第九条の第一項をそのまま残したのは無難な選択だ。多くの民主主義国とさして変わるわけでもない。防衛のみを謳う建前はいずこも同じであるからだ。また自国単独での話となればそれで構わない。予防戦争などの積極的行動の場合は、いずれにせよ集団安全保障の問題の議論となり、一国の憲法が扱う範囲を超えるからだ。
米国の視線はとなると、遠慮も何も無くこんな事を言うワシントンポストの言い分(参照)は本音に近いのだろう。真っ先に連想するのが台湾問題というのは現実とも合っている。
The most likely beneficiary would be Japan's closest ally, the United States, which has urged Japan to adopt such measures. Changes in Japan's constitutional status would have major significance in the region, particularly in the event of a conflict between China and the United States over Taiwan.
またカナダ・オーストラリアなど、周辺国の見解はなかなか興味深い。いずれも一貫して日本との関係強化を求めている。あまり報じられていないがカナダはゴラン高原やインド洋などで日本と行動を共にしている。オーストラリアは終始積極的なアプローチだ。これは当然で、この付近の国はいずれも対米関係で苦労している。EUなどがある欧州と違って米国と単独で交渉する局面が多いからだ。日本は米国に対して多くの要求を通していると見られており(その代わり資金面での負担は大きいが)共同して自国の交渉を有利にしようという事もある。東南アジア関連で米国が少し引き気味であるというのも苦労するところだ。
外交は形を変えた戦争という表現があるが、古典的にはそうでも近代、特に20世紀以降は必ずしもそうではなく、信頼を構築するのを基本とする。というのは、社会や産業が複雑化し利害関係が錯綜している現状では、ある程度他国が自国に対して好意的でないと外交の効率が悪すぎるからだ。特に日本のように他国の語学に堪能な人間が少なくリソースが限られている場合は全方位外交となるのは自然でもある。
ところが安全保障となればそうではなく、これは不信を基盤とし、それへの対処を最小コストで行う事が目標となる。例えばオーストラリアと日本に対するこの文章、率直ではないだろうか。そう、我々はアジアに警戒心を抱いているし、時に不信感を持たれている。自国としては文明的に、許される余裕の範囲で精一杯やっているつもりでもだ。だがそれを破局に至らないように管理するのが安全保障である。集団的自衛はそのコストを下げるための方法ということだ。そして日本の安全保障に関する能力で他国に協力できる長所の部分は何だろうか?それは直接的には経済力を源泉とした優秀な軍備ではあるが、より政治的には、ある戦略の元での行動で、最大限の効率を洗練された方法で達成するという点ではないだろうか。例えば今サマワで地元の人間をうまく抱きこんで相対的安定を得ているが、この手の地道で丁寧な調整だろう。一方戦略立案とその徹底は米国が優れているので、共に行動すると米国の戦略の手伝いをしているだけに見られかねない。この付近は将来の課題なのだが、多くの利害を共有していること自体は事実なので、それを説得力ある形で国内に示すためにも他国を加えた集団的自衛は有効だろう。
いずれにせよ憲法は原則を書くだけでよく、具体的な方策は別の法案で構わない。そして原則はケロッグ・ブリアン条約の時点と現在でも大差なく、それに対応する方策が日々変わってきているというだけではないだろうか。議論すべきは九条ではなく、その理念を達成する方法だ。全てを憲法という枠に閉じ込めたがる日本の性向自体が問題なのだろう。