2011年06月01日

どういう政治家に憧れ、倣おうとするのか

 雪斎殿がエントリーを更新し、菅直人首相にに対して「彼は政治家として誰に憧れ、誰に倣おうとしたのか。」と問いかける興味深い論を記されている。「中興の祖」を高く評価するというこの論は、氏の過去のエントリにもそのような考え方が滲み出ており、頷けるものがある。現役の政治家ならともかく、自分が考えても仕方が無いのだけれども、誰かの文章に刺激を受けて何かを記すというのが本来のBlogのあり方でもあろう。せっかくの機会であるから自分ならこう考えるというのを記してみたい。この文章を読んでいる読者諸氏も、多くの政治家を思い浮かべ、誰を評価するか、誰に共感するかというのを考えてみてはどうだろうか。

 まず、基本的な考え方であるが、私はこの問いに対して、戦国時代やら、もちろんそれ以前の昔の日本の人物の名を上げる人をあまり高く評価しない。政治は人の考え方の営みであり、現代と社会状況も人の考え方もまるで違う、より正確に言えばどのように違うかも把握することが難しい過去を挙げるのは適切で無いと思うのだ。もちろんその意義がこの種の問いが上がる全ての局面でゼロというわけではない。しかしより適切な回答を回避しているように思える。まして現役の政治家でそう言うとしたら、それは夢想的な無責任者の傾向があるとは言えないだろうか。
 
 それ故、明治以降の政治家か、海外であれば17〜18世紀あたりから後の欧州諸国の政治家、地域によっては19〜20世紀以降の政治家を挙げるのが良いと思う。さらに自分の偏った考えを付け加えさせて貰えば、本来は現代に生きて活動している、今の日本であれば衆参両院の議員から選択するのが本来のこの問いへの誠実な回答では無いか、と考える。
 
 勿論、棺を覆いて初めて評価定まる、は政治家のどうしようもない宿命であり、永遠の真実であろう。しかし政治が生きている人間の営みである以上、本来は現在活動している人物を挙げるべきという考えを維持しておくのは一つの在り方では無いかと思うのだ。

 それでも日本国内の人物となると、実際に挙げるのはそう言った自分自身でも困難である。もちろん、それは今時点での自分自身の無知から来るものではあるが。強いて挙げれば、近年では高い評価を受けた小泉元首相を挙げるという考えもある。ただ、確かに在任中の各種政策の切り回しには多く共感する所もあったのだが、歴史的評価は怪しいかもしれない。「改革の可能性を示しながらそれを最後まで貫徹すること無く、少子化で経済の活力が縮小する日本の貴重な時間を浪費した」となるかもしれぬ。

 そのようなわけで、私が挙げるのは英国元首相のトニー・ブレア氏である。何が何でも国内から挙げるという考えの人もいるが、私はそのように思わない。少なからず同時代を生きた人物は同種の困難に立ち向かい、成功と失敗の一部を共有していると思うからだ。そのような意味でもブレア氏はふさわしい。

 近年の日本では、意欲を持って何らかの政策を推し進める政治家は、内容が大筋妥当なものであっても、それが一定程度必然的に持つ負の側面によって損害を被る人々の反対の声に過剰に萎縮し、推進仕切れないことが多いと考える。結果、不作為が続き、当面は平穏な日々が経過し、重要な課題は放置される傾向がある。(とはいうものの、福島原発事故という究極の事態により不作為の罪に目が向けられつつはあるが)今の日本の政治家に必要なのは、課題を設定し、期限を切って実行する勇気なのである。この勇気という側面に関して、小泉元首相も含めて全くの不作と言える。それを思うと、任期中、ひたすら火中の栗を拾い、少しでもよりよい社会を後世に残そうとした氏の営みは誠に政治家としてふさわしい。氏を賞賛するとしたら、誰よりも英国の宰相らしく行動した、ということになるのだろうか。日本人としては外交問題が記憶に強い。ユーゴ問題など、人権に関する確固たる信念が中核にあることが成果を生んだ。彼がいなければより長い期間放置されたろう。しかし、むしろ国内の医療改革やアイルランド問題など、地に足を付けないと遂行できない地味な問題で成果が多かったように感じられる。若干世間離れしている感もあるオバマ氏に得て欲しい部分ではあるが。

 この種の立場に立つ政治家は、存命中には成果は部分的なものであったり、挫折したりという事が多い。他に私が尊敬する政治家として板垣退助や犬養毅を考えてみても、いずれもそうである。それでも、政治の要諦は人の考えであるので、それを少しでも良い方向に変化させた人物は、その国や地域の政治の土台として社会全体を底上げした成果があると考える。ウィルソン大統領などもそうであろう。また板垣氏を挙げるなら英国のグラッドストン首相を挙げるのがより適切と指摘する人はいるかもしれない。氏は第四次内閣のアイルランド法案を否決された。少なくともこの点で成果を出せなかったと言う事は可能かもしれない。しかし歴史の文脈で意味はあったのだと思う。21世紀のブレア氏も任期の最後にこの問題に注力したことを想起せずにはいられない。きっと過去の英国宰相にも思いを馳せていただろう。
 
 こういう政治家は気質として革命家的な部分を持っていたのだろうと思う。しかし、いずれの人物も議会政治というものを重視し、その支持を広げることにほとんどの労力を費やした。自制心と人権に対する良心が彼らのキーワードかもしれない。そして多少なりとも人間の政治意識を変化させた。民主政治が他の政治体制より多少はマシであるという理由は、歴史の経過と共に少しづつ進歩が期待できるという事が大きな割合を占めている。彼らはそれに最も貢献した人たちではないだろうか。出来れば現代の政治家にそういう人が現れ、棺が覆われる前に世の評価があれば、と思う。それが困難な事は、構造上の宿命かもしれないが。
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2008年06月11日

国内事情に関する多少の雑記(2008.6)

さして多くのブログを閲覧しているわけではないので、少し前、同じくらいの時期に雪斎さんとforrestalさんのブログが閉鎖と聞いた時には寂寥の念を禁じ得なかった。こちらも実質は似たようなものであり、どうしようか考えた。しかし細々とではあるが、残しておこうかなと思っている。ここしばらくは身辺が落ち着かなかったという事情もあるし、ニュースを見るのもうんざりという国内外の状況もそれに拍車をかけた。とはいうものの、そういう時期にこそ活動せねばならないのかもしれないが。とりあえず、リハビリというわけではないがまずは国内問題で少し雑記を。

福田政権:
正直、とにかく腹が立つ。あまりこのブログでは感情を前面に出したくないのだが我慢がならない。
全くもってこの政権は評判が悪いが、これは自民党に深刻なダメージを与えている。駄目だとは思っていたがここまで駄目だとは思わなかったあたり、安倍政権と似ている。ただ安倍政権の場合は元々一応の国民の人気を受けて発足したものであり、選挙の大敗を受けて終了するという、民主国家としてはごく普通の過程を経ている。これに対して福田政権は党内事情が先行した。そして共通したのは、内閣総理大臣を任せるだけの力量を持っていない人物を総裁に選出したことである。これは前途有為な人材を育成し、一定の資質を備えさせた後に重要なポストを担わせるという、政党の基本的な責務を果たしていないという現状を多くの人に認識させることになった。この種の危機は大臣の選定というレベルでも国家としては致命的である。最近であれば石波防衛相などが分かりやすい。防衛は本質的に不信に対する備えであり、時に業務は冷酷に進めなければならない。世論が追認するような仕事振りが必要なのだが、それが出来ているとは思えない。「責任」ということに関して全く及第点に達していない。そして今は内閣総理大臣そのものが問題になっている。世論との乖離が大きい場合には、せめて政策に一貫した合理性がなければならないのだがそうでもない。負の遺産を任されたと思っているような態度も心証を悪くする。確かに今の日本は多くの問題を抱えているが、それでもまだ世界屈指の経済大国で、治安はまだ良い。教育水準も高いし世に人材は多い。正の遺産ははるかに多いのである。おまけに衆議院では、自力では絶対獲得することの出来ない議席数を引き継いでいるのである。この立場に立ちたいと思っている人は世に限りなくいるだろう。

衆参ねじれ現象:
ねじれというのも変な表現で、院によって獲得議席数が違うだけの話である。だからこうした言葉はあまり使いたくはないが、一応世に倣ってそのようにしてみる。
参院で多数を占めた民主党の行動は、正直立派とは言い難い。個別の政策に関しては批判されるべき多くの欠点がある。次の選挙でどの政党に投票すればよいかの判断は難しいが、それはそれとして大局的に見てこの状況は日本の政治にとって悪いものだろうか?
すべてではないがいくつかの法案に関しては与野党で有意義な調整の結果中道的な法案が作成されている。ガソリンや日銀問題は醜態だが、まだ次の改善に繋げるためのステップと位置付けることが可能で、国家としては長期的にみると容認可能なリスクである。もちろん進歩しなければただの愚挙であるが、一度は止むを得ないかもしれない。
一番危険なのはやはり外交・安全保障分野だが、これも大局的に見ると興味深い状況である。海外では、日本は最小の負担で最大の利益を追求する功利的な外交を継続的に推進していると見られている。またこれに関しては政界で広範囲な合意があるともされている。サマワやインド洋への派遣を欧州の負担と比較するだけでこれは事実と理解できよう。民主党は経験の無さからまだそのギリギリの線の見極めが未熟なだけではないかと考えられないだろうか。それでもインド洋への派遣問題では、衆院2/3での再可決を前提とした行動のようにも見えたし、思いやり予算に関する行動では最初に予想されたよりは早い段階で妥協した。口先はともかく案外自民党と大差ない気がする。今後の予想として、ギリギリセーフと思って高め玉を投げたらギリギリアウトになって、米国と大揉めに揉めるが何らの代替案もなくそれ以前に覚悟もないのであっさり凹んで終わり、という局面が一度くらいあるように思っている。つまりは湾岸戦争のときの自民党の繰り返しという事である。
前途多難ではあるが、近年の日本では、政治に対して有権者はやっと他の民主国家のように鋭く反応するようになってきた。そうなってからまだ数年と思えば、政治が成熟するのはまだまだこれからである。有権者は腹をくくるしかないようだ。

