2006年12月31日

2006年を振り返って

 今年もそろそろ終わる。今年の国内外の情勢に関する感想、当ブログに関する内容などを書いて今年の最後のエントリとしておきたい。全般として、様々な問題が先送りされた年であったかと思う。

・日本の政権交代
 日本の首相が誰かというのは、従来余り諸外国から関心を持たれていなかった。それは結局のところ政権交代により大きな政策転換があるかどうかを自国の立場を中心に考えるからであろう。日本での政権交代が政策的に影響を与えると感じる外国はそれほど多くない。実はその観点からすると、中国や韓国といった近隣の北東アジア諸国の報道がやはり多い。小泉前首相が比較的個性の大きい人物だっただけに、今回の注目度はそれなりにあった。欧米諸国での関心も、相変わらず低いが実質の影響に比べれば報道されていたのかもしれない。
 で、その安倍政権である。私はシンプルに小泉首相以前の自民党政権の伝統が反映されると思っていた。その範囲で比較的良いものになるか悪いものになるかの判断は現時点でもまだ保留とせざるを得ない。しかし、小泉前首相に関しては、やはり中道左派への擬似的政権交代と観るのがやはり適切だったのかなという思いは改めて強くなってきた。実のところ政策はともかく理念ベースでの後継者はほとんどいない。政治理念的な人脈の流れとしては小泉氏は比較的孤立した存在だ。その意味で思想そのものは比較的近い民主党右派との連携は興味深い話だったのではあるが。
 安倍政権自体の推移は、程度問題はあるが支持率をじわじわ落とす方向であるのはほぼ確定であろう。しかし選挙は相手のある話であって、参院選の結果は民主党の状況との比較で決定される。なお、この10年以上の不況で政治に対する国民の要求レベルは向上したが、今は伝統的エリート層において危機感が薄くなっているタイミングに当たる。政官財のエリートも一枚岩ではなく様々な考えの人がいるが、ここしばらくは、「何かをしなければならない」という認識は一応共有されていた。しかし今は何もしない事にメリットを感じる人も多少出てきている。もちろん多くの国民はそう思っておらず、この乖離感が深刻になる可能性は織り込んでおかねばならない。しかし仮に自民党の首脳部でそれが認識されたとしても国内政治上の力学で何も出来ないかもしれない。そのような時には具体的な権限を持つ個人が重要となる。具体的には首相とその周辺の官邸の数名、党三役であろうが、これまた安倍政権が失敗したとして、それが受益となる人もいるように思う。つくづく政治は構造であると思わざるを得ない。各人の能力や思想は小泉政権時とほぼ同じなのだが。

