2006年12月22日

最近のイラク情勢に思う

 たまにはトラックバックの形でエントリするのもいいかもしれない。という事で、Hache氏のエントリに触発された形でイラク情勢に関して感じたことを書いてみたい。

 この問題を語るときはイラク問題というよりアメリカ問題になってしまっている。そうであるからこそ、このエントリにあるように「イラクより台湾が重要なら・・・・」という議論も発生する。そしてその折には、アメリカは失敗した云々と世の中では喧しい議論がされるが、その一方でイラクという国の事を急速に忘れ去っていく未来図も容易に想像出来る。欧州ならまだしも、特に日本ではそうだろう。

 そのイラクに関して、フォーサイトの記事を読みつつ考える。この出井氏の記事は、とりわけ視点がイラクではなくアメリカに偏っている人にとってとても良い内容だ。現在の情勢が簡潔に示されている。現地での犠牲者の8割はバグダッドに集中しており、首都の治安が悪くなったのは'05.4に選挙を受ける形でジャファリ政権が発足してから後の事だというのだ。それまでのアラウィ政権においては真夜中まで店を開けていたがそれからはそうもいかなくなったという商店主の声なども引き合いに出し、その時期を境に金持ちから順に首都を離れていったとしている。

 つまり、イラクで起きているのは武力を伴う無秩序な政治闘争だというのが本質らしい。首都に被害が集中しているというのはそれであれば当然だろう。米国は、その国内的な政治文化を考えると、他の先進工業国と比較すれば民衆の武装に関して比較的寛容な政策を取りがちである事は容易に想像できる。そして占領統治もしくはそれに近い治安維持の経験は、歴史的に見て比較的現地での秩序が成立している地域が多い。強いて言うならば旧ユーゴの経験が近年にあるが、これは大規模な部隊の展開を極力渋っており、その事も記憶に新しい。だから「選挙後の」武装解除という事に関して優先順位を高くおかなかったのかもしれないし、決定的な要素であるとの認識が薄い、またはそれをやらずとも(困難は目に見えているので)何とか良い方法はないかと模索しているのかもしれない。選挙で一定の票数を確保した各勢力の武装組織を鎮圧するというのは米国のある種の自己否定という面もあるだろう。むしろ宗教指導者のシスタニ師が武装解除の重要性を説いているというのは示唆的だ。もっとも、現在の政治的な闘争の局面では影響力も限られているとこの記事にもある。実際、なまじ建前上は世俗の勢力に統治権があるべきとしているだけに裏目に出ているのであろう。そしてサドル師のような擾乱要因とみなされる人物は、きっちり政治プロセスにも顔を出している事には留意しなければならない。

 以前のエントリで、中東は猫の目のように情勢が変わり、昔のイラク支援を非難するというのは歴史に連続性のある国が陥りがちな世間離れではないかというような内容を述べた事がある。北朝鮮やフセインのイラクなどへの対応がまずかったというのは、あまりに昔の話を持ち出しすぎると。ところがそう書いた本人の認識もやや甘かったようだ。イラクの治安は良くないが、その良くない理由はやはり猫の目のように年々変わっているのだと。恐らく中東地域、あるいは治安の良くない多くの国もそうなのであろう。統治が安定し持続的な社会というのは、我々が考えている以上に地球上には少ないのかもしれない。

 以前、ぼんやりと、日本の西南戦争のような形で政治路線が確定して安定しないものかと思っていた事がある。実際、多くの国では、冷徹なようだが新国家建設の段階では大規模な流血による決着があったという事は多い。単一の勢力が勝利する事により、秩序が発生し、それを基盤として発展するのだろう。だが今のイラクではどうなのだろうか。むしろ米軍は、そのような大規模な衝突を抑止する機能をしている。必死で対話による解決の道を探っているのだ。そして各政治勢力は、今の段階で米軍が特定の政治勢力に対し大規模な武装解除や掃討作戦を行わない事を知っているのだろう。

