今回は、2月号に掲載された鳥居民氏の「日米開戦にいたる海軍の不作為」を推薦しておきたい。具体的な内容は同誌を読んでいただく事になるが、簡単に内容の一部を紹介しつつ思うところを述べてみたい。
まず、日米戦に至る決定的な要素が南部仏印進駐であったことは、以前の関連するエントリでも書いたが、広く知られている事実だ。そこに至るまで、もちろん北部仏印進駐からの問題ではあるが、陸海軍や政治家がどういう論理で動いてきたかが適切にまとめられている。具体的に言うと以下のような事情を述べている。
・ドイツから対ソ戦の打診があり、これは資源や工業力を陸軍に
全て提供する形になるから海軍にとっては悪夢である
・そのために南方に陸軍の目を向けさせる必要があり、その方向に陸軍を誘導した。
・結果、石油の禁輸となっても対ソ戦よりはマシであると軍令部総長の永野などは
考えた。
・天皇への輔弼責任は逃避、あるいは先送りされていた。
・陸軍は満州に兵を集めたが、ノモンハン以来対ソ戦に自信を無くしていた。
また得る所の無かったシベリア出兵も念頭にあった。そのため世論を前に
華やかな勝利を得られそうな南方作戦には魅力を感じた。
その後の結果は歴史の示すところである。また筆者は当時の首脳、木戸や近衛、永野などの思惑に関して様々な推察をしており、そのすべてが間違いないとは言い切れないが、基本的な責任の押し付け合いや回避といった構図は正しいと思う。そして言うまでもないが、ドイツが単独でソ連に勝利する可能性も、黙っていてもシベリアが取れる可能性も充分残っていた。そして筆者はこのように書く。良心の現れだろう。
繰り言になるが、昭和のはじめに、元老がしなければいけなかったことは、内大臣は「常侍輔弼」の責任を持ち、軍事問題すべてにわたっても「輔弼」の責を持つと内大臣官制にはっきり加えることだったのである。
リーダーシップの欠如が悲劇を生んだのだが、内部的な問題だけではなく、外部から見て実行力のある交渉相手がいないと認識されるのがその源泉だったかもしれない。そしてこの戦争の発生は、一般に思われているよりも短い時間と少ない人間に非が集中している。これは世界の大概の近代戦争でもそうだと思って構わない。
戦後、日本の左派は戦前の日本の侵略性向を過剰に強調し、特に陸軍悪玉論を中心に喧伝した。右派は米国が日本を敵視し、陥れたとする陰謀論に走った。いずれも自己が信じたくなるような歴史の解釈を恣意的に作ったと批判されても仕方がないだろう。ソ連がノモンハン事件まで北樺太の石油開発権に関して日本と契約をしていた事実もあまり知られていない。(参照)当時の日本がまずは合法利権の確保から始めるべきだったのはいうまでもない。そして上記のようなごく普通の率直な議論すら、マスコミはもちろん論壇にすらあまり登場しなかった。言論の成熟には、かくも時間がかかるのか。自国ですらそうとなると、日本の北東アジア外交は、正確な主張をしつつ半世紀以上の時間を冷静に管理するプレッシャーと同居する覚悟を決めておく必要があるだろう。