・米国のイラク政策
 最近のエントリで少し触れたが、唯一の超大国の外交の課題となると国内的には今年もこれが筆頭となっていた。それは中間選挙にも影響したわけだが、結果に関わらず大きな進展は無い。
 正直、戦争前の米国人のイラクに対する期待水準が高すぎたというのは否めない。ただこれは米国の良い面でもある。日欧は成熟した民主主義を達成するのは選ばれた国だけだという意識が強すぎる。またそれがある程度現実にも合っているだけにむしろ問題がある。長期的に米国人の考え方が変わらないかどうかというのが個人的な関心事だ。
 イラク問題はイラク問題であって米国問題ではないが、それでも米国の外交的失態を指摘する事は可能だ。国連軽視とか色々あるが、個人的にほぼ唯一の問題と思っているのは英国への軽視である。例によってまたこちらにリンクをさせていただくが、これらの各種の「理由」に関しては、長期的には対アラブ世界(恐らく対イスラム世界ではない)への民主主義国の対応の共通の理由として様々に変質しながら収束していくものだと思っている。その共有化の第一段階にあたるのはやはり英国だと思うが、その英国とすら理念の共通化に関して努力する度合いは足りなかったのではないだろうか。またそれは、対テロ戦争は民主主義国に共通する問題ではなく主に米国のみが抱える個別問題であるという認識を国際的に強めてしまった。もちろんそうでない事は多くの民主主義国の政治家が理解してはいるのだが、その政治的基盤はより薄くなったであろう。英国人は恐らく無意識のうちに、本当の理由とか、正当な理由に関して、米国と共有しているのを期待していた。第一の同盟国として、秘中の秘の情報も共有しているのではないかという、古い大国の浪花節的な期待もあったろう。それは大量破壊兵器問題を契機に失望に変わってしまった。ただ実際にブレアは多くの理念を語っており、それは嘘というわけでもなかったが、現実の政治の世界では単なる追随者でしかないように見えてしまった。これは米国の責任が大きいといえるが、そう表現する事すら英国に対する侮辱となりかねないので言い方は難しい。少し年月が経てばブレアは良くやっていたと歴史の評価は好意的となるかもしれないが。
それにしてもこういう時米国は面倒だなと思う。米国はイラクで実際の軍事的リソースの大半を投入している。またこの種の問題に関して、外国の貢献は常に数字で判断する国柄だ。実質9割以上を米国が単独で負担している、米国の国内マスコミはそう報ずる。それが7割になり、6割になった時に初めて外国に気を遣うのだ。これは程度問題こそあれ民主党に政権が交代しても同じだ。だとすれば、日本のように頭から軍事的貢献の評価の大半は諦めるという選択も悪くは無いとも言えるわけで、つくづく難しい話であると思う。日本の現実の政策ということであれば、海上自衛隊のように他国に無い装備を多々有している現実をもっとうまく利用する事を考えるべきであろうし、それはそれなりに今後もうまくいくのだろう。ただ日米同盟の全体方針とうまくマッチさせる事に関しては、本当に問題山積かと思う。

・ロシアの民主主義
 イラクでの混乱が無ければ、米国の外交上の関心はロシアの民主化後退に対してより強く向かっていたであろう。その意味でロシアは間接的な受益者ともいえるのだが、少し長い目で見ると欧州の世論が微妙な影響を受けるかもしれない。概して米国は理想主義的な外交を取り、隣接する西欧はもう少し現実主義的な対応を対露外交に望んでいた。しかし、エネルギー問題における実害などを含め、西欧に不満が鬱積しつつある。公然と口にはしにくいが、米国の理想主義的な強硬な発言を口ではたしなめつつもそれを望んでいた欧州人は多い。イラクでの混乱などに直面した米国が、統治の安定を重視する傾向は強まるだろう。だが、世界に現実主義の国々は多いが、そうでない政策は一定程度必要とされる局面もある。その政治的需要をどのような形で満たすかは、今後の世界の課題であろう。日本も北朝鮮問題などで類似の文脈を見出す事は容易だ。ただ、個別問題に関してはやはり従来通りの路線が取られる事例もあるだろう。このロシアにしても、例えばG8からの追放という事が合意される可能性も今後それなりにはある。

・NATO組織の拡大
 近年のNATOは域外での活動を重視しつつある。これは単純に従来の北大西洋地域を中心とする領域での活動では対応しきれないという現実からして当然のことである。もちろん、何もしなければ自国を中心として放射状に同盟を結んでいる米国の意見が圧倒するという外交上の要請も大きいのであろう。それでも米国を含め、多くの民主主義にとってこれは重要な動きである。なぜなら、限定されているとはいえ実効性を持った活動が出来る国際組織はこれくらいしかないからである。日本も集団的自衛権を行使し、こういう組織で活動する事は有意義であろう。それは世界の現実を直視する良い機会にもなろう。またNATOの立場としても日本とオーストラリアの参加がこの活動拡大問題の性質を決める。欧州がアジア地域の問題に理解を深めるためにもそれを望みたいが。
 また展開によっては、国連に与える影響も大きくなる。短期的にはあえて言及はされないだろうが、10年、20年と経過するうちにある種の国際機関の役割を代替しているという状況がが現出しているかもしれない。