秋葉原事件:
通り魔事件としては異例なほどの衝撃を日本人に与えた事件となった。私もたまに足を運ぶことがある、見慣れた場所である。この事件に対する世論の反応には様々に屈折があるようだ。いわゆる就職氷河期世代にとっては、報道された範囲での犯人像を他人事と思えないと感じた人が少なくなかったのではないだろうか。7年前の事件の宅間元死刑囚とは違い、比較的普通の人間である。そして被害者は単にそこを歩いていただけの人間である。ほんの少しの運命の違いで、加害者にも被害者にもなっていたかもしれない事件として、複雑な感情を持って受け止めている人が多いのではないだろうか。
そしてこの事件の背景である。当然犯人は厳罰に処されることになるであろうが、これは他人を巻き込む形での広義の自殺とも言える。犯人は少数の異常者であると考えることは適切かもしれない。しかし事前にこの犯罪を発生させないためには何が必要だったかと考えるとまた別である。宅間元死刑囚の場合は困難であったかもしれない。が、今回は、少しばかりましな雇用がそこに存在すれば起きなかったかもしれないと人々に思わせるような報道がなされている。つまりこれはレアケースであると同時に確率の増大という側面もあり、明らかに今後悪化方向に振れることも確実ではないだろうか。つまり、自分が加害者にも被害者にもなるかもしれない凶悪事件が今後増大傾向にあると少なからぬ人々が考えたということであり、それこそがこの事件のやりきれなさではないだろうか。
言うまでもなく、より多くの人が自分は加害者側に立つことはないと考えている。そして何が原因かと考えたがるが、それ自体はあまり意味がないかもしれない。むしろ大多数のそれを起こさない人はなぜ起こさないかを考え、それをある種の立場の人には人為的に構築するといった方向に思索を向かわせるべきではないだろうか。明日も安心して街角を歩きたいと願うのであれば、それが必要であるように思うのである。
posted by カワセミ at 22:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2007年06月07日

父の思い出

 Hache氏のブログでかんべえさんに御不幸があった事を知った。私は御二方いずれにも直接の面識があるわけではないのですが、オンラインでは随分お世話になっているという感覚があります。タイミングも遅くなり、私がここでというのもいささか的外れかもしれませんが、心から弔意を示させていただきます。

 いずれ誰にも回ってくる事ではあるが、やはり肉親は健在であるに越したことはない。私も随分前に亡くなった父親の事を思い出した。ブログなのでたまには個人的な日記もよいであろう。

 父が亡くなったのは1985年だった。私も成人前であるし、若い頃にありがちな事として自分の志がうまく現実に反映されるわけでもなく、どうにもままならない日々であった。家庭の状況も病弱な父親を抱えて大変な日々だった。たまたまというか、かんべえ氏の著作にそのものずばり「1985年」がある。良書であるが、私はそのような個人的な事情から複雑な思いで読むことになった。当時の世間は随分繁栄していたようにみえる。その中で、なぜ私だけがと思っていたような日々だった。むしろその後の「失われた10年」に私の身辺はむしろ落ち着いた。まぁ、単に年をとったというだけの話でどうという事もない。しかしこの時期は、世間的にも停滞という形での奇妙な社会の相対的安定があったとは言えまいか。むしろ景気が回復してきている今のような時期に人の心にさざ波は起きていないだろうか。必ずしも自分がそうだったからというわけではないのだが。

 私の父親は、今となってはあまりいないかもしれない、怒ると怖い雷親父の典型だった。子供の頃は大層怖かったが、しかし今にして思えば、そうするべきだという教育方針の信念か何かの反映だったのだろう。事実私が年を取るに従って少しずつ手綱を緩めているフシもあった。

 父も若いころには志はあったようだ。歴史学者とか、そのような方面に進みたかったらしい。しかし体を壊して思うようにならぬ人生だったようだ。私が覚えている範囲でも寝込んでいる事が多かった。洋楽や小説、ニュースなどを見て過ごしていた。クラシックはあまり聞かなかったが、しかし私が最初に聞いたクラシック音楽は、この父が気まぐれで息子に与えたベートーヴェンの交響曲全集だった。人間こういうものを一度は聞いておかねばならないというような事を言っていた覚えがある。

 見ていたニュースの中でも政治や海外の話題などに興味を示す事が多かった。といっても、今と違ってインターネットも普及しておらず、特別な組織に所属していたわけでもないから情報の入手経路は限られていたはずだ。病床に伏していることが多く、せいぜい雑誌とテレビくらいしか目にしていなかったはずだ。英語も苦手だったので海外の論壇に詳しかったとも思えない。しかし不思議と判断は良かった気がする。

 似たような世代の人にはいささか実感があるかもしれないが、米ソ冷戦は極めて状況が固定的な印象があった。両国が核ミサイルを向け合っている事実は子供でも知っていた。究極の破壊力を前に、未来永劫この状況が続くような感覚を少なからぬ人が持っていたのではないだろうか。だが父はあっさりと「ソ連なんて、そもそも大した国ではないからそうそうやっていけるものではない。100年も保てば充分長いほうだろう」というだけであった。そんな簡単なものかなと当時は思っただけだったが。

 同じような時期、記憶もいささか怪しいが、恐らく第二次石油危機の頃であろうか。このままだとあと数十年で石油がなくなると世間で騒いでいたころだ。私はまだ小学生だったはずだが、知的に背伸びしたい時期ということで、色々な雑誌とか本の受け売りみたいな事を家族にやっていた。その時父はひらひらと手を振って、「そういう言は頭からそのまま受け取っても仕方が無い。もし本当に石油が数十年で地球から無くなるという事であるのなら、この程度の騒ぎ方であるはずがない。世界のあちこちで派手に戦争になっているに違いない。だから、油田など問題なく後から次々見つかるはずだ」と。当時は何となくむきになって反論したものだが、そのうち分かるとという感じに笑っているだけで相手にされなかった。奇妙に悔しかったが、その一方で大人の余裕を見せられたようで、それが本当なのかなと内心思っていた。

 もう少し長じてからは、いささか政治的傾向も分かるようになった。当時の社会党や共産党のような左派勢力を決して信用していなかった。大事なことは任せられないというのである。ただ国政はともかく、地方自治だと時にはいいかと言う事もあった。継続的に自民党支持だったので保守的に過ぎると当時は思ったものだ。しかし今にして思えば、河野洋平に肩入れしていたりとか、むしろ中道左派的な判断をしていたように思う。もっともこの件は後から失望する事になったのだろうが。同様に米カーター大統領も好んでいた。レーガン大統領誕生の際はいささか意外そうにしていた。ただ数年後に自分の判断は誤っていたというような事を言っていた。レーガンは優れた大統領であると一期目に判断していたようだ。

 病弱な割には妙に外出したがるので家族は困っていた。つくば博も無理に家族を連れて行ったが、自分は車椅子だった。ああいう科学イベントの雰囲気は好きだったようだ。夏の暑い時期に人でいっぱいでろくに入れなかったのもいい思い出だ。

 具合の悪い日々が続いていたが、それが何年もとなると人間はそれに慣れてしまう。癌などであればともかく、何と無くそのまま保つような印象を家族は感じるものだ。だから亡くなるのも唐突だった印象がある。50歳を超えて間もない年齢というのは、今の基準だといかにも早い。命日が文化の日というのも親父らしいと思った。

 同じ年、ゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長に就任する。その後の歴史は誰もが知っている通りである。親父は一番面白い所を見損ねた形になった、最後まで運に恵まれなかったな、数年後にそう思う事になった。

 上に書いたような会話は指で数えるほどしかなかったが、年齢を重ねるにつれ、それを残念に思うようになる。もっと話をしておけば良かったと。そして今も、エントリを書くたびに父ならどう考えるかとふと思うことがある。あっさりと、しかし物事の本質を的確に指摘してくれるような、そんな気がするのだ。
posted by カワセミ at 00:56| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2006年10月10日

お詫び

 今やっと気がついたのでお知らせしておきます。

 先日のコメントスパム時に、復旧のため一度エントリを削除して再インポートしました。そのため各記事のURLが根こそぎ変わってしまいました。各記事の古いリンク先を貼っていただいている方は今飛ばなくなっている状態なので、申し訳ありませんが可能な範囲で更新をお願いします。右のサイト内検索などをご利用下さい。
posted by カワセミ at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2006年09月16日

ブログトラブル復旧

 恐らくこれで復旧したと思います。結局一度データをログファイルにエクスポートし、エントリを根こそぎ削除してテキストエディタでログファイルの処理をして再インポートすることで対処しました。マクロは比較的簡単なのだから最初に思いつけばよかったのですが。

 処理に失敗して落としてしまったコメントは無いと思うのですが、もしも不具合がありましたらご連絡下さい。削除前のログも残してありますので。
posted by カワセミ at 00:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2006年09月13日

ブログトラブル中(2)

 先ほどまでの最新エントリがこちらのミスでコメント投稿不可になっていました。大変申し訳ありません。
 とりあえず、最新の数エントリを残して過去エントリは一通り投稿不可にしました。日頃のコメント数からして需要は少ないかと思いますが、コメントの際にはやや関連のある記事への投稿という形でご対処下さい。宜しくお願いします。
posted by カワセミ at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2006年09月10日

ブログトラブル中

 業務連絡です。

 皆さん最新コメントの欄が最近変になっていることに気付かれているかと思いますが、今も数百、下手をすると千以上のコメントスパムが来ていて困っています。システムへのリクエストを行っていますが、当面コメント欄を停止しておきます。可能な範囲で早く復活させたいので宜しくお願いします。最新コメントのリプライを返しておきたかったのですが、日時指定で一括削除の作業とかがやりにくくなるかもしれないので後回しにしてあります。
 ちなみにIPアドレスをチェックすると日本含め世界中に散らばっていて、フィルタリングの類を出来る状況でもなさそうです。

