自民・民主の合意で日本の北朝鮮人権法案が可決される見通しだ。しかしながら世論の一部では反発があるようだ。最終的には様々な保留を付けた形になって落ち着いたようだが、率直に言うと日本国内の世論に関しては様々な懸念がある。恐らくこの微妙な問題を扱うときには短期的な振幅が大きくなり、政治家、特に議会のそれが最後まで責任を果たせるか心許ない側面もあるからだ。
私の北朝鮮問題に関する基本的なスタンスは、以前のエントリやその後の7月に書いたいくつかのものと変わっていない。拉致問題は、北朝鮮国内の国民の人権も含む広範な人権問題の一環として対処するしかない。現在の国際社会で、民主主義国として振舞うのであれば理念としてはそうあるべきで、他に方策は無い。自国の国民の人権のみを言い募るのであれば、最初から最後まで完結的に自国のみで対処する以外にない。
最近のこの法案に関する混乱に関しては、ここしばらくのEreniの日記で丁寧にフォローされている。6/10の氏の日記で民主党衆院議員の長島氏のブログが炎上している事に関しての書き込みがあり、以来現在に至るまでこの問題の構図をきちんと扱っている。一読されることを推薦する。
その後の6/15の日記で米国の北朝鮮人権法案に関する説明もされていて、そちらに要所がまとめられている。全内容へのリンクもあるが、ちなみに英文での原文はこのようなものだ。またこの法案の目的として、「民主主義体制の政府下における朝鮮半島の平和的統一の推進」が明記されていることは興味深い。最終的な朝鮮半島の安定はその形しかないことに関して共通の認識はあるかもしれない。
長島氏のブログの件だが、これは当初のメッセージをもっとシンプルなものにすれば良かったろう。まず最初に「拉致問題は国際的な広範な人権問題の一環として取り組み、当然北朝鮮国民の人権も対象になる」「それに関して日本がどのような負担をするかは別の議論で、議会は現在の日本がどういうことに取り組めるか、社会の安定ということも踏まえ慎重に議論している」とでも表現し、法案の事実関係を淡々と説明すれば充分だったのではないか。世慣れてないと私が表現するのも失礼だが、微妙な失言というか、庶民の生々しい生活感から遊離したような発言がこの人にはたまにある。にもかかわらず政策的には比較的穏健で良識的な保守派なので、ツッコミを入れやすいのだろう。貴族的な感覚とでも言うべきか。しかし、少なくともこの問題に関しては、議会政治家の役割を示唆してもいる。
米国でアブグレイブ収容所の虐待問題が発覚したときに、米国世論の反発が思ったより小さいと私は驚いた。一昔前の基準なら、少なくとも国防長官の首は怪しかったのではないか。この時思ったのは、イスラム教徒全般に関する米国人の生々しい反発は日本人の想像以上であるということだ。しかし米国の立法府、行政府の人間は、中東の民主化を前面に押し出している。これは社会科学的にテロを抑制する方策であるというのがまずあるが、政治面での副次的作用として、上記の大衆の負の感情を前向きな方向に誘導するという側面があるからだ。そこでの政治家の、特に議会の責務は、感情を抑制した議論を行い知的で文明的な政策に落とし込む事であり、時には国民感情の負の部分の対外的な隠蔽でもある。この事情は日本でも実のところ大差ないだろう。幸か不幸か日本は民主主義国の中では国民の資質はやや高めで政治家の資質が少し低めの傾向があり、この事を意識する事が少なかった。しかし、この北朝鮮問題は、明らかにこの危険な問題をあぶりだす懸念がある。
いわゆる右翼性向を持つ人が、北朝鮮の人間などどうなっても構わないと公言するのは、実のところ実害は少ない。どんな国でもその種の人たちはいる。しかし、サイレントマジョリティに属する人たちも、率直に言えばそのような感情をある程度有してもいる。特に自民党を中心としか保守政治家の言動が慎重になるのは無理からぬことだ。
