2006年04月30日

石井菊次郎の対米外交が示唆すること

 小泉首相の訪米が6月に予定されている。その際、米議会での演説を検討してみてはどうかという米識者からの提言があると聞く。民主主義国として中国との違いもアピールできるし、吉田首相以来45年ぶりということで注目も集めるだろう、とのことだ。

 米国での議会演説は格式があり、誰でも容認されるというわけではない以上、こういう機会は積極的に生かすべきであろう。米国人の琴線に触れるスピーチが出来れば良いのだが。

 日本の政治家として、この種のスピーチで評判になった者は少ない。古い話になるが、過去第一次大戦時に石井菊次郎が行ったものがある。石井菊次郎は、第一次大戦への参戦に関してほぼイニシアティブを取った加藤高明と並んで、20世紀前半の日本外交を支えた人物である。陸奥や小村の時代に気迫を示した日本外交は、この時代に一層の成熟を示し一定の到達を示した感がある。しかし今日この両者はそれほど著名という印象は無い。歴史に日露戦争後の記述が少ない戦後教育の偏向によるものかもしれない。であれば、今後再評価されるのは間違いないと思うが。

 石井菊次郎の訪米は1917年である。内容はこのページに概略が示されている。石井はホワイトハウス訪問と議会演説の間にワシントンの墓に詣で、花を捧げている。そしてスピーチを行った。以下の部分は米国的な言い回しだ。ケネディの「ベルリン市民」に遠く通じるような精神のあり方ではないか?

Washington was an American, but America, great as she is, powerful as she is, certain as she is of her splendid destiny, can lay no exclusive claim to this immortal name. Washington is now a citizen of the world; today he belongs to all mankind. And so men come here from the ends of the earth to honor his memory and to reiterate their faith in the principles to which his great life was devoted.


 そして上院の演説だ。内容は上記の同じページの"Viscount Ishii arose and said:"以下の部分が該当する。戦時と言うことで建前となっている部分も確かに多いのであるが、非常に見事なものである。これに関しては別宮氏がサイトで解説ページを設けており、和訳もあるので参照すると良いだろう。当時のドイツが恒常的に無思慮な拡張主義者とみなされていた雰囲気が良く出ている。そして、この演説の後半部分を引用してみたい。和訳部分は直接氏のサイトを参照されたい。

Mr. President and gentlemen, whatever the critic half informed or the. hired slanderer may say against us, in forming your judgment of Japan we ask you only to use those splendid abilities that guide this great nation. The criminal plotter against our good neighborhood takes advantage of the fact that at this time of the world's crisis many things must of necessity remain untold and unrecorded in the daily newspapers; but we are satisfied that we are doing our best. In this tremendous work, as we move together, shoulder to shoulder, to a certain victory, America and Japan must have many things in which the one can help the other. We have much in common and much to do in concert. That is the reason I have been sent and that is the reason you have received me here today.


 繰り返すが、これは1917年のスピーチで、今からおよそ90年前のものだ。にもかかわらず、現在この内容がほぼそのまま通用することに驚く。悪意を持った誹謗に対応しなければならないし、自らの立場を説明しなければいけない。この前の部分のa scrap of paperの言い回しも共通の価値に該当する。法の支配の伝統、自由の価値といった共通の価値観を重視し、肩を揃えて一緒に働く。およそ国と国との友好に必要な条件はいつの時代も変わらないのかもしれない。

 そしてBecauseを語らないと国際社会では不安の目で見られるだけだ。米国は、戦争自体の参加は、特に大戦争になればなるほどいつも立ち上がりが遅いことは示唆的だ。また日本の拉致問題は今回の横田夫妻の訪米でようやく一定の理解を得た。EUの対中武器輸出問題は、ここ数ヶ月でやっと「日米の了解が必要である」とのコメントを引き出すことが出来た。日本人の時計は欧米より早いのが常だと思っておかなくてはいけない。またそういう説明も、ともに働くことでしか相手に届かないのかもしれない。

 日本は、NATOの域外活動との連携を強めると聞く。今度の訪米は当然それも念頭にあるだろう。小泉首相は、米国で何を語るのだろうか。脅威認識は共通であるとしても、何に関して、どのように一緒に働くと言うのだろうか。まさか3兆円出すと言うだけではないと思うが。('06.6.3追記)

 小泉首相は米議会での演説を拒否したというニュースが伝えられている。継続的にこの件について考えていればこうなる事を感づいたかもしれないが、しかし今となっては不明を恥じるばかりだ。自分がこのエントリで何を書いたかを思い返すべきだったろう。まさにそのことに関して、思いつきだけで有機的な思索になっていなかったのだ。コメントで促されたこともあるが、以下に補足したいと思う。

