、助成や優遇に関する措置は強化しなければならない。その一方で、居住は基本的人権の一環であるということもあるので、借地借家法などを再度整備して、企業の資産にも弱い義務を課すべきであろう。退去の通告は三ヶ月前には必要で、別途賃貸物件を紹介するなどの措置を取れば免責するといった具合か。事は住宅に限らない。必要なのは、基本的人権に関する保障というのをどの水準で行うかということなのだが、そういう大局的な議論は国政の場では極めて停滞している。その時その時のニュース性のある問題に対応するというのは、それはそれで一定程度大切だが、そればかりでは困るのだ。

地方分権:
 前述の内容とも関連するが、私はこの金融危機で地方分権の流れは一旦停滞すると思っている。理由は単純で、日本中で中央政府に対して何とかしてくれという声が上がっているからだ。少なくとも政治の問題としては市や県に上がってくるわけではない。そして相対的に裕福な自治体も、自分たちだけ財政的に切り離されればうまくやれると考えて行動しているわけでもない。(もちろん、ミクロなレベルでは別だが)結局日本人自体が中央集権が好きだということなのだろう。これは根深い問題で、人間の物の考え方に依存するだけに容易に変化するとも思えない。やるとするなら都道府県の合併くらいだろうが、これも簡単とは思えない。日本人の自覚は薄いが、今の都道府県の区分はかなりの伝統と権威を有しているのである。

Foreign Affairs:
 論座で日本語版を読んでいた人は多いだろう。休刊は残念なことであった。ただ英語版は本家を見れば良く、掲載状況は変わらないようであるのでそちらを参照するべきだろう。日本語で読めるものとしては、実は朝日新聞のサイトに一部の翻訳が掲載されている。(参照)軽く目を通すだけでも参考になることがあるだろう。一例として、個人的に気になったこちらの論文を取り上げてみたい。
 この論文、内容に大きく異を唱える部分はない。ただ個人的な所感としては、米国の政治文化における特徴かもしれないが、概して民主国家連盟なるものそれ自体の結束に関しては過剰に自信を持ち過ぎているように思われる。(困ったことにこれ自体は美点であり、必要であるのかもしれないのだが)というのは、この民主国家連盟なるものをどのような位置づけに置くとしても、それが権威を持つのは国益のための互助会としてではなく豊かな国の責務として義務を果たす時だけであろうと思うからだ。例えば日本にしても、これ以上の義務を果たすことに積極的になるだろうか?日本ほどでないにしても、米国以外の民主国家はどこも充分に計算高いと思うのだが。

田母神論文:
 上記の民主国家連盟もしくは類似の構想は以前からあり、日本はどうするべきかという本質的な議論は必要であり、先送りが続いているのが現状だ。それがこのレベルの問題で停滞しているようでは困る話である。それにしてもマスコミのみならずネット界隈でもこの問題に関する対応は極めて不可解である。通常、一定以下の水準の論説は話題にもならず黙殺されるのが通例で、今回もそうであろうと思っていた。それがこのような展開になるということは、自衛官の地位を奇妙なまでに過大評価しているということになるが、それは今までの世間の対応と矛盾してはいないだろうか。いずれにせよ軍人が偏った考え方を持っているということは世界的に見てもしばしばあるし、現状の自衛官もそれなりにはいるようだ。しかしながら文民統制の原則はあり、実際の行動には害を与えない成熟した状況が確立しており、こういうことがあれば更迭はされる程度の状況認識が自衛隊内部にあればそれで充分ではないだろうか。今回も問題の本質は国政の場での議論が稚拙であるということで、状況に変わりはない。
posted by カワセミ at 23:25| Comment(1) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2007年12月30日

2007年を振り返って

 この所の更新の少なさを考えると、年のまとめという意味も薄い。雑記の延長とでも思って欲しい。来年は大変な年になりそうでもあるし、多少はエントリを増やしたいところである。

・ブット元首相暗殺
 年末に衝撃的なニュースが飛び込んできた。元々パキスタンの不安定な政治情勢においては安定に寄与できる人物が少なく、パキスタンのほぼ全ての人にとってマイナスの面しかないだろう。普通に考えればムシャラフ政権にとっても悪い要素でしかない。アルカイダ関与が確定したかどうかはまだ不明のようだが、いずれにせよ同様に混沌から利益を得る組織の支援で発生したと見るべきであろう。
 米国の反応は予想通りである。ただ、性急に民主化を求めているという面ばかりではないだろう。パキスタンの国民の現状から生まれるリーダーとして、ムシャラフ政権はそれなりに理性的な存在とは言えないだろうか。つまり、イスラム国家としてのパキスタンへの不満を「非民主的」という言葉に置き換えている面があるのだろう。核保有国であることもあり、管理可能な状況を維持することが最優先であることは間違いない。また、パキスタン国内の混乱はしばらく継続するものという前提で各国は政策を考えないとならないだろう。それにしても、パキスタンに核武装を許したのはつくづく負の遺産となっている。イランの核武装があるとしたらそれは脅威であるが、現在のパキスタンにおける弊害はそれ以上ではないだろうか。

・ロシア情勢
 世界的視野で見れば、今年から来年にかけて最も重要な変数はロシアになるであろう。政策の転換が可能かどうかというのがポイントだ。仔細に見るとプーチン政権は石油による収入を原資に工業国への転換を積極的に模索しているようだ。そのため言動はともかく外交上のリアクションは慎重である。これがより不確実性を強めるのか、理性的な路線を継続するかが注目するべきところであろう。個人的には現在のプーチン路線はある程度ロシアの現実に合っているという事情もあり、継続されるのではないかと思っている。より一層の民主化には数十年といった世代の交代が必要であろう。

・イラク情勢
 米国はこれにエネルギーを取られたのだが、増派作戦が一応成功に終わったことで多少状況が好転している。ただし、最終的な秩序形成期ならではの問題は多い。米国はイラク国内の勢力が持つ軍事力を、米国内の州兵を考えるようなノリで対応するのではないかという、これまた逆方向の危険もある。その場合は中央政府の弱体化は急速に進むだろう。一体性を保持することの重要さは強いと思うが、米国が最後までその態度を保持するかどうかはやや不透明と思う。

・コソボ独立問題
 名目は変化するが、現地情勢という意味では大差ないのであろう。問題は他地域への波及なのだと思われる。これは事後的な追認が順次進む種類の問題になりつつあるのではないか。

・サブプライム問題
 あまり問題を単純化するわけにはいかないが、多くの企業が投資に価値がないと思っている対象に資金を提供するのは見合わないのではないだろうか。この問題では、むしろユーロとドルの関係がどうなるかに興味がある。今のところユーロはうまくやってはいる。後は、中長期的な経済成長が続くことを確信させないとならないが、それは少々時間のかかる話になりそうだ。私の個人的な考えでは、長期ならやはりドルだと思っているが。

・日米関係
 北朝鮮問題での微妙なずれから小泉政権下での蜜月は遠い過去となっている感がある。しかしこれはある程度予期されたものでもある。日本は結局どうしたいのだろうか。これまでの経過を見ると、拉致問題の解決には金正日体制の崩壊しか無いように思われる。早い時期に朝鮮半島の統一といった結果を望むのだろうか。それとも、例えば5年後以降といった未来まで先延ばしせねばならないと考えているのだろうか。あるいは主張を継続するだけで自国がこれ以上の負担は背負わないとするのだろうか。結局それは日本国民の選択であるのだが、解決は望むがそのための軍事的負担は望まないというのがマジョリティではないだろうか。だとしたら誰もが不愉快な関与政策は一定の正当性があるとも言える。もちろん外交で解決する可能性がないわけではない。しかしそれは短期的には難しく、長期的にも確率の低い事であるというのを政治家は率直に語るべきなのだろう。
 これは間接的にも日米関係に影響している。自国の国民に関連することすら率直に議論することを避けている国と、安全保障上の重要な政策を共有するのは困難であろう。それ故短期的には純粋に軍事的合理性の観点からの協力で関係を繋いでおくのが良いだろう。時間稼ぎをして日米双方の国内事情の好転を待つというところだ。そのためにもインド洋への自衛艦派遣は適切なのだろうと思う。MDへの関与などもあるが、米国向けのミサイルの撃墜は難しいなどと言っては逆効果である。つくづく頭の痛いところである。

・日本の若年雇用問題、ベーシックインカム論
 「『丸山眞男』をひっぱたきたい」という論文が「論座」に掲載され、かなりの反響を呼んだ。私もあれはある側面から鋭く若年層の本音の一部を表現していると考えていた。ただその後の各界の著名人の反応は首をかしげるものばかりであった。この論文に対する反応として最も鋭いのはessa氏のこのエントリであろう。(ちなみに私も読み始めるまでアンカテ氏と同じように勘違いをして、やられたと思った。その勘違いすら想定しているかもしれない秀逸なタイトルである)要は、自分が普通に街角で出会う人々にひっぱたかれる対象であるという自覚が反論している多くの人に足りないのである。とはいうものの、日本の現状を変えるのは非常に難しい。日本企業の雇用慣行は極端に新卒重視である。悪い事に、なまじ大学卒業時点までの知的研鑽の結果はあまり重視されず、その結果がストレートに雇用に反映されない。それよりその年の景気の良し悪しのほうがはるかに大きなファクターとなる。そしてそれまでは階級社会を感じることはなく学歴の前で人々は「平等」だったのである。また知的労働者の中途雇用において、欧米のそれのように人脈での補完があるというわけでもなく、雇用の絶対量が不足している。個々の日本人が取れる対策としては、異なる雇用慣行を持つ外国で就職することくらいしかないだろう。(外資系では駄目である)しかし多くの日本人はこれを嫌がるのである。
 積極的な解決策は難しいとして、緩和策としてベーシックインカムのような政策が模索されるかもしれない。現在の自民・民主両党の議員の一部が提唱する新時代のバラマキは、結果としてそのような路線に収斂する可能性があるだろう。(ちなみにベーシック・インカムはすべての人間に一定額の現金を支給するという政策だが、これを理解する入門書としては「自由と保障」が有名である。欧州の知的左派の論説として、内容に賛否はあるが考え方の手引として有用である。なお上記のessa氏のページで関連するエントリは過去に多数あるので参照するのも良いと思う)ただし、新時代の左派が模索するこの手法は政治的に障害が大きいだけではなく、政党間での思惑の違いが事後的に摩擦を生みやすいかもしれない。右派は結果として「金を配った後の自己責任」を強調するだろう。この政策ではかなりの公共的な機関は解体されるか機能を縮小しているのでそれ以上面倒のみようがない。それは組織による集合主義的な福祉への要求に応えられないという意味で、元々の左派勢力の思惑とはずれてくる。若者に現金を渡さないことには国内需要が増大しない以上、何らかの模索は継続すると思うが。
 ともあれ、この格差問題は雇用という問題と直結しているだけに長期化して解決も難しい困難な問題である。「希望は、戦争」という考え方はそのまま実現するわけではないかもしれない。しかし、不健康な未来を想像することは容易である。民主主義においては物事が多数決で決定する以上、氷河期世代である第二次ベビーブーマーの投票率が増大し、それが何らかの要因で団塊世代のような人口の多い世代と選挙の投票結果としては一致し、政治家がメッセージを読み違えた場合はどうなるだろうか。より若い世代に対して団塊世代の身代り的に負担を押し付ける選択をするかもしれない。第二次大戦前にはある程度そうなった。それはある程度第一次大戦期に特需で儲けた世代を羨んだ結果でもあった。それが軍事的な側面を持たないかもしれないが、上記の赤木氏の論説は、そういう社会の危機を我々に警告したという意味で、良心的なものであったと言えないだろうか。
 なお蛇足もいい所であるが、この赤木氏の論説に対し、「これだけの文章が書けるなら職もあるだろう」というような反応をするのが的外れの見本であることは言うまでもない。そういう人に職が少ないのが現在の課題であるからだ。しかしながら、学歴の高い人間の割合が低かった世代は未だそういう反応をする人もいる。問題の本質はそのギャップであるのだが、解消は本当に難しい。まぁ、赤木氏自身は結果としてそうなったのかもしれないが。
posted by カワセミ at 03:27| Comment(21) | TrackBack(3) | 世界情勢一般