 ・・・・とここまで書いて気が付いたが、このブログでは全体指定が出来ないのか?記事投稿時のデフォルト設定が示されているだけか・・・・さてどうしたものか。もはや適当に最新記事にコメントしてもらっても構わない気がしてきた。

 ('06.9.11追記)
 おっと、このエントリだけコメントできないようになっていた。
相変わらず殺到し続けているが、システムからは受付メールのみで担当者に連絡するとあるだけ。さてどうするか。
posted by カワセミ at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2006年05月16日

ブログ移転しました

 ココログの調子が良くないので移転しました。これからの更新はこちらのブログで行います。過去記事に関してはまだリンク先がココログのままですが、おいおい更新作業を行います。
posted by カワセミ at 21:58| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記・コラム・つぶやき

2006年04月24日

佐々木氏の「グーグル」読後に考えた未来の風景

 以前、梅田氏の「ウェブ進化論」という書籍を読み、簡単な感想のエントリを書いたことがある。今回の佐々木氏の「グーグル Google 既存のビジネスを破壊する」も近い内容を扱ったものだ。R30氏がブログで書評を書いているのでそちらも参照されたい。

 書籍そのものの内容としては極めて妥当なものであり、むしろこれを読んだときの各人の感想が興味深いものとなる、と様々な人が述べている。私も似たような見解だ。何かを語る際の基盤として優れている感がある。

 この書籍は、梅田氏の「ウェブ進化論」と比較すると確かに一般向きかもしれない。ビジネスの具体例がより実際的に、ローカルな個別企業の名も挙げる形で示されており、古典的なビジネス書に近い感もある。梅田氏の書籍と比較して対照的と言う人もいる。私などはむしろ「結局のところ同じことを語っている」側面のほうがより重要だと考えるのだが、そうでない人も多いのだろう。

 むしろこれではっきりしたのは、梅田氏の著作では具体例に関してはむしろ禁欲的な側面を持っており、必要最小限の事例しか意図的に挙げていないのではないかと言うことだ。これは抽象的な内容を語るときは特に重要だ。具体例を挙げないのが思想を語る上で必須であることもある。ビジネスでも特定範囲でしか仕事が出来ない人に限って具体例や実績に拘るのはよくある話である。もちろん、この佐々木氏の書籍を批判しているわけではない。役割はそれぞれだからである。ただ「同じ事を語っても肌合いは違う」のであり、それが本質的に違うように思う人は予想以上にいるかもしれないと思っただけだ。

 この佐々木氏のGoogle論は、データベースが中核にあるという事をはっきり述べている点で啓蒙的だ。それがあらゆるジャンルに適用されていくという未来図もほぼ正確であろう。では我々はどのように対処すべきか?またいつものことだが、政治系ブログということで社会的意味合いで考えてみよう。

 ある特定の企業が時代の経済環境にうまく適合し、特定産業で独占かそれに近いシェアを占めて大きな利潤を得るということはしばしばある。それに通常対応するのは独禁法であるが、より実際的な解として、ある種の社会的役割を背負わせるという場合がある。日本国内で考えると、NTT法であったり、電力会社や鉄道会社に関する対応であったりする。いずれも競争は市場で可能でありながらも、現実問題として参入障壁が極端に高いのが特徴である。Googleのような会社も、大局的に見ればそのような企業の一つとして今後処理されるのではないだろうか。中国政府とのやり取りがいい例だが、結局のところ主権国家の法制度は絶対の強制力であり続けるのだ。

 では、仮にそういう未来図があるとして、設定したほうがいいかもしれない義務とはどのようなものであろうか?ユーザーは皆自由意思で提供するものとする。それは結局のところ二つに集約されるのではないだろうか。データ利用効率を最良にすることが一つ、データの削除の自由も含めた管理の一元化により、ユーザーに統一的な利便性を提供することがもう一つだろう。

 前者に関しては、この地主制度2.0という面白い言い草から連想した。小作人とは言い得て妙で、ある側面の真実も突いている。しかしながら我々は別の側面も考えなければならない。戦後の日本のごとく農地をみじん切りにするような農政は失敗することだ。結局全体効率を上げなければ話にならない。そのため、二次利用者の使用コストを押さえ込む施策は今から考慮しておいていいかもしれない。あからさまに言えば消費者金融の貸出金利の上限みたいなものだ(笑)日本の現行法でも、従業員○○人以上の企業は云々と言う条文は山のようにある。これは雇用という社会的に重要な役割を提供している責任から来るものであるが、この種のデータベースの二次提供は仮想的な雇用提供と表現できなくも無い。そのため従業員数以外にデータベースの規模などで社会的責任を段階的に設定すると言う未来図は可能性があるかもしれない。

 後者に関しては、よりユーザーサイドからの視点だ。現在、インターネット上で様々なサービスを受け、ショップを利用している人は個人情報をばらまいていると言える。これはリスク拡大という側面もある。個人情報を含めたデータベースの構築企業が両手で数えられる程度に集約されれば二次利用する会社に完全開示しない形でビジネス上の処理は可能になるかもしれない。また、個人が自分に関して作られているデータベースの内容は自分自身で参照可能であるというのは、今後新たな種類の人権であるとされる政治思想が広まるかもしれない。そうなると、まとめ上げられたデータベースを、場合によっては有償処理という可能性まで含めて、項目ごとの削除等も含めた権利を設定する必要性はあるかもしれない。

 上記のような可能性は、この書籍のP.232-234などと読み合わせると示唆的だ。ここでは監視社会のモデルとして、ビッグブラザー、パノプティコン、アセンブラージュを上げており、ビッグブラザーからアセンブラージュへ、主体としては官から民への変化が趨勢だとされている。その必然的な帰趨として、少なくとも経済的に発展した民主主義国においては、民主的に選ばれた行政府はむしろ民間の大企業の役割を監視する存在として社会的に認知される事になるかもしれない。社会がそのような段階になっていれば、いわゆる住基ネットのようなものは民間委託されているであろうから当然ともいえる。(セキュリティなどに関して政府機関は常に一流企業より劣っていることもその流れに拍車をかける)ただそのような社会の成立にはやや条件があり、米英独のような地方分権が強力な社会で監視機構が地方政府と中央政府、NGOなどで相互に働いてなければならない。日仏あたりは政府が信用を得るのに上記のような国よりは時間がかかるかもしれないし、結果的に効率ある社会という観点では少し遅れるのかもしれない。日本国内で言えば、裁判員制度などとのセットは考えられるだろう。無作為抽出された市民がそのタイミングで自分のプライバシー情報の管理状況をチェックするというようなアプローチだ。それに企業の信用度を商品化して、先物市場のような形で取引するという手も使えるかもしれない。このような未来図は今ではSF的でしかないが部分的には現出するかもしれない。

 ところで、この本で疑問に思ったことが一つある。それは、なぜ破壊するのかをわざわざ問うている事である。それは、問う必要があるのだろうか?彼らは破壊できるから破壊するというだけだろう。というより、自分たちが歩む事自体がたまたま破壊になっていると考えているだけではないか。本当に社会に必要なものであるなら破壊しても自然と再生するだろう、そうで無ければ意に介する必要なし、とその程度ではないか。先駆者とはそうしたものなのである。
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2006年03月27日

ブログ開設一周年

 本日でこのブログを設置してちょうど1年が経過した。ものの一週間で放り出すかなと思いながら試しのつもりで始めたものであるが案外続いている。毎日更新を心がけるとか最初に思うとこうはいかなかったろう。自分の意見を述べるのにコメントでは長くなることもあるからトラックバックをかけられるように用意するという程度の考えだった。ちょうどその前にいくつか意欲的なブログを見て触発されたというのもある。当初からマイペースのつもりで、今もそれは変わらない。

 アクセス数はというと、更新したときには1000を超え、そうでない時は少し割ると言う程度だ。なぜか週末は少ない。平日の仕事の忙しい時に参照するブログとも思えないのだが。現在累計で37万アクセスだが、更新頻度を考えるとこれでも多いくらいである。幸か不幸かここを読んでいる人に面識のある人はいないはずなので自分の耳で直に感想を聞くことは無い。優秀な知識人にちょっと叩かれると凹むだろうから、それでいいのかもしれないが。

 各エントリの人気とか一般受けはほとんど考えないでやっている。アクセス解析の結果を見ると常連のユーザーが付いて継続的にウォッチされていると言う印象だ。各エントリの反響はいつも意外な結果で出る。1年を振り返って、思った事について軽くコメントしたい。

・原文ソースが英語の場合極めて反応が薄い
 日本人の実態が良く出ているのかもしれない。そもそもそれを読む人は黙って原典に当たって自分以上にきちんと理解するだろうから、このブログを引用したりコメントしたりする必要などそもそも無いのであろう。そう考えると順当だ。ただ面倒な人でも、核拡散と鳥インフルエンザ関連は目を通して欲しい気もする。

・ロシアとの領土問題
 一連のエントリは意外に反響があった。この問題に関しては、日本にとってやや都合の悪い部分が隠蔽される傾向にあること、また良くも悪くも欧州中心の歴史的経緯を考えると日本の主張に微妙な部分があることが広く伝わっていないという印象がある。自分自身の覚え書きという側面が強かったが、記した意味はあったかもしれない。

・アフリカ関連
 北アフリカ、南部アフリカ、西サハラ、スーダンとたまにエントリするが、なぜか忘れた頃にリンクが張られたりする。単に日本人で取り上げる人が少ないだけかもしれないが。それは国民一般では止むを得ない話である。ただこの地域の件で一つ言いたい事はある。ある程度国際的に反響のある事件に関しては、日本で責任ある立場にいる人は一言でもいいから必ず公式なコメントを出しておくべきだと言うことだ。

