2006年03月22日

東京財団の安全保障研究報告書に関する感想(上)

 ここを目にしている多くの人はかんべえ氏の溜池通信にも目を通しておられると思う。その最新号にて、東京財団の研究報告書が紹介されていた。的確な内容であるし、インターネット上で全文公開されているのでぜひ読んでみて欲しい。(参照)今回はこの報告書に関して感想を述べてみたいと思う。

 巻頭に示される通り、この報告書は日本の安全保障政策に関しての議論を喚起するもので、専門用語を極力拝した平易かつ丁寧な表現で、政策担当者のみならず広く国民一般に語りかける啓蒙的な色彩が強い。その目的に沿った内容であると思う。以下に記す私の感想は、一部ネガティブな表現があるにせよ、全体としてこの文章が10のうち8か9くらいは適切なものであって残りの部分を強調したものに過ぎないという事は断っておきたい。

 序章にはっきり記載されている通り、現在の安全保障環境をまずゼロベースで考え、過去の経緯に引きずられない客観的な議論が必要であるということには賛成である。しかしながら、そのように断っていても、やはりこれまでの経緯に引きずられている感が否めない。なぜそのように考えたかと言うと、現状を客観視する試みがやや少ないと思ったからである。この報告書、全体として後半の個別政策の提言が優れていると思う。しかし、啓蒙的な役割を広く捉えるなら、特に非専門家の一般国民には、前半は曖昧模糊とした印象を与えるかもしれない。後半の提言に目を留めて貰えないかもしれない。

 現代の安全保障を考えるには、当然のことながら現在の受益状況と損害状況をまず把握することが重要である。特に受益に関しては、日本人は当然視している傾向が強く、これを明示的なものにして意識させる事が重要な議論の出発点ではないかと思う。そしてその水準が高いか低いかに関して世間的な議論はあるであろうが、まずは推測として多数派の日本人が意識的・無意識的に要求する水準とは何かを語ってみてはどうだろうか。

 もう少し具体的に述べよう。歴史的経緯という縦の変化と、諸外国との比較という横の違いを双方意識すべきであろう。縦の変化では、明治や戦前からのコストや状況の比較があると良いだろう。具体的には防衛関係の費用のGNP比の変遷、対外軍事行動による軍人や民間人の被害者の推移、その負担の結果としての国民の安全意識の変化、あるいは対外的な政治的影響力、経済への影響、対外的な市場や資源へのアクセス容易性などだ。そしてこのまま何もせずに推移するとどのような未来図が予測されるか、また現状を維持するにはどのような対策やコストが必要か、さらに良くするにはどうかというような事だ。個人的には、現在の日本の受益水準は充分に高く、維持するだけでも多大な労力を必要とすると考えている。そして現状維持のコストすら嫌う主張をする人が、それ以上の至難さであるより良好な安全保障環境を構築することは出来ないのであろう。非現実的右派勢力への反論と言う意味でもあって良いのではないだろうか。

 もう一つが、安全保障に関する考え方の近い、主要な民主主義国との比較である。同じく経済力に対する負担の水準(直接軍事費・同盟協力費・対外援助費その他)、現在の安全保障状況(例えばイギリスは北アイルランドなどへのテロの被害はあるし、スペインは不法移民が深刻で日本どころの騒ぎではない)、政策設定のための自国の裁量度(恐らく日本は全世界で米国に次いで2番目)対外派兵の人数、国民の安全意識などである。この要件も日本の幸運を自覚する材料になろうし、また本報告書で提言されている集団安全保障に関する理解を深める一助にもなる。主要な友好国の寄与度の仮判定なども付け加えると面白い試みとなるかもしれない。議論を呼ぶ事になりそうだが。
 上記のような前提を元に、自国の持つリソースに関して議論を進めればより実感を持って後半の政策提言に結び付けられるのではないだろうか。

 主要な感想としては以上である。後日のエントリでは個別にコメントしたい部分を取り上げるが、これは枝葉末節となる。
posted by カワセミ at 23:38| Comment(3) | TrackBack(0) | 国内政治・日本外交
この記事へのコメント
西村真吾議員の配信メルマがです。
 核を考えない政治で日本は運用できない
                         No.222 平成18年 3月21日(火)

 本日朝、フジテレビの「特ダネ!」という番組を観ていた。
すると、番組の内容と全く関係のない情景が甦った。それは、平成14年9月17日の直後に、私がこの番組に出演した時の情景であった。