2007年11月11日

ここ数か月の内外情勢に対する所感

 ちょっと今回はひどかった。少し前に仕事は落ち着いたがすっかりバテていた。書きたい事は色々あるが語りつくされている事が多いとも思った。それでも、ここしばらくのトピックに軽く所感を記すくらいの事はしようと思う。

・安倍首相辞任
 今年の前半は普通に出来の悪い首相という印象であったが、最後に至る経緯はあまりにも不可解な点が多いように感じた。以前にも似たような事を書いたが、内閣を支える立場の人間が、各人の地位において力を尽くす事に対するインセンティブは極めて薄かったと思う。もちろん高い地位にあるのだから私利を過度に要求せず公共のために働けという批判は為されて然るべきである。しかしそれにしても状況が悪すぎた。米国との関係は確かに良くなかったが、それでも国内の支持があればもう少し続いたであろう。

・北朝鮮外交
 現在の米国の方針は、このまま継続して成果を出すのが難しいものかもしれない。しかしこのブログでもしばしば書いているように、強硬策は同盟国の日韓双方が望んでいない。国内の報道ではしばしば中国に焦点が当てられるが、米国の外交的伝統では、それに配慮を欠くことは確かに無いものの、第一義的には同盟国の見解を尊重する。つまり、日本が集団的自衛権を容認し、韓国が南北朝鮮の統一とそれに関する負担を容認しないことには強硬策は推進できないのであろう。いわゆる米国のタカ派に属する人々もこの考え方自体は共有しているであろう。批判は主に今現在の脅威を(シリアにまつわる問題など)過小評価し過ぎるという面に集中している。いずれにせよ今年一杯くらいは現在の状態が継続するのではないか。中東でよほどの問題が発覚しない限り。

・大連立を巡る混乱
 この問題もややこしい。ただここまでの大技をかけようとするからには相応の理由があるのであろう。中曽根・小泉元首相の発言を考えると、私の想像であるが、日本の集団的自衛権の問題が米国との間でかなり切迫しているのではないか。つまりはこの問題を早期に解決するために憲法改正を急いだという事だ。(憲法解釈における福田首相の妙な発言は、「現行」憲法の解釈は譲ってもいい、という意味ではないだろうか)給油問題に関しては(もちろんそれなりに深刻な問題であるが)世間で言及されているほどの深刻さではないであろう。むしろミサイル防衛で米国向けの攻撃を防御できないなどという発言が課題なのであろう。当面は解釈改憲の動きが加速するかどうかで判断可能と思う。落とし所としては、切迫した同盟国への攻撃の場合には、議会への事後報告を義務付ける形で内閣総理大臣の指揮権を認めるというような形であろうか。
 念のために言及しておくが、これは成立するとしても短期間の政治的緊急避難に過ぎなかっただろう。巨大与党が成立しても早々に分裂したことは疑いない。日本は当面の不利益や混乱があってもどこかで政権交代の練習をしておかないといけないが、昨年から2008年の前半くらいはそのチャンスだったかもしれない。ただこの状況ではもうそれは望めないだろう。次の機会はいつであろうか。また10年以上かかるのだろうか。

・イラク情勢とトルコ
 以前から、イラクを地域で分割するのは悪い解決策だと言われてきた。それはここ数年の真実であったろう。しかし残念ながら、自発的移動も含めた形で住民の住み分けはかなり進行してしまった。課題は首都バグダッドであったがそれも機能が低下して弱い行政機能しかもたなくなった。そのため米国としては、コソボに近いアプローチを模索している可能性がある。トルコの真意はこれに対する反発ではないかと思う。クルド地域に安全保障上の問題を抱えているトルコの事情を考えると無理もない。しかし所詮は他国の領土であるという事を少々軽く見ている感があり、米国の外交次第では危険が残っているように思われる。米国は国家の分裂を「民主的」と考える傾向があるのでクルド地域の独立も認めかねないが、現状では危険ではないだろうか。地方政府に大きく権限を委譲した連邦制の維持が現実解なのであろう。

・ミャンマー情勢
 これは事態が動きそうにない。結局のところ日本の対ミャンマー外交は結果を出さなかったと言えるのではないだろうか。中途半端に専制政治に理解を示すのは、一時の便法という割り切りがある時に限るべきだ。さもなければ不測の事態の時に的確な対応が取れない。こうなってはもう選択肢は自ずと決まってしまうわけだが、また「日本人が犠牲になって初めて動く」という批判が発生するのであろう。普段から声高に人権問題を取り上げるのは、今の日本の国際的立場では「結果として」外交的選択肢を増やし、国益にも資すると判断できると思うがどうだろうか。1989年の天安門で日本はそれを学ぶべきだったのだが。

・2008年米大統領選
 これは、現在知名度が少なく伸びしろがあると思われる人物が重要になるだろう。具体的には共和党のロムニー氏がどうかということになる。オバマ氏も実績不足を突かれて最近はやや支持が落ちているが、この長きに渡る過酷な選挙戦はそのまま「実績」を作るという側面もある。いずれにせよ来年初頭〜春にかなり数字が動くはずである。本選ではどちらかの候補がよほどのミスをしない限り接戦であろう。個人的にはロムニーvsオバマの選挙が面白そうと思うがそうとも限らない。なおヒラリー・クリントンの対日政策を懸念する声もあるが、どのような大統領でも結局は日本次第だと腹をくくっておくべきだろう。

・北東・北西航路
 ちょっと興味が湧いたので少し調べたが、経済に影響を与えるようになるのはかなり先の話のようだ。現在は話題先行であろう。ただそれはそれとして、日本は港湾の管理・運営を徹底して改革すべきである。これが政治的課題にならない風土は問題であろう。

 定期的なエントリ更新といきたいものであるが、例によって停滞するかもしれない。なお一貫してアクセス数は4000前後で一定していた。申し訳ない限り。
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2007年06月26日

論壇系雑誌からの推奨記事(2007.6)

 最近は雑誌で比較的良いと思った記事に巡り合うことが多かった。紹介しようとして手がついてなかったが、次号が発売される前に書き記しておく。

・論座
 この雑誌は最近面白い。朝日新聞社発行ということで全般としては左派的な論調が目立つのは変わらない。ただ強固な編集方針があるというわけでもなさそうで、個別にはかなり毛色の違うものが掲載されている。場合によっては全く相反する論が掲載されているくらいだ。もっともForeign Affairsの掲載自体がそもそもそうであったのだが。この7月号から2本を簡単に紹介。

「シリーズ 中国アップデート 3 郎咸平」
 香港中文大教授である郎氏にインタビューするという形で中国経済に関して述べている。中国が吸収したのはその多くが儲からない製造業で、安価な労働力と高い技術を結び付けようとする外資は、その多くがうまくいっていないとしている。問題は企業の考え方そのものであり、日本企業にも苦言を呈している。中国の物権法にも触れており、考えかたは良いが執行に問題があり悲観的に見ているようだ。官僚機構、司法制度など、中国の問題の大半は腐敗であるとしており、中国のみならず世界の主要企業にとってもこれがなくなることは利益になるであろうと述べている。

「国連分担金削減交渉の舞台裏」
 国連次席大使の神余隆博氏が寄稿している。昨年日本は分担金の削減交渉の結果19.468%から16.624%に低下し、米国以外の常任理事国P4の合計16.810%も下回った。この交渉経過が非常に興味深く記されている。争点はGNI(国民総所得)の統計で平均を取る「基礎期間」の長さ、常任理事国の最低分担率(Pフロア)と「日本が考え出した」低所得国でもそのGNI総額が大きい国は割引率を圧縮する複数割引係数提案、分担率上限(米国を念頭)を決めるシーリングが絡みあうものであったとしている。
 そして日本が譲れないのは基礎期間の部分で、この部分で異なるEUの案と日本案が対立、両者の争いが主要な軸となった。結局中国+G77の途上国グループは結束を保持したまま協力させることに成功し、シーリングで米国の不興も買ったEU案が孤立する経緯が記されている。結果として基礎期間以外の要素は捨て駒として使ったわけである。筆者は問題が色々残されていると謙遜しているが、ゼロサムゲームの外交で日本がこれだけの手腕を見せた例はあまりないように思われる。文章にも力があるのか非常に面白い読み物にもなっている。
 その一方で、例えば人権理事会などで日本とEUはかなり固く結束して行動しているわけであり、この例に漏れないがつくづくお金の話は別だなと思う。

・中央公論
 相変わらず手堅い記事が多い。これも7月号から。

「米国保守派、苦悩の時代へ」
 津田塾大教授の中山俊宏氏の寄稿。米国保守派の状況、レーガンのように分裂し対立してきた多くの保守派を糾合できる人物が今ほど望まれている時期はないと米国保守派の状況を解説。一方でイラク戦争はベトナム戦争時と同様、むしろ現実に反した政策に傾斜するという形で民主党に打撃を与えるのではないかという意見があることも紹介している。近年の米国の政治状況を理解する上で良い論説と思う。

