2007年03月20日

歴史認識問題の難しさ(補足)

 雪斎殿のブログは概してコメント欄も含めて冷静な意見が多いのだが、今回の従軍慰安婦、米下院の決議に関わるエントリは少し変な方向に議論が流れているという印象がある。コメント代りに前回の私のエントリの補足も兼ねて多少意見を付け加えてみたい。

 まず、米国の意図はあまり邪推しないほうがいいと思う。あの国はどこそこの国の政権を転覆すべしという意見を堂々と連邦議会の議員がインターネット上で公言する国柄である。副次効果に関しては大声で言わないというのはあるかもしれないが、原則部分はいつも明確に示されている。今回は純粋な人道問題扱いという事だ。別段米国議会として珍しい事ではない。

 問題はコミュニケーションで、これは現在の日本の保守政治家全般が今回の問題をうまく切り回せていない印象がある。例えば、先の雪斎殿のエントリなどもそうであるが、当時の貧困地域の貧しさを理解してもらおうという意見が多い。これも普通にやると見事に失敗しそうだ。というのは、慰安婦を高給で雇っていたという事自体を別途主張しているからだ。当時の日本の軍は、例えば現在の途上国とか、一時期のトルコなどと同様なのだが、権力を持ち財政に大きな影響力を持っていた。慰安婦に高額な報酬を払う一方、農村の貧困の撲滅には力を入れなかったのかと反論されておしまいである。なまじ兵器だけは世界屈指のものを揃えていただけに苦しいところである。要は当時の負の部分の追認という印象を与えることを避けなければならないのだが、それを自覚しながら閣僚が発言しているとも思えない。

 また、この問題に関してだけではなく人権問題全般において、日本人の米国に対する考え方が2種類あることを意識しておくべきだろう。それは、他国の人権問題への米国の介入を、本質的に是としているか、常に否とは思わないものの基本的に慎重であるべきと考えるかの違いである。そして、国会議員も含めて双方の意見がある事は民主主義社会として当然としても、内閣でこの立場の統一が意識されず各人が勝手に自分の意見を主張していると間違いなく事態は紛糾する。

 私は基本的に前者の立場の考えであるので次のようなことを考える。この問題に対して同様に考える日本の政治家が米国に話す機会があるとしたら、冒頭に次のような言葉を挟むのはどうだろうか。「この種の人権問題に関与することは米国の大きな長所の一つである。日本と周辺諸国には意見の相違があるが、米国の関与で問題が和らぐとしたらそれはとても喜ばしい」と。シーファー大使の意見にしても、「人権問題を重視する米国の考えは我々も賛同するところ多い。しかし一部に誤解があるようだ」とでも言っておけば良い。またこれは非常に残念な事でもあるのだが、証人の偽証を追求する人に限って、その偽証の最大の被害者は、実際に当時深刻な人権侵害を受け、その事実が隠蔽されかねない人であるとの認識が薄い。仮に99%が偽証であっても残りの1%に対して責任を負っているという原則を示しておかないと、人権問題そのものに冷淡であるという印象を与えるであろう。

 ところで安倍首相はどのような考えの人なのであろうか。本質的にこの種の問題への米国の関与を必ずしも喜ばない人なのかもしれない。(小泉前首相は是としているかもしれない。その意味でも確かに米国と相性は良かったのだろう)それならそれで別の方法のアプローチを取るしかない。ただその一方で、拉致問題は米国のこの種の関与主義がなければ協力関係も難しい。一つ言えるのは、変な取引を持ちかけたりしないことだ。歴代の自民党の何人かの首相はひどい事になっている。やはり安倍首相の場合、大変でもまともに説明していくしかないのだろうなと思う。

 また当然の事であるが、事実に関する認識は指摘しておくべきだろう。これはアカデミズム的なアプローチを前面に出せば良いだけの話だ。それは日本が英文テキストを詳細に積み上げるしかないだろう。現在の状況にぶつぶつ言っても「違うならなぜ反論しないのだ?」と切り返されてこれまた終わりである。