確かに不運な条件は重なっている。日本人は世界的に見ればまだ貧富の格差は少ないほうで、難民が来た時に面倒を見る生活レベルも高いものを想像し過ぎてしまう。公民権の平等を経済的な平等と勘違いしている。実際はどの国もその本人の資質と働きに応じた待遇しかしないのだが。国内の貧しい負担者以上の水準を用意することは無いだろう。また今まで在日に甘すぎた点、スパイ防止法や移民の認定に関する手続きなど、政治の怠慢であまりにも準備が出来てない部分が多過ぎた。結果このような過剰反応が世論の一部には見られる。それは無理からぬ事。だがここでは、結果的に当面の人道の向上があれば充分なのだ。様々な政策で米国などと協調することは充分可能であろう。ロシアなどを口説いて、難民キャンプを設置するなどの方策が出来れば良いのだが。コストも抑えられるし、政策全般に関する中国の説得も恐らくそちらのルートからのほうが効率的だろう。
ともあれ、問われているのは情勢が厳しくなってきた時の日本人の覚悟だろう。例えば現在での可能性は少ないが、米国が万難を排して北朝鮮政府を打倒するとなったらどうだろうか。日本人の一部は当初喝采を叫ぶだろう。北朝鮮の国民にとってもそれは幸せなことだとかいう言説が流行する。しかし米国の感情としてはどうなるだろうか。それは、「日本のためにやってやる事だ」という認識が大きなものとなるだろう。拉致問題のみならず、核、ミサイル、化学兵器に関しても米国より脅威を受けている以上当たり前だ。そして今度こそ集団的自衛権を行使しなければならず、これに関しては何の言い訳も出来ないだろう。短射程のミサイルなら日本にも届くし、市民の犠牲も全くのゼロとはいかない事は始まる前から容易に推察できる。そうなった時に「拉致被害者などどうでもいい」と世論の風向きは変わらないだろうか。その程度の覚悟で、全世界で大声で主張していたのかと。それは結果的に、全ての問題を日本だけで処理しなければならない状況に結びつく。
現在の日本は、韓国が同胞と称している北朝鮮国民や自国の拉致被害者の人権に関して無関心であることを冷淡な目で見ている。しかし、日本自身の立場は、そもそもどれだけ異なっているのか。例えば難民問題、自国への流入に懸念を示すのは米国も中国も同じだ。米国も脱北者の受け入れはごく最近で、それも少数。少し前の、やや非好意的な記事だがこのあたりは参考になる。だがしかし、限定された政治的条件で出来ることをどれだけ実行するかでその国の器量は問われる。先の難民への支援だと、それは韓国が中心になって対処する以上、支援はある程度必要になるだろう。米国がこれだけ嫌な思いをしながら韓国に駐留している、その同じことを、経済の側面だけとしても出来るかどうか。
北朝鮮問題は、本質的には台湾問題などと比べると取るに足らない問題かもしれない。実は遠隔地の中東問題と比較しても、日本そのものへの影響が大きいとは限らない。だがしかし、時間の経過に伴い、現在の日本は政治的陥穽に陥る危険を明らかに増大させている。人道面でも、安全保障面でもだ。議会政治家はどれほど自覚的なのだろうか。全ての政策に先手を打ち続けねばならないプレッシャーが存在している。
2006年06月17日
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Excerpt: (順序や舌足らずな所を、多少書き換えました。内容自体に特に変化はありません) 民主党 長島昭久議員のブログが、北朝鮮人権法案言及で炎上している事について どの辺から書くかちょっと迷っているのだが、とり..
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Excerpt: 今までの主なエントリ 民主党 長島昭久議員のブログが、北朝鮮人権法案言及で炎上している事について アメリカ北朝鮮人権法案 抜粋 北朝鮮人権法案関連 脱北問題について、中国をめぐって(改題済み) (北朝..