・フォーサイト
 市販されておらず通販のみだが、相変わらず良質の記事が多いので購読を推薦する。

「北朝鮮をテストするために私たちは妥協し対話した」
 フォーサイト編集部からビクター・チャ氏へのインタビューの形を取っている。現在の米国の北朝鮮政策に大きな影響を与えたとされるNSCの日本・朝鮮部長であった氏に、最近のアメリカの政策転換の背景を聞いている。
 チャ氏によれば、転換はなく米国の真意は何も変わってないとのことである。2005年9月の共同声明後、北朝鮮が何も行動していないため、真意をテストする必要があり、そのために米国も一度は真剣さを示す必要がある、それが1月のベルリンの直接交渉であり、BDAの凍結解除であるということだ。つまり、今年2月13日の共同文書はそのテストで、送金が終わってもなお北朝鮮が単なる時間稼ぎをしていると判断されればそれは落第であると判断するようだ。次のステップとしては、国連決議1718に基づく制裁は今も有効であるし、今後は北朝鮮のみが問題であることが明確となるので五ヶ国の共同歩調が可能になるであろうとしている。
 BDAの口座凍結は予想以上に効果があり、それ以降巨額の偽ドル札事件は発生していない、また米財務省は北朝鮮当局に資金に関して様々な質問をし、その回答は「有益」なものであった、そうした意味でもBDA凍結の意義はあったという事らしい。
 最後にチャ氏は、学者として米日同盟の重要さは理解していても、政策を実行する現場にいると米国が日本を信頼していることを肌でひしひしと感じ取れた、と述べている。ある程度はリップサービスかもしれないが、そうであるなら多少安心出来るかもしれない。
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2007年03月20日

歴史認識問題の難しさ(補足)

 雪斎殿のブログは概してコメント欄も含めて冷静な意見が多いのだが、今回の従軍慰安婦、米下院の決議に関わるエントリは少し変な方向に議論が流れているという印象がある。コメント代りに前回の私のエントリの補足も兼ねて多少意見を付け加えてみたい。

 まず、米国の意図はあまり邪推しないほうがいいと思う。あの国はどこそこの国の政権を転覆すべしという意見を堂々と連邦議会の議員がインターネット上で公言する国柄である。副次効果に関しては大声で言わないというのはあるかもしれないが、原則部分はいつも明確に示されている。今回は純粋な人道問題扱いという事だ。別段米国議会として珍しい事ではない。

 問題はコミュニケーションで、これは現在の日本の保守政治家全般が今回の問題をうまく切り回せていない印象がある。例えば、先の雪斎殿のエントリなどもそうであるが、当時の貧困地域の貧しさを理解してもらおうという意見が多い。これも普通にやると見事に失敗しそうだ。というのは、慰安婦を高給で雇っていたという事自体を別途主張しているからだ。当時の日本の軍は、例えば現在の途上国とか、一時期のトルコなどと同様なのだが、権力を持ち財政に大きな影響力を持っていた。慰安婦に高額な報酬を払う一方、農村の貧困の撲滅には力を入れなかったのかと反論されておしまいである。なまじ兵器だけは世界屈指のものを揃えていただけに苦しいところである。要は当時の負の部分の追認という印象を与えることを避けなければならないのだが、それを自覚しながら閣僚が発言しているとも思えない。

 また、この問題に関してだけではなく人権問題全般において、日本人の米国に対する考え方が2種類あることを意識しておくべきだろう。それは、他国の人権問題への米国の介入を、本質的に是としているか、常に否とは思わないものの基本的に慎重であるべきと考えるかの違いである。そして、国会議員も含めて双方の意見がある事は民主主義社会として当然としても、内閣でこの立場の統一が意識されず各人が勝手に自分の意見を主張していると間違いなく事態は紛糾する。

 私は基本的に前者の立場の考えであるので次のようなことを考える。この問題に対して同様に考える日本の政治家が米国に話す機会があるとしたら、冒頭に次のような言葉を挟むのはどうだろうか。「この種の人権問題に関与することは米国の大きな長所の一つである。日本と周辺諸国には意見の相違があるが、米国の関与で問題が和らぐとしたらそれはとても喜ばしい」と。シーファー大使の意見にしても、「人権問題を重視する米国の考えは我々も賛同するところ多い。しかし一部に誤解があるようだ」とでも言っておけば良い。またこれは非常に残念な事でもあるのだが、証人の偽証を追求する人に限って、その偽証の最大の被害者は、実際に当時深刻な人権侵害を受け、その事実が隠蔽されかねない人であるとの認識が薄い。仮に99%が偽証であっても残りの1%に対して責任を負っているという原則を示しておかないと、人権問題そのものに冷淡であるという印象を与えるであろう。

 ところで安倍首相はどのような考えの人なのであろうか。本質的にこの種の問題への米国の関与を必ずしも喜ばない人なのかもしれない。(小泉前首相は是としているかもしれない。その意味でも確かに米国と相性は良かったのだろう)それならそれで別の方法のアプローチを取るしかない。ただその一方で、拉致問題は米国のこの種の関与主義がなければ協力関係も難しい。一つ言えるのは、変な取引を持ちかけたりしないことだ。歴代の自民党の何人かの首相はひどい事になっている。やはり安倍首相の場合、大変でもまともに説明していくしかないのだろうなと思う。

 また当然の事であるが、事実に関する認識は指摘しておくべきだろう。これはアカデミズム的なアプローチを前面に出せば良いだけの話だ。それは日本が英文テキストを詳細に積み上げるしかないだろう。現在の状況にぶつぶつ言っても「違うならなぜ反論しないのだ?」と切り返されてこれまた終わりである。

 また、日本人にはなかなか難しい事かも知れないが、この種の問題への対処をあまり面倒がらないように心掛けるべきであろう。この種の認識ギャップは人の世に当然あること、まして外国との間ならば、と淡々と処理していくべきだ。さすがに楽しみながらというまでには至らないかもしれないが。
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2007年03月07日

歴史認識問題の難しさ

 昨今、従軍慰安婦問題が米国下院で取り上げられ、再度注目を浴びる形になっている。歴史認識の問題はいつも難しいが、自分が良く見る数少ないブログで取り上げられていたこともあり、このエントリでコメントの代わりとしておくつもりである。

 forrestal殿のエントリで歴史認識のレベルを分かりやすく例示しており、この種の問題を取り上げるときに整理された思考の手助けとなろう。ただ、リンクしておいてこういうのも何だが、筆者の見解は少し異なる。ここで言うファースト・レベルの検証段階とセカンドレベルの認識・解釈レベルはこの問題の出発点と終着点であると思うのだ。中心に検証の結果得られる客観的事実があり、アカデミズムの原則で事実が追及されるのを基本とする。しかし認識・解釈レベルは、各国・地域・文化集団・個人によって実に様々である。同じ国の中でも異論があり、少なくとも民主主義国では、多数派はこうであるという言い方しか出来ないことが常である。中心となる客観的事実の中で何を重視するかが異なるため、核から放射状に異なるベクトルに向かっているとイメージするべきかもしれない。そして比較的近い方向に向かっている国が、サードレベルの運用段階で協力しやすいのではないだろうか。

 以前にもどこかのエントリで示した、日米間を例にとる。広島・長崎への原爆投下は、客観事実としては特に問題なく一致しており、悲劇であるという認識も双方にある。しかし日米の解釈としては、米国は終戦を早めるのに役立ったとし、残虐な結果はしばしば戦争の中で見られる悲惨なものの一つだとすることが多く、日本は特別な意味合いを持つ民間人の大量虐殺だと認識している。また口にはあまり出さないが、米国にしてみれば少しでも自国の死傷者を減らす役に立ったのだからそれだけでも意味があったと思っているだろう。当時の日米はいずれも純然たる敵国であったという当たり前の事実がそこにある。このように解釈面では大いに違うが、このような悲惨な兵器が使用されてはならないという意見は大筋で一致する。使用をタブー視する度合いは今でも違うが、政治的道具である以上日本も核の傘が無ければ論理は米国と大差なくなる。極力使わず、どうしてもそれ以外に選択肢がないという切迫した究極の段階で検討するということであろう。

 そして古今東西、歴史の解釈はこのように部分的にしか一致せず、その部分的な一致の範囲で運用されていくことが大半であろう。もちろん直接対立関係になかった第三国に対する解釈はある二ヶ国で一致することもあろう。しかし対立した当事国の双方で、完全に見解が一致したという例はあるのだろうか。なかなか思いつかないのだが。結局解釈の一致は究極のゴールとみなすべきなのだろう。

 また注意しなければならないのは、この核となる客観的事実の追求が当然視される国は、案外限られているということだ。社会の秩序を構築する上で発生するタブーは数多い。例えばイスラム地域の言論は、コーランは絶対であるという所から出発し、すべてをその原則で解釈する。それよりははるかに柔軟だが、韓国の朱子学的な思想もやや似た風景を示す。事実の中で何を重視するかを議論する前に、事実の項目の取捨選択が発生するのだ。日本人は驚くほどこれに慣れていない。時に欧米諸国より西欧のアカデミズムの原則に則って議論をするのだ。歴史認識の問題で摩擦が発生するのは、解釈レベルよりこの取捨選択の部分に内包されていることが大方であろう。

 さて従軍慰安婦問題の件だが、雪斎殿がエントリしており、大筋で異論はない。またこの問題の個別的事実を議論するのもここではしない。アカデミズムの原則で対応することで問題ないと思うからだ。しかし日本側の対応で気になる点はある。

 それは、日本の国家犯罪として為されたものではないということを証明することに気を取られていることだ。安倍首相の強制性に関する発言もそれを裏付けている。ただ少なくとも米国の論理としてはそうはならない。これはsex slave問題として取り扱われており、slaveであったか−即ち選択の自由が当事者にあったかという事が核心なのである。これは拉致問題の核心が、拉致されたことそのものもさりながら、出国の自由が無かったことが最も重要であるのと同様である。つまり首相の立場で一言コメントするのであれば、slaveではなく選択の自由が彼女たちにはあったという事をシンプルに示せばそれで良いのである。

 ただ、ここから先が恐らく日本人の感覚では慣れていないところだが、強者の責務に関してはより注意深く触れなければならない。現地での離脱はしばしば実質的に困難であったろう。そういう場合でも(その個人がどのような人物でも)民間人である以上、保護して然るべき安全な場所まで送り届ける義務がある。それは軍人である以上、時に危険を冒しても果たすべき責務であるという事である。むしろ与える報酬などは安くてもよかったのである。悪くすると「今の日本人も強者の責務を果たしていない。昔から全然変わっていない」という論調が広がるであろう。限られた条件で極力責務は果たそうとしたのだと訴えていかなければならないのだ。案の定、マイケル・グリーン氏から「強制性の有無に関係なく、被害者の経験は悲劇的で、日本の国際的な評価はよくならない」とコメントされている。実際悲劇的な結果に終わった人がいないとは言えない以上、今回の当事者の証言の真偽に関わらず問題とされる。少なくとも原則としてslaveではないと言い、責務は極力果たしたと語り、人道を語るだけで事足りた。今回の日本側の対応は、少なくとも対米という意味では明らかにうまくない。過去の実質はともかく、説明が下手すぎるのだ。もっとも韓国はというと、これはまた全然別の次元で駄目なのだが。
posted by カワセミ at 01:05| Comment(15) | TrackBack(4) | 世界情勢一般

