2005年05月16日

安全保障に関する考え方、そして北朝鮮問題

 北朝鮮問題が紛糾している。6ヶ国協議はおろか、付託を検討している安保理さえ機能するかどうか分からない情勢である。つくづく安全保障問題は意識の共有が無いと解決が難しいと思う。
 この北朝鮮問題、本質的には戦争に至らない要因が揃っている。イラクと比較してなぜ北朝鮮に武力行使がないのかという疑問があるが、これはライス国務長官が補佐官の頃に答えた次の内容のコメントが極めて本質を突いている。「北朝鮮に関しては、半世紀に渡って抑止が成立してきた。しかし中東地域はそうではない」
 以前のエントリでも関連することを書いたが、抑止が成立し、現実に周辺諸国に害を及ぼす可能性が無いか程度が低いものであれば、戦争という手法は取るべきではないし、事実として好戦的と見られることのある米国を含めて民主主義国はそのような外交を行っている。戦争に至る場合は、将来の危険性を高く判断した予防戦争という事になる。いわゆる米国の先制攻撃ドクトリンはこの予防戦争に留まらずそれ以上に踏み越えるとの懸念から批判されているのだが、それはここでは置く。いずれにせよ、高い可能性で抑止が成立する場合は武力行使は基本的に選択されないし、事実として朝鮮半島に成立した国家は対外的に膨張するような行動を歴史的にあまり見せていないということもある。
 しかし核兵器という問題は厄介で、今のところ北朝鮮を関係国が無視する行動を取っているのは、これを認めると周辺国の外交はそれを前提にした外交をせねばならず、そのこと自体がstatus quoへの深刻な影響を招くからに他ならない。その意味で、ブッシュ大統領自ら発言した「先制攻撃は考えていない、外交で解決する」という内容はそのままの意味で取るべきなのである。そもそも今まで攻撃していない事自体がこの言葉を保証しているとすら言える。そしてその基本的な考え方を変更するには、変更せざるを得ないと誰もが考えるイベントが必要になるのだ。それが北朝鮮の核実験であろう。こういう論理は、民主主義国なら良く熟知している。しかし当の北朝鮮が、恐らくそうではないのだ。

 戦争というものに対するイメージは国により色々である。今日の主な民主主義国は二度の世界大戦を想起するだろう。しかし多くの途上国は必ずしもそうでなかったりする。時に日常に密接に関連していることもある。かつてパキスタンの核武装が問題視されたとき、日本の反核団体が訪問したことがあった。広島・長崎の悲惨な写真を見せて、こんなひどい事になるから核兵器を持つのを止めろ、と。彼らはそれを使った米国に行った時でさえ、「このような悲惨な兵器は二度と使用されてはならない」というような反応は返って来た事を頭に置いていただろう。多くの民主主義国でもそうだ。だが、回答は次のようなものであった。「これは素晴らしい威力だ。これをぜひ憎い奴らの上に落としてやりたい」
 また、大国と見られつつある中国と国境問題に関して話し合った時のこと。中国はどこが中国の領土・領海だと考えているか、と問う。しかしはっきりした答えをなかなか返さない。業を煮やして問い詰めた日本人に、「領土や領海はその時の力関係で変わりうるものだ。どこがどうこうとはっきり言える話ではない」と答えたと聞く。

 そう、「安全保障に対する考え方が違う」とは、こういう事だ。

 TVニュースや新聞で一行で書かれる事の実態は、こういう埋め難い溝なのだ。

 だから私は北朝鮮問題の先行きを悲観的に見ている。安全保障に対する考え方が違うからだ。限定空爆など、「最もうまくいった場合」の結果であろう。この予想だけは外れる事を願う。
posted by カワセミ at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 北東・東南アジア
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