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思い切った事まで書かれていますね。結局の所「覚悟が出来ているか」という事にはなりますが、それを言ったとて通じないだろうと、私は彼らに言う前に立ち止まってしまいます(結局ちらりとは書きましたが)。
民主党草案の「永住」「定住」に関しては、単に民主党に法案をまとめる力がなかったということのようです。私の書いた事は間違っていたといってもいいのですが、現実にはあまり機能する規定ではないと思います。
救援団体等は、脱北者問題を帰国事業問題とほぼイコールで見ており、そこから問題が生じているようですね。民主党は、その辺の問題が全く見切れていない。あの炎上は論外ですが、永住の言を入れるのは確かに筋違いでした。
あともうひとつ、自民党の意見の妥当性、民主党・在日問題のエントリを書かねばなりませんが、パソコンの前に座っても、なかなか書く事ができません。在日の方々の歴史の痛みに触れるところで、何も知らない私がその矛盾を批判せねばならないのは、荷が重過ぎるのです。左派サイドから誤解されて、堂々巡りの批判に遭う事も覚悟せねばなりませんし、未だ筆がとれません。
中国と韓国の反対で、実現しません。
コメント恐縮です。まさしく微妙な問題なのですが、私は6/10以降に示されているそれは正当な憤りではないかと思います。多少の瑕疵があったとしてもそれが全体の論旨の価値を下げるものではないと感じました。
私がこのエントリを書いたのは、世論の一部だけでなく議会のそれも相当甘い認識でいる人がかなり多いのではないかと思ったからです。実のところ、知識が無いこと自体は今後それほど問題ではなく、(それは付ければいいとも言える)倫理観とか思想とか、そんなものが重要でしょう。そして当該問題に関しての知識は、ひょっとすると付け過ぎると失敗するかもしれないという問題を抱えていますね。(この表現も物議を醸しそうですが)
既におっしゃっているので私がコメントするまでも無いのですが、大多数の人たちを満足させる解は無いだろうと思います。相当数の人がおかしな政策であると絶叫する中で安定的な政策遂行をせねばならないでしょう。ですが、いかにも途中でブレる懸念があります。
乱暴ですが、今回歴史の痛みを知る人が本当に正しい決定を出来るのでしょうか。そう問うと反発する人も多々いるのですが、でもこれは結構本質的な辛い問いになります。ブロガーであれば発言に二の足も踏むし、私もマクロに論じる時はともかく具体例が絡んでくると口を濁すでしょう。しかし政治家はそうはいきません。何もしなければメチャクチャな意見を言う訳の分からない政治勢力の思うがままです。毅然として、今を生きる人間として未来のために正しい道を取ると断言する政治家はどれほどいるのでしょうか。
私は日本人の多数派が持っている倫理観がそれほど悪いものとは思ってないですし、ちゃんと説明すれば厳しい現実を認識すると思います。結局は今より少しは向上した大衆の倫理観をベースにして、現実と何かの折り合いをつける方策を練らねばなりません。一つだけ言えるのは、問題の先送りは悲劇を拡大させるということでしょうか。6者協議に参加する全ての当事者がそうであるのも皮肉です。
>K様
短期的にはまさしくそうでしょう。
しかし、ツケはきっちり回ってくると思います。
世界の近現代史に例外はなかったように思います。
大戦争は本質的に小さな問題だったものが肥大して爆発した例が多いのではないでしょうか。
一箇所、誤解を呼ぶ記述がありましたので補足を。
>私の書いた事は間違っていたといってもいい
というのは、定住の記述に関してです。少し軽く書きすぎたと、そういう「間違い」でした。
確かに議会の認識はお粗末だと思います。誰も彼も部分的にしか認識していませんし、長島議員もはなし議員も、法案作成に関わっていてあの程度です。
>しかし政治家はそうはいきません。
>毅然として、今を生きる人間として未来のために正しい道を取ると断言する政治家はどれほどいるのでしょうか。
そうですね。易きに流れる政治家ばかりでしょう。それどころか何が問題点かすらわかっていない。どこで身を切って、どこで何を切っていかねばならないか、それだけの決断が出来る人があまり思い浮かびません。
>私は日本人の多数派が持っている倫理観がそれほど悪いものとは思ってないですし、ちゃんと説明すれば厳しい現実を認識すると思います。結局は今より少しは向上した大衆の倫理観をベースにして、現実と何かの折り合いをつける方策を練らねばなりません。
今回の私の記事もそれなりに注目されましたし、一部の人々を除いて、説明は割とすんなりと受け入れられるのではとも思います。
六ヶ国協議もほぼ茶番と化していますが、今回の法案を巡る状況を見る限りでも、先送りという言葉は、正直浮かびますね。
ブッシュ政権にとって、北朝鮮問題=核問題以外の何物でもないですよね。レフコウィッツが議会で聞かれることって「で、あんた、週に何時間、北朝鮮人権問題に時間裂いてんの?」ですしね。まあ、人権ロビーとかコリアンロビー対策が主なんじゃないんですか>アメリカの人権話。日本が拉致問題を人権問題の一環として対処しても、「解決」に結びつくとは思えないというのが、正直な感想です。他にいい手も思いつきませんが。
>「日本のためにやってやる事だ」という認識が大きなものとなるだろう
うーん。アメリカが日本のために北朝鮮を攻撃する?いや、それは無いんじゃないですか?テポドンがアラスカやカリフォルニアに落ちるかもしれないからやるんじゃないすかね、やるとしたら。こないだのペリーのWP論文みたいな正当化で。
別に北朝鮮に限らずこの種の人権問題は世界各国に要求しています。
核問題は、それはそれで別に重要ということでしょう。
ただ人権問題で直接武力行使するということは国際政治上では
基本的に無い話で、ユーゴのように「ヨーロッパの一部」だから、
というような理由が必要になります。
>うーん。アメリカが日本のために北朝鮮を攻撃する?