2006年12月31日

2006年を振り返って

 今年もそろそろ終わる。今年の国内外の情勢に関する感想、当ブログに関する内容などを書いて今年の最後のエントリとしておきたい。全般として、様々な問題が先送りされた年であったかと思う。

・日本の政権交代
 日本の首相が誰かというのは、従来余り諸外国から関心を持たれていなかった。それは結局のところ政権交代により大きな政策転換があるかどうかを自国の立場を中心に考えるからであろう。日本での政権交代が政策的に影響を与えると感じる外国はそれほど多くない。実はその観点からすると、中国や韓国といった近隣の北東アジア諸国の報道がやはり多い。小泉前首相が比較的個性の大きい人物だっただけに、今回の注目度はそれなりにあった。欧米諸国での関心も、相変わらず低いが実質の影響に比べれば報道されていたのかもしれない。
 で、その安倍政権である。私はシンプルに小泉首相以前の自民党政権の伝統が反映されると思っていた。その範囲で比較的良いものになるか悪いものになるかの判断は現時点でもまだ保留とせざるを得ない。しかし、小泉前首相に関しては、やはり中道左派への擬似的政権交代と観るのがやはり適切だったのかなという思いは改めて強くなってきた。実のところ政策はともかく理念ベースでの後継者はほとんどいない。政治理念的な人脈の流れとしては小泉氏は比較的孤立した存在だ。その意味で思想そのものは比較的近い民主党右派との連携は興味深い話だったのではあるが。
 安倍政権自体の推移は、程度問題はあるが支持率をじわじわ落とす方向であるのはほぼ確定であろう。しかし選挙は相手のある話であって、参院選の結果は民主党の状況との比較で決定される。なお、この10年以上の不況で政治に対する国民の要求レベルは向上したが、今は伝統的エリート層において危機感が薄くなっているタイミングに当たる。政官財のエリートも一枚岩ではなく様々な考えの人がいるが、ここしばらくは、「何かをしなければならない」という認識は一応共有されていた。しかし今は何もしない事にメリットを感じる人も多少出てきている。もちろん多くの国民はそう思っておらず、この乖離感が深刻になる可能性は織り込んでおかねばならない。しかし仮に自民党の首脳部でそれが認識されたとしても国内政治上の力学で何も出来ないかもしれない。そのような時には具体的な権限を持つ個人が重要となる。具体的には首相とその周辺の官邸の数名、党三役であろうが、これまた安倍政権が失敗したとして、それが受益となる人もいるように思う。つくづく政治は構造であると思わざるを得ない。各人の能力や思想は小泉政権時とほぼ同じなのだが。

・米国のイラク政策
 最近のエントリで少し触れたが、唯一の超大国の外交の課題となると国内的には今年もこれが筆頭となっていた。それは中間選挙にも影響したわけだが、結果に関わらず大きな進展は無い。
 正直、戦争前の米国人のイラクに対する期待水準が高すぎたというのは否めない。ただこれは米国の良い面でもある。日欧は成熟した民主主義を達成するのは選ばれた国だけだという意識が強すぎる。またそれがある程度現実にも合っているだけにむしろ問題がある。長期的に米国人の考え方が変わらないかどうかというのが個人的な関心事だ。
 イラク問題はイラク問題であって米国問題ではないが、それでも米国の外交的失態を指摘する事は可能だ。国連軽視とか色々あるが、個人的にほぼ唯一の問題と思っているのは英国への軽視である。例によってまたこちらにリンクをさせていただくが、これらの各種の「理由」に関しては、長期的には対アラブ世界(恐らく対イスラム世界ではない)への民主主義国の対応の共通の理由として様々に変質しながら収束していくものだと思っている。その共有化の第一段階にあたるのはやはり英国だと思うが、その英国とすら理念の共通化に関して努力する度合いは足りなかったのではないだろうか。またそれは、対テロ戦争は民主主義国に共通する問題ではなく主に米国のみが抱える個別問題であるという認識を国際的に強めてしまった。もちろんそうでない事は多くの民主主義国の政治家が理解してはいるのだが、その政治的基盤はより薄くなったであろう。英国人は恐らく無意識のうちに、本当の理由とか、正当な理由に関して、米国と共有しているのを期待していた。第一の同盟国として、秘中の秘の情報も共有しているのではないかという、古い大国の浪花節的な期待もあったろう。それは大量破壊兵器問題を契機に失望に変わってしまった。ただ実際にブレアは多くの理念を語っており、それは嘘というわけでもなかったが、現実の政治の世界では単なる追随者でしかないように見えてしまった。これは米国の責任が大きいといえるが、そう表現する事すら英国に対する侮辱となりかねないので言い方は難しい。少し年月が経てばブレアは良くやっていたと歴史の評価は好意的となるかもしれないが。
それにしてもこういう時米国は面倒だなと思う。米国はイラクで実際の軍事的リソースの大半を投入している。またこの種の問題に関して、外国の貢献は常に数字で判断する国柄だ。実質9割以上を米国が単独で負担している、米国の国内マスコミはそう報ずる。それが7割になり、6割になった時に初めて外国に気を遣うのだ。これは程度問題こそあれ民主党に政権が交代しても同じだ。だとすれば、日本のように頭から軍事的貢献の評価の大半は諦めるという選択も悪くは無いとも言えるわけで、つくづく難しい話であると思う。日本の現実の政策ということであれば、海上自衛隊のように他国に無い装備を多々有している現実をもっとうまく利用する事を考えるべきであろうし、それはそれなりに今後もうまくいくのだろう。ただ日米同盟の全体方針とうまくマッチさせる事に関しては、本当に問題山積かと思う。

・ロシアの民主主義
 イラクでの混乱が無ければ、米国の外交上の関心はロシアの民主化後退に対してより強く向かっていたであろう。その意味でロシアは間接的な受益者ともいえるのだが、少し長い目で見ると欧州の世論が微妙な影響を受けるかもしれない。概して米国は理想主義的な外交を取り、隣接する西欧はもう少し現実主義的な対応を対露外交に望んでいた。しかし、エネルギー問題における実害などを含め、西欧に不満が鬱積しつつある。公然と口にはしにくいが、米国の理想主義的な強硬な発言を口ではたしなめつつもそれを望んでいた欧州人は多い。イラクでの混乱などに直面した米国が、統治の安定を重視する傾向は強まるだろう。だが、世界に現実主義の国々は多いが、そうでない政策は一定程度必要とされる局面もある。その政治的需要をどのような形で満たすかは、今後の世界の課題であろう。日本も北朝鮮問題などで類似の文脈を見出す事は容易だ。ただ、個別問題に関してはやはり従来通りの路線が取られる事例もあるだろう。このロシアにしても、例えばG8からの追放という事が合意される可能性も今後それなりにはある。

・NATO組織の拡大
 近年のNATOは域外での活動を重視しつつある。これは単純に従来の北大西洋地域を中心とする領域での活動では対応しきれないという現実からして当然のことである。もちろん、何もしなければ自国を中心として放射状に同盟を結んでいる米国の意見が圧倒するという外交上の要請も大きいのであろう。それでも米国を含め、多くの民主主義にとってこれは重要な動きである。なぜなら、限定されているとはいえ実効性を持った活動が出来る国際組織はこれくらいしかないからである。日本も集団的自衛権を行使し、こういう組織で活動する事は有意義であろう。それは世界の現実を直視する良い機会にもなろう。またNATOの立場としても日本とオーストラリアの参加がこの活動拡大問題の性質を決める。欧州がアジア地域の問題に理解を深めるためにもそれを望みたいが。
 また展開によっては、国連に与える影響も大きくなる。短期的にはあえて言及はされないだろうが、10年、20年と経過するうちにある種の国際機関の役割を代替しているという状況がが現出しているかもしれない。

・国連改革
 結局中途半端な状態で先送りされたという印象は否めない。この先問題山積という印象も否めない。これも構造的な問題となるが、国連での活動を強化する事が直接的に国益に結びつく民主主義国が少なくなっているのは問題だ。米国は相変わらずだし、日本が大きく冷淡になったのは意味合いとして重要。安保関係での活動は停滞していくかもしれない。AUの活動が影響するところは大きく、英仏のような旧宗主国との連携も含め、どの程度機能していくかの見積もりが大事であろう。またアフリカ諸国が国連をどの程度重視するかに関しては様々な思惑が錯綜しているが、言葉は悪いが中国から資金援助を得るための方策としてはしばらく有効であろう。

・イスラエル周辺
 戦乱が絶えないという印象はあるが、全般としてみるなら、イスラエルが持続可能な地域秩序は何かというのを見極める過程の一環であるようにも思う。シリアとの関係が規定する事は多いのだが。

 このブログに関連することも少し。

・各エントリ
 年後半は体調を崩した関係もあってかなり更新が滞った。もとより量が多いブログではないけれども、ある程度の量がないと質が確保出来ないということもあり、相対的により駄目になったのは間違いない。アクセス数は結構あるので申し訳ないことではあるが。例えば上記のロシア問題、欧州での状況など、もう少し色々エントリしたかった。
 比較的参照が多かったのは国内政治のエントリだ。これは政権交代があった年であるという事もあるし、日本語ベースだから読みやすいというのもあるだろう。ただ類似の意見も世の中に多いはずなので、より良いブログを読めばいいだけの話でもあろうからその意味で意外ではあった。日本の核武装問題のエントリがかなり参照されていたが、これはやはり潜在的な関心を持つ人が多いからであろうか。この問題はかなり多くの海外の文献を読まないと良い議論も出来ないはずの問題なので、水準の高いものをWeb上で読みたいとなれば英語ベースにはなることは他の問題以上である。私の知らないものが何か推薦でもあると有難いのだが。
 また北朝鮮などが関連した問題はやはりアクセスも多かった。この問題は日本人の暗部を刺激する側面もあるので難しい。日本は自らの立場が正当であるかどうかに関してはかなり意を払う国であり判断も慎重だ。しかし、その反動でもあるが、自らの判断に自信を持った瞬間こそが危険でもある。そこでの外交的妥協の余地が非常に少なくなり、抑制された、自己犠牲も伴う行動を取る事があまり無い。むしろ事の最初から自らの国家に過剰すぎる自信を持つ米国などのほうが、行動の段階でしばしば抑制的であったりするのは興味深い。国内が一枚岩だと外交的に妥協できないのはどの国も同じだが、ある種のタブーが発生するというのは、同時に正当さを根拠とした腐敗も生みやすいし、政策は硬直してしまう。その時でも理念は確固としつつ政策的に柔軟となるべきなのは日本の課題ではないだろうか。そういう事を何かの問題に触れた際にうまく指摘したエントリも書きたかった気がする。