 また、日本人にはなかなか難しい事かも知れないが、この種の問題への対処をあまり面倒がらないように心掛けるべきであろう。この種の認識ギャップは人の世に当然あること、まして外国との間ならば、と淡々と処理していくべきだ。さすがに楽しみながらというまでには至らないかもしれないが。
posted by カワセミ at 00:44| Comment(11) | TrackBack(0) | 世界情勢一般
この記事へのコメント
>人権問題全般において、日本人の米国に対する考え方が2種類あることを意識しておくべきだろう。それは、他国の人権問題への米国の介入を、本質的に是としているか、常に否とは思わないものの基本的に慎重であるべきと考えるかの違いである。

この指摘には、おおいに同感です。ただ私が思うのは、カワセミ氏のように前者を是とする人の対米アプローチが、時としてアメリカへの追随(言葉は悪いが)と取られかねない一方で、後者の立場のアプローチが、現状追認や有効性の伴わない(アメリカに対し)もので終ってしまうという微妙なしかし難しい状況が、日本にあることです。勿論、これは日本だけでなく世界各国の悩みでもあって、ブレアでさえ(英国内で)対米追従と批判されたわけですね。
 安倍政権だけでなく、日本政府は従来から表向きの発言は別として本音は後者の立場であると私には思えます。これは、人権問題に冷淡というより、伝統的なヨーロッパ型外交を是としてきた霞ヶ関外交の伝統でしょうか。ただ、そのアプローチが通じない大国が一つあり、その国が日本の命運を握っているという事実はいかんともしがたい。その戸惑いというかジレンマが、今回の従軍慰安婦に関する米国議会の動きへの反発と思います。
 結局、話は元にもどって、戦後60年以上経つのに対米認識の成熟度が足らないということなのでしょうか。アメリカに振り回されているという感情自体が、日本の自在な行動の足かせになっているのではないかとすら感じます。
Posted by M.N.生 at 2007年03月20日 10:13
>また当然の事であるが、事実に関する認識は指摘しておくべきだろう。これはアカデミズム的なアプローチを前面に出せば良いだけの話だ。それは日本が英文テキストを詳細に積み上げるしかないだろう。現在の状況にぶつぶつ言っても「違うならなぜ反論しないのだ?」と切り返されてこれまた終わりである。

とはいえ、仰るような対応には先日「期待権」の関連で焦点の当ったような課題が横たわります。そういう仔細な資料の一部は、つとめて懸案のマトモな検証を嫌う向きの団体が保持しているという点です。
流石に引き出してしまえばこっちのものと云えるほどに防御の甘い方々でもなく、とはいえ大筋の補完には是非にとされるものが、中々馬鹿にならない量それらの筋に散逸していると聞きます(敵ながら、ロビー運動の鏡ですね)。
とはいえ、やらない訳にもいかないのですが。
Posted by 魚服記 at 2007年03月20日 16:20
カワセミ様

いつもながらのコメントで、少し気がひけるのですが。。。

思想系のA氏は、戦後・日本の文化的アイデンティティは、擬似日本を作ることで、ようは、アメリカナイズドされている部分があるわけです。これは、戦後史の中で、悪い面もあれば、良い面もある。ただ、戦後・西側にいながら、経済成長を遂げ、他国に軍事的コミットをせず、平和に暮らせていることは、最大のメリットです。ただ、これは、国際環境、国内環境要因がメインであり、全てとはいいませんが、日本(人)のナショナル・アイデンティティに関して、我々は、多くのアメリカ的な文化的要素に構成されています。それゆえ、思想系A氏が論じるように、ある特定の集団が、2Dの世界を中心を擬似日本を日本化したきたわけです。現在では、その見直し、修正をかける人は、多々いるわけですが。

ただ、現状に限らず、国際政治の構造上、20世紀も21世紀の現在も、アメリカは極であり、特に、冷戦後は、アメリカの1極構造になっています。圧倒的な軍事力・経済力・情報・価値の位相において、他国から、反発を招くだけの充分な力を享受しています。そのような国家が現状変革に臨めば、ましてや、2者択一的な対応を迫られれば、簡単に言えば、つくか、つかないか、しかないでしょう。殊更、日米においては、同盟国としての振る舞いをするしかないわけです。フランスやドイツが何をしたというのでしょう。(これは、言いすぎですが)