 その出演当時は、平成14年9月17日の小泉訪朝による日朝平壌会談の直後で、日朝会談の「歴史的成果」に沸きかえっていた。総理は得意気に成果を語り、マスコミの主立った論調も、
「総理が平壌に行かなかったらこの成果は無かった。8名死亡という北朝鮮の回答は確かにショックだったが、金正日に拉致を認めさせ国交回復を約束した成果は大きい。従って、この成果を文書化した平壌共同宣言は意義ある文書である」
というものであった。
 そして、このような時期に、私は平壌会談を語る「特ダネ!」という番組に出演していたのであった。共演者は、日本で発行されている朝鮮関係の雑誌の在日朝鮮人の編集者やアメリカ人のデーブ・スペクター等で、大いに日朝友好の軌道が敷かれた共同宣言発出の意義などが語られていた。
その中で私は、次の一点を指摘した。

「この度の平壌共同宣言とは、アメリカのワシントンに届く核ミサイルを開発中の独裁国家・テロ国家に、日本が巨額のカネを渡す約束なんですよ」

 その瞬間、出席者一同は、「エッ」と絶句した。核の開発費を日本が負担することになるなど、思いも及ばないことだったのだろう。
絶句の後、朝鮮人編集者が
「まー、北朝鮮嫌いは西村さんの持論ですもんねー」という趣旨の発言をして、しばらく問答が続いたが、番組が次の話題に入ると言うことで私はスタジオから退席となった。
私の退席後に、司会者が「西村さんといると疲れますねー」と語っていたと番組を逐一観ていた人から後で聞いた。

 本日、甦ったのは以上の情景であった。あの時も、この時も、平和な好男子である司会者の風呂上がりのような変わらぬ顔を見ていたら、そうなった。
 そして、前回のこの時事通信で触れなかった部分にやはり触れておかねばならないと思い至ったのである。触れなければ、大きな欠落になる。
 それは、「核」のことである。
 即ち、平壌共同宣言とは、国際条約に違反して核を密かに開発して保有する独裁国家に、我が国総理大臣が「援助」という巨額のカネを与える約束なのである。このことに、前回触れていなかった。
 
 平壌共同宣言において、拉致と核とミサイルを扱った第三条以下は、北朝鮮の約束であるどころか、この部分で日本の総理大臣とその政府はコロッと騙されましたということを示しているに過ぎない。
 即ち、日本人拉致を扱ったと日本側が言う三条の「日本国民の安全」に関する事項では、拉致は過去の事件とされているが、真実は現在も進行中のテロであり何も解決していない。四条以下の、国際約束を守ると誓った「核」に関しては、平成17年2月10日、北朝鮮自らが「核保有宣言」をして、あれは嘘だと宣言している。
 つまり、自国民が数百万人餓死しても、核開発を続けている独裁者の元に日本の総理が呼ばれて、拉致日本人の消息を「5名生存8名死亡」と教えられて信じ込み、核もミサイルも開発しないと約束されてカネを支払う約束をしたが、拉致被害者の消息も核の約束も全て嘘であった、つまり騙された証が平壌共同宣言なのである。
 仮に、このようにして騙されて署名した証文を未だに後生大事にして評価している者がいれば、この者のことを何というのか。世間では、馬鹿とかアホとかいうのである。

 ところで、「唯一の被爆国」と自らを表現する日本政府は、核を如何に考えているのか点検しよう。
 先ず、日本政府は、中国の驚異的な軍備増強と核開発に直面しても巨額のODA援助を続けており、核を保有し増産し開発している北朝鮮に巨額援助を実施する約束をしている・・・。
 この事実は、日本政府は、核に敏感であるどころか反対に鈍感であり「核」を考えもせずほとんど理解していない、このことを明らかにしているのではないか。
「唯一の被爆国」が核を考えず理解していない!
このような政治の怠慢、不道徳があろうか。この不道徳は、数十万・数百万の国民の命に関わる。これは、強調しても強調しすぎることはない。つまり、日本の政治は、異常なのだ。

 この、我が国政治は「核」に鈍感であり「核」を理解しないということ。これは、政治が、核の被害を如何にして防ぐかということを考えていないということである。
 それでは、核の被害を防ぐにはどうすればいいのか。少なくとも、今まで各国はどの様にして防いできたのか。
 核を自ら持つことによって核の被害を防いできた、これが国際社会で実証されてきた事例である。

 ならば、日本政府は、如何なる方策により核の被害を防げるとしているのか。それは、アメリカの「核の傘」によってである。
では、アメリカの「核の傘」は有効なのか否か?
 かつては有効であった。しかし、今は?
日本政府は突き詰めているであろうか。
 突き詰めれば、自らが援助をしている国の核によってアメリカの「核の傘」の効果は無くなりつつある、即ち、アメリカは自国民数十万人が核攻撃に晒される危険を冒してまで日本を守らない、ということになろう。アメリカに限らず、自国民への核攻撃の危険を冒して他国民を守る国は、存在しない。アメリカの大統領であれ日本の総理大臣であれ、このようなことを考えている者は国民に当選させてもらえない。結局、他国の「核の傘」にすがりつくのではなく、自らの力で自国民を核攻撃から守ろうとする国家のみが、核攻撃に対する防衛体制を確立できるのである。

