この問題、米国に関して様々な事を考えさせられた。2004年の大統領選挙、アブグレイブ刑務所での虐待が判明したとき、私は直感的に「ブッシュが落ちるとしたらこれが原因だろう」と思った。それ以外の問題は戦争というものにまつわる厳しさと直結しているからだ。しかしこの件は米国での政治文化では非常に嫌われる。にもかかわらず、このときのブッシュ大統領の支持率の落ち込みは数パーセント程度だったのを良く記憶している。9.11以前のアメリカなら15??20%くらいの急激な低下を見せていただろう。そしてそれ以上に驚いたのは、ラムズフェルドの首が飛ばなかったことである。この時期、保守の良識を持って知られるThe Economistも解任支持をしていたことを記憶している人は多いだろう。それが彼らの伝統的なやり方であったからだ。しかしながら実際の経緯はかくのごとしだ。米国の世論は、イスラム地域に対して本当に悪くなっているのだなということを痛感する事でもあった。
この件、現場の兵士に責任を負わせるトカゲのしっぽ切り的な批判が多い。それ自体的外れというわけではないがやや正確さに欠ける。アブグレイブの件、あのような状況におけば少なからぬ兵士は必ずあのような行動に出るものだ。米国のみならず、世界中の軍隊でほぼ必ずそうなる。そして米軍は社会科学的なノウハウを多く持っており、そのこと自体は良く分かっている。つまり、軍内部の規律をしっかり管理した場合のみ、このような事件を抑止可能になるということだ。そしてこの件、管理を緩めたから発生したというより、古典的な水準の管理では足りないほどの反感が現場に存在していた、と解釈するべきだろう。そのため抑止し切れず発生したと考えるべきだろう。それ故兵士の罪を問うことそれ自体は不適切ではない。ただ、管理能力強化の方向性は打ち出されたようではあるが、やはり高官の責任は何がしか必要であっただろう。
微妙なのは、拷問によって得た供述からテロを防ぎ、自国民や兵士の生命を救った実績が一応はあることである。海外に大きく報道されるのはテロが起きた場合で防いだ場合は大半無視される。確かに現実の、自国の問題として戦っていれば甘い対応は出来ない。しかし総合的に見れば、やはり自制的であるべきなのは言うまでも無い。
そして少なくとも間接的には、欧州の生命を救ったというのは間違ってはいない。先のリンクから一部引用する。
-- The United States is a country of laws. My colleagues and I have sworn to support and
defend the Constitution of the United States. We believe in the rule of law.
-- The United States Government must protect its citizens. We and our friends around the world have the responsibility to work together in finding practical ways to defend ourselves against ruthless enemies. And these terrorists are some of the most ruthless enemies we face.
-- We cannot discuss information that would compromise the success of intelligence, law enforcement, and military operations. We expect that other nations share this view.
Some governments choose to cooperate with the United States in intelligence, law enforcement, or military matters. That cooperation is a two-way street. We share intelligence that has helped protect European countries from attack, helping save European lives.
当たり前の事を語っているのだが、しかし、これを人事と感じて聞き流すのと、自国が本気で参加する前提で対応を考える場合を比較して、これほど受け取り方の違う内容も少ないかもしれない。
日本人が同じようなプレッシャーに置かれたらどうなるのだろうか。私見では、現在のイスラエルにかなり近い行動を取るのではないかと思う。そう、気楽な第三者から見れば無慈悲に見える潔癖さで自分達の身を守るのだろう。そしてその潔癖さにもかかわらず、法の精神を遵守するというより現場における柔軟な対応が優先し、それが他国の誤解を招くのだろう。そのリスクは常にあった。そういう意味で、確かにここ半世紀日本は幸運であったのだ。そしてある程度はこれからも維持されるだろう。今まで以上のコストを伴いつつ。
主権に関して言えば、対テロ戦争の法的根拠性(国際法の不在と言ってもいいかもしれない)の国際社会での未成熟さがある.アメリカの(自らの考える)法の支配を対外的にも拡大する傾向は以前からあり、それが結果的に他国の主権の主張とぶつかることはあった.問題は、対テロということではアメリカもおいそれとは引けぬことだろう.引用されているライス発言も行外を読めば「アメリカは法の支配と憲法(つまり米国民の保護最優先)を守るとは、拷問等の非人道行為は認めぬもののインテリジェンス対策としての捕虜施設は止めぬとの意思とも読める.
ただ、このことは多くのイスラム移民を抱えるEUとしても引き下がれない面があるだろう.だから主権という従来の国際法の核心要件を持ち出したのかとも思う.
私としては、従来の法体系では対テロは解けないのではと感ずるが、今のところ正解はこれだという考えは全く無い.ただ、ライスもブッシュも拷問は否定する立場は崩していない.だが、例えばイスラエルでは、真に緊急を要する場合、例えばテロリストが盛り場に爆弾を仕掛けたのがはっきりしている場合、そのテロリストを拷問して爆弾による市民の犠牲を防ぐことは法的に認められていると聞く.
正常な市民生活をテロで破壊する行為を防ぐためには非人道的行為は許されるかという問いは、勿論簡単に答を出すべきものではないが、このイスラエルの立法は、度重なるテロから出た必要であると同じに、過去の「収容所」からの教訓であったと言えるのかもしれない.
日本が中国でやったのは、馬賊・匪賊や便衣兵討伐なので、アメリカよりむしろイスラエルに近いのではないかという気がします。
>カワセミ氏
日下公人の「日本軍の教訓」には、米英は戦争捕虜を奴隷だと思ってる、という記述がありました。
そういえば会田雄次の「アーロン収容所」でも日本兵を家畜扱いしてましたね。
日下公人の「日本軍の教訓」では、米英は日本軍の建制を崩して捕虜を扱ったので、建制をそのまま残したソ連と違い、日本人捕虜を纏め切れなくて手こずったという話が。
最近のアングロサクソンはあまり歴史に学ばないようです。
>■□ Neon / himorogi □■様
確かにイスラエルに近いでしょう。これに関しては個人的に色々思うところもありますが、それはまた機会を見て。
>M.N.生様
国内のイスラム教徒の問題もありますが、政治的には主権の問題と考えてよいと思います。国家主権を尊重する欧州と、時にそれ以上の普遍的価値ありとする米国の摩擦は昔からある話で、いつもの事かと割り切ってもいいかもしれません。ただ米国としては、人事のように言う欧州の態度が気に入らないというところでしょうか。またおっしゃる通り、施設の運用自体は譲らないでしょう。
法体系の未整備は米国内でも議論があります。ただこれは法体系との関連で、大陸法的な緻密な立法より英米法の後付けが柔軟な枠組みが似合う事からも揉めるのではないでしょうか。各国の国内法とのマッチングは明らかに英米が楽となるはずです。またそこでドイツあたりで変な陰謀論が流行しないか心配です。平和的な経済問題でさえあれほどの大混乱がある課題ですので・・・・
>■□ Neon / himorogi □■様
アーロン収容所は若い頃に読みました。確かに印象深い本でした。しかし今振り返ると、英国内のやや歪んだ階級社会の延長上の反応という気もします。結局、戦争のような生々しい事象では、各国の国内的な風俗とでもいうべき要素が色濃く出るのかもしれませんね。もっとも英国の場合、本国より関係する国、例えば豪州とか植民地出身者に問題が多かったようにも思いますが。恐らく南アもそうでしょうか。