2010年12月27日

民主党政権と昨今の国内情勢

 何とか生活は出来ている。定期的な更新に復帰できれば、とは思っているのだが。

 書きたいことは色々あるのだが、昨今の民主党政権と国内情勢に関して、少しばかり所見を述べてみたい。今の日本が問題山積であることは間違いなくはあるが。もっともEUも散々な情勢ではある。ユーロ安でのドイツの風景とか、あれは何だろう。そりゃ庶民には輸出企業の恩恵の実感は薄いだろうが。

民主党政権:
 鳩山内閣はもちろん。管内閣になっても評判は散々なようだ。しかし私としては、世間の反応がむしろ妙に思える。事前の期待があまりに高すぎたようにしか見えないのだ。悪くすると日米安保が飛ぶ確率も2割くらいあるかなと思っていたのでこの程度の被害なら自民政権と大差ないので止む無しかと思っている。いや、皮肉ではなくて。結局、これは思想より実益を重視するという日本の伝統的な政治の風景を民主党もまた反映した結果なのだろうと思う。
 さて、現実の政権の出来という意味では、例えば小泉内閣と比較すると全く稚拙なのであろう。しかし小泉内閣は結果として業績は道半ばであった。最終的な歴史の評価としては、国民に改革を期待させながらそれを貫徹せず、貴重な時間を浪費したという定義で決着するように思えてならない。もちろん、これには色々と理由もあるのだろう。国民の容認度をチェックしながら進めた結果、急進的な改革は無理だと判断した節がある。竹中−中川秀直ラインの政策あたりはそのように見えた。しかしある程度の支持を有していた時期には多少無理をしてもチャレンジするのは支持率の高い政権の使命ではなかったのか、とも思う。例えば少子化問題などはどうか。確かにこういう究極のパーソナルな権利に関しては関与そのものを好まない性格の政権ではあったろう。しかし当時の団塊ジュニアの年齢を考えれば、英仏あたりの政策のバリエーションは必要だったと思える。雇用に関してはいうまでもない。硬直的な慣行には手を付けられなかった。防衛政策も集団的自衛権の問題は放置していた。つまりは勇気が不足していたのだろう。トニー・ブレアのように国民のために泥をかぶるというようなものが。結局国民の名における失敗を得ることは出来なかった。せめてそれが必要だったと思うが。
 一方民主党政権であるが、防衛政策などの一部で、かなり右派的な政策が通っている。これは政治家の力量というより、左派政権では右派的な政策を実行しやすく、右派政権では左派的な政策を実行しやすいという単純な力学の結果だと考えるべきであろう。恐らくこのブログを読んでいる人は、今まで政治が成熟した他の民主国家のようにならないことに疲れ切った知識人が大半だと思う。しかし冷厳な事実としては、政権が交代し、その執政の事実を評価するという、まさに現実を目の前にするというプロセスを踏まない限り、有権者の多数派に適切なコンセンサスは発生しないものなのだろう。民主主義はようやく再始動したばかりであり、後数回の衆院選を経ないと政党が政策で切磋琢磨する状況にはならないであろう。いずれにせよ、当面はこの惨状である。20年前にこの手順が踏めていれば、とは思うが。もちろん途中過程は混乱だらけである。ただ内容を仔細に見ると、民主党は政策は洗練されておらず大雑把だがやや速度重視という面もありそうだ。自民党だとまるで進まなかった面もある。となれば、民主党が強引に法案を準備して通し、政権交代した自民党が手直ししてまともなものにする、というパターンを前向きな構造として望めるかもしれない。もちろん現状では単なる希望の域を出ない。

経済政策:
 民主党政権下においては、(無理筋だとしても)単純に増税して福祉強化という流れかとも思っていた。しかし実際は必ずしもそうではない。競争力も重視しているという点では欧州の非マルクス的な中道左派に近い。妥協の産物ではあるが旧民社党あたりの位置にも近く本来のポジションかもしれない。しかし、国債発行に歯止めはかからないようだ。増税して福祉カットというのは無理そうなので、政策的にコントロールできないであろう長期金利の上昇を待つ形になるのだろう。これがまるで先が読めない。高齢化社会の現状、ずるずると歳出が拡大する見通ししかない。

格差問題、ベーシック・インカムの議論:
 この件は数字の積み上げが大事なので、ここでは全般的なトレンドだけ述べてみたい。それは給付、もしくは国からの手当や補助に関してである。項目を単純に列挙してみる。

・基礎年金
・医療費
・生活保護
・失業手当
・児童手当
・出産奨励
・その他、人権意識の進展による国からの補助

 いわゆる先進国に分類される国では、高齢化と低スキル労働者の失業率増大により、このように市場での解決が難しい給付的費用が増大している。そして個人間の経済的な価値の格差も増大傾向にある。昨今の格差問題の議論は混乱しているが、私は単純化すると次のようなものだと思っている。すなわち、グローバル化とIT革命により、知識人階級を中心として生産性の極端な向上が達成された。そのため、個人間の経済的な価値は格差が増大した。これがそのまま各個人の収入や社会的価値に反映されるのであれば、まだしも不満を抱く人も納得はしやすいのであろう。しかし社会は資本主義のルールで動いており、企業という組織単位で優劣勝敗は決定される。ここでの企業は中小企業や個人事業主も含めた広義のものである。もちろん圧倒的な競争力を持った個人事業主が良いのは間違いがないが、リスクもあるしそこそこ優秀というくらいではなれそうもない。そして競争は激しく企業の倒産も多い時代であるから、大企業に就職したり公務員になるインセンティブが一貫して増大している。日本のように一度属した組織から強制的に脱退させられることの少ない国ではなおさらである。世代間格差や新卒就職の問題など、本質はは全てここに帰着する。この問題は通常では永続性が高いと考えられるので、長期的には解雇規制の緩和などで流動性を高めることでしか解決出来ない。そのためある種の給付などセーフティネットは必須となる。
 上記の事情により、国からの給付的な費用はとにかく増大し続けるというのが近未来の見込みである。政治レベルではこれを単純化して効率的なものにしたいという事に継続的なインセンティブが発生する。そのためベーシック・インカムかもしくはそれに近い単純な基礎的給付制度の導入に日本(と多分欧州)は追い込まれていくのではないか、というのが私の考えである。ただしEUの一国が導入するのは現状かなり不可能に近い。
 実際の導入に関しては細部に魂が宿る的な様相を呈し、感情的な反発を抑え込むことに労力の大半が割かれるのだろう。一例として、給付打ち切りを回避するために就労しないということは無くなる、などという事例を強調するなどといったところか。ただ現在から80年代あたりの過去を振り返ると低スキルの継続的な労働者にベーシック・インカムがかかっていたと考えることもできる。そういう「旧き佳き過去」を想起させることも念頭に置いて、継続的な就労にはベーシック・インカムの金額を増大させるとかいう手段も執られるかもしれない。ただ今の民主党政権では、こういう現実に適用する段階で手を抜いて頓挫する傾向がある。
posted by カワセミ at 17:06| Comment(4) | TrackBack(1) | 国内政治・日本外交