・国連改革
 結局中途半端な状態で先送りされたという印象は否めない。この先問題山積という印象も否めない。これも構造的な問題となるが、国連での活動を強化する事が直接的に国益に結びつく民主主義国が少なくなっているのは問題だ。米国は相変わらずだし、日本が大きく冷淡になったのは意味合いとして重要。安保関係での活動は停滞していくかもしれない。AUの活動が影響するところは大きく、英仏のような旧宗主国との連携も含め、どの程度機能していくかの見積もりが大事であろう。またアフリカ諸国が国連をどの程度重視するかに関しては様々な思惑が錯綜しているが、言葉は悪いが中国から資金援助を得るための方策としてはしばらく有効であろう。

・イスラエル周辺
 戦乱が絶えないという印象はあるが、全般としてみるなら、イスラエルが持続可能な地域秩序は何かというのを見極める過程の一環であるようにも思う。シリアとの関係が規定する事は多いのだが。

 このブログに関連することも少し。

・各エントリ
 年後半は体調を崩した関係もあってかなり更新が滞った。もとより量が多いブログではないけれども、ある程度の量がないと質が確保出来ないということもあり、相対的により駄目になったのは間違いない。アクセス数は結構あるので申し訳ないことではあるが。例えば上記のロシア問題、欧州での状況など、もう少し色々エントリしたかった。
 比較的参照が多かったのは国内政治のエントリだ。これは政権交代があった年であるという事もあるし、日本語ベースだから読みやすいというのもあるだろう。ただ類似の意見も世の中に多いはずなので、より良いブログを読めばいいだけの話でもあろうからその意味で意外ではあった。日本の核武装問題のエントリがかなり参照されていたが、これはやはり潜在的な関心を持つ人が多いからであろうか。この問題はかなり多くの海外の文献を読まないと良い議論も出来ないはずの問題なので、水準の高いものをWeb上で読みたいとなれば英語ベースにはなることは他の問題以上である。私の知らないものが何か推薦でもあると有難いのだが。
 また北朝鮮などが関連した問題はやはりアクセスも多かった。この問題は日本人の暗部を刺激する側面もあるので難しい。日本は自らの立場が正当であるかどうかに関してはかなり意を払う国であり判断も慎重だ。しかし、その反動でもあるが、自らの判断に自信を持った瞬間こそが危険でもある。そこでの外交的妥協の余地が非常に少なくなり、抑制された、自己犠牲も伴う行動を取る事があまり無い。むしろ事の最初から自らの国家に過剰すぎる自信を持つ米国などのほうが、行動の段階でしばしば抑制的であったりするのは興味深い。国内が一枚岩だと外交的に妥協できないのはどの国も同じだが、ある種のタブーが発生するというのは、同時に正当さを根拠とした腐敗も生みやすいし、政策は硬直してしまう。その時でも理念は確固としつつ政策的に柔軟となるべきなのは日本の課題ではないだろうか。そういう事を何かの問題に触れた際にうまく指摘したエントリも書きたかった気がする。

・ブログ移転
 ココログに戻るつもりは全然無いとは言え、こちらでのコメントスパムにも参った。再アップした際にURLが変わるという当たり前のことに気が付くのも遅れてしまった。とはいえ、トラックバックもコメントももっと気楽にしてもらってよいのだが。アクセス数の割に少ないのはエントリの柔軟性の欠如ゆえか。

・ブログ方針
 もう少し日記風な、軽めの話題を多くエントリしてもいいかと思う事もあるのだが、妙にやりにくい。別のURLに作ったとしても案外書く事も無さそう。なもので、たまに一言交えながらマイペースで続ける今の延長かなと思っている。アルファブロガーになるつもりなど全く無いので細く長く続けるつもり。もはや生存確認というようなエントリになるのは何だかなとも思うが。

 最後になりましたが、日頃各ブログでお世話になっている皆様、リンクやトラックバック、コメントをいただいた皆様、相変わらずアクセスいただいている皆様、有難うございます。来年も宜しくお願いします。
posted by カワセミ at 00:13| Comment(7) | TrackBack(1) | 世界情勢一般
この記事へのコメント
はじめまして。
国際情勢をテーマしたブログというのは政治的な右左が強く出る傾向があるので警戒してしまいがちなのですが、このブログにはそういったものに警戒せずに信頼して読めるような気がします。
健康に気をつけて来年も頑張ってください。
では、良いお年を・・・。
Posted by aki at 2006年12月31日 07:57
「全般として、様々な問題が先送りされた年であったかと思う」

こういうことを言う人は多いけど、じゃぁあんたは具体的に何をしたの?
こんなブログに、まるで他人事のように感想を書いただけでは?