・中国関連
 概してアクセスが増えるが、正直良いエントリは少なかったように思う。一番反響があったのは山本氏の著作に関する感想であるが、これはある種の人々に関しては比較的共通見解と思っていたがそうでもなかったのかもしれない。概して東アジア関連では少し世間とのギャップを感じている。

・ムハンマド風刺画
 一番意外だったのがこれだ。欧州に同情的な論調が思いのほか少ない。私自身はそもそもブログや掲示板をあれこれ見て回る人間ではなく、このブログも人の意見をろくに見ずに作っている。それでも目に入ってくる僅かの論調だけでも、靖国問題の対比とか、少し変な方向に走っているように思った。今回もこの件では池内恵氏がいくつかの雑誌で妥当な説明をしているので、機会あればこのブログよりよほど目を通しておくと良いと思う。日本人は、読売新聞や産経新聞、あるいはもっとマイナーな地方紙の社説にデモが起き、首相に謝罪しろとか二度と発生しないように考えろとか要請されたらどうするつもりなのだろう。幸いにもその種の管理不可能な問題にはまだ直面せずにいる。

・Web進化論
 ほとんど推敲せず適当に思いついたことを30分程度で一気に書いた。旅行中にぼんやり思っていたせいもあるが、最初に感じた印象が重要ではないかと思ったのも一因だ。なぜかアクセス数はこれが一番多かったようだ。国際関係に限定されない一般的な話題だったからかもしれない。どこから参照されたかは余り良く分からない。梅田氏自身にはチェックされているようではあるが。

 最後に、このブログの紹介、アクセスやコメント、トラックバック等でお世話になった方に、一周年という区切りで再度お礼を申し上げておきたく思います。取り上げる順に意図したものは無いので宜しくお願いします。

雪斎様
 しばしばコメントやトラックバックでお世話になっています。貴ブログは、政治は人の営みであること、生身の人間が日々活動している結果であることを、皮膚感覚と実感を持って示しているように思います。最近は昔以上に忙しいようで、ご自愛下さい。

finalvent様
 アクセス数の増加に関しては一番お世話になった形です。日記も拝見しております。多様な興味の対象と広い視野はいつも参考になるところです。今後とも宜しくお願いします。

かんべえ様
 あれだけの内容を継続的に記されているのにはいつも頭が下がります。最初にいただいたリンクがなければ、本当に一週間で更新を止めてそれっきりになったかもしれません。少しずつ調子を上げようかなどと根気の要る作業が苦手な私には大変な応援になりました。有難うございます。

やじゅん様
 しばしばコメントで失礼しております。啓蒙主義という意味で私よりよほど徹底したエントリ群と思います。当たり前のことを伝えるのにも大変な労力がかかるものですが、古典の伝統に根ざし、私のように手間を惜しむことの無い態度には敬意を表します。今後とも宜しくお願いします。

Hache様
 ブログ開設おめでとうございます。貴殿のような教養の深い方が文章を公開することは、それだけで多くの人に良質な刺激を与えるものと信じます。コメント等でも宜しくお願いします。

さくら様
 忙しく体力も要するはずなのに、活発なブログ更新は大変ご立派だと思います。地に足のついた良識が強靭かつ自然に示されているのは、真似したいと思ってもなかなか出来ないものです。今後とも宜しくお願いします。

長島昭久様
 以前貴HPで、本ブログを早い段階でリンクと共にご紹介いただきました。やや過大評価とも思え、その後のエントリは失望させることになったかもしれません。お礼を申し上げようと思ってはいましたが、ことごとく政治的に微妙な時期で変な迷惑をかけるかもしれない危惧もあり、失礼しておりました。もう見ていないかもしれませんが、このエントリを持ってお礼に替えさせていただきたく。

・常連ユーザーの皆様
 このブログはあくまで個人の心情や感想を吐露するものに過ぎません。ですが、それが多少なりとも何がしかの、歴史や地理、古典、この時代、現実に生きる人々への興味を多少なりとも強めるものになるのであれば、それだけで意義があるものと思います。今後とも、宜しくお願いします。
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2006年03月17日

お題バトン「アメリカ」

 以前にもmusicバトンがあった気がするけど、最近はこんなのもあるんですね。こちらから回ってきたものですけど、なかなか面白い。テーマは回す人が指定できる模様。では私は「アメリカ」のほうで。「世界戦略」だと、誰しも幼少の頃にあるはずの世界征服を夢見た記憶が蘇って来てかなり無駄ですので(笑)

 で、項目は以下の通りらしい。

「本棚やPCに入っている(テーマ)は?」
「今、妄想している(テーマ)は?」
「最初に出会った(テーマ)は?」
「特別な思い入れのある(テーマ)は?」
「(テーマ)への愛ゆえに一言物申す」

 それでは記述。

・「本棚やPCに入っている『アメリカ』は?」

 書籍は色々あるのですが、政治系だとPCのForeign Affairsの電子ファイルとかが真っ先に思い浮かびます。高いレベルながらもそのレベルなりの玉石混交なのですが、良質な文章のほうはその明晰さ、的確さに舌を巻く思いです。しばしば欧州大陸に見られる余分な思想の外套を脱ぎ捨てたようなシャープな怜悧さに惚れることしばしば。
 書籍なら「アメリカ外交50年」などある種の典型でどうしても真っ先に思い浮かびます。もっとも書籍として真っ先に思い浮かぶのはむしろ文学であったりします。ヘミングウェイとか。欧州のそれ以上に、現代的で等身大なので、日本人にも馴染みやすいのでしょう。

「今、妄想している『アメリカ』は?」

 ライス国務長官がピアノを弾きながら強硬な指示を下す風景です。オーストラリアで口が滑った麻生外相にツッコミを入れるでも可。まさに妄想だが妙にありそう。

「最初に出会った『アメリカ』は?」

 何でしょうね。無意識にはいっぱいありますから。小学校の図書室のスヌーピーか、映画の何かでしょうね。アメリカ的なものを鋭く感じたとなると、レーガン大統領の初当選ですね。当時日本の新聞が叩きまくっていたのをうっすら覚えています。カーター持ち上げまくっていたし。最近ブッシュに姿を重ねました。

「特別な思い入れのある『アメリカ』は?」

 アメリカと言っていいのかどうか分かりませんが、ホロヴィッツとかトスカニーニとか、アメリカでより成功した音楽家の姿ですね。あと最近だとIT革命などの新産業の勃興とか。文化の支援者、創出者としてのアメリカには概して思い入れがあります。開明的で未来志向なところですね。時には「そうか日本は台風で困っているのか。では試しに中心に原爆落としてみるか」とか困った事言いますけど。

「『アメリカ』への愛ゆえに一言物申す」

 いやまぁ、私が言う以前にアメリカの中でもっと大きい声が絶叫されているので。強いて日本人としていうなら、まずは観光旅行でも良いからもう少し多くの人に日本の姿を見て欲しい、に尽きますね。

以上です。

次に回す人ですが、いつもお世話になっている皆様にまたまた失礼して・・・・

雪斎の随想録」の雪斎様に「政治学者」で。
やじゅんの世界ブログ」のやじゅん様に同じく「アメリカ」で。
寝言@時の最果て」のHache様に「欧州史」で。

もちろん、面倒な場合は無視していただいて構いません。宜しくお願いします。
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2006年02月28日

梅田氏の「ウェブ進化論」を読んで色々と考えた

 珍しく休暇を取って旅行に行っていた。暇なホテルでの夜に最近話題の梅田氏の著作「ウェブ進化論」を読んだ。私は元々ネットにどっぷりという人間ではないのでこの種の一般人向けの本としての丁寧な著作は有難い。久々の更新の割にはただ暇潰しエントリになってしまうがつらつらと思ったことを書いてみたい。そういうわけで書評と言うわけでもない。主に読んだ人に対するメッセージだと思ってもらいたい。

 この梅田氏の著作については、インターネットバブル崩壊後の第二世代のネット技術の進化の要点を鋭く押さえているという点をまず評価しなければならない。そして語られて無い点が重要だという言い方で、R30氏が2回のエントリ()においてある本質的な部分を的確に喝破している。しかしながら、私の抱いた最初の見解としては、むしろ古典的アプローチの先鋭化がネットによってなされているというものであった。純技術的に言えば、このIT革命の第二幕は、大規模で効率的なデータベースの進化というものが唯一の源泉と言えなくも無い。知の結集とその取捨選択による進化もそれを基盤としている。その意味でGoogleが代表的な企業であることにも異論は無い。そしてGoogleの影響から逃げる方法を考えるという知的作業そのものが、Google的な分析の対象になる事であると思っておくべきであろう。

 そして、多くの人がこれをビジネス的な面から考えているが、先鋭化の結果として、人間の考え方が変化していくという事がより本質的な部分であろう。例えば経済的な格差意識を例に取ると、この本で引用されている羽生氏の「高速道路とその先の大渋滞」という鋭い指摘には考えさせられる。(この人は以前「打ち歩詰めのルールが無ければ将棋は先手必勝ではないか」と発言して物議を醸していた。それが真実かどうかはともかく、何かと恐ろしく的確に物事の本質を見抜いているように思われる)ここではITの恩恵としての高速道路に乗ることによって全く個人的な努力でかなりの程度力量を高める事が可能であるとされているが、しかし同様の人が大勢いることによって、限られた勝者となるためにはそこから先の道が至難であることも指摘されている。このような現象が、多かれ少なかれ社会の全領域で発生するのであろう。その場合、高速道路に乗ったはいいがその先で成功できない人々の意識は複雑だ。自分も成功しようとして高速道路に乗ったのだから、高速道路の先の数少ない成功者を非難は出来ない。むしろ高速道路に乗ろうともしない人に視線は向かう。自分の相当程度の努力がさほど報われないのに、そのような人間が自分と大差ないそこそこの評価で無難に過ごしていることに対してどう思うだろうか。日本においては、このような若いエリートの不満の結果が反映したのが昨年の衆院選の結果かもしれない。もちろん世代の問題が直接的であるが、将来的にはニート等に代替されるであろう。こういう真面目で優秀だがあまり恵まれない層は2割くらいだろうか。これは結果として日本の知識人の経済的弱者に対する意識をやや英国的な陰険で冷淡なものにするかもしれない。

