米国の一般教書演説に関してエントリする予定だったが、今年はどうにもコメントする気力がない。ここ数年のそれに近い内容であるということもあるし、ここしばらくの各種議論を受け継いでいるということもある。もう多くの人が様々なページで丁寧に解説しているので付け加えることもない。
今回は、先日会合が行われたと報じられている(参照1)メルコスール(南米南部共同市場)に関して、良い機会なので取り上げておきたい。まず日本外務省のサイトをリンクしておく。(参照2)この組織はEUのような共同市場と比較して、古典的な関税同盟としての性質が濃い。様々な経緯にコメントしなければならないのだが、比較的分かりやすいものとしてこちらの年表をリンクしておく。(参照3)
当初の大きなトピックとして、南北米州全域を含むFTAAの構想との関係が重視された。FTTAに関しても外務省サイトをリンクしておく。(参照4)クリントン政権時の米国は積極的であったが、そのFTAAに先行するものとしてこのメルコスール諸国に対する期待が高まり、日本などでも(いつものことであるが)バスに乗り遅れるな式の言論が流行したのは覚えている人も多かろう。しかしその後のアルゼンチン経済危機などで停滞してしまったのもまた周知の事実である。関税同盟と先に述べたが、これを受け2001年にアルゼンチンは単独で大幅な関税に関する例外措置を導入している。メルコスール諸国での存在感はブラジルに次ぐ事を考えれば、この時点でかなり域内の足並みは乱れていると言えるだろう。
また先のFTAAに関するリンクにもあるように、メルコスール諸国と米国との交渉は必ずしもうまく行っていない。ブラジルとの対立点でも分かるように、自国に有利になるようWTOとFTAAをうまく使い分けたいのは同じということである。例えば知的所有権に関してはかなりの意見の相違がある。エイズのコピー医薬品の問題などは単独で話題になることも多いので思い出す人も多いだろう。しかしこの種の経済協定ではうまい具合に例外措置を作らないと紛争の火種になるのは当然である。まして古典的な農業分野に関しては論ずるまでもないだろう。
メルコスールの民主主義条項に関しては少し補足が必要かもしれない。これは米州機構などでの規定をここにも反映したものと見るべきであろう。そこでは法の支配の原則が強調されているが、裏を返せばそこからの逸脱−超法規的措置を牽制しているということだ。例えばクーデターにより民間資本を接収するなどが念頭にある。これはつい先日のメルコスール諸国の会合にて、メルコスールの正式加盟を申請しているベネズエラのチャベス政権に対しての課題にもなった。ただブラジルのルーラ大統領としては、接収でなく国の負担を伴った買収であり、直接的な問題はないという見解のようだ。
このベネズエラであるが、メルコスール諸国の見解が割れる原因ともなっている。上記の解釈はともかく、ブラジルとすればFTAAやEUに対する交渉に害になるだけであり益がない。しかしアルゼンチンは不足する外貨の手当てをベネズエラにかなりの程度依存しており推進派である。これに左派政権となっているボリビアの加盟問題もあり、政治的な対立も大きくなっている。まぁ、モラレス大統領の選挙をチャベス大統領は公然と支援していたという話だから豪快な話だ。またメルコスール共同軍の創設をチャベス大統領が言い出す可能性があるが、言うまでもなくそのような政治的統合は期待出来ない。
ここ最近の動きで重要なこととしては、ウルグアイ(参照5、外務省基礎データ)が単独で米国との通商協定を結ぶ方向にに乗り出した事がある。(参照6)これもややこしい経緯がある。元々この国はその規模以上のかなりの外交大国である。域内の主要国間の調整のみならず国際社会での存在感もそれなりにあり、欧米では進歩的なイメージも強い。ところが国境でのアルゼンチンとの摩擦が深刻化し、ブラジルも頼みに足りない情勢だ。これもBBCのサイトをリンクしておく。(参照7)これは国際司法裁判所にて、当事者のアルゼンチンを唯一の反対者として14-1でウルグアイに有利な決定が下されている(参照8)にもかかわらず、両国間の道路封鎖から始まったアルゼンチンの執拗な嫌がらせは継続している。(参照9)この政治的摩擦でウルグアイ国民の近隣国に対する感情はかなり悪化している。そのままメルコスールへの不信感に繋がるのは当然かもしれない。域外へのFTAAやEUとの交渉に臨み極力協調して活動してきたのが辛うじてメルコスールの一体性を支えてきたが、その政治的意思もここしばらくは減退しているのかもしれない。ブラジルも各種FTAへの興味は強く示している。今後、域外諸国との連携で先行するアンデス共同体諸国も米国との個別FTAに乗り出しており、これがどの程度成功するかということもメルコスール諸国の判断に重要な影響を与えるのだろう。
2007年01月28日
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正直、どうもあの地域の政治的思想(その啓蒙の経緯等も含めて)はよく解らないところがあります。宜しければ、何か適当なテキストを御紹介願えませんでしょうか?
(文学的傾向には大体の理解があるつもりなのですが、ボスへスやガルシア・マルケスの周辺を見ると、何か南米の政治と自意識には実に奇妙な屈折が感じられるので、参照点とし難いのです)
いつも貴重なコメントありがとうございます。私のほうこそご教示いただきたいくらいです。
この地域の政治に関して述べたいい書籍は私が教えて欲しいくらいです。18世紀くらいまでであればまだしもと思いますが(乱暴に言うと何を選んでも最終的に判断を間違うことはない)その後となると個別の議論にフォーカスしたものか淡々とした通史が多くて鳥瞰視点を養うのに良質なものをなかなか探しきれないという印象があります。まぁ、私が知らないだけなのでしょう。論壇誌などにはたまに良い記事があったりするのですけどね。また英語であればインターネット上にもいいものが多いですね。とてもチェックしきれませんけど。
ところでこの地域の左派勢力に関しては、それほど深刻に考える必要はないと思います。政治文化というのは国民文化とまた違うのに留意する必要があるかと思います。恐らく普通の日本人が思う以上に欧州のそれに近いのではないかと思います。アジア諸国、極端にいえば日本にしても、社会の現実の状況における混乱が似たようなものであれば、かの地域以上に政治は混乱するかもしれません。チャベスやカストロの反米は意外に致命的破綻をもたらさない事、むしろ貧困層に一定の支持があることは一つの示唆となるかと思います。もちろん手法としては良くないとは言えるでしょう。しかし民主主義を長期で見れば必要な過程と見れなくもありません。その意味では、ブラジルの状況は典型例として参考になりますし分かりやすいです。日本の中道左派の政治勢力は、参考にできる部分が多々あるのではないかと思います。ただアルゼンチンだけは少し別扱いにして、かの国の特殊事情を掘り下げて理解する必要があるのではないか、と感じています。・・・・などと簡単に書いてはいますが、1行や2行で片付けるようなことではないですね。
「屈折」という単語で思いましたが、やはり世界的な政治文化の見取り図では、アジアは辺境ですね。欧米のみならず、他地域の人間に説明するのは難しいのでしょう。結果系としても、フィリピンが成功しなさ過ぎですし・・・・
日本人はアルゼンチンと聞いて何を想像するのでしょうか? 十中八九サッカーか、もしくは『エビータ』の世界だったりして……
閑話休題。
何をするにも簡単ということはありませんが、これもまた険しい道の様子。せいぜい程度を見計らって、精進したいと思います(まず、南米カトリックの二十世紀史からでも考察しようかと……)。
お気遣い、ありがたく承ります。それでは。