2005年03月27日

ジョージ・F・ケナン追悼

 しばらく前のニュースになるが、やはり一言述べておきたいと思う。知っている人にとっては私が一々説明する必要も無いし、そうでない人は著作を読めばそのまま価値が伝わってくる。手頃な文庫で出ているので多少なりとも現代の国際政治に興味のある人は目にしておいて欲しい。
 氏の業績はリアリズムを旨とする外交にあった。しかし今日我々が、特に日本人として参考にすべきは、その率直さと現実に妥協しない精神力であろう。それは米国外交の最良の部分を構成してもいる。ここでは有名な「X論文」を例に取るが、展開される議論は一つ一つの要素を見ると(もちろん、当然のごとく挙げている各要素に関して該博な知識がそれを支えている)それ自体は当然の事実であり、導き出される結論も順当なものである。
 しかしながら、当時の情勢を考えるに(私は皮膚感覚で知っている世代ではないが)19世紀的な欧州貴族外交の文脈で対話と妥協を繰り返し、現実を進めようとする勢力は実に強かったと思われる。「封じ込め」という外交方針、今日の我々は確かにそれが恐らく最良であったと理解できる。しかし当時の日本はもちろん、現在の日本でもそれを貫徹出来るほどの政治的決意が醸成されるとは思い難い。また他国でも、少し時代が下がった、まだしも相当マシなフランスですら「deadよりred」という見解が強かった。仏共産党はソ連共産党の妹と言われていたが、露仏同盟の再現みたいな錯覚でもしていたのかと思うとそれもあの国のある種の限界であろうかと思う。
 そして、今日の基準で、もう一度この中の一節を引用して考えてみたい。「世界が自分の敵であるという命題について自分の正しさを証明してみせることは、確かに誰でもが持っている特権である。なぜなら彼が何回となしにそれを繰り返し、これを自分の行動の背景とするならば、結局は世界を敵に回してしまい、彼が正しいことになるからである」そう、日本の近くにもあるように思われるし、世界にはそういう見解に至る国や組織が多数ある。まさにそういう根幹問題こそが対処しなければならない問題の本体であって、個別の交渉事の成否ではないのだろう。本質を決して見失わない外交を続けるのは困難だが、曲がりなりにもそれを継続してきたのが米国であるから唯一の超大国として残ったのではないか。そして後進の者はケナンを凌駕していったようにも思う。昨今の米国だとライス国務長官あたりにその伝統を見る。その意味で役目を果たし終えたという感が強い。
 外交は、短期的には様々な障害がある。そして政治的に重たい決定は官僚には出来ず、常に政治家の仕事だ。これは日本だけの話でなく当たり前のように世界共通の事ではある。官僚はあくまで行政の専門家であり、政治の専門家ではないからだ。そして長期で貫徹可能かというのは結局国民全体の資質による。21世紀初頭の本質とは何か、昔以上に見極めるのが困難そうではある。
posted by カワセミ at 18:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 世界情勢一般
この記事へのコメント
雪斎どのからたどってきました。カワセミさん、最近、「2ちゃん」で見かけないと思ったら、こんなのを作ったのですね。まあ、良心的な書き手は皆さん、ブログを作る世の中になったということだと思います。末永くご発展を。
Posted by かんべえ at 2005年03月28日 09:52
コメント有難うございます。マイペースで進めるつもりなのでどこまで発展できるか分かりませんが、少なくとも誠実な文章としてアップしていきたいと思っています。それにしても、多分岡崎スレとか読んでいたということですね。大変恐縮です。
Posted by カワセミ at 2005年03月28日 19:59
カワセミ殿
トラック・バックをありがとうございました。
貴ブログの発展をお祈りします。
今後とも、よしなに。
Posted by 雪斎 at 2005年03月28日 23:31
コメント、有難うございます。貴ブログ、しばしば拝見しております。ケナンに関する文章、何となく腑に落ちるものがありました。
Posted by カワセミ at 2005年03月28日 23:39
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