 またデータ解析と取捨選択の技術は、より人間の根源的な欲求に対して明確な示唆を与える時に社会に与える衝撃は強くなる。例えば人間の寿命に関してはどうだろうか。今でも病院の良し悪しのデータベースは作られつつある。だがもう少し違った角度からの視線、例えば職業別の平均余命とかが見えてきたらどうであろう。特定職業の人気が急落するかもしれない。また趣味がテーマなら?住環境なら?どれ一つ取っても大変化が発生する。
 また結婚などをテーマにしたらどうだろう。amazonでの購買、ネットでの検索やページビューなどの個人の嗜好を表す情報を、人の手の加わらない自律システムに提供すれば、その見返りにある程度の人間関係の誘導を促されるというのはありかもしれない。今でも容姿さえお互いの容認範囲なら(苦笑)ネットでの親しい友人関係から初めてオフラインで会った時にブレイクするというのは聞く話だが。容姿すらも遺伝情報の提供があればいけるかもしれない。また、ちょっと言いにくいが年齢というのも評価要素なので、人間が自分を高く売れる時期をある特定年齢と判断できるかもしれない。結果、多くの人はある年齢で結婚するようになるとか、そんな可能性はどうであろうか。
 教育をテーマにしたらどうだろうか。今の我々は生まれたときにIT技術の恩恵を受けていたわけではない。高等教育のでの恩恵は見えやすい。しかし自分の子供を出生時から効率的に教育するプロセスが、現在の特定の学校に行かせる程度のものから、より生活全般に渡る細かいプロセスとなるかもしれない。

 こういう話は現時点では全く夢物語かもしれない。しかしながら、いずれも方向性として可能性が無いものではない。そして社会における人間の倫理観や意識はゆっくりとしか変化しない。上記のようなことは、いずれも長期的には当たり前の変化であっても、一つ世に出るごとに巨大な黒船が襲来したかのような受け止められ方をされるのであろう。Google Earthのようなパターンが大規模に繰り返されると思ってよい。つまり、全体としてはゆっくりとしか変わらないのに、ある時ある分野でルールと人間の意識が激変する。そのことに今後の社会変化の本質は集約されるのであろう。

 そのような社会の行く末はどうなるのだろうか。政治系のブログと言うことで、政治家が認識し、語っておかねばならない、覚悟を決めておかねばならないと思われることをいくつか挙げてみよう。

・格差の問題
 最近格差の拡大がどうこうと悶着があるが、そもそも個人の能力差が若い世代になればなるほど広がっているのだから、ミクロには色々不公平があってもマクロ的にそうなっているのは当たり前だと言うことを政治家も率直に語らなければいけない。それを原点にしないと話が進展しない。

・シンクタンクの活発化
 世の中にはタダで知的リソースを提供したり、ボランティアで政治活動をする人がいる。そういうベンチャー企業的な政治風土を持つのは現在では米国程度で、階級社会の欧州もアカデミズムの沈滞は色々と問題である。現在議員立法には議員個人がかなりの労力を必要としているが、立法のための主要な要件を整備・公開し、各議員が在野の知的リソースを利用しやすくするべきであろう。また場合によっては政策秘書のやや軽い地位を創設してもいいかも知れない。同時に立法は大統領制のごとく立法府所属の人間にのみ権利ありと厳格化してもいいかもしれない。(内閣構成者も党員としてしか立法できない、など)官僚を排除するためには知的には優秀な彼ら以上の知的リソースが必要であるというだけの話だ。ちゃんと使えていれば今回の民主党のメール問題のような事は避けられる。

・日本語という問題
 この本では言語の壁を破る技術を模索中であることも記されているが、その技術進展の速度とタイミング次第で異なる未来が予想される。まずなかなか壁が破れない場合、英語圏に比べて極端に知的リソース上の不利を甘受することになり、経済の停滞があるかもしれない。しかし社会不安の進行はむしろゆっくりしているかもしれない。壁が破れた場合はやや激烈で、日本語に堪能である事がほぼ唯一の自分の知的資源であるような人がかなりの苦境に立つであろう。しかし多くの企業にとてつもない成功への道が開かれる。そしてどちらになるかは政治家の行動では変えられないことを認識しておき、いずれの場合にも備えるべきだろう。

・世界情勢への影響
 個人としては全世界の人間にチャンスがある。企業と言う枠で見ても同様だが、しかし主権国家の枠組みは容易なことでは崩壊しない。そして企業と言うならどこかの主権国家にどうしてもその基盤は影響される。例えば先のamazonを例に取ると、再販制度が無いのでベストセラーの本には価格競争があり、そうでない本は高く売れるので利益がそこそこ上がるというのは典型的な例だ。結局法制度の影響は受ける。そして総合的に見れば、言論の自由が無いかタブーが多い国は沈滞することはほぼ確実、主権国家としては米国一人勝ち。EUはまぁ頑張る。日本は上記。後の国は法制度と治安がほぼ全てを決めるだろう。人間の能力をうまく使えれば成功する。

・ルール決定への意識
 このような巨大な社会変化に対し、方向性を多少なりとも影響付けられるのは強制力のある法律以外に無いだろう。しかもインターネットの性質上、全世界的に考えなければならない。国際政治での条約作成の提案能力を高める事も重要だが、国内法とのマッチングの速度を速めることが大切だ。例えば現在ハーグ条約で、内容によっては日本の裁判所の管轄権は外国に及ぶのだが、それを生かすような法整備はまるでされていない。逆に義務は履行せねばならないので一部国民のフラストレーションがあるが、これは日本の認識・努力不足である。
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2006年01月05日

2006年を迎えて

 挨拶がすっかり遅れましたが、明けましておめでとうございます。バタバタしているうちに過ぎた正月休みでした。前回のエントリに続き、最近思ったことに関して軽くコメントして今年のスタートにしたいと思います。

・小泉首相の前原氏へのアプローチ
 大連立を持ちかけたりとかの話題が昨年あったが、今でも類似の発言を繰り返しているようだ。確かに奇妙なインパクトはあり、ニュースのネタにはしやすいが、何の思惑かと騒ぐマスコミの論調には私は違和感を持つ。というのは、民主主義政体下で議会政治を営む場合は、多数派を形成する努力をすること自体は当たり前すぎるほど当たり前の事だからだ。小泉首相が異論を切り捨てるのを責める、マスコミのその同じ会社が多数派形成に違和感を唱えることがある。矛盾としか言えない奇妙な報道であろう。私見では、自己の勢力が衆参両院で2/3に達するまでは、多数派形成の努力は目標とする政策が歪められない限り推進するのは自然な姿と考える。まして前原氏周辺の民主党右派は小泉首相との政治的距離が最も近いとなればこれは当然だ。
 ここでちょっとつまらない妄想を付け足してみよう。小泉首相は、自民党の次期総裁選には出ないと言っている。しかし、二度と内閣総理大臣をやらないとか、他党の党首にならないとは一言も言っていない。(当たり前だが)ということは、自民党の比較的リベラルな勢力を率いて社民党もどきの連中を叩き出した民主党に合流し、そこでまた首相職をやるというのは嘘を言ったことにはならないかなと思う。これで自民党に安倍氏や麻生氏のような親米の合理的な伝統主義者が残れば、何とか格好のついた二大政党制にはなる。

・在中領事館職員自殺問題
 これは様々な見方があろうが、私の直感としては、ほぼ純粋な国内問題ではないかというものだ。ここ数年の日本の対中姿勢は複雑だが、国内的に親中勢力を叩き出す過程で、この経緯が良く分からずに当の中国も振り回されているというのが実情だろう。日本の外務省の高官が大事にしないでおこうと約束をする。それが裏で決めるうまい落としどころに見える内容だと、中国の国内的な慣習にも合致する面もあり、当面は納得してしまう。しかし後でひっくり返ると、民主的な政治の伝統の無い国であればそれは陰謀論的な解釈をしてしまうのだ。相手が中国だから先方が悪く見えてしまうが、民主主義国以外に似たような対応をすると反応は大差なかったりする。
 日本がかつて米国相手に裏でこっそり似たような交渉をしてひどい目にあったことは多い。もちろんそれでうまくいく場合もある。しかし、民主主義国相手の外交は、表に回って議会の決議が取れるまでは何も決まっていないのと同じだと考えるくらいで良いだろう。中国が日本の衆参両院の決議を重視するようになるまで、この種の摩擦は続くだろう。
 この件、切込隊長氏は取引的なことも疑っているようだ。(参照)中国側はそんな思惑があるかもしれない。ただ、日本側は違うだろう。これは一貫して(中国をネタとしながらも)国内の政治路線の問題として扱われていくだろう。内閣直属のODA庁が出来たあたりが仕上げとなろうか。

・北朝鮮問題
 誰もが薄々分かっているとは思うが、相当に非人道的な事実を日米政府は知っており、発表すると国民が苛烈な反応を示して後戻りが出来なくなるから押さえているというのが実際のところであろう。どのみち金正日だけはどうにかしないといけない、というところか。ここ最近はそういう情報を注意深く小出しにしているという印象もある。そして中国というよりは韓国の世論醸成、支持とはいかなくてもギリギリ黙認を目指しているのではなかろうか。もちろん韓国から米韓同盟を切れば別であるが、それは絶対にない話だ。で、このまま普通に考えていくと・・・・秋あたりに外交が破綻しそうだ。小泉首相辞められるのか?
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2005年12月30日

2005年の世界情勢を振り返って

 すぐにやめるかと思いきや、マイペースでだらだらした内容ながら年末までこのブログも続いた。今回は2005年を振り返って、総括というほどでもないが、全体として私が重要と感じたことに関して、色々と述べてみたい。全体としては、過渡期の年であったと言うことになろうか。複数の話題を扱うが、コメントしていただけるのならどの内容に関してでも構わない。

