2011年06月01日

どういう政治家に憧れ、倣おうとするのか

 雪斎殿がエントリーを更新し、菅直人首相にに対して「彼は政治家として誰に憧れ、誰に倣おうとしたのか。」と問いかける興味深い論を記されている。「中興の祖」を高く評価するというこの論は、氏の過去のエントリにもそのような考え方が滲み出ており、頷けるものがある。現役の政治家ならともかく、自分が考えても仕方が無いのだけれども、誰かの文章に刺激を受けて何かを記すというのが本来のBlogのあり方でもあろう。せっかくの機会であるから自分ならこう考えるというのを記してみたい。この文章を読んでいる読者諸氏も、多くの政治家を思い浮かべ、誰を評価するか、誰に共感するかというのを考えてみてはどうだろうか。

 まず、基本的な考え方であるが、私はこの問いに対して、戦国時代やら、もちろんそれ以前の昔の日本の人物の名を上げる人をあまり高く評価しない。政治は人の考え方の営みであり、現代と社会状況も人の考え方もまるで違う、より正確に言えばどのように違うかも把握することが難しい過去を挙げるのは適切で無いと思うのだ。もちろんその意義がこの種の問いが上がる全ての局面でゼロというわけではない。しかしより適切な回答を回避しているように思える。まして現役の政治家でそう言うとしたら、それは夢想的な無責任者の傾向があるとは言えないだろうか。
 
 それ故、明治以降の政治家か、海外であれば17〜18世紀あたりから後の欧州諸国の政治家、地域によっては19〜20世紀以降の政治家を挙げるのが良いと思う。さらに自分の偏った考えを付け加えさせて貰えば、本来は現代に生きて活動している、今の日本であれば衆参両院の議員から選択するのが本来のこの問いへの誠実な回答では無いか、と考える。
 
 勿論、棺を覆いて初めて評価定まる、は政治家のどうしようもない宿命であり、永遠の真実であろう。しかし政治が生きている人間の営みである以上、本来は現在活動している人物を挙げるべきという考えを維持しておくのは一つの在り方では無いかと思うのだ。

 それでも日本国内の人物となると、実際に挙げるのはそう言った自分自身でも困難である。もちろん、それは今時点での自分自身の無知から来るものではあるが。強いて挙げれば、近年では高い評価を受けた小泉元首相を挙げるという考えもある。ただ、確かに在任中の各種政策の切り回しには多く共感する所もあったのだが、歴史的評価は怪しいかもしれない。「改革の可能性を示しながらそれを最後まで貫徹すること無く、少子化で経済の活力が縮小する日本の貴重な時間を浪費した」となるかもしれぬ。

 そのようなわけで、私が挙げるのは英国元首相のトニー・ブレア氏である。何が何でも国内から挙げるという考えの人もいるが、私はそのように思わない。少なからず同時代を生きた人物は同種の困難に立ち向かい、成功と失敗の一部を共有していると思うからだ。そのような意味でもブレア氏はふさわしい。

 近年の日本では、意欲を持って何らかの政策を推し進める政治家は、内容が大筋妥当なものであっても、それが一定程度必然的に持つ負の側面によって損害を被る人々の反対の声に過剰に萎縮し、推進仕切れないことが多いと考える。結果、不作為が続き、当面は平穏な日々が経過し、重要な課題は放置される傾向がある。(とはいうものの、福島原発事故という究極の事態により不作為の罪に目が向けられつつはあるが)今の日本の政治家に必要なのは、課題を設定し、期限を切って実行する勇気なのである。この勇気という側面に関して、小泉元首相も含めて全くの不作と言える。それを思うと、任期中、ひたすら火中の栗を拾い、少しでもよりよい社会を後世に残そうとした氏の営みは誠に政治家としてふさわしい。氏を賞賛するとしたら、誰よりも英国の宰相らしく行動した、ということになるのだろうか。日本人としては外交問題が記憶に強い。ユーゴ問題など、人権に関する確固たる信念が中核にあることが成果を生んだ。彼がいなければより長い期間放置されたろう。しかし、むしろ国内の医療改革やアイルランド問題など、地に足を付けないと遂行できない地味な問題で成果が多かったように感じられる。若干世間離れしている感もあるオバマ氏に得て欲しい部分ではあるが。