 さて、国連常任理事国入りを目指した昨年の我が国外交を観ても、国際社会における我が国の国家としての存在感自体が揺らいできているような感じがする。
 この理由は、結局は、自らの国を自らで守ろうという覚悟と体制を持たない国の政治は、国際社会で主体性を持ち得ないということに帰するのではないか。

 北京において六カ国協議をいくら開いても拉致問題は相手にされない理由もここにある。
中国や韓国の対日侮蔑の誘因もここにある。
そして、「核の傘」にすがって自ら守る意思のない我が国の悲哀は、アメリカの対日態度を見ればさらに明らかであろう。日本は完全に舐められている。
海兵隊がグァムに移転する費用として八〇〇〇億円を支払えとアメリカは言っている。つまり、立ち退き料を支払えである。それも、めちゃくちゃな金額である。
 一体、フィリピンやドイツからアメリカ軍が出て行ったときに立ち退き料を支払えと言ったのであろうか。何故、アメリカは日本にだけ立ち退き料を要求するのか。それは、日本が、中国、ロシアそして北朝鮮の核の脅威を受けながら防衛能力も防衛意思もなくアメリカにすがるカネだけがある属領だからである。
 我が国政治は、長年アメリカに従属しすぎて、この異常さが分かっていない。従属していなければ、
「貴国の同盟国である日本は、貴国の青年を守るためにも、我が国自衛隊に8000億円を投入する。立ち退き料は、べらぼうである」と平然と言えるであろう。

 現在、核保有国は国連常任理事国に限られていない。核は拡散しつつある。我が国周辺では、北朝鮮が既に核を保有し、我が国は、北から南へ、ロシア、北朝鮮、中国と、核を保有する国に囲まれている。そして驚くべきことに、これら三国の核は我が国に向けて実戦配備されているのだ。このように、地球上で我が国周辺は極めて特異な地域なのだ。
 さらに、この状況下で顕著になってくるのは、核を持つ国は主体的に扱われお互いに勝手に取引して核クラブを形成し、核を持たない国の主体性は無視されると言うことである。
 そして、核を保有する国と組織は、これからさらに増加していくであろう。
 従って、今こそ我が国の政治は、核の脅威から身を守る主体性を確立するために、真っ正面から「核」に関する議論を深めて、国家の存亡に関わる結論を出さねばならない。

 平成十一年十一月の防衛政務次官の時の私の「核」に関する発言への反発と平成十四年九月の「特ダネ!」出演時の私の「核ミサイル」に関する発言への反応を思い返すと、かつてのような核の議論をタブー視して拒絶するような風潮はほぼ消えて、冷静な議論が成り立つ土壌ができつつある。
 今こそ、我が国存亡に関わる重大課題として核を保有すべきか否か、国民と政治家は実践的議論を深め結論を出さねばならない。猶予期間は既に無くなっている。

                                 西村真悟

                                    (了)

私もそう考えます。インドへは米国はおとがめ無し。イランは許さない。イスラエル、パキスタン、北朝鮮も核は間違いなく保持してます。「正直者が損して早い者勝ちが得だ」と証明してます。又イラクへの米国の先制攻撃は 自衛の正当な行為となって日本の真珠湾への先制攻撃も自衛の戦争と言う認識に変化したのです!真珠湾先制攻撃が卑怯で邪悪で許すべからざるという歴史の汚点はこれですっかり消え去りました。
又今回の WBC野球国際試合での米国の傲慢で卑怯で邪悪な審判判定や日程、試合組み合わせと自国の国益優先であり決して核の汚染を被って自己犠牲精神など払って日本救出に駆け馳せ参じるなどと言う幻想は潰れました。米国に基地移転で金を出すなら自主防衛して核を保持する費用にして中国や半島の強請りたかり恫喝には 話し合いなの無理ですから対抗する事を検討するほうが費用効果が安くて信頼できます。自分のことは自分ですることは当たり前です。 真珠湾も東京裁判も糞くらへ!
Posted by ようちゃん at 2006年03月23日 00:56
引用長めということもあるので、TBとかになりませんかね?どうでしょう。
Posted by カワセミ at 2006年03月23日 01:49
第2段落に誤変換めーっけ!
Posted by hiko at 2006年03月24日 01:44
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