・ブログ移転
 ココログに戻るつもりは全然無いとは言え、こちらでのコメントスパムにも参った。再アップした際にURLが変わるという当たり前のことに気が付くのも遅れてしまった。とはいえ、トラックバックもコメントももっと気楽にしてもらってよいのだが。アクセス数の割に少ないのはエントリの柔軟性の欠如ゆえか。

・ブログ方針
 もう少し日記風な、軽めの話題を多くエントリしてもいいかと思う事もあるのだが、妙にやりにくい。別のURLに作ったとしても案外書く事も無さそう。なもので、たまに一言交えながらマイペースで続ける今の延長かなと思っている。アルファブロガーになるつもりなど全く無いので細く長く続けるつもり。もはや生存確認というようなエントリになるのは何だかなとも思うが。

 最後になりましたが、日頃各ブログでお世話になっている皆様、リンクやトラックバック、コメントをいただいた皆様、相変わらずアクセスいただいている皆様、有難うございます。来年も宜しくお願いします。
posted by カワセミ at 00:13| Comment(7) | TrackBack(1) | 世界情勢一般

2006年08月16日

夏バテ中の雑記

 ただでさえマメでない更新だが、色々あってバテている。生存確認レベルのエントリ・・・・・本当に感想。

・靖国参拝
 色々とやかましい限り。いつもの事だが日本のマスコミが煽るからいけない。もっと重要なニュースが色々あるので報道するべきだろう。
 小泉首相の言で、「意見が合わないからと言って首脳会談を控えるというのはどうか。私はいつでも会う用意がある」というのがある。これは世間的にはうまい言い回しだと快哉を叫んでいる人が多いが、実は当意即妙という軽快なものだけでもない。近代史ではコミュニケーションの不足から大きな戦争も起こっており、それ故例えば冷戦期の米国などはソ連との対話を対立があっても決して欠かさなかった。対立相手との最低限のレベルでの信頼関係が重要である事を理解していたからであろう。もちろん水面下では様々な交渉が行われているのであろうが、中国はこの方針で自縄自縛になり国際的な評価を落としてしまった。小泉首相に賛否両論あれど、ポイントはイニシアティブを終始握っているということであろう。後継の総理は、そういう資質があるかどうかも重要だと思う。果敢な行動主義者は誰であろうか。実のところ、短期的には行動の内容は二の次かもしれない。イニシアティブという点ではないだろうか。もちろん中長期的には日本人なりの倫理性を他国が理解し、文化的に距離のある国でもある種の現実として受け入れることが重要である。しばらくは互いの距離感を模索するという作業ベースの外交が続くだろう。

・イラン情勢
 ここしばらくの報道を見ると、イランは自国の周辺のアラブ世界で影響力を拡大するということを一貫して模索しているという印象がある。そしてサウジやエジプトは警戒感はあれど、今の政治情勢では一定程度の影響力を行使されてしまっている。その意味で地域ローカルな構図としてはイランはそれほど粗雑に動いてはいない。もっとも、その外部、欧米に対してどうかというと話は変わってくる。何度も言うように論理と力学で安全保障は決定する。こういう相反する部分でバランスが取れなくなって破綻するという典型例が発生するかもしれない。その意味で北朝鮮は、自国が外交対象とする外国は多くても、枠組としては単一に絞っており(もちろん世界的に影響力の強い国が周辺国に多いという単純な事実もあるが)自己矛盾を起こさないようにコントロールはしているな、と思う。やはり破綻するのはイランが先であろう。ちょっと落とし所がないかもしれない。

・カシミール情勢
 ややインドの将来に関して楽観し過ぎているかもしれないが、カシミールにおけるパキスタンとの関係の構図に関してこの論文がうまく説明しているので目を通しておくといいと思う。全文は現時点で有料、発売中の「論座」に日本語版が掲載されている。
 まず、この問題が経済成長の足を引っ張ることはないだろうと判断しているが、それは全般として正解であろう。ただし、散発的に発生するテロが政治的フラストレーションを高めていくのは間違いなく、その点を指摘している。パキスタンがインド統治部におけるイスラム武装勢力の活動を黙認(場合によっては奨励もあるだろう)し、政治的に利用することを危険視している。そしてインドの忍耐は長くはないだろうと。この種の宗教的情熱の政治利用という意味ではまさにパレスチナもそうなのであるが、とかく主権国家が管理する以外の武装勢力が影響力を持つと問題は深刻になる。インドはイスラエルの先例を極めて良く研究しているはずで、政治的矮小化という事に力を尽くすであろうと思う。幸い、同地域は外国マスコミの取材が多い地ではない。
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2006年07月18日

安保が主題となったサミットの風景

 歴史的に、サミットは米国開催のときに安保色が強くなり、フランス開催の時に経済色が強くなるといったカラーがある。今回はロシア色をとプーチンは言いたい所だったのだろうが、今の世界は難題山積であまりテーマを選んでいる余裕はなかったようだ。

 ブッシュ大統領がロシアの民主化に関して議論すると伝えられていた。実際議会からの突き上げもありその方向だったのだろう。これに対するロシアの回答はこれだったように思う。(参照1)米国にとって、核拡散の問題は筆頭級の課題だ。ロシアは伝統的に対米外交の呼吸を心得ている節があり、相手が何を望んでいるかをよく知っているようだ。今回のやりとりも緊張をはらみながらそれが示されている気がする。(参照2)イラクのような民主主義は望まない、とは言わない方が良い皮肉であるとは思うが。

 エネルギー問題では、メルケル首相からロシアの供給者としての振る舞いに問題を感じていないとのメッセージが発されている。これは現段階でそう評価しておくという意味で適切であろう。パイプラインポーランド迂回の件もあり、デリケートに扱わなければならない問題でもある。

 中東問題では、各国の立場は微妙に違う。例えばこの記事は雰囲気を比較的良く表しているだろう。(参照3)類似の内容を扱った記事も挙げておく。(参照4参照5)いずれも微妙に興味深い表現だ。事実認識として各国の首脳はさすがにポイントを押さえている。例えば以下に挙げるような点だ。

Though all the G8 leaders have condemned the actions of Hizbollah guerrillas,


 ヒズボラに主な非があるというのは当然で、これが隠蔽されてはならないだろう。

"The blunt reality is that this violence is not going to stop unless we create the conditions for the cessation of violence," Blair said after talks with Annan on the margins of the Group of Eight summit. "The only way is if we have a deployment of international forces that can stop bombardment coming into Israel."


 2つ目の記事より。当事者間で解決はできず、多国籍軍が必要であるとのブレアの主張。全くその通りであろう。

Russian President Vladimir Putin, closing out the first G-8 summit on Russian soil, said his nation would contribute troops to a U.N. peacekeeping force. The European Union said it also was considering deploying peacekeepers in Lebanon.

France said it is sending Prime Minister Dominique de Villepin to Beirut to express support for Lebanon's government. And French President Jacques Chirac, who attended the summit, said he believed "some means of coercion" may be needed to enforce a U.N. resolution that calls for the disarmament of Hezbollah and other militias in Lebanon.


 3つ目の記事より。民兵の武装解除が主なミッションになり、それが問題の中心だという認識があるだろう。イスラエルの過剰反応を批判するフランスもこの点はよく承知している。そしてロシアの参加に言及がある。実質的な作用をもたらすかどうかは疑問も残るが、国際政治上は大きな変化であろう。最初のプーチンの「イスラエルの別の意図」に対する疑念がベースであるとしても。
 それにしても、

"Our message to Israel is defend yourself but be mindful of the consequences, so we are urging restraint," he said. He did not back Lebanese calls for an immediate truce.

Echoing Bush, U.S. Secretary of State Condoleezza Rice said she had told Israeli Prime Minister Ehud Olmert that the United States was "deeply concerned" over the safety of civilians. An immediate cease-fire would not solve the problem, she said.


 ライス国務長官の認識は恐らく正しい。多分停戦はある種の先送りと繰り返ししかもたらさない。しかし冷徹すぎるとの印象を与えないだろうか。具体的関与をしない各国への皮肉もあるのかもしれないが。

 さすがの小泉総理も、この問題ではサポートに徹していたようだ。この地での本当の平和に対する貢献とは、部隊を派遣して武装解除などの治安維持を行うというような事だ。確かに今の日本には、というよりほとんどの国にとって荷が重い問題ではある。
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2006年07月14日

イランと北朝鮮問題での国際社会の風景

 相変わらず更新が滞っている。まぁ、マイペースなのは今に始まったことではないが。ここしばらくは、世界中で様々な国がいつも以上に好きなことを言っている時期のように思え、色々なニュースを見て回りたい時期ではあるのだが。例によって一部要登録のサイトであるが、いずれも普通の新聞社のサイトなので都合の悪いことでもなければ登録しておくといいだろう。

 安保理の北朝鮮に関する議論は水面下で綱引きの状態だ。様々な問題が絡み合っているのだが、今回の北朝鮮問題で最も損をしたのはイランであろう。安保理決議が通りそうな流れになっている。(参照1)LA Timesのこの記事も分かりやすくていいだろう。最後のライスの言葉はシンプルだ。(参照2)

"We started out in a situation 18 months ago or so where there was no international coalition about what to do about Iran," Rice said.


 この展開は日本の立場を思うと考えさせられるものがある。日本は旧来よりイランへの制裁に及び腰であり、米国では様々な形で懸念が示されている。ワシントンポストのこの記事(参照3)など端的にまとまっている。ただ憶測で語るしかない内容を扱っている関係で、ある特定の偏見が混じる可能性は否定できないが。それでも下記の表現は微妙であろうか。麻生氏自身が実際にどう言ったのかは興味深いところだ。安倍氏や谷垣氏と比較してこの問題にはやや注意深いという印象があるが、私が知らないだけかもしれない。

On Monday, Secretary of State Condoleezza Rice and Japanese Foreign Minister Taro Aso discussed the Iranian situation by telephone, agreeing to cooperate in resolving the standoff, the Japanese Foreign Ministry said in a statement.


