2006年10月22日

ソマリアの混乱とソマリランドの安定

 ソマリアは相変わらず混乱が続いている。以前にもエチオピアのソマリア派兵に関するエントリを記したが、このエチオピアの支援により首都から追い出されたソマリア政府が主要な都市を奪還した事が報じられている。(参照1)

 ここでエチオピアと長きに渡って対立しているエリトリアだが、ソマリアのイスラム勢力に対する武器援助の疑惑があり、米国と摩擦を起こしている事が報じられている。(参照2)エリトリアの独立の経過自体、反政府勢力がそのまま一国になり、一党独裁のまま独立しているというものであるから、その経緯が現在のソマリアとかぶるような印象はある。もちろんエリトリアは否定している。

 米国としてはイラクの混乱に目が行きがちだが、対テロ戦争という文脈で原理主義勢力の動向には継続的に関心が払われている。例えばこのヘラルドトリビューンの記事では、国境管理さえまともに期待できないという事実を冒頭に述べる形で記されているが(参照3)もちろんテロリストさえそうする事が出来ると言及することを忘れてはいない。「低強度民主主義」の問題は以前から指摘されているが、今はその問題を指摘する風潮が強くなっている時期でもある。

 そのような地域情勢の中でやや特異と言えるほど安定しているのが、国際的にはソマリアの一部と見なされているソマリランドである。この地域は旧英領ソマリであるが、言語や宗教ではソマリアの他地域と同一性が強いものの、氏族社会的な地域の現状から自治的な性向が従来から強い。そして彼らとしてみれば、この30年間のソマリアへの参加は失敗だったという意識のようだ。仏領ソマリがジブチになったのだから自分達もいいだろうというわけではないだろうが、今の時代ではタイミングも悪い。自国の混乱を恐れるアフリカ諸国は軒並み反対という情勢だ。

 そのソマリランドの現状に関しては米国務省サイトでもソマリアの項の中で特に注記されている。(参照4)まとまっているのでその部分を少し長いが引用しておく。

In 1991, a congress drawn from the inhabitants of the former Somaliland Protectorate declared withdrawal from the 1960 union with Somalia to form the self-declared Republic of Somaliland. Somaliland has not received international recognition, but has maintained a de jure separate status since that time. Its form of government is republican, with a bicameral legislature including an elected elders chamber and a house of representatives. The judiciary is independent, and various political parties exist. In line with the Somaliland Constitution, Vice President Dahir Riyale Kahin assumed the presidency following the death of former president Mohamed Ibrahim Egal in 2002. Kahin was elected President of Somaliland in elections determined to be free and fair by international observers in May 2003. Elections for the 84-member lower house of parliament took place on September 29, 2005 and were described as transparent and credible by international observers.

 民主主義がそれなりに機能している事から、好意的な記述が並んでいる。旧宗主国の英国でも感覚的には同じなのか、例えばBBCのサイトでも同様の記述である。(参照5)英国としてみれば、第二次大戦時にイタリアに圧勝したゆかりの地域でもあり、それなりに関心を呼ぶのかもしれない。このソマリランドに関しては公式のサイトもあるが(参照6)概略を見るにはWikipediaの記述が便利だろう。(参照7)

 ソマリランドの民主化の経緯は示唆的だ。旧来の伝統社会と近代的な民主主義が初期段階で摩擦を起こさないため、氏族社会の指導者層を二院制の議会の片方に移行させている。いわゆる貴族院的な発想だが、日本なども明治時代にそのような手法を取ったと言えなくもない。民主主義の歴史の古い国は初期段階に類似の方策を取り、その結果二院制が多いという面もあるのだろう。(もちろん成熟した民主国家で、政治的な意思決定を比較的簡素化できる人口の少ない国は一院制でも良いのだろう。北欧などはそうかもしれない)そして一度議会の形にして動かしだせば、議会政治の進展によって政治を成熟させる事は可能であるとも言えるのだろう。一度固定した政治体制は人間の行動を規定するという意味で、政治は力学だと言うと古典的に過ぎるだろうか。ただ同じ人間が政治の状況により全く違った行動を取るというのは間違いがない。もちろんそれが権力者であれば、その国の将来に大きな影響がある。

 このソマリランドのソマリアイスラム主義グループに対する立場は、領域を侵せばそれは敵になるというシンプルなものだが、この記事(参照8)で示唆されているように自らをタリバンに対する穏健な勢力と位置付けるのは、国際的な承認を取り付ける方法としても有効であろう。いずれ何らかの形で国際的な容認が徐々に進むのではないか。エリトリアとのバランスということもあろう。

(2006.11.15追記)
北方へ戦乱が拡大している模様。NY Timesの記事。これは相当まずい。
posted by カワセミ at 23:57| Comment(1) | TrackBack(2) | サハラ以南アフリカ
この記事へのコメント
皮肉な言い方かもしれませんが、ソマリランドは国際社会から放っておかれたことで、却って自らの身の丈にあった民主政治を構築できたのかもしれませんね。
あと、旧英領ということでそれなりの統治インフラが残っていたのかもしれません。
Posted by Baatarism at 2006年10月23日 11:03
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