 結論的に言えば、武装解除を徹底し、暫定でも何でも良いので中立な行政機構で効率よく動く軍隊・警察のシステムを整備し、選挙で選んだ政権にそれを引き継がせるべきであったとは言える。選挙後に武装勢力を政治プロセスに取り込むことにより、イラク軍なるより上位の存在にそれを引き渡すと米国は考えたのだろうか。しかし中東では、手持ちの武力だけが全てを決定する。我々は大規模な国民国家に対してかなりの信頼を半ば無意識においている。しかしそれは、結局欧州から発生した政治文化で、それとの文化的距離が遠い国で前提とすべきではないのであろう。それでも、昔の日本の韓国や台湾の植民地統治のように徹底的に武装解除し細部まで手を取り足を取りで行政機構を作るとか、一時の英国のようにあまり現地人を信用せず時に非情に秩序維持に徹するとか、別の政治手法を取る国がやれば違ったのだろう。しかし米国はああいう国だし、他にやる気のある国も無いのが現状なのだろう。
posted by カワセミ at 01:05| Comment(3) | TrackBack(0) | 西南アジア・北アフリカ
この記事へのコメント
初めまして。

因襲浅からぬ、というよりは、実は沸点が低いのではないか? とは、真実だとしても公にはいえないから、質が悪いですね。
Posted by 魚服記 at 2006年12月24日 17:35
カワセミ様

’イラク問題’が’アメリカ’問題として語られるか。私がアメリカ問題だと流布してるわけではないですよ。大きく3つあるでしょう。
ひとつは、国際システムレベル(国際環境の反応)です。現状、国際政治の構造は、アメリカの1極構造です。その非常に大きなパワーを持つ国家が働きかければ、どの国家、地域、機構においても、決定的な影響力を及ぼすでしょう。これに関連して、二つ目は、イラクという地政学的に複雑地域であるということです。そもそも、部族コミュニィティーですし、宗派も違う、クルドもいる。また、1968年 第3次中東戦争以降、アラブの完全敗北が決まって以来、イスラム教も偏狭的な要素が支配的になっている。また、各国の思惑も絡むとなれば、戦争自体は、容易でもその再建(ひとつにまとめあげる、分割でも構わないですが)、それは、かなり、綿密な調査・研究し、同盟国・国連・国際社会を上手く使わないと非常に困難であるということです。更にこれに関連する形で、アメリカは、再建政策が稚拙であった、中・長期的な戦略がなかったゆえに、現状の混迷を深め、ボディ・バッグは増え、財政負担も増え、アメリカの理念や価値という国益に関わってくるわけです。対外政策ー対内政策リンケージモデルの応用ですね。アメリカにとっては、イラクは、対外政策でもあり、対内政策でもあります。ここで、また、はじめに戻るのですが、構造的にアメリカ1極であり、その行動は、他の諸国や国際政治経済秩序に影響を与えうるわけです。特に、アメリカとの相互依存度の高い(同盟)諸国になれば、sensetivity (敏感性) vlunervility(脆弱性)が生じますから、そのリスク・コストヘッジを考えるとなると、自国とアメリカの関係を考えざるえませんね。以上のように、上記3つは、相互関連しています。これは、Hacheさんのところにもコメントしました。

近代民主国家への封建制度からの移行というプロセスがアメリカ史には、徹底的に抜けてます。
極端に言えば、相対的に横に広く、縦(奥行き)が浅い。このことは、アメリカ自身も自覚してます。

それゆえ、ヨーロッパなどとは、アプローチが異なるでしょうね。

今年は大変、お世話になりました。来年もよろしくお願い致します。よいお年を!
Posted by forrestal at 2006年12月30日 11:15
>魚服記様
当事者の難しさというのはあり、外部からのアプローチはいつも至難ですね。

>forrestal様
特定の人の意見をどうこうという意図は無かったのですが。
ただ、アメリカ問題とするなら大手マスコミははっきりそういうアプローチを
するべきではないかと思います。一見イラク問題に足を取られているように
見えますが、外交上における実質的な影響の多くは米国の政府高官が時間を
取られる事のようですね。

カナダやオーストラリアあたりがもう少し規模の大きな国で、主体性の強い関与を
志向する政治的伝統があればどうなったかな、などと思います。
しかし考えを巡らせると、「潜在的な」候補として認識可能な国や国際組織ですら
いくつも思い浮かびませんね。まして顕在となれば・・・・・

今年はお世話になりました。良いお年を。
Posted by カワセミ at 2006年12月30日 17:41
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