 その一方で、小泉首相がイスラエルにおいて「北朝鮮とイランの核開発は世界全体の平和にとって脅威」とのコメントを発している。(参照4)これは少し前の銀行口座凍結の報(参照5)を引き継いだものであるが(この連合に参加するというニュースでの取り扱われ方は、実質のところを示しているかもしれない)当然のことながら北朝鮮問題で厳しい決議を要求している手前、イラン問題にも同様にコミットしなければならないという現実の反映でもある。

 全体として見るなら、米国と欧州諸国はイラン問題に日本を協力させることに成功し、日本は米国に加え欧州諸国の関心を集めることに成功したと言えるだろう。そしていずれの問題でも中露は妥協方向である。当面の流れとして欧州側の足並みが揃っている関係もあり(恐らくメルケル首相の尽力が大きい)イラン問題が進展するとしても、間接的に北朝鮮問題の処理も進むので日本にとっても悪くない話であろう。ともあれイランに厳しく当たらなければならず、中露の妥協を欲する欧州の事情を汲むという意味でも日本は当面強硬な主張をする必要がある。この付近の記事が冷静で適切な言い回しであろうか。(参照6)

 イラン、中東問題に関して、少し長いがこのブッシュ=メルケル会談の内容はなかなか良い。(参照7)メルケル首相はリーダーとしての資質が高いのではないだろうか。ギリギリであったが、ドイツは幸運な道を選んだかもしれない。現在ドイツが安保理メンバーでないのは残念だ。サミットその他で密接な関係を築きたいところである。

 まぁ、この時期のニュースを考えると、イスラエルには少々同情を禁じ得ない。日本のように実害はまだ無いミサイルの連射で安保理に決議を出せる立場は羨ましいだろう。兵士を人質に取られて犯罪者を解放しろという要求に自力で対処せねばならない。日本が同じ立場になればどうするのだろう。ただ今回は欧米の理解もあるような印象だ。たまたま今回訪問日程を組んでいた小泉首相も和平に尽力できれば良いのだが。日本に力量ある指導者がいれば調停役には向いている。

 それにしても日本がイスラエルの経験から学ぶことは多い。今回も案の定民間人の被害が出てイスラエルは叩かれている。軍事作戦となれば被害者はゼロにはならないが、かといってそれを批判するなというのもまた無理筋だ。そして同じような事件が頻発すると世界はそれに慣れてしまう。イスラエルの罪の無い被害者に対する同情まで少なくなる。日本の抱える問題にいかに世界を慣らさないか、僅かな落ち度すら見せず外交を進めることが今まで以上に重要になるだろう。
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2006年06月13日

中国の兵器輸出に関する日本のアプローチ

 中国との政治摩擦を抱えているのは日本だけではないが、その内容はもちろん当事者によって違う。しかし多くの国から保留無しで無条件に、共通に非難される事があるとすればそれは外交の失敗と言えるだろう。中国の場合何がそれに該当するだろうか?私は、それは非人道的な結果に直接繋がるという意味で、人権上問題のある国への小火器類の無責任な輸出ではないかと考えている。

 通商面での摩擦などの経済問題は、当然各国の雇用と直結するから政治的課題になるが、どの国も多かれ少なかれ産業が興隆して黒字を稼いだ時期はあるので道義的な非難はやりにくい。靖国のような内政干渉的摩擦も、相手が民主主義国なら世論の反応も多様で、概して評判が悪くても絶対悪と言うまでの認識にはなりにくい。武器輸出に関しても、高性能な武器は抑止のためと言う側面もある。欧米のように近代戦争の記憶の熾烈な国は自衛のための武装に否定的ではない。軍備を野放図に拡大して地域に緊張を招き紛争になることはあるが、逆に怠った場合でも発生することはあるからだ。むしろ日本のような武器輸出は全て絶対悪的な論調が珍しいかもしれない。(ただし、日本の歴史的経験と現代の周辺環境に限れば、後述の小火器の問題と論理的には重なり、その認識は理があるかもしれない)また、高度な兵器は各国が大切に扱うという事実の裏返しとしてそれなりに管理されているという側面もある。

 しかし小火器類の輸出は、これを弁護することが非常に難しい。今回アムネスティ・インターナショナルが公式に非難声明を出しているが(参照1)欧州が敏感になるアフリカ地域のみならず、アジア全般でも問題視されている事が見て取れる。そしてこの最後の部分は、結果的に多くの工業国が受け入れることになるのではないか。

As long as China continues to allow arms supplies to the perpetrators of gross human rights violations, the international community must redouble its regulation of joint ventures involving military and dual-use technology in China and must strengthen the application of arms embargoes on China such as those imposed by the European Union and the USA.


 日本のように銃の密輸を厳しく取り締まっている国では実感し辛いが、国境管理に限界がある国ではこうしたことは極めて評判が悪いのだ。この反発は恐らくオーストラリアのそれが一番速いものになるだろう。だが日本としては、例えばここで指摘されているミャンマーのような国に対する輸出に対しても非難するべきだろう。抑圧的な政策が実施されているのは様々な形で報じられている。隣国のタイなどではダム工事問題などでの行動に懸念があるようだ。(参照2)

 ちなみに日本がミャンマーの現政権に対するアプローチは誤りであると米国などから指摘されており、日本でもグリーン氏の発言などは報道されているが、例えばこのワシントンポストの記事(参照3)の後半で触れられているような、インドネシアにおける失敗の部分などはなぜか国内であまり報道されていない。もちろん直線的な民主化へのアプローチを取ったとしてもそれがうまくいくとは限らないが、要は、その国の国民に恨まれている政権なのかそうでないのかを判断すれば良いだけの話であろう。その意味で、今回のニュースなどは政策転換のきっかけにすることが可能であろうし、またミャンマーに限らず、小火器類全般の取引に関して、日本が行っているような港湾管理での阻止のノウハウなどを国際的に提供するような政策も有効ではないかと思われる。
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2006年04月22日

ハンス島の例に見る領土問題

 昨今の日韓は竹島問題で騒がしいが、この手の領土問題でモメる話は世界各地で良くある事である。比較的成熟した民主主義国でも完全に無縁とは行かず問題を抱える事がある。今回は例としてカナダとデンマーク間にあるハンス島問題を取り上げてみたい。

 グリーンランドがデンマークの自治領として主権下にあるのは周知の事実である。このグリーンランドとカナダの間の狭い海峡にいくつかの小さな島があり、そのうちちょうど海峡の真ん中にあるハンス島が論争の対象となっている。この地図を見ると分かると思うがなかなか微妙な位置である。議論の発端は1973年に大陸棚に関して両国の帰属問題を決定した際に遡るが、このハンス島部分に関しては当時合意はなく政治的にも大きな問題とみなされていなかった。論争が大きくなってきたのは近年である。カナダドメインではあるが客観性はそれなりにあると思われるこのまとめサイトは参考になるだろう。その中で記述されるこれは何かのテンプレにしたい気もする。

The question one is inclined to ask is not, "Who owns it?" but rather, "Who would want it?"


 背景としては、地球温暖化で利用可能性が出てきた北西航路の件が絡む。このグリーンランド西のネレズ海峡は北極まで通じており、今後重要となる可能性もある。しかもこのハンス島に関連する決定は米国やロシアも含めた北極周りの主権論争に先例となる形で影響を与える可能性もあり、様々な思惑が錯綜している。一言で語れるような問題ではないのでここでは割愛するが、この北西航路への思惑は今後機会ある度に気にかけておいて良い重要な問題であろう。

 とはいえ、ハンス島の領土問題自体は、あくまでカナダとデンマークの当事者が決定する事である。そして背景があるにせよ、論争自体はやはり純粋に主権の問題として展開している。デンマークの立場はシンプルで、これが他のフランクリン島などと同様にグリーンランドの付属物であるというものだ。カナダ側の主張はもう少しややこしく、命名の元となったイギリス人の探検家が発見したものを引き継いでいること、及びイヌイットの伝統的利用が主権の根拠となると主張している。しかしいずれの主張も実は弱点を抱えており、北グリーンランドの主権がデンマークに完全に帰属した時期はやや遅れていること、イギリス人の探検家自身が発見したとは言い難い事実がある。仔細は省くがいずれもアメリカの関与がある話であり、発言に意味はあると思われる。しかし(例によってだが)国際水路であると発言するにとどまっている。

 言うまでもなくカナダもデンマークも外交的に奇矯な行動を取る国ではなく、イメージの悪い国でもない。しかしこの問題では双方の軍隊が出動、交代でフリゲート艦が現れ戦闘機が上空を飛びヘリが着陸しお互いに上陸して旗を立てたり時に燃やしたりとなかなか元気である。大臣まで上陸してくるのでそのことに関しては韓国といい勝負かもしれない。英語版Wikiやそこからのリンクなどなかなかに楽しい。ここでも北方へのプレゼンスとかカナダの国内問題が絡んだりとどこかで聞いたような話だ。「主権」が絡む問題となると大変だ。もう少し政治の未熟な国で死傷者が発生するのは当たり前と思えるほどだ。ともあれ日本が思うほど韓国の行動は異常視されていないと考えておくべきだろう。少なくとも現時点ではであるが。

 さて、ハンス島に見るような領土問題から日本は何を教訓とするべきであろうか?少しばかり触れてみたい。例えば、デンマーク政府がオタワで発表したこのような文書からは外交的儀礼ということに関して示唆することが多いと思われる。今回の交渉に関して言えば、日本は上記のデンマークのように「両国とも意見の不一致があることを認めた」で構わないであろう。もちろん、平和的解決の原則は謳うべきであり、韓国が国際的紛争ではないと主張しても「意見の不一致は互いに認めている事である」で終わりである。また、共同での建設的なプロジェクトも提案しても良いであろう。逆に韓国の立場とすれば、もっと早期から徹底して、「隠岐ではなく鬱陵島の付属物であることは間違いなく、歴史的には関係国の勘違いがあったようだ」と淡々としておけばよかったと思うのだが。

 ハンス島問題自体は国際司法裁判所で解決されるかもしれない。そのような場で日本が活動するのは向いているかもしれない。法の支配の伝統に関しては、日本は欧州に負けないくらい歴史があり、また国民の性向として好む所でもあるからだ。世界的な領土紛争全てに関して関係国の提訴を受け付ける用意がある、くらいに機関を強化してみてはどうだろう。「紛争の平和的解決のための基盤」という位置付けで、決定権は無いが世界各地の法的・歴史的事実の資料整備などの業務を行う常設の支援機関を設け、関連する資料をとりまとめて国際的に広く公開し、常に参照可能な状況としておくのはどうだろうか。アカデミズムの客観的検証を中核とするのが重要である。本格提訴になった際にその機関の資料が高い価値を持つようにしておけば良いのである。今の日本は自国だけが得をしたいと考える国ではない。何しろ普通に世界が今のルールで回ればそれだけで資産が集まるのだから。公正な決定であれば今の日本人は受け入れる。そのためには日頃から(少なくとも法理的には)公正に振舞わなければならないし、その信用を積み重ねることが遠回りなようでいてあらゆる問題の確実な解決策なのかもしれない。逆に一度不信を買うと外交上どうにもならないという事実は、世界各地で多数の実例を持って証明済みである。
posted by カワセミ at 23:33| Comment(1) | TrackBack(2) | 世界情勢一般