違います。
確かに米国が行動するときは自衛のためにするでしょう。
「なぜ米国より圧倒的に脅威に晒されていた日本が今まで何もせず、
我々が引っ張り出される段になるまで放置していた?」です。
北朝鮮の人権問題について、特に米国の認識が高まっているという実感がないのですよね、わたしには。確かに、国務省の人権報告書で拉致問題が言及され、北朝鮮人権法を制定し、人権特使を任命し、訪米した横田幸江さんとブッシュ大統領が面会はしました。しかし、それは米国内コリアンロビーや日本政府(というか間もなくいなくなる小泉首相)への義理立て以上のものなのか、という強い疑念をわたしはぬぐえません。
繰り返しになりますが、米国にとって北朝鮮問題は、まず核問題だろう、というのがわたしの認識です。「拉致問題の被害者は誠にお気の毒であり、北朝鮮は悪逆非道の無法国家である」と政権トップが発言したとしても、拉致問題や北朝鮮人権問題は、彼等にとっては喫緊の課題ではありません。核弾頭付大陸弾道弾が米本土に落ちるかもしれない。この懸念が最大の問題だと思います。釈迦に説法ですが、米国内での様々な言説や報道を眺めていても、核問題への言及の方が圧倒的に多いわけです。
>「なぜ米国より圧倒的に脅威に晒されていた日本が今まで何もせず、我々が引っ張り出される段になるまで放置していた?」
米国はクリントン政権時代に直接交渉で枠組み合意に達したのに、それを反故にされNPT撤退宣言をされ、あまつさえ原爆まで作られてしまったかもしれないわけで、だからこそブッシュ政権は直接対話はせず、6カ国協議の枠組みでしか話をしない、という公式スタンスを維持しているとわたしは理解しています。「日本が何もせず、我々が引っ張り出された」という批難は、さすがにできないでしょう。むろん、そういう無茶を言い出す可能性は、否定しませんが。
以上、再びお邪魔しました。
後段の議論に関しては少し気になることもあります。概して外交や安全保障は、長期的に変化の少ない戦略的な条件に関わることに関しては、歴史を長い目で見る必要があるでしょう。しかし政策は短期間で変わります。例えば今の中東などは、敵と味方の入れ替わりは月単位で変わりかねないこともあります。その時その時で手を打たねばならない課題が多いのです。その意味でイラン・イラク戦争時にフセインを支援したのがまずい、などという報道もありますが浮世離れもいいところでしょう。まぁ、米国でも実務家でなく学者肌の人はそう言ったりするのですが。これに関しては戦争終了後の措置がまずかったと主張すべきです。米国を批判するなら、そういう各地域の現状と比較して議論するべきと思います。事実日本や西欧のような政治的に安定した地域とは長い同盟が継続しています。
北朝鮮の場合について話すとすれば、曲者相手に様々な政策で試行錯誤するのは当然でしょう。米国も10年以上前の話をされても困るというところでしょうか。その試行錯誤を日本も共にやってきたと胸を張れるなら堂々反論しても良いと思いますが。もっとも、日本に対する期待値は幸か不幸か元々低めなのでごちゃごちゃ言ってこないとは思います。