2007年06月09日

政治家に求められる清廉さとは

 Seasaa系のブログではフリーのテンプレートがかなり出回っているようだ。デザインは前からどうにかしようと思って手がついてなかったが、色々探してこれは比較的気に入ったのでしばらく続けようと思う。面倒がらずに自分で準備すればいいのだろうが。

 さて、政治と金の話は定期的に話題になるのだが、今回もHacheさんのエントリに反応する形で書いてみようと思う。

 松岡氏の事件は唐突で驚いた。美化してはならない話で、さすがに政界には色々な意味で自制が効いているようにも見えた。氏がどういう人であったかは私は詳しくないので、ただ残念であり、厳粛な態度で臨まねばならない悲劇であるというだけにとどめる。しかしこのタイミングで、一部であるが、有能だが黒い政治家を良しとするような論調がある事には違和感を覚えた。念のために確認しておくが、松岡氏個人がどうであったかはまた別の話である。

 一般論として、政治家は清廉であることが良しとされるし、日本人はそれを強く求める傾向にあるかもしれない。これは政治文化の一つで、議会政治家は所与の前提と考えねばならないだろう。そして世論の支持や議会の各議員に多数の支持を得ることで政治力を発揮するのが民主政治、議会政治の本質であることもまた論を待たない。つまり、倫理に関する議論を仮に保留するとしても、他の要件が同じ程度の能力であれば、清廉な人物のほうが多くの人の支持を得やすく、より大きな政治力を発揮し、良い結果を出しやすいのである。これ自体は当然の事であるが、この度合いが時期や状況によって変わるというのがこの問題の議論を複雑にしている原因の一つではないだろうか。そして経済の構造が変わり、多くの階層で経済的な損得の立場が複雑に入れ替わる流動的な時代では、それを主導する立場の政治家が清廉であることは強く求められるだろう。いずれにせよ、そうした事も含めて「総合的な有能さ」がどの程度であるかという、一つの尺度があるだけではないだろうか。

 その意味で、「有能で黒い」人物と「無能で白い」人物を比較するという問題提起がここではやや不適切であろう。評価軸は総合的に見たもので構わない。むしろ別の問いを発する事は出来るかも知れない。「有能な人物であることを前提に、その中で極力清廉な人物を選んでいく」のか、「清廉な人物である事を前提に、その中で極力有能な人物を選んでいく」のはどちらが効率的かという事である。この問いに答えるのは難しい。しかし成熟した民主国家であればあるほど後者でもより機能するとはいえよう。社会によって要求する最低限の清廉さというものは異なるが、そのベースを上げていくという事に注力するのが効率的かもしれない。なおここ10年強の日本は、一般の印象とは異なりこの作業は比較的進んでいる。昔なら見逃されていた水準の行為が違法化されている。数十年後にここしばらくの時期は比較的高く評価されるのではないかと思うのだが。

 さて、上記の「時期や状況によって変わる」点だが、ある政治家がどの地位につくかによって求められるものが異なる場合で典型的に示される。代表は首相職で、これは最も清廉であることが求められ、クリーンでないと世論に理解された時に大きく政治力を落とす。いくつかの大臣職もそうであろう。このあたりは分かりやすいが、例えば与党の党内職だと話が少々ややこしくなる。私見では少なくとも幹事長くらいはそうでないとうまくいかないと思うのだが、この地位を目指している多くの人物がそれを自覚しているとは思い難い。また世代によっても感覚は大きく違う。年齢を重ねた議会政治家が、数十年前の自分の経験をベースに行動することは多いが、ある時期に世の中の基準が変わってアウトになるというのも良くある。また日本人は変なところで慎み深いというか、金が必要だから集めると叫んで表で堂々と有権者に訴える人物も少ない。まぁ堂々としていればいいというわけではないが、透明性はやはり変化の激しい時代に重要な要件でもある。

 結局のところ、細かい状況の変化に対応できる柔軟さが議会政治家には必要だし、それはその時々の有権者の常識的な感覚を理解していれば破局は回避可能な水準ではないだろうか。結局国民に近い立場の議会政治家がどのような側面でもまともになる可能性が高いとは言えないだろうか。

 政治は奇麗なものではないかもしれないが、同時に奇麗に見せなければならないものである。少なくともそう見せようと努力している姿が見えなければ効率的に機能しない。これは民主政治の本質であるが、長い間国会議員をやっていてもそれを理解できていない人物はいるようだ。
posted by カワセミ at 03:42| Comment(6) | TrackBack(0) | 国内 時事一般
この記事へのコメント
はじめてコメントします。少し別の角度から見てみると、仮にランキングを作って、大臣みたいな表に立つ地位に有能で清廉な人物を順番に補していったとき、有能だけれども黒い政治家を多く表に立たせなければいけないほど、日本の政治家は人材難なのかという問いも可能かと思います。

地位によって求められる清廉さの基準が異なるのはその通りだと思います。とすれば、有能で黒い人は自民党なら政調会なり部会なりの実力者として活動してもらって大臣ほど表に出ないで済む状況を作ればいいと勝手に思ってしまうのですが。
Posted by 中山 at 2007年06月09日 04:46
同じく、初めてのコメントになります。

記事内容にはおおよそ同意できます。
しかし、松岡氏を良く知る人にとっては、
有能さと黒さを総合的に鑑みて、
余人より優れていると考えていたからこそ、
有能だが黒い政治家を良しとするような論調
が出てくるのだと思います。

また、今回の松岡大臣の事例については
・黒さが水増しされていた印象がある。
・有能さでの尺度が提供されなかった印象がある。
といった点で、メディアにも問題があったと感じます。
Posted by matu at 2007年06月10日 00:55
>中山様
コメントありがとうございます。今後とも宜しくお願いします。