2006年04月17日

国連安保理の実態と改革の困難さ

 昨年のG4案が廃案になって以来、安保理改革の話は停滞気味である。確かに案件は山のようにあり、特に今年になってからは人権委員会などの問題を放置して常任理事国入りの交渉など出来る状況ではない。イラン問題で揉め、スーダンやチャドがあの具合では日本も主張し辛いタイミングではある。

 今月、興味深い事に国連次席大使の北岡伸一氏が複数の雑誌に国連関係で寄稿している。「中央公論」に安保理改革の停滞に関する話を、「論座」に安保理の実態や活動の意義を示す内容を寄せている。特に後者のほうが興味深くはあるが、いずれもこのブログなどよりよほど目を通す価値があるので推薦しておきたい。

 前者の中央公論に掲載された内容は、今まで多くの識者が述べてきたことをまとめたものだ。もっとも内容の整理のされ方は大半のものより洗練されている。特に米国、中国、アフリカに課題があったとしている。ただ、ここで北岡氏はG4案が通る可能性はかなりあったとしているが、それに関しては少し甘い評価ではないかと思う。アジア諸国も共同提案国になるにはリスクがあるが投票の際には賛成するとした国は多いという話であるが、やはり肝心の常任理事国が賛成しなければ絶対に通らないのであるからそんな事は言えないのではないか。また、ネガティブな国々にも少しは言及してもいいだろう。スペインへの話は余り進まなかったようだし、カナダの隠然とした消極性(しかし賢く振舞っていて悪者にはならない注意深さがある)も面倒な話だった。
 しかしながら、この外交が無益なものではないとした後半の論述には強く賛同したい。日本もなかなかやるなという評価がニューヨーク周辺であるとしている。それは自画自賛的ではあるが確かに存在感を増すことではあるだろう。現状に問題がある事は多くの国で共通認識があり、日本等を入れることで今後この種の見直し議論が発生することをかなりの期間抑止したいという英仏あたりの考えは国内でももう少し報道されて良かったろう。実際連携も多かったのだから。その他細部の記述には興味深いものもある。

「・・・フランスの行動には、何か外交を楽しんでいるふうが見られた。実際、G4を支持してくれと、多くのフランス語圏の国々にとくに働きかけてくれたが、そういう働きかけによって、実はフランスはその外交能力を再生産し、拡大強化しているのである。」

「確かに安保理改革は難しい。しかしそれは正当な要求である。たいていの国はそれが正当な要求であることを理解している。失敗してもさしたるダメージはない。この点、戦争をするのとはまったく違う。」

「昨年の挫折には、別にダメージは無い。それどころか、実は、得るものが大きかった。なぜなら、正しい要求を持って、これを支持してほしいと言いに行くことによって、世界中の国々の政権の中枢と、深く切り結ぶことになったからである。」


 北岡氏のこれらの言は誠に示唆的だ。思うに日本人は外交を「本来やらずに済ませたいが仕方なくやる苦行」のように考え過ぎているのではないだろうか。孤立主義の伝統が無意識に出ているかもしれない。フランスのようにはなれないだろうが、もう少し政治の世界の日常のように肩の力を抜いてもいいのかもしれない。ここでも必要以上に真面目すぎる気がする。そういう意識を土台に継続的に関与することが前向きな結果をもたらすように思う。

 後者の論座への寄稿はより実際的で興味深い。グローバル・プレーヤーの条件として安保理の実際の活動を説明している。各案件事にリード国を設定し、日本もリード国のときはかなりの役割を果たしている。非常任理事国でも安保理にいるといないとでは大違いのようだ。そして常時参加している常任理事国はやはり強力であるということ。また北岡氏の各国に関する評価見解は面白い。

・論点を整理し、アイデアを出し、議論をとりまとめて行くのはイギリスが断然優れている。
・フランスもシャープな論点を提示し、これに次ぐ。
・アメリカはしばしば洗練さを欠くがさすがにパワフルで、ここまでが別格。
・ロシアはとにかく過去の経験が厚く、議事進行や先例に詳しい。案件によっては日本とも結構親しい。ただ主権尊重でブレーキをかけることも多い。
・中国はロシアに近いがもう少し静かで、自国の利害が絡まない案件ではあまり発言しない。
・非常任理事国では、近年アルジェリアが活躍している。ギリシャは大使が極めて有能であり活躍している。
・日本は常にやや控えめではあるが、言動は安定しており、間違いが無いことで知られる。

 中国の外交行動に関しては昔から知られているものではあり、それ故国際社会では案外紊乱者と見られていない。日本人は別の感想があるのであろうが。また日本には該当案件に詳しくない途上国の追随が多いと言う事も昔から知られている。
 全体として、実質の貢献度では日本は米英仏に次ぐとしているが、これは恐らく妥当なところなのであろう。弱点はフランス語の出来る職員が少ないこととしているが、これもその通りだろう。

 いずれにせよ、外交は何もしないことではなく何かをする事で評価される。日本は現時点でそう悪い評判のある国ではない。しかし、多くの途上国からは苦境を理解する国として評価がある一方、民主主義国一般からの尊重が少し軽めである事、しかしここで示されているように近年の各種案件への対応はかなり評価されていることは示唆的ではないだろうか。国益の角逐という厳しい場である事は周知の事実、しかしそこから結果としてどのような未来を作っていったかという結果が外交の評価となるのであろう。米英仏は非難されることも多いが賞賛される事も多く、しかしそれはいつも静かになされている。そして総合すれば、日本より高い評価となっている事を、もっと多くの日本人は考えておくべきだろう。
posted by カワセミ at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2006年02月17日

核拡散防止のための様々な模索

 核拡散を防ぐための模索は様々な形で継続しているが、その一環として使用済み核燃料の国際協力の件が進んでいる。これはここ最近加速してきたもので、今月6日時点で主要な原子力大国との国際協力を進めるという米エネルギー省からの提案がなされている。(参照)

 このニュースに次いで、米エネルギー副長官が日本の核燃料サイクルを持ち上げる発言がなされている。(参照2)このこと自体は日本の経済力や技術を考えれば何と言うことも無いが、タイミングとしてはちょうどfinalventさんが日記で触れていたインドの件などとセットで考えるべきだと思う。まぁ、いきなり名指しされても私に振られても困るとしか言いようが無いが(苦笑)

 イランとインドが良好な関係を維持しているというのは日本の立場とやや類似している。ただインドは原子力関係でかくのごときプレッシャーを受けている。この記事はインドを牽制して、イランへの圧力とするのが背景でもあるが、同様に中国やパキスタンにおける核技術の透明化の進展を狙っているというのは上記のロイターの記述でもはっきり書かれているし当然推察されることだ。

 ただこの件、もう少し広い視野で解釈してもいいと思う。歴史的に米国は同盟国や友好国に核武装を断念してもらうために安全保障上の関与を提供し、どちらかというと敵対的な国に関しては、それは比較的大国で国際秩序の枠組みの現実もあることから容認路線だった。だからこそイランの核開発の問題はむしろ新しい種類の問題である、というような内容は以前のエントリでも触れた。今後世界的に原子力技術の発展は継続するので、この種の対処はますます必要となる。とすれば、敵対的な国を枠組に取り入れることはそもそも難しいことから、順序として、まずは中立的で米国及びその同盟国から一線を引きたがっている国を参加させるというのは自然な話であろう。インドに関しては戦略的岐路にある国の一つとして現在のブッシュ政権は特別な関与を意図してはいるが、手法が違ったとしても国際的な枠組に取り入れていくべきという努力の方向性はいかなる政権でも同じであろう。

 日本はとなると、この種の国に政治的妥協の大義名分を付与する存在として振舞うしかないと思われる。それぞれの国が国内で閉じている部分をこじ開けて、細部は他国に公開しないが日本(と裏で米国などの主要な原子力大国)は知っており、正当性に根拠を担保するというのはある話かもしれない。世界全体に透明性を持って相対する事を要求するのは難しいが、一握りの国に公開するとなれば、中間的現実解として想定されてもいいかもしれない。その種の外交交渉は既に始まっている可能性もあるが。中国に関してはフランスが保証するのだろうか。
posted by カワセミ at 23:06| Comment(2) | TrackBack(1) | 世界情勢一般

2006年02月16日

外国政府によるインターネット検閲に関する米国内の反応

 国内的な要因がないと外交的リアクションも出てこないというのは米国に限った話では無いし珍しくも無い。だが、この件はいかにもその典型であるように思われる。米国務省は外国政府の自国内のインターネット検閲に対しこれを緩和するための努力として委員会を設置したことを発表した。これは米国企業の中国内での活動が米国内で問題になっているのが主な背景である。

 国務省の発表はこのような内容だ。(参照)理念的なものが先行している感があるが、より国内的な贖罪の要素が強いようにも見受けられる。米国を代表する会社が専制政治の手助けをしているという批判は日本人の考えている以上に強い。具体的に言うとGoogle,Yahoo,Microsoft,Cisco Systemsの4社が矢面に立たされており、ちょうど今頃議会に呼び出されていると思うが、米国では針のむしろ状態らしい。

 普段から保守的な論調で、国内的なカラーが強いと思われるChicago Tribuneのこのコラムは多少雰囲気を伝えているかもしれない。(参照2,要登録)特にYahooの提供した情報が投獄に結びついた件はもう大騒ぎのようだ。この手の問題の関連リンクはあちこちで作られているだろうから省略する。これが中国だけの件ではなく、イランがBBCのペルシャ語サイトへのアクセスを禁止した件も相乗効果となって、政治的争点に浮上しているという構図であろうか。チェイニーの誤射の件の批判もかわしたいだろうし、政府は何かをしなければいけなかっただろう。政府は中国政府に宥和的だが議会は厳しいというのは昔からだが、それでも物事に潮目というのはあると思う。この件、後から振り返ると大きな出来事だったと振り返られるのかもしれない。

 今回、国防戦略の見直しの件も重なったが、それにしても中国の「米国は対中戦略がバラバラ」というこの発言はいかにも奇妙だ。中国の首脳は決して知能の低い人達では無いのだが、にもかかわらず国内的な発想で外国を見てしまう性癖からは逃れられないのかもしれない。もちろん中国に限った話ではない。民主主義国は国内意見がバラバラなのは当たり前で、マジョリティの形成過程こそが要であるというだけの話なのだが、この当然の事実が伝わる国は余りにも少ないようだ。
posted by カワセミ at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2006年02月07日

続・欧州とイスラム世界のムハンマド風刺画騒動

 前回も追記を加えたのだが、この件は自分の認識と世間のギャップが多少大きいようだ。蛇足もいいところではあるのだが、もう少しこの件に関するつぶやきを記してみようと思う。ただ実態と合っているかどうかとなると、地域によっても違うし、元々大雑把な意見なのでどうというものでもないが。