 中国の靖国参拝の件で云々されているのは私も耳にしている。しかしながら、小泉政権下ではより世界的な視野で外交が展開されている。東欧、中東、アフリカ、中南米とあらゆる地域への外交活動が活発化している。(もちろん常任理事国入りへの思惑もそれに影響しているのだが)そして米国は日本と中国のために存在しているのではなく、唯一の超大国として外交上重きをなしている国である。

 この米議会演説だが、当たり前の定義をもう一度繰り返したい。「米国の有力な同盟国の一つである日本が、米国人に対してのメッセージを伝えるため米国の権威ある議会で演説する」である。そこで参考になるのは、最有力の同盟国であるイギリス、わけても直近のものである2003/7/17のブレアの演説の内容であろう。この内容を見ると、日本の現状との距離感に気が遠くなる。米国内で小泉首相の演説が話題になるとすれば、このブレアの演説との比較が直接の反応だというのは容易に予想される。

 演説の内容は実に率直である。引用してコメントしてみたい。

 冒頭部分の互いの犠牲への言及はもちろん日本人には出来ない事である。それは当然としても、有志連合の中ではもっとも遅いタイミングで派兵を決定し、にもかかわらずなぜかイラク国内で一番安全な地域で活動しているという事実に米国で居心地の悪いことは間違いない。

 日本に通じる実利的な部分も言及している。

Today, none of us expect our soldiers to fight a war on our own territory. The immediate threat is not conflict between the world's most powerful nations.

And why? Because we all have too much to lose. Because technology, communication, trade and travel are bringing us ever closer together. Because in the last 50 years, countries like yours and mine have tripled their growth and standard of living.


 日本が距離に無関係に全世界で外交的関与をしなければならない理由も全く同じである。例えば日本にとって北朝鮮とイランの問題で異なる要素は拉致とミサイルの物理的な射程だけだろう。

And I believe any alliance must start with America and Europe. If Europe and America are together, the others will work with us. If we split, the rest will play around, play us off and nothing but mischief will be the result of it.


 欧州を日本に置き換え、the othersをアジア諸国に限定したとしても、日本が同じ事を言えるか。現実にそうなるとしても、日本の行動は伴うのだろうか。つまり、

We are part of Europe, and we want to be. But we also want to be part of changing Europe.


 日本はアジアに対してこれを言えるのかということだ。そして最後近くの米国の氏名に関して述べた部分は演出的ではあるが殺し文句か。それはともかくとしても、その後の

And our job, my nation that watched you grow, that you fought alongside and now fights alongside you, that takes enormous pride in our alliance and great affection in our common bond, our job is to be there with you.

You are not going to be alone. We will be with you in this fight for liberty.

We will be with you in this fight for liberty. And if our spirit is right and our courage firm, the world will be with us.


 こんな事は現状では言えないだろうな、と思う。英国と比較して限定的な内容を持つ同盟なら、それに従って訪米の内容も調整しておく必要があるのは当然の事なのだろう。
posted by カワセミ at 02:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 国内政治・日本外交
この記事へのコメント
昨日の日経にこんな記事がありました。
「首相、米議会での演説断る・米側の要請を拒否」
http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=AT3S3101X%2001062006&g=P3&d=20060601

 この問題に関しては、米下院外交委員会のハイド委員長が演説の条件に靖国参拝見送りを要求した為に小泉首相が演説を断ったと見る向きの人が多いのですが、果たして本当にそうなんでしょうか?。ハイド氏個人の見解と米政府の見解は別物なわけですから、上記の理由ではあまり説得力を感じないのです。他に理由があると思うのですが、カワセミさんはどう考えますか?。
Posted by ささらい at 2006年06月02日 23:46
これに関してはエントリ自体に追記をしておきます。

この件に関しては、議会演説がなされない事を高い確率で予想できなければいけなかったかもしれません。まさに自分がここに書いた文脈を基盤としてですが。それでも機会を逸したという残念な思いはあります。しかし日本の現状では止むを得ないかもしれません。
Posted by カワセミ at 2006年06月03日 14:14
 首相自身が「まだ機は熟していない」と判断したのかもしれませんね。確かに英国と比べられるとちょっと辛いですね。集団的自衛権の問題、憲法改正の問題、解決にはまだまだ時間がかかりそうです。ただ日米英の3カ国関係はこれからの時代凄く重要な関係になるのでしょうね。
Posted by ささらい at 2006年06月04日 00:30
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