>有能だけれども黒い政治家を多く表に立たせなければいけないほど、
>日本の政治家は人材難なのかという問いも可能かと思います。

これなんですが、言われてちょっと別の事を考えました。黒い政治家はとかくエネルギーだけはあるので、やや寡黙で真面目なタイプの白い政治家が隠されてしまうのではないでしょうか。党の実力者が見い出せばよい仕事をする人は多いと思います。で、世の中の雲行きが本当に怪しくなってきた場合、我慢できなくなってそういう人が立ち上がるのが日本の歴史なのかな、と思っています。この国は人材の宝庫だと信じています。

少なくとも当選回数を基準にするとかはやめたほうがいいですね。しがらみのない有能な政治家が実績を作りやすい局面も多いはずなですね。松岡氏はやはり党で頑張って貰っていたほうが良かったかと思います。その意味で議会が強力な状態で厳格な三権分立のシステムで運営するというのも日本には向いているかもしれません。ただ行政府の長になった人が期待外れであってもすぐに降ろせないというのが課題になりますね。

>matu様
コメントありがとうございます。今後とも宜しくお願いします。

>メディアにも問題があったと感じます。

そう思います。ただ日本のメディアの駄目さは周知の事実で、それでも一定の影響力があることもこれまた事前に分かっているので、もう少し対応があったのではないかと思いますね。また時期も悪かったと思います。数年前の経済の最悪の時期なら、むしろ農政で頑張っている以上多少の過去は目を瞑って手腕に期待となったかもしれません。また安倍内閣自体、大臣の人選が適切なものなのかという疑問の声があり(また悪くしたことに、久間氏、柳沢氏と異なる層の人間が低く評価するラインナップで揃っている)増幅された面もあるでしょう。

せめてこの悲劇を機会に、大臣職に就くというのがどういう意味かを多くの人が考えるべきだと思いますね。小泉氏のように切り回せる人物はあまりいないので、システムで固めるしかないのですから。
Posted by カワセミ at 2007年06月14日 00:47
カワセミ様
前略 初めまして。

田中角栄と戦前の軍を思い出しました。
ロッキードの時に収賄を認めつつ、私腹を肥やしたのではなく全部選挙に使ったと言えば世論は納得するという見解の人がいたと記憶します。

昭和戦前の軍に対する期待は、政党政治での腐敗が一要因であったと思います。戦時中の東条の自宅新築などありますが、イメージとしては清廉だったのでしょう。

私には、日本の政治文化としては清廉さよりも「みんな」のため(抽象的な「国民」のためではなく)と標榜するほうがより評価されているのではないかと思われます。(もちろん、私腹を肥やしていないというイメージの上ですが)

いささか思いつく例が古すぎたかもしれません。過去の延長線上で評価しないほうがいいのかも知れません。三木武吉のように妾を囲っていることを公言することが、現代で通用するかは大いに疑問です。つまらないことを長々と失礼しました。
Posted by 0083 at 2007年06月14日 04:28
カワセミ様

ご無沙汰しておりました。

内容は、まったく異論はありません。御説の通りです。ただ、少し、視点を変えて我々、国民の側から考えれば、まず、有能・無能という、評価基準の曖昧さと、それが見えない構造になっています。もちろん、メディアの表層的なイメージ像も、悪影響を及ぼしているのですが、特定の政治家に限定されなければ、誰が、どこで、具体的に言えば、どの部会に属し、どういう発言をし、どういう立法に携わったかなどは、まだまだ、届きにくいものです。もちろん、国民のリテラシー能力の向上も必要でしょうが。。。

さらに、時間の連続性を考えれば、上記のコメントにもすでにありますが、「清廉」さ自体の意味内容が変わってくるということです。つまり、価値観や規範の変化です。多くの国民の求める清廉さと政治家自身が国民に対して(もちろん、相互作用ですから、政治家が、清廉さを創り出すことも可能ですが)見せようとする清廉さのミスマッチも起こっているのでしょうね。
Posted by forrestal at 2007年06月22日 12:22
少し更新を休んで、風邪で数日ダウンしただけと思ったのだがすぐ日数が経過する。しょっちゅうチェックしてる人には申し訳ない限りですが。例によって忘れた頃にリプライします。

>0083様
宜しくお願いします。
金丸氏が逮捕時に確かそんな事を言って見事にアウトだったという一幕を思い出しました。あの時点でも既に駄目だったようですね。

政治家は腐敗している、軍のほうが国を思っていて清廉という構図は世界各国で結構あるので難しい話です。なぜならその見解が良い結果を生むことが多々あるからです。ただ日本の場合妙に戦争に強いのが逆に判断のバランスを狂わせたりしますが。その意味で政治家に過剰なほどの清廉さを求めるのは、日本の場合結果としてそれなりの国内政治上のバランスになるかもしれません。必要なのはむしろ公開された寄付なのかもしれませんが、とにかく日本人はケチなのか何なのかお金を他人に出そうとしないですね。それもまた問題なのですが。

>forrestal様
問題は色々あると思うのですけど、一つは、国民が党のレベルに対してお任せでなく発言をしていく事でしょう。立法府への働きかけが偏向してしまうという問題は世界各国でありますけど、日本の場合一国会議員の存在を矮小化し過ぎますし、かつ、各議員のスタッフが弱体に過ぎますね。対司法府ということであれば、裁判員制度とか、大局的には良い方向に向かっていますけどね。これも世間での反発が妙に大きいのに憂慮の念を覚えます。日本の三権の最大の問題は司法府にあるのでしょうから。
Posted by カワセミ at 2007年06月25日 01:01
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/4303755

この記事へのトラックバック