ジョージ・W・ブッシュ政権も残り、2年をきり、相当、軟化しています。議会のディバイディド・ガバメントです。この、慰安婦問題もそうですが、もう次期大統領選は、はじまっています。中国系・コリア系、云々の話はありますが、民主党の今回の件も、選挙用のパフォーマンス的要素もあるわけです。人権(アメリカ型)というのも、アメリカが掲げる、アメリカ束ねる、理念の一つです。特に、民主党は、これは強調するわけですが。この理念は、ご承知の通り、内外の区別を曖昧にします。この人権、人道問題のために、多分にダブル・トリプリ・スタンダードはあるのですが、同じ、人権(ヨーロッパ型)を掲げる、西欧が何を具体的にしたでしょうか。もちろん、ICCや、NATOへの参加や、国連を通じての協力など、地道な努力は、行っています。ただ、積極的に軍事力を行使し、世界の人権・人道問題に本格的に取り組むことはないでしょう。同じような理念を掲げながら、そのアプローチは、欧米では、異なる。私は、軍事力の行使みが全ての問題を解決するとは、考えませんが、軍事力の行使が泥沼化を引き起こすこともあります。しかし、軍事力の行使が未だ、国際社会には、必要であり、紛争・内戦など、早期の介入が事態を最低限で食い止めることもできる。

人権・人道問題云々を語るなら、それだけの覚悟が必要です。これは、アメリカ民主党にも言えることですが。
仰る通りで、アメリカ要人のメッセージにいちいち、反応する必要はありません。そんなことしだしたらキリがないですから、押さえるところだけ、押さえればいいんです。

ただ、この問題、さほど心配してませんが、アメリカの一時的な消費用で済ませ、アメリカの国益にしてはいけませんね。まあ、ならないと思いますが。

国際関係のシステム、アメリカの国内政治や国内世論、ジョージ・W・ブッシュ政権の変化、この3つは、関連しますから、それぞれの分析が必要なことは言うまでもありません。

尚、追従だの云々などは、上記の分析のなさです。それならば、現実的かつ具体的かつ実現可能性のあるオルタナティブを出してから言ってもらいたい。

日本の戦略性のなさを自ら露呈しているようなものです。何故、こうも、アメリカに対しては、空理・理想論なんでしょうか。

あの国は、昔も今も、常に脅威な国家なんです。

なんだか、エントリとは、関係ない話になりました。

すいません。
Posted by forrestal at 2007年03月21日 06:10
 米国は「厄介な国」だと思いますよ。
 ただし、日本がまともに米国事情を研究しているかといえば、そうではないのですな。
Posted by 雪斎 at 2007年03月21日 08:39
はじめまして。外交としての歴史認識問題をほどいていく上での言葉の重みについていろいろと考えさせられるエントリでした。

ところで、
>また当然の事であるが、事実に関する認識は指摘しておくべきだろう。これはアカデミズム的なアプローチを前面に出せば良いだけの話だ。それは日本が英文テキストを詳細に積み上げるしかないだろう。

こと政治的なトピックに関しては、「英文テキストを詳細に積み上げる」ということも単純ではありません。アイリス・チャンの『レイプ・オブ・南京』について、ニューヨーク・タイムズ紙に好意的な書評が載ったときに、日本研究の歴史家の多くがチャン氏の本には事実誤認が多いという趣旨の投稿をしたがすべて編集委員会で却下された、ということがありました。
 英語圏、たとえばアメリカの歴史学会を見ると、あえて「狭義の強制性」がなかったかどうかを論ずる論文を進んで取り上げる学会誌や学会があるとは思えません。その問題の立て方自体が日本政府を免罪する目的しかないからです。もっと広い視野に立った上で「慰安婦」全体を他国と比較しながら見直すという作業は可能でしょうが、それも政治的なアジェンダに乗せてどうというものではありません。ただ、英語圏の学会の議論に入って、資料の読みや論の枠組みにコツコツとツッコミを入れていくことは必要でしょう。
 このような環境のなかで、あくまで学術的に歴史検証を進めていくためには、特定のトピックに関して研究・発表を重ねていくことは勿論ですが、その背後にある英語圏に発信する学会誌、学会、研究者のネットワークの《厚み》がモノを言ってきます。もちろん日本政府の御用学者(学会)と思われてはいけないわけですから、あくまで民間で、裾野が広くなおかつ厚い、海外に開いた学術活動を間接的にサポートすることが結果として国益になるということです。その意味では、今回の「従軍慰安婦」騒動が日本国内で一過性で終わるのではなく、そのような地道な取り組みに目を向けるきっかけになるといいのですが。
Posted by むなぐるま at 2007年03月21日 16:35
皆様、コメント有難うございます。今回の議題は、昨年のムハンマド風刺画問題以来となりますが、世の論調にかなりの違和感を感じた問題でした。