来年は、行動を起こし自分のやった事を書いて欲しいもんですわ。
イラクやイスラエル、スーダンに行ってみろ!
Posted by や at 2006年12月31日 12:46
外信に比較的興味が及んだことからか、今年は安部総理のセリフでもありませんが、「美しい」ということが孕む「毒」について考えさせられました。

国際法の範囲で言う「国」という単位において、例えばロシアのノスタルジアは「ツァーリズム」であり、中国のノスタルジアは「喰」(そういう意味では資本主義ですか)。アメリカのノスタルジアは言わずもがな開拓精神ですが、昨今はその客体であるイラクおいて、それらがホッブス主義的な毒となることを、彼らは体感する羽目となりました。
Posted by 魚服記 at 2006年12月31日 16:35
すいません。確認のつもりが、そのまま途中で投稿してしまいました。連投をお許しください。

ジャン・スタロバンスキー(『ディオゲネス』より、『ノスタルジアの概念』)は、何か(理想)を「再現」しようとする人の性情を、以下のように示しました。
「ノスタルジアに憑かれた人が欲するものは、彼の青春の場所ではなくて、青春そのものであり、彼の幼年時代なのである」
一人の人間として、以上の心境は理解できないではありません。ただ為政者は、その「再現」における「悲しみ」を図って深謀遠慮を尽くすのだと思うのですが、アメリカに、ロシアに、中国に、今の欧州に……先ずその「悲しみ」があるのか……不安があります。

その悲しみとは、

「対象を持たぬ悲しみ、実体験に関わっていないために、必ずや真性のものとはなりえない憧れを作り出す悲しみ」です(スーザン・スチュワート『憧憬論』。彼女はこれを英国庭園に見る悲しみとも言っています)。

これからどうなるのか……。

以上の引用を愁眉とし、本年の最後の投稿とさせていただきます。ありがとうございました。

良いお年を。


Posted by 魚服記 at 2006年12月31日 16:47
皆様、コメント有難うございます。

>aki様
結果的には、かなり色濃いある種の立場があるかなとも思います。硬直的な意見から距離を置いているつもりではありますが果たしてそれもどうか。

>や様
恐らく来年も、人事のように感想を書く事になろうかと思います。
自分の能力や見識、意欲の範囲はせいぜい今までのブログに示された程度であり、それ以上でないことはお分かりかと思います。

>魚服記様
味わい深いコメント、有難うございます。不勉強につきなかなか明晰な理解が出来ないのですが、私は「毒」というのに加え「体臭」というものを考えさせられました。人が自分の体臭に気付きにくいように国もそうであろうかと。日本も例外ではないですが。そして為政者は随分手足を縛られる時代になったなと。

さて、コメントも今年最後となりそうです。

良いお年を。
Posted by カワセミ at 2006年12月31日 21:45
いつも楽しく拝読しております
今年も楽しみにしております
Posted by ft at 2007年01月04日 18:54
あけましておめでとうございます。
何時も勉強させてもらっています。
個人が出来ることは限られていますが、その中で出来ることをする。言うは易しですが中々実行できる人はいません。
実際、私なんかは度胸試し程度の気持でイスラエルに行っても何もできませんでしたから。
政治を語る時に大局的な見方は欠かせませんし、また大局的であるがゆえに客観性が大切なのだと思います。
それを冷めてると捉えるか否かは、読み手次第なのでしょうが。

応援していますので、頑張ってください。
今年もよろしくお願いします。
Posted by muu at 2007年01月10日 04:12
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/2914875

この記事へのトラックバック

2006年を振り返って - カワセミの世界情勢ブログ
Excerpt: 2006年を振り返って - カワセミの世界情勢ブログ
Weblog:
Tracked: 2012-05-08 18:34