・日本の衆院選
 このblogの名称を世界情勢としているのは日本自身も含んでいるからである。英語で言えばinternationalではなくworldwideに相当するとでも表現すればいいかもしれない。そして世界的ニュースという意味では、カトリーヌのような短期的なインパクトをもつ事件でなくある程度長期に渡り影響がある内容となれば、日本の衆院選は今年の重要なニュースの一つと言えるのではないだろうか。
 この選挙は、小泉首相のイニシアチブにより郵政民営化を争点として戦われた。そして首相により一種の国民投票であると位置付けられた。しかし投票する国民の側からすると、小泉首相を含む政治家サイドが何を言おうがあくまで「衆院選」に対する投票だ。優越院の全議員を選出し、間接的に行政府の長も決定するという、日本の最も重要な選挙であるという本質はいつもと変わらない。そして投票する側は、各候補者が何を発言しようが「今回はどの候補者に議席を与えればよいか」というのを全体的に判断するだけだろう。そして民主党は良質な党首に恵まれることなく、党内もバラバラで信頼を得る事が出来なかった。また今回民主党に投票した人に理由を聞くと、「政権交代が必要だから」という回答がかなりあった。つまり、それを期待することによる得票バブルの部分はまだあるという事だ。政策そのものへの信頼という意味では、今回の衆院選結果よりまだ低くなる可能性がある。
 この選挙を海外から世界的ニュースという観点で見ると、日本国民の意識とは別に、当然ながらこの選挙結果がそれぞれの自国にどう影響を及ぼすかという事に関心は集中する。その意味では、経済運営の路線と対中関係の2つがやはり全般として注目点となっているのではないか。
 日本では米国的な競争重視の新保守主義が強まり、EUなどで根強く見られるで福祉重視路線が後退する。これは少なくとも日本の企業、少なくとも国際的な多国籍企業の競争力をより高めるし、WTOなどの多国間協議の場での日米の連携度合も強まり、EUの政策選択の幅も狭くなる。この選挙結果に関する評価は党派性によって異なるが、それは米国というより欧州諸国でより色濃い。これはEU内の事情から当然と言えるだろう。
 対中関係に関しては、田中角栄に始まった日中蜜月時代の終焉と位置付けられるだろう。ただ中国の対外政策の過激さ度合にもよるのだが、世界的に見ても近隣諸国というのはそれほどうまくいってないのが普通なので、どこにでもある普通の風景が日中間でも展開されるというだけの話だろう。その意味で日本人が考えているほど大げさな捉えられ方はされていないのではないか。この緊張状態を地理的に離れた唯一の超大国のアメリカが仲裁するのもまた当たり前の風景で、中国がやがて来る経済的な低迷期に妙な対外行動を取らない限り、これは東アジアのある種の戦略的安定状態として比較的長続きするのではないだろうか。日本も中国もそういう普通の風景に慣れるということを、ここ数十年かけて学習することになるのではないだろうか。

・イラク民主化への思惑
 これに関しては米国のもたつきが目立つ。しかし少し引いてイラクの現状を考えてみたい。そもそも同程度の経済水準にある国はいわゆる先進国に該当する国と比較して犯罪発生率は高い。イラクの場合統計がそもそも確固たる状況ではないが、問題が局所化されている印象が強い。米国の期待水準の高さが結果的に社会の変化を加速させていると考えるべきだろう。普通の国が半世紀とかかける変化が数年間で起きている。私はそれがイラクにメリットをもたらすと考える立場だ。
 それにしても、イラクの問題であるにもかかわらず、米国を語りたがる人が多いようだ。実のところそれは冷淡な日欧のリベラル勢力の本質でもある。世界的にある程度以上の事件が発生し、対処方法を決めるときにそれはどうあるべきかということに関心は集中し、その地域の秩序に関する議論は二次的であった。そして今回のイラク問題では、実質的なパラメータは2つしかなかった。すなわち、アメリカがどの程度本気で関与するかという事、そして当のイラクの国民意識はどうか、つまり「格付け」的にどのあたりに属する国かという事だ。実際はこの2つのパラメータしか作用しないこと自体が多くの国の不満の根源なのだが、リソースの提供無しにこの不満が解消されることは無い。
 公然と口に出す者は少ないが、多くの民主主義国は世界の様々な地域を内心で「格付け」している。だからユーゴ紛争地域の時「欧州の中でこのような非人道的な行為が行われていることを許すことは出来ない」と語られ、多くの国で対処することになった。その発言自体が配慮を欠くという自覚は欧州人に薄かった。スーダンで何があっても放置で、マグレブ諸国含む中東地域が何をやるかの境界になる。大局的な視点で考えると、イラク問題はその価値観の境界での混乱であると解釈出来るかもしれない。個別の利権等の純経済問題は妥協が可能だが、安全保障に関する価値観はそうではない。そしてこの価値観に関しては、米国は日欧よりやや楽観主義的な解釈を広い地域で取る傾向がある。日欧の伝統は「地域の政治的現状の追認」だ。
 本来、その追認が不可能な場合の対処方法について、「格付け」の擦り合わせを民主主義諸国間で普段からとりまとめる作業がイラク問題を踏まえた各国間の作業となる。ところがイラクの結果待ちのフィードバックがある程度この問題に関連するだけに、事態が動くのを待つしかないということもある。北朝鮮やイラン問題の現在の停滞の理由は、最終的に軍事力を背景にしないと解決しない種類の問題で米軍のリソース提供待ちであるというのが最大の理由だが、背景として、いずれもある種の境界に属する対象国であること、そして今後の主要国で政治的な落しどころを模索するため、テストケースとなっている最中であることが理由でもある。この主要なターゲットはロシアと思うが、それはプーチン大統領がロシア国内の状況にそこそこ民主主義と親和性の高いある種の相対的安定を構築出来るかどうかにかかっている。今の原油高は結果的にその猶予期間となっている。

・EUの今後
 欧州憲法を巡る混乱が目に付いたが、ただこれはある程度事前に予想されていた。そもそもこの種の統一憲法は、自治の気風が強い各地域をまとめる連邦国家が持つような代物だろう。それなら、各国は国内の憲法だけで各地域は充分譲歩しており、EUに関して我慢できるのはせいぜい金の面でのメリットのための仕方ない部分というのが本質ではないか。欧州の主要国で中央集権の気風を持つ国は少ないが、その典型のフランスがEU主導の中心であるということそれ自体がEUの先行きに問題を発生させているのかもしれない。どこまでいっても国民国家はその国の「体臭」から逃避することは出来ないように思われる。当面バルカン半島でのEU拡大を一服させているのは適切な判断だろう。統合とは、むしろ確固とした独立がそれを支える。確固とした基盤の無い国が統合に走ると、しばしばそれは社会不安の原因となる。
 それにしても、欧州が労力を割いて意味があるものとなるとこれは結構難しい。強いて言えば英米にやられっぱなしになっている法制度の世界化への努力だろうか。経済分野、例えば日欧を説き伏せてWTOの徹底的な強化し、EUにフィードバックさせるというような作業だろうか。実現の容易な範囲をミニマムアクセスとして取り決め、国内向けの圧力にするような路線しかないかもしれない。当面はドイツの停滞をどうにかせねばEUの有効な作用は厳しいが、ドイツが今年の日本のような段階に達するためにはむしろEUは邪魔のように思われる。なかなか解がなく、厳しい状況が何年も続くだろう。

・京都議定書
 米国の見解はここでも誤解されているようだ。平たく言うと「誰も守らないでしょ、それに中国やインドとかどうするの」と言うことだ。今回、EUで達成国がほとんど無いことが明らかになったようだ。経済低迷してかつこの結果では米国の言い分がその通りだったとしか言いようがない。排出権取引の強化を進めたほうがいいのではないだろうか。来年は遅まきながら様々な試みが始まるだろう。各国の思惑が絡み合うが、例えば炭素固定技術などを提唱するこういう話とかが動き出すかもしれない。ただ米国の排出する絶対量は余りにも大きいので、今後数十年で急速に減る見込みがあるとはいうものの、それをもっと加速しろとは言いたくなる。

・感染症問題
 鳥インフルエンザがその典型だが、今のところ世界的な大流行とまではいっていない。人間の移動が増大した現代ではこの問題はますます深刻になる。ここでも中国にどう対応するかという問題があり、困難なテーマだ。

・国連改革
 米国が強気で押さないと何も進まないということが証明された一年でもあった。それでも数年かかるかもしれない。日本の安保理入りは現在のままでは苦しい。中国は対外的な視線をさして気にしないので、最後の段階でも拒否権を使う可能性はかなり高いと思う。

・ロシア
 WTO加盟に向け各国の思惑が交錯。来年の最も主要な国際的テーマの一つとして扱われるだろう。日本は目立たず強力に後押ししている。ただし、ロシアでこれ以上民主化が後退すると、ロシアカードのオプションは使えなくなる。WTOの加盟自体は、中国が加盟している以上、経済的要件のみで満たされるとは思うが。
 現在は原油高でもあり、ロシアはある種の猶予期間が得られている。プーチン大統領に貴重な時間が日々経過しているという自覚があるかどうか。この国は個別の外交は洗練されており油断もならないが、大事な戦略的決定を下す段になるといつも失敗する。情報機関が優秀なだけにそれを受けての政治家の決定が哀れを誘うが、来年からの数年間でそれが繰り返されるかどうかが分かるのではないか。

 私が世界情勢に関心を寄せるようになってからは長いが、様々な事を知るにつけ、日本は恵まれているという印象を強くする一方だ。明確に世界秩序の受益者であるにも関わらず、それを国民に説明するのには労力が伴う。日本の政党政治に差別化要因があるとしたら、この現状に対し、どの程度の負荷を背負うのを適切と考えるかという事かもしれない。政治路線ではなく、その量ではないか。外交面だとそれは分かりやすいが、内政的にもそうなのだろう。来年以降、日本はそれを模索していくような、そんな気がする。
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2005年11月16日