>M.N.生様
毎度良い補足を有難うございます。
英国に関しては、今回英国人のプライドを逆撫でした面もあるのでしょう。第一の同盟国として秘中の秘の情報でも共有してるのかと腹芸でブレアに任せたはいいが単に追従しただけかふざけるなという所でしょうか。それでも放り出して出ていかないあたりは他国よりよほど責任感はありました。
英国はやや例外的な関与主義への理解があると思いますけど、それでも歴史の長い民主主義国は、一応この関与主義が米国の美点に分類される部分と密接に関連していることを理解しているのだと思います。日本も例外ではないでしょう。ではどこでジレンマが発生するかというと、失敗に対する寛容さの基準の違いがその一つではないでしょうか。例えば、移民受け入れなどにも寛容な国柄ですからその裏返しで周辺国への難民の問題などの深刻さを過小評価するなど。対米理解が進んでいないというのは確かにその通りで、しかし理解の進んだ先に、米国が人権問題に勝手に高い目標を課してそれに達していない国が一応の現実解を出しているのを過小評価するという類の摩擦はこれからも出てきます。しかし、その高い目標を勝手に課すというのが歴史を進歩させるエネルギーでもあり、否定も出来ないですね。恐らくこの先ずっと続く風景であり、ありとあらゆる事に対話を欠かさぬ事が重要という、当り前の結論に落ち着くように思います。

>魚服記様
その部分は確かに面倒ですが、正攻法で行くしかないでしょう。しかし途中段階の困難さを乗り切るには信頼が必要で、今の(当面の)日本がどのくらいかという点については、私もあんまり甘い期待は出来ないかなと思っています。そういう局面では国内の左派マスコミも結果的に役に立つという場合もあろうかと思います。

>forrestal様
>人権・人道問題云々を語るなら、それだけの覚悟が必要です。これは、アメリカ民主党にも言えることですが。
そうですね。予算を切る度胸はないとfinalvent氏が喝破したのは慧眼です。ただ米国であれば、行政府を担当する段になればまた別の言動になると思いますが。この種の鋭い問いに直面した時に、別の回答者を期待するのが日本と欧州ですが、半世紀以上も続いて妙に当たり前の風景になっています。米国も半ば諦めつつやっているので何とか回っているのですけども。
そういう米国の政治の基盤にこの種の人権問題があるという意識がまだまだ足りない。ただ、足りなくても切り回すことはできると思うんです、今回は。人道に対するしっかりした考えを持っていれば、若干その現れ方が欧米のそれと違っても極端に外すことはないと思いますね。「過去当然とされた植民地支配が現代では否定的に解釈されているように、過去問題とされなかった慰安婦が今着目されているのは、人道の進歩ということで適切と考える」とか、本心思ってなくても言うくらいの政治家はいてもいいと思うんですよ。話をしている中で「過去の日本の行動が問題とされているが、現代の米国や日本のみならず、中国や韓国も、過去に国内に存在した慰安婦を今日否としているようだ。少なくとも未来に対して意見が一致しているのは喜ばしい」くらい発言するとか。偽証の指摘はそういう会話の合間でバランスを取って持ち出さないとうまくいかないでしょうね。

>雪斎様
その厄介さが同盟国としての価値と密接に繋がっているだけに難しいですね。米国事情は大いに研究の要がありますが、しかし日本人の常識の範囲でそんなに外すものでしょうか。左翼マスコミとか、屈折した右派知識人の言は普通の国民はあまり信じていないように思えます。