 この件、欧州における移民が背景というのは全くそうであるのだが、それは攻撃的な構図として見るべきではないだろう。むしろ旧来からの宗教その他に対するタブーの増加には、成熟した社会として柔軟に対応していたと。しかし当然摩擦はあるわけで、今回のような風刺画はいわば社会のガス抜きのような行動の現われだろう。そのような所までに注文をつけるのかという事で、むしろ欧州諸国は被害者だという意識があるのではないか。
 また、前回のエントリのコメントでも軽く触れたが、例えばテロ組織のように、欧米などのキリスト教世界との対立が継続すること自体にメリットを感じる組織がイスラム世界に多いことには注意しなくてはならない。今回の件が該当するかどうかはともかく、本質的にこの種の摩擦は一定確率で発生し、それと共存することを覚悟しなければいけない、というのは言えるだろう。

 ここで社会におけるタブーという点で、英国での法案の件が極東ブログさんの方で軽く触れられている。英国のサイトを見たところ、これは昨年の10/25段階で修正が必要となり上院で否決されているようだ。このページの"Racial and Religious Hatred Bill, Committee,"(ページに2箇所)に続くリンクで確認出来る。2001年にも似たようなものが否決されている。しかし日本人や米国人から見ると英国上院ってのは鼻につく・・・いやそれは余談だが。いずれにせよそういう動きもあるという事ではあるが、ただこの件に限れば、英国は別扱いでいいのではないか。

 近代に至るまで宗教で散々殺し合いをした欧州諸国はこの種のタブーが面倒なことは良く分かっていると思う。あるいはキリスト教のカルトの延長としてのイスラム教、というと言い過ぎだろうか。ただいずれにせよ、近代的な国民国家を形成する中で、それぞれの国はそれなりの現実解を模索し、様々な試行錯誤を重ねた努力の結果としてそこそこ落ち着いた現在の社会がある。少し関連したエントリを以前に書いたので場合によっては参照してほしい。
 そういう歴史ゆえに欧州諸国は一線では譲れないのだが、その過程で英国は欧州の他の国に比べると(北アイルランドの件だけでなく)かなり異質なものを抱え込んだまま共存するという道を選んでいるようだ。米国もそれに近い面がある。だからこそ今回、英国や米国の政治レベルでの発言がやや融和的に見えるのは私としては得心が行く。妥協はアングロサクソンの伝統、と彼らは言うが、世間でのイメージと違ってそれは真実だろう。もちろん手法的なものであって、少なくとも今回「やっぱりイスラム駄目よ」という内心の認識は同じだろうが。

 そういう事を考えながら、日本の事も考える。イスラム地域に関して判官贔屓のごとき言動があるのは分からなくも無い。未だ相対的な弱者ではあるからだ。ただしかし、日本と社会の発展段階が近い欧州諸国の、今まで積み重ねてきた努力や何とか辿り着いた現在の社会の貴重さというものに思いを致さないのは何なのか、と思う。少なくとも同じ口で自国の歴史に理解を求めることは出来ないと思うのだが。
posted by カワセミ at 20:46| Comment(4) | TrackBack(2) | 世界情勢一般

2006年02月03日

欧州とイスラム世界のムハンマド風刺画騒動

 末尾に記述を追加しました。('06.2.4)

 デンマークに端を発するムハンマドの風刺画問題だが、欧州全域に飛び火する状況で蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。またパレスチナ選挙やイランでもめている最中にタイミングの悪い事だ。とりあえずメモ代わりのエントリ程度。

 ちなみに発端となったのはこれらしい。概要はワシントンポストの記事がまとまっているので引用する。(参照)このコラムも参考になるだろう。(参照2)実のところ、欧州の反応はキリスト教やユダヤ教におけるタブーとも重なり、イスラム地域の世論に関しては理解しているし、一般論としては融和的なのだろう。同じくワシントンポストのこのコラムで示されていた内容はなかなか示唆的だ。(参照3)一部引用する。

The complication in the cartoon controversy, says Islam Online, "stems from the conviction held by many Muslims, that 'press freedom' of the Danish variety would not be tolerated?indeed, would be prosecuted to the fullest extent of the law?if Judaism were made the target of such slurs, in a Europe where legitimate, if exaggerated, fears of anti-Semitism have long acted as a sort of moral bludgeon, shaping legislation and molding public norms and taboos."


 私の印象としては、タブーに関する欧州一般の理解はかなり高かったと思う。そうであるから、いやむしろそうであるが故に暴力行為のような一線を越えた反応に関する反発は一層強くなったものと考える。これが日本であれば、聖なるものへの敬意という感覚はむしろ薄れているかもしれず、より純粋な反発がはっきり現れていたのかもしれない。そうでないのは運がいいだけとしか言いようが無い。日本でもかつて悪魔の詩の邦訳で殺害された筑波大教授の件があるが、現在日本で発生していたらどうだったろうか。インターネットの影響力も昔とはまるで違う。

('06.2.4追記)
 この問題に対する日本の他のブログを見たが、奇妙な認識がされている事も多いのに驚いた。挑発的であるとか、他文化を理解すべき、そのタブーを尊重すべきという論調も多いのだ。この件、そのような問題だろうか?当の欧州では、そのような事は多くの人が百も承知だろう。

 比喩が難しいが、日本人としては皇室に対する態度に重ねてそのような発言になっているのではないだろうか。公然と触れないことが社会としての約束事で、無意味に混乱を引き起こすことであると。だが欧州、いやもっと広く取った少なくともキリスト教圏の民主主義諸国「全体」でそのような日本人的自粛が可能なはずも無い。そして現在の自由な社会を維持する限り、ある一定確率でこの種の風刺画のごとき表現がメディアに現出することは絶対に避けられない。実際に今回は小国デンマークの一新聞が発端であるに過ぎない。それをゼロもしくはそれに近い状況にしようと試みるには、法規制以外の方法はない。欧州の多くのメディアがそれに危惧を抱くのは当然過ぎるほど当然だろう。
 少なくとも私は、そのような社会の未来図は闇でしかあり得ないと思うし、多くの民主主義国の国民もそうだろう。これはそれでも良いとする人たちとの対立であるという苦い現実を率直に認めなければならない。当面、摩擦の沈静化のための戦術的な対応が必要だとしても、本質的な解決のためのリアクションは取れない性質の問題だろう。

 どこか忘れたが、欧州の新聞で「ムハンマドよ、怒るな。ここでは我々は皆風刺される」というような発言をしているキリストの漫画が掲載されていた。イスラム圏の人々がそれを理解してくれると良いのだが。
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2005年12月05日

テロ容疑者収容所問題に思う

 ここ数週間風邪がなかなか治らない。そのせいもあって更新も滞っているが、今回の欧州における収容所問題は微妙に気になる話だ。まずはライス国務長官の発言(参照)とNYタイムスの記事をとりあえずリンクしておく。(参照2、要登録)

 この問題、米国に関して様々な事を考えさせられた。2004年の大統領選挙、アブグレイブ刑務所での虐待が判明したとき、私は直感的に「ブッシュが落ちるとしたらこれが原因だろう」と思った。それ以外の問題は戦争というものにまつわる厳しさと直結しているからだ。しかしこの件は米国での政治文化では非常に嫌われる。にもかかわらず、このときのブッシュ大統領の支持率の落ち込みは数パーセント程度だったのを良く記憶している。9.11以前のアメリカなら15??20%くらいの急激な低下を見せていただろう。そしてそれ以上に驚いたのは、ラムズフェルドの首が飛ばなかったことである。この時期、保守の良識を持って知られるThe Economistも解任支持をしていたことを記憶している人は多いだろう。それが彼らの伝統的なやり方であったからだ。しかしながら実際の経緯はかくのごとしだ。米国の世論は、イスラム地域に対して本当に悪くなっているのだなということを痛感する事でもあった。

 この件、現場の兵士に責任を負わせるトカゲのしっぽ切り的な批判が多い。それ自体的外れというわけではないがやや正確さに欠ける。アブグレイブの件、あのような状況におけば少なからぬ兵士は必ずあのような行動に出るものだ。米国のみならず、世界中の軍隊でほぼ必ずそうなる。そして米軍は社会科学的なノウハウを多く持っており、そのこと自体は良く分かっている。つまり、軍内部の規律をしっかり管理した場合のみ、このような事件を抑止可能になるということだ。そしてこの件、管理を緩めたから発生したというより、古典的な水準の管理では足りないほどの反感が現場に存在していた、と解釈するべきだろう。そのため抑止し切れず発生したと考えるべきだろう。それ故兵士の罪を問うことそれ自体は不適切ではない。ただ、管理能力強化の方向性は打ち出されたようではあるが、やはり高官の責任は何がしか必要であっただろう。

 微妙なのは、拷問によって得た供述からテロを防ぎ、自国民や兵士の生命を救った実績が一応はあることである。海外に大きく報道されるのはテロが起きた場合で防いだ場合は大半無視される。確かに現実の、自国の問題として戦っていれば甘い対応は出来ない。しかし総合的に見れば、やはり自制的であるべきなのは言うまでも無い。

 そして少なくとも間接的には、欧州の生命を救ったというのは間違ってはいない。先のリンクから一部引用する。

-- The United States is a country of laws. My colleagues and I have sworn to support and
defend the Constitution of the United States. We believe in the rule of law.


-- The United States Government must protect its citizens. We and our friends around the world have the responsibility to work together in finding practical ways to defend ourselves against ruthless enemies. And these terrorists are some of the most ruthless enemies we face.


-- We cannot discuss information that would compromise the success of intelligence, law enforcement, and military operations. We expect that other nations share this view.


Some governments choose to cooperate with the United States in intelligence, law enforcement, or military matters. That cooperation is a two-way street. We share intelligence that has helped protect European countries from attack, helping save European lives.


 当たり前の事を語っているのだが、しかし、これを人事と感じて聞き流すのと、自国が本気で参加する前提で対応を考える場合を比較して、これほど受け取り方の違う内容も少ないかもしれない。

 日本人が同じようなプレッシャーに置かれたらどうなるのだろうか。私見では、現在のイスラエルにかなり近い行動を取るのではないかと思う。そう、気楽な第三者から見れば無慈悲に見える潔癖さで自分達の身を守るのだろう。そしてその潔癖さにもかかわらず、法の精神を遵守するというより現場における柔軟な対応が優先し、それが他国の誤解を招くのだろう。そのリスクは常にあった。そういう意味で、確かにここ半世紀日本は幸運であったのだ。そしてある程度はこれからも維持されるだろう。今まで以上のコストを伴いつつ。
posted by カワセミ at 23:46| Comment(4) | TrackBack(0) | 世界情勢一般