2005年05月01日

オーストラリアの安全保障と日本

 4/25はアンザック・デーである。オーストラリアに取って特別な意味を持つ日だ。今年はイラクのサマワへの派兵に対する答礼という意味もあり、日本からも陸上自衛隊から参加していると聞く。ただこの日を重視する感覚はいささか日本人には分かり辛いかもしれない。
 周知のようにオーストラリアはイギリス女王を君主とする。イギリス連邦の絆はこれもなかなか日本人には理解し辛いが、わけてもオーストラリアとイギリスの連帯感は今でも格別なようだ。これは独立の経緯がアメリカのそれと違って平和的であったことにもよるだろう。当初オーストラリアは自治領として独立性を強めてきた。これはカナダが自治領になったことに刺激を受けたものでもある。そしてオーストラリア連邦の成立は1901年1月1日だが、この過程は劇的な歴史を辿ったアメリカやフランスに比べ随分穏やかだ。それ故国民意識としても、独立といってもイギリスの一地方的な日常感覚は継続していただろう。断層のような独立意識は少なく、グラデーションのようにゆっくり変わって来たとでもいえるだろうか。
 国民国家の単位は、絶対的な信頼の置ける安全保障の単位でもある。それ故軍事的な行動はしばしば国家意識を高揚させる。オーストラリアにとっては第一次世界大戦のそれが該当する。この戦争にオーストラリアは33万人の兵士を送っている。そして6万人が戦死した。当時の人口が一千万に満たない国がである。犠牲者の数は第二次世界大戦やベトナム戦争を含め、それ以降の全ての軍事行動における合計を上回る。これが社会に与えるインパクトは尋常ではない。この衝撃が国家意識を呼び起こし、言うなればオーストラリアという国家が世界に対して単独で相対しているという感覚が芽生えたのだろう。
 この時、日本は日英同盟の関係から、欧州への派兵を求められていた。結局それは実現しなかったわけだが、この経緯は今日しばしば言われるように日本ばかりが利己的でうまくいかなかったわけではない。少なくともアンザック部隊の海上護衛といったことはやっている。また今日すっかり忘れられている向きがあるが、当時の日露協商の関係からロシアに山のように銃を供給している。ちなみに第一次世界大戦に関しては、この別宮氏のサイト(参照)が素晴らしく充実している。氏の考え方に完全に賛同するものではないが、自由主義的な考えの多くに参考になるものがある。
 結局この時、オーストラリアはいわば日本の代行者として行動したのではないか。戦後の南洋諸島に関するやや非常識とも言える主張は、その意味で心情として分からなくはない。もちろんウィルソンが批判した露骨な人種差別的言動は非難されるべきではあるが。そしてベトナム戦争の時にもオーストラリアはアメリカの要請に応えて派兵した。この時の国内論調に「日本がいい子でいるためになぜ我々が犠牲にならなければいけないのか」というのがあった。そして今回はサマワへの派兵である。
 地理的には日本から中東に至るルートの途上にオーストラリアはある。東南アジアで何かが起こってもオーストラリアの方が地理的に近い。ニュージーランドと日本は少なからずオーストラリアを盾にしてきた面がある。前者は意識的だが、後者は半ば無意識的に。そしてその事に外交上配慮してきた日本人はどれほどいるのだろうか。また集団的自衛権とは、沢山の国を相手にそういう一つ一つの微妙な感情に配慮して進めるものである。その難易度を考えると、日本の外交の順序としてはアメリカとの二国間での同盟をそこそここなせるようになってから多国間の同盟を行う、という手順でしかあり得ないようにも思われる。
posted by カワセミ at 15:44| Comment(0) | TrackBack(1) | オセアニア・太平洋
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