>むなぐるま様
論文関係だとそういう現実はあるかと思います。ただ実際はその前段階、一次資料の付近で英文がないともう検証もされないとか、そんな事も多いのではないかと思います。ただおっしゃるような地道な取り組み、「基礎研究」とでも言うべき活動が大切というのはまさにその通りで、敢えて避けてきた側面もあるのが裏目に出ているかと思います。知的な面でも人道的な面でも日本の基礎体力の無さが露呈するような出来事ではありました。中長期的にはというと、私は案外楽観しているのですけどね。
Posted by カワセミ at 2007年03月22日 02:15
発端の吉田証言は当初韓国でメディアが調査して否定していました。私は福岡在住で、半島関連の報道は昔からローカルでは良く取り上げられたため、リアルタイムに報道を見てましたが、吉田が初めは韓国側から冷たくあしらわれていたのを覚えています。

その後、福岡の婦人団体が吉田証言を信じて慰安婦を探し出し問題を激化させるわけですが、こういう日本サイドの執拗な働きかけで韓国でも慰安婦が歴史として確定化されるうちに、韓国では「女子挺身隊」を「従軍慰安婦」と混同してしまいました。当初は韓国サイドの誤解だったようですが、日本側からそれを指摘されても今度は韓国側は訂正しようとしません。それは韓国側が世代交代で事実関係が判らなくなっていた事と、反日がお題目ではなくドグマになっためです。

今、アメリカで「従軍慰安婦」を問題提起している在米韓国人、或いは韓国系米人は「女子挺身隊」=「従軍慰安婦」という認識を広めてるわけで、アメリカのメディアなどはそれを信じてしまってるわけです。アメリカサイドは「女子挺身隊」=「従軍慰安婦」という認識に立つからこそ、あれほど日本を非難するわけです。

一方で麻生や安倍は地元でこの問題が大きくなった経緯をよく知ってますから、「女子挺身隊」=「従軍慰安婦」という誤解を看過できないだけでなく、放置すればますます問題が肥大化する可能性を良くわかってます。

ところが、マスコミも世間も、「従軍慰安婦」そのものの問題化しているのだと勘違いしたまま、韓米での「従軍慰安婦」認識が理解できていない印象があります。

どこのblogでも歴史認識ギャップとしてこの問題を処理しようとしてますけど、問題なのは歴史認識ではくプロパガンタにどう対抗するかという話なのです。

この議論を見ていて、戦前の日本が何故中国のプロパガンタに有効に反論できなかったのか、よくわかるような気がしてきました。
そもそも日本サイドではプロパガンタをマトモな問題提起として受け入れすぎる癖がるのではないでしょうか。
Posted by ■□ Neon / himorogi □■ at 2007年03月26日 01:06
すっかりリプライが遅れてしまいました。エントリ上げた時にと思っていたのですが、どうにも数行で終わるようなことばかり頭に浮かんでくるという状態です。

事実関係の議論に関しては積み上げるとして、先のエントリにも書きましたが、そのアカデミックな感覚がそもそも共有されているかという点に注意を払う必要があろうかと思います。欧米的な感覚からするとプロパガンダですが、彼らにとってはそれが「歴史」です。このブログにコメントを寄せていただいた方の意見は参考になると思います。そして日本も米国も欧州諸国も全く同様に、少なからぬ人々はこの感覚を理解できていないでしょう。さすがに当事者だけあって多少の時間差で日本が先行しているようですが。

>そもそも日本サイドではプロパガンタをマトモな問題提起として受け入れすぎる癖がるのではないでしょうか。

日本の感覚で受け入れようとしていますね。ただこの付近は他の民主主義諸国も大差ないでしょう。以前のムハンマド風刺画問題もそうでしたが。ある種の人々は半ば宗教的情熱で、またそれを知りながらそれを利用する人もいて。そしてそれに迎合する人もいる、と。

ですが、それにどう対応すればいいかというのは別の話です。以前、日本は物事の見極めは慎重だが、合意が得られて自信を持った瞬間こそが危険だと記した事があります。この問題はその典型のように思います。率直に言うと今の日本政府は政治的に稚拙でしょう。まず認識しなければならないのは、一夜で他国の認識が変わるなどと期待しないことです。人の心の動きが日本のように速い国は世界にほとんど無いのです。必要なのは中期的な摩擦の管理です。小泉前首相が靖国問題などで中国や韓国にどう対応したかはとても参考になるでしょう。

