この記事におけるコンゴとは、コンゴ民主共和国である。世代によっては旧ザイールと表記したほうが隣国のコンゴ共和国と区別がついて分かりやすいかもしれない。参考のために外務省サイトをリンクしておく。(参照2)アフリカは情勢の安定しているところも多々あるのだが、このコンゴ民主共和国とその周辺国はそうでない地域の見本のようなものだ。正直、地図を見るとこの顔ぶれは・・・・と思わざるを得ない。ややまともと言えるのはタンザニアくらいだろうか。
ところで、日本ではアフリカの混乱を未だに欧州諸国の植民地政策の負の遺産などと主張する人々がいる。確かに歴史は連続しているので何の悪影響も無いと言うことは出来ない。しかし、正の影響もあったはずであり、また独立後は、たとえ冷戦に振り回されていたとしても、まさに独立国であったことは事実なのである。それで植民地時代より劣悪な政治が継続したとなれば、それは相応の評価があるべきであろう。
19〜20世紀の植民地政策は、昔日のスペインなどとは違いそう略奪的とばかりは言えないだろうと、以前のエントリでも少し感想を述べたことがある。そしてこのコンゴ民主共和国に相当する地域を統治したベルギーの実績はそれなりに評価しても良いとは言えないだろうか。現地にかなりのインフラ投資を行い、医療水準も上がるなど、かなり民生の向上に貢献したのだ。日本の植民地統治にやや近く、さらに良心的かもしれない。隣国のオランダと違って、というと語弊が大いにあるのだが、ベルギーの外交は無定見な利己主義の要素は比較的少なく、実直さがあると思うのだがどうだろうか。今でもEU内では手堅い外交をしている印象があるが。
その後独立し、国名を変えながら歩んだ同国の歴史は、モブツ大統領の長い独裁が多くを占める。反共に徹することで多くの西側諸国から冷戦期に援助も受けたのだが、とかくこの人物は評判が悪かった。内外から得た富の着服の度合いは相当なもので、他のアフリカ諸国と比較してもより悪質だったと言えるだろう。独裁者のお約束のように、自分がいるからこの国は安定していると称していた。西側諸国はもちろん苦々しい目で見ていたのだが、結果としてこれが当たっているという現実をどう考えるべきか。別段モブツ大統領が立派な見識を持っていたとも思い難いだけに複雑な思いである。ユーゴのチトー大統領は完璧でなくてもずっとマシな人物であった。もちろん地域なりの水準があるのだろうが。もっともこの人物の評価も非常に難しい。
モブツ政権が打倒された後のコンゴ民主共和国だが、日本ではコンゴ内戦という表記がされていた事が多かったように思う。この件ではいつも以上に日本のマスコミでまともな報道がされていた記憶がほとんど無い。ここでは手軽に読める記事として英語版Wikiをリンクしておくが、記述は結構充実している。(参照3)タイトルからして正確と言えよう。
このコンゴの混乱が、書いてあるように"Africa's World War" とか"Great War of Africa." と呼ばれていた事を知らない日本人も多いのではないだろうか。多国間の紛争という客観的な事実がもう少し多くの人に伝わるべきだったろう。そしてこの手の紛争はいつも醜悪だが、国境を越えて略奪し、長々と資源の採掘までやっていたというのは何と表現するべきか。また、ここではルワンダで発生した虐殺による政治不安が波及した事も認識しておかなければならない。紛争を放置すると周辺に悪い影響を与えるのは当たり前の事実だが、これはその典型例だ。ここまで現実の結果として出てくるまで放置されることはむしろ珍しいだけに、多くの国はこれを教訓とする必要があるだろう。それにしてもWikiのこの項目はかなり秀逸なほうだ。内容もさりながら、リンクなどでも雰囲気を伝えようとしている。例えばこの記事、(参照4)この有害なメッセージに誰もがルワンダでの記憶を重ねるだろう。そしてそのルワンダ、ここではWikiの記事中の文章を引用するにとどめておく。各種の報道からは、事態は国際的に比較的隠蔽されていたとの印象があるのだが、どうであろうか。
Despite frequent accusations of misdeeds in the Congo, the Rwandan government continued to receive substantially more international aid than went to the vastly larger Congo. Rwandan President Paul Kagame was also still respected internationally for his leadership in ending the Rwandan Genocide and for his efforts to rebuild and reunite Rwanda.
このコンゴを巡る戦争で、敵味方はそうそう固定的だったわけでもない。民族や政治の小集団が様々な思惑で様々に行動する。実際のところ中東もそうである。10年前のどこそこの国の外交がまずかったというような議論は、時に紛争そのものを語る言葉としては浮世離れしていることも頭に置いておいたほうがいいだろう。これは世界の主要な民主主義国が共通で間違えることではあるが。日本周辺ですら、国民国家としての枠組みはかなりしっかりしており、入れ替えは相当の政治的インパクトだ。政治集団が細かい時の対応の難しさは、国内が強力な地方分権体制であり安全保障問題の経験も深いアメリカですらイラクで苦労しており、多くの国民国家にとっては歴史的記憶も薄く対応が難しいのだろう。そして中東は概して小さな国の方が政治がうまくいっているが、アフリカも本来そうなのであろう。だが、20世紀以降は経済などの要因がそれを許さないようである。
最後になったが、しばしばこういう地域のことも取り上げているfinalvent氏の関連エントリにも敬意を表してリンクしておく。今回の選挙で、コンゴの未来が多少なりとも良くなるようささやかに祈りつつ。
或いは、カワセミさまの評価される統治がレオポルド国王退位後のことということであれば、コンゴ自由国の件で痛い目に遭ったお陰で、逆に「文化的な」統治をせざるを得なかったと言うことかなぁとも思われますが。
>コンゴ自由国の件で痛い目に遭ったお陰で、逆に「文化的な」統治をせざるを得なかったと言うことかなぁとも思われますが。
少なからずそうでしょう。周辺国の目を気にしたせいもあるかもしれません。ただ政府への引渡しの後からもそれなりの年月が経過したのは幸いでした。過去方向にもう少し長ければという思いはありますが。