雑記いろいろ('05.11.16)

・所得収支
 財務省発表の国際収支速報として、海外投資などでの所得収支が半期ベースで初めて貿易収支を上回ったと報じられている(参照)。いずれはそうなると思っていたが、今回は円安進行とか原油高とか色々な要因が絡んだようだ。
 少し以前の資料になるが、経済産業省の通商白書の2002年度版がなかなか参考になる。丁寧に説明してあって、専門家でない一般人にも親切な出来だ。(参照2)ここでは第2章の第3節からが該当する。こういう資料を見ると、日本が仮に活力を徐々に失ったとしても、成熟し安定した国としてそれなりに繁栄しつづけると思えて安心する。そして色々言われながらも貿易黒字はそれなりに稼ぎ続けそうでもあるし。ただ、在外資産の多い国は昔から軍事的負担もそれなりに必要になるのが世の習いである。歴史を大局的に見れば英米仏独日と主要国はいずれも発展段階次第で役割を拡大していると見れないことも無い。外から見れば日本は勝ち組みでしかないので止むを得ないが、面倒な時代にはなりそうだ。

・ブッシュアジア歴訪
 モンゴルが要注目。情報ガードが堅い感あり。アジア外交はいつも水面下で動くのだろうか。日本は少しマシになってきたと思いたいが。

・プーチン来日
 これは来るまで正直内容がわからない。厳しいという状況を強調し過ぎの感があるから案外何かあるかもしれない。経済関係の同行者も多過ぎる。もっとも相手はロシアなので、いつものごとく何か壮大な勘違いをしてるかもしれない。

・鳥インフルエンザ
 かなりまずい状況。中国では山のように発生していると見るべきだろうが、例によって情報が出てこない。そろそろ進出企業にも影響が出てくる時期か。日本国内ではさすがにそれなりの発表をするようになってきた。ただ数字の見積もり部分は甘めのを採用した感があるが・・・・・
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2005年11月08日

雑記いろいろ('05.11.8)

・フランスの暴動
 この件に関しては気が重くなる。欧州の大手マスコミはどこも遠慮があるという印象だ。事実関係を述べているだけにとどめたいかもしれない。当り障りの無い内容だが、一応参考に一つだけリンクしておく。(参照)米国ではバグダッドとパリを比較する遠慮の無さで、カトリーヌ報道の意趣返しではあるまいが、概して冷淡な印象だ。欧州での一貫した論旨としては、英国の多文化主義、フランスの同化主義の双方とも破綻したということのようだ。オランダのリベラリズムが行き詰まるのは確かに理解できる。しかしこの両国は、問題を抱えながらもそれなりの現実解を目指して来た国だ。だからこそ欧州の閉塞感は否めないだろう。そしてここに至ってもイスラム教そのものの問題に関しては目をそらしがちだ。ではブログはとなると、フランス人のを多く目にしたわけではないが、これは逆の意味で語りたくない。北アフリカ移民の問題は色々ややこしい。以前のエントリでも少し述べたが。
 知的で前向きな展望をこれほど目にしない問題も、近頃無かった気がする。

・北朝鮮との交渉
 少し前に、核問題や拉致問題などで分科会を設けて個別に交渉するというニュースが流れていた。現在も進めているのだろうが、これはアメリカのアドバイスという気がする。ちょうどEUの支持も確保できた時期でもあり、これからは韓国の押さえ込みに注力というフェーズとなるか。

・鳥インフルエンザ
 ファイザーがワクチン増産の噂。またスイスのロシュはタミフル増産を発表。(参照2)日本政府は何かしてるのだろうか。本来なら製薬会社に話を通すために国会に法案を出す時期なのだが。

・本田美奈子逝去
 芸能関係にはさっぱりな私も名前くらいは知っている。友人で好きな人がいた。白血病とは儚く、残酷なものだ。5日に岩崎宏美が見舞いに行っていたが、そのときはまだ反応があったようだ。私も小学校以来の親しい友人を20代で亡くしている。いずれも親が喪主だ。人間が最も避けなければならないことはそれだとつくづく思う。

 フジモリ出国?すいません、興味ありません(苦笑)
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2005年10月21日

雑記いろいろ('05.10.21)

・靖国参拝
 今までにもいくつかのエントリで書いていた通りである。外交的にもそもそも出尽くし感がある。次の首相で仕切り直しだろう。ただ靖国神社が持っている歴史観に賛同するわけではないというのをもう少し何らかの形で内外に示しておくべきだろう。例えばヴァチカンは世界中のキリスト教徒、わけてもカトリック教徒には特別な敬意を払われているし、サン・ピエトロ大聖堂は世界中から人が集まるが、その人々がすべてヴァチカンの保守的な倫理観に賛同しているわけではない。例えば妊娠中絶問題などは典型だろう。
 私個人は、伊勢神宮や出雲大社、厳島神社というような日本の代表的な神社と比較して靖国神社は「格」自体は落ちると思っている(日光東照宮すら多少はそう思っている)実際機能としての側面が強いだろう。しかし説明するならそのように「ここに行くしかないのだ」という形を取るしかないのではないか。それでも心の中の問題であるから、政治家個々人の信念によって、哀悼の意を示せれば、どのような形でもどこに行ってもいいとは思う。

・ラムズフェルド訪中
 李登輝訪米が実は大ニュースなのだが、中国国内的にはかなり隠蔽できている。米国はこの付近の外交調整が昔からうまい。極力明確な言質を公式に取っておこうとするラムズフェルドもさすがとしかいいようが無い。しかも当初日本素通りの形と見えたから・・・・

・普天間基地
 随分駄目な経緯を辿っている。防衛庁の関係者が問題?閣僚級で強力に主導するしかないのではないか。

・民主党前原党首
 一応思想的には首尾一貫している。ただ全体を通してみると、良い点は与党で無いと発揮されないという面が強い。野党で発言すると軽く見える。これは構造上の問題なのでかなり深刻。米軍再編の経緯でもしっかり突いて対案はここで出したほうが良かったろう。もっとも安全保障は民主党のアキレス腱なので党内事情が厳しいが・・・・・
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2005年10月17日

ビデオiPodの登場で映像配信ビジネスはどう進むか

 映像ファイルの視聴が可能なiPodが発売され、話題になっている。私自身、聴く音楽はクラシックが多いという事もあり、旧来の携帯音楽プレイヤーや音楽ファイルの販売にはあまり興味は無かった。しかし映像となると話は別だ。ちょうどR30氏が面白いエントリを挙げている、私も映像配信ビジネスで考えたことを書いて見たい。直感でしかないのでツッコミ所満載だとは思うが。

 まず、映像配信ビジネスの対象として、典型となるものを複数挙げてみたい。

(1) ハリウッド映画など、旧来はDVDのようなパッケージ販売の対象となるもの

(2) 今回取り上げられたミュージッククリップのように、従来パッケージでは扱いにくかった短時間・多種類のコンテンツ

(3) テレビドラマなど、家庭用録画機のタイムシフト需要を補うような、テレビ番組コンテンツの販売


 この3種類は仮に想定したものであるが、これにより一つの傾向が見えてくる。世界的な普遍性は(1)が高く、地域事情の影響は(3)が受けやすい。(2)はその中間だが、最終的な市場としては大きくは無いかもしれない。(1)(3)どちらかを前提としたビジネスに吸収される可能性がある。

 ここでビジネスの方法論として、(1)から始めて全世界を覆うような、例えばamazon.com的アプローチでいくのか(Appleがこれに相当する)(3)から始めてある国/地域でがっちり基盤を固めて、(1)のビジネスもその地域では従わざるを得ないようにするのか(CS放送におけるSKYPerfecTV!あたりがやや近いか)の2種類が考えられる。これは主体となる企業がどのようにビジネスモデルを考えるかだけではなく、周辺環境にも依存する。例えば国内の放送業界が中途半端に抵抗しモタモタしているとAppleのやり方に飲み込まれるだけだろうし、日本国内に限ればタイムシフト需要が強いのでそこと連携したビジネスが早期に成立すれば囲い込める可能性がある。企業はその付近の読みや働きかけも含めて進めなくてはならないが、ここでは双方のアプローチを考えてみる。

 まず、世界的な基盤を築くやり方としては、ダウンロード販売のインターフェイス/保存先として受け側としてPCを使う事は動かないと考えるべきだろう。となれば、誰でも思いつくが家庭用PCの標準OSであるWindowsに目が向く。ブラウザのときのようにダウンロード環境の標準となるソフトをOSに組み込んでおく(今でも多少あるが)という手がある。PCメーカーに呼びかけて最初の利用は無料にするとかいう手もあるだろう。ただRealへの出資などやり方も中途半端で、近年のMSはやや迷走気味にも見える。この路線にはややバリエーションがある。Apple的にダウンロードそのものではそれほど利益は出ないが端末ではそこそこ儲かるというような場合、端末機器のバリエーションの無さを突いて、基幹部品を全体需要を読んで一括調達し、原価を下げるサポートをしつつ標準にのっとった機器を各端末メーカーに作らせるという方法はあるかと思う。もちろん初期段階では携帯電話のように端末価格の肩代わりは検討しても良い。それとは逆に端末で利益を挙げるなら、最初はコンテンツ販売を安くして利用者を増やす努力に注力となるだろう。また端末を特定するならMSとSONYの組み合わせくらいしか成立しないだろう。MSはSONYと組みたがって声を掛けているという話を聞いたことがあるがどうなっているのだろうか。