ゴールは10年後という具合に腹をくくれば、もう少しやり方が見えてくるかと思います。
Posted by カワセミ at 2007年03月30日 01:43
今更なのですが,やはり諸悪の根源が河野談話にあることを痛感しています.「ない」ということ証明するのは,「ある」ということを証明することよりも数万倍も難しいということです.一度でも「あったかもしれない」などと認めてしまえば,いくら否定する証拠を積み重ねても,なかなか否定できないのです.
その点から言えば,この慰安婦問題への反論は,相当の準備と強力な材料をもって行う必要があります.
Posted by momonokitomi at 2007年04月01日 01:17
前にもお伺いしましたが、カワセミさんの言う通り、アフリカは地域によって歴史が曖昧な部分がありすぎますね。
日本ですが、従軍慰安婦問題で国際社会からまたまた反発を食らってます。韓国や中国をはじめとするアジア諸国からだけでなく、欧米からも反発を食らってます。でも、私からすれば欧米には言われたくないです(ナチス犯罪に一貫した謝罪を続けているドイツは除きますが)。
19世紀にアジアやアフリカを侵略、植民地支配、搾取(アフリカは奴隷貿易も含む)してきたヨーロッパが自分たちのやったことを棚に上げて批判するのがおかしいです。
ヨーロッパですが、過去に迫害、虐殺したユダヤ人には謝罪しているのに、植民地支配したアジアやアフリカには一度も謝罪していない。今年イギリスで奴隷貿易廃止200年になる節目の年にもブレア首相は奴隷貿易を反省したものの謝罪に応じませんでした。これに対し、教会関係者や人権団体、黒人団体は抗議しました。またその式典で黒人男性がエリザベス女王に詰め寄ると言う騒ぎも起き、警備員に取り押さえられましたが、当の黒人男性は「黒人に対する侮辱だ。政府だけでなく女王にも謝罪を要求する」と主張しました。
日本の従軍慰安婦は歴史における人身売買だと欧米のメディアは言ってますが、それ以前に奴隷貿易という前科を持つ欧米諸国には日本の歴史認識問題に苦言を言われたくないです。カワセミさんはどう思いますか?
Posted by ハイタカ at 2007年04月18日 15:39
見解としてはシンプルで、過去の人々には罪がありましたが、現在の人間にはないというものです。これは欧米も日本も変わりません。従軍慰安婦問題は少し特殊な経緯を辿っているので特殊事例でしょう。ただ事態をややこしくしたのは主に日本人自身です。問題の発生に関する責任に限ればあまり外国のせいにする余地はないと思います。もちろん個々には感心できない人物も多いですが。また欧米はあくまで「現在の問題」として批判しているということです。対トルコとなればさすがに少々無茶ですが。ただアルメニア人のアピールはこれまたかなり執拗という事情もあります。いずれにせよ、現在の米国人がインディアンを虐殺したわけでもなく、豪州その他に置き換えても同じです。日本も過去のアイヌに対する対応が立派だったとはいえません。過去の人間に罪はあったでしょう。当時の基準としても恐らくは。

ただし、現在の人間も、正の遺産を祖先から引き継いだ以上は負の遺産も引き継いでいると言えます。道義的な直接の責任は個々人にとどまり継承されないとしても、社会が対応しなければならない政治的問題に関しては後継の社会が対応する必要があります。特に民主主義社会では連続性があるという建前がありますから逃げられないところでしょう。その政治的責任に関してやたら紛糾するというのが世界の現状です。自国として結構努力しているという認識があっても他国の視線は必ずしもそうではありません。ただ言うとこれまたモメるのですが、歴史がある方向に流れた結果でこの世に生を受けた我々はその時点で受益者と言えます。被害を受けたとしている国に言うとさらに面倒な話になってしまいますが。また加害側の国も、キリスト教的な原罪思想と合わさると使命感が高揚しますね。

それはともかく、結局現在生きている人間にどう対応するかでその国の現在の器量は判断するしかありません。例えば中国の首相が来日しましたが、ダルフール問題をちゃんと議題にするようであれば日本もまだしも誇れると思うのですが、さてどうだったでしょうか。今は良いタイミングであるはずなのですが。
Posted by カワセミ at 2007年04月18日 22:58
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