 これとは逆に、特定の国/地域を固めて進める場合はテレビ放送が最初のターゲットになる。北米ではTiVoあたりからステップを踏むだろうし、欧州とアジアについては、偏見を交えて書くと欧州では早期にビジネスが成立するとは思い難いしアジアでは極端にローカルな方法論に傾く可能性が強く予想しにくい。というわけで日本国内に限って考えてみる。この場合、まずは片端から番組を録画してメディアを大量に消費するような旧来のAV機器マニアを、片端からファイルをダウンロードしてHDDを埋めていくダウンロードマニアにするのが当初アプローチとして良いだろう。それに加え、一般人をターゲットとした場合は、本放送の当日や翌日にはすぐにファイルがダウンできるような体制を整えるべきだろう。その場合の販売インターフェイスとしてはPCで見るEPG画面が最も早いだろう。特定の番組表サイトとか、またはDVDレコで言うのなら東芝のRDシリーズあたりが押さえている市場が該当するかもしれない。RDで録画できなかった場合、フラグか何かでレコ内部の状態を検知して、ダウンロードリストに自動的に加える、などのアプローチはいいかもしれない。ダウン先のメディアはPCとDVDレコ双方を指定できれば家庭用としては完璧かもしれない。またこの方法だと特定のレコメーカーで囲い込めるのでレコーダー側での利益も上げられる可能性がある。もちろん放送局側の協力は必須である。建前上「標準」を提供しているという形に持っていく政治的対応のほうが課題が多いかもしれない。

 AVマニアの多い国でもあるし、少しばかり大胆になるだけで、かなりの利益の挙げられるビジネスになると思うがどうか。放送局は自前のコンテンツをもっと有効利用できると思う。現在の地位は特権であり、維持するだけでも大変な時代だと思うのだが。もっとも、どう転んでも今のような圧倒的な主導権は薄れるだろう。
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2005年09月14日

愛・地球博に行ってきた(3)

 最初の見物はともかく、2回目で出来の良いパビリオンは割と見たのでいいのだが、そろそろ会期も終わりと思うとちと名残惜しくなってくる。なまじ平日に休みが取れてしまったから、昨日また出かけてしまった。選挙も終わったことだし。もちろん私には関係ないが。
 ・・・・・薄々嫌な予感はしていたが、猛烈な混雑。入場するのにすら30分近くかかる始末。後で確認すると20万の人出だったそうな。不安を抱きつつグローバルコモン3あたりから。

ドイツ館:
 余りに並んでいる人が多いので行列禁止状態。後で様子を見に来てくれという話である。何故ここまで多いのか。唯一のRIDE系だからか。(オーストリア館のソリも乗り物と言えなくも無いが)

フランス館:
 というわけで、隣のフランス館に。後で長い行列になったらしいから、ここに取り付いて正解だった。割と出来はいい。展示は光の演出が巧妙で多くの外国館の中でも最も美麗なほう。妙に大国ぶろうとしている向きもあるがロシア館よりは洗練されているのがミソか。全周シアターがあるのだが、外国館の中では屈指に金がかかっていると思う。映像の内容はというと、環境をテーマとしたイメージビデオなのだが、リベラシオン系とでもいうような思想傾向。時々浮かび上がる日本語メッセージも演出的でそういう印象を強める。中にはイラク戦争批判かこれというような部分もあるが偏見かも。気にしなければそこそこ感心する。

スペイン館:
 入り口で紙袋とパンフ、小さい色鉛筆詰め合わせをくれた。そんなパビリオンもあるのかとちょっと意外に。エキスポサラゴザ2008というのが予定されているらしい。パビリオンの真ん中では映像が継続的に流されているが、その周辺部分でのコーナーがなかなか細かい出来。図書館を模した部屋で覗き穴で映像が見えるのはイギリス館出口のパターンだが目を引いた。全般として手堅い出来。

チュニジア館:
 中東諸国のパビリオンと似た感じ。ただ物産展的側面はやや少なめで、砂漠の国のイメージを前面に押し出していた。本国の情勢を考えると頑張っているほうか?皿作りの実演があるのは後で気が付いた。見逃したのは少し残念。

ボスニア・ヘルツェゴビナ館:
 本国は大丈夫かと思いつつ入館。まぁ、恐らく全外国館の中で、単独館としては一番手がかかっていない。展示写真と映像を流しているだけ。しかしまぁ、出展しただけでも偉いか。スタンプ提供とかでポイントを稼いでいた模様。お願いして館長?の写真を撮らせてもらった。

ウクライナ館:
 ポーランド館に行くついでに美人を確認食事しようと足を向ける。が、無茶苦茶混雑していて断念。ちなみに直前のルーマニア館でも断念。

ポーランド館:
 15分待ちの表示だったが、実際は30分以上待たされた。シアターは環境映像だがBGMのショパンはなかなか良く名曲アルバム豪華版の印象で出来がいい。その後の岩塩坑は暗いが良く作ってあると感じた。水晶のような美しさで一見の価値あり。

オーストラリア館:
 うろうろしているうちに到着。この頃既に午後二時過ぎで遅くなったが昼食。腹が減ったのでワニとカンガルー、バーガーを2つも注文。ワニはあっさりで鶏肉か何かのよう。確か前に中南米のどこかの館でもテイクアウトした気がするがそれよりは美味しいか。カンガルーは普通によりうまい。ビーフに近い感触で安心して人にも薦められる。パビリオンは余りに混んでいたので後回し、しかし結果的には見る暇が無かった。ちょっと心残り。

南アフリカ館:
 自然を強調するような展示。近代的ではあるが妙に印象が薄い。手堅いが普通といえば普通。

アフリカ共同館:
 平たく言うと巨大物産展。ただ、意外に個別パビリオンに近いようなきっちり区切られた空間もある。ややお金のある国はそうしているという印象。実にいろいろな国が出ており、中にはこの前も自国民を虐殺政治的に国内統治が大変そうな国もある。ちなみにスーダンも出ているが物産展以外の展示内容は自然と歴史の説明に絞っているのは好判断としか言いようが無い。もっともそういう展示方針の国は多いが。ちなみにケニア・タンザニアが隣接する一角などは良く作ってあると感心した。ルワンダも頑張っており贔屓したくなる。

日本庭園:
 写真を多数撮影。綺麗。ゆっくり出来る。ただこういう場所は日本には山のようにあるとも感じた。地元民で無制限パスポートで入場できる人には良いか。もっとも混んでいる時には少し遠慮して欲しいと思わなくも無いが。

サツキとメイの家:
 アニメを見ているわけでもないので思い入れは無いが、話題になっているらしいので外周だけでも見て回る。ただ、会場の中心地からはひたすら遠い。疲れた。

ドイツ館:
 再び確認に行く。並べるが220分待ちの表示。帰れなくなるのでさすがに断念。

ギリシャ館:
 ここ、あまり並ばない割に内容としてはそれなりにいい。ただ普通の観光案内だといえばその通りかもしれない。

ロボットステーション:
 わんパク宝島と同じ建物で、雑然と混在しているのはやや残念。しかしなかなか意欲的なロボットが多数展示されており、比較的近未来に実用化できそうなのが多い。場所的に離れているが近くに来たときには確認するのもいいかもしれない。

三菱未来館:
 「もしも月が無かったら」というテーマでのシアター。子供向けの科学啓蒙の感強し。音とかの迫力は凄いが、小さい子供には大音響すぎて刺激が強いかもしれない。地球と月がいきなり擬人化モードになるのは笑ったが内容は真面目なもの。

 というわけで、混んでいるせいもありいくつか目当てのものが見れなかったのは残念。オーストラリアもそうだが、イタリアも見てないのでちょっと惜しい。まぁ観光で行った事あるからいいか。ドイツはあれだけ並んでいるからには非常に面白いに違いないと未練が。間違いなく勘違いだとは思うが。グローバルコモン1のアジア諸国は、入り口近くだけ行った感じ。韓国や中国は優先順位を落としていたら自然と行かずに終わった。こっちはあまり惜しくも無い(苦笑)
 全般として思うのは、世間評価というのは国によって期待値があってそれと比較してどうこう言われているのだなという印象。やはり経済大国は全般としてレベルの高い館を作っていると思う。まぁ、この手の万博が国内で次にあるのは相当未来のことだろうし、なかなか良い思い出にはなった。空いている4月に行っておけば良かったか。
posted by カワセミ at 23:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2005年09月10日

雑記いろいろ('05.9.10)

 ちょっと最近忙しくてバテ。ニュースを見ていると色々なことが待ち状態になっている印象。日本国内だと選挙、米国のハリケーンでの政治的空白など。今月末あたりからの反動が激しそう。

・衆院選
 問題は選挙の後だと思う。民主党がどうなるか。終わった後に左派は相変わらず能天気で右派の焦燥感は深刻となればまるで昨年の米大統領選と同じ。右派は外国人排斥などの極右勢力が強くなければそこそこまとまりがあり、左派は大きいというのは世界的傾向ではあるが。

・カトリーナ被害
 日本のマスコミに文句を言っても仕方ないとは言え、州政府などへの批判がより強いことをもう少し報道してはどうか。

・イラン核開発
 安保理付託は不可避の模様。日本での報道は薄いが、英仏独はかなりの努力をした。この後の国際世論の取りまとめはそれほど苦労しないと思う。

・「論座」10月号
 今回掲載分のForeign Affairs和訳は、近年に無く質が低いと思う。中国側のアナウンス用の感も強い。それは分かりやすいとしても、Gause氏のアラブ民主化路線へのコメントは問題だと思う。民主主義国でもテロは起きるというが、それが法の裁きを受ける社会とそうでない社会の区別こそが重要なのだが。唯一Star氏の中央アジアに対する提言がまともなくらいか。

・6ヶ国協議
 課題山積の米国が少し融和的になる傾向あり。選挙後の日本がどこまで頑張れるか。そろそろ経済制裁のタイミングかもしれない。

・ドイツ総選挙
 プーチンはさりげなくメルケル党首とも会談。相変わらず抜け目無い。

・原油価格
 米国では最終の石油製品価格が重要なだけに難しい問題。国内の精製施設が近年弱体なのは元より指摘されていた上にハリケーンで被害という有様。少し戻して高値圏でしばらく安定か。日本としては高価格安定が数年続いたほうが各種省エネ/代替技術開発が採算ラインに乗ってくるので助かるのだが。
posted by カワセミ at 22:14| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記・コラム・つぶやき