 この種の立場に立つ政治家は、存命中には成果は部分的なものであったり、挫折したりという事が多い。他に私が尊敬する政治家として板垣退助や犬養毅を考えてみても、いずれもそうである。それでも、政治の要諦は人の考えであるので、それを少しでも良い方向に変化させた人物は、その国や地域の政治の土台として社会全体を底上げした成果があると考える。ウィルソン大統領などもそうであろう。また板垣氏を挙げるなら英国のグラッドストン首相を挙げるのがより適切と指摘する人はいるかもしれない。氏は第四次内閣のアイルランド法案を否決された。少なくともこの点で成果を出せなかったと言う事は可能かもしれない。しかし歴史の文脈で意味はあったのだと思う。21世紀のブレア氏も任期の最後にこの問題に注力したことを想起せずにはいられない。きっと過去の英国宰相にも思いを馳せていただろう。
 
 こういう政治家は気質として革命家的な部分を持っていたのだろうと思う。しかし、いずれの人物も議会政治というものを重視し、その支持を広げることにほとんどの労力を費やした。自制心と人権に対する良心が彼らのキーワードかもしれない。そして多少なりとも人間の政治意識を変化させた。民主政治が他の政治体制より多少はマシであるという理由は、歴史の経過と共に少しづつ進歩が期待できるという事が大きな割合を占めている。彼らはそれに最も貢献した人たちではないだろうか。出来れば現代の政治家にそういう人が現れ、棺が覆われる前に世の評価があれば、と思う。それが困難な事は、構造上の宿命かもしれないが。
posted by カワセミ at 01:29| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2010年12月27日

民主党政権と昨今の国内情勢

 何とか生活は出来ている。定期的な更新に復帰できれば、とは思っているのだが。

 書きたいことは色々あるのだが、昨今の民主党政権と国内情勢に関して、少しばかり所見を述べてみたい。今の日本が問題山積であることは間違いなくはあるが。もっともEUも散々な情勢ではある。ユーロ安でのドイツの風景とか、あれは何だろう。そりゃ庶民には輸出企業の恩恵の実感は薄いだろうが。

民主党政権:
 鳩山内閣はもちろん。管内閣になっても評判は散々なようだ。しかし私としては、世間の反応がむしろ妙に思える。事前の期待があまりに高すぎたようにしか見えないのだ。悪くすると日米安保が飛ぶ確率も2割くらいあるかなと思っていたのでこの程度の被害なら自民政権と大差ないので止む無しかと思っている。いや、皮肉ではなくて。結局、これは思想より実益を重視するという日本の伝統的な政治の風景を民主党もまた反映した結果なのだろうと思う。
 さて、現実の政権の出来という意味では、例えば小泉内閣と比較すると全く稚拙なのであろう。しかし小泉内閣は結果として業績は道半ばであった。最終的な歴史の評価としては、国民に改革を期待させながらそれを貫徹せず、貴重な時間を浪費したという定義で決着するように思えてならない。もちろん、これには色々と理由もあるのだろう。国民の容認度をチェックしながら進めた結果、急進的な改革は無理だと判断した節がある。竹中−中川秀直ラインの政策あたりはそのように見えた。しかしある程度の支持を有していた時期には多少無理をしてもチャレンジするのは支持率の高い政権の使命ではなかったのか、とも思う。例えば少子化問題などはどうか。確かにこういう究極のパーソナルな権利に関しては関与そのものを好まない性格の政権ではあったろう。しかし当時の団塊ジュニアの年齢を考えれば、英仏あたりの政策のバリエーションは必要だったと思える。雇用に関してはいうまでもない。硬直的な慣行には手を付けられなかった。防衛政策も集団的自衛権の問題は放置していた。つまりは勇気が不足していたのだろう。トニー・ブレアのように国民のために泥をかぶるというようなものが。結局国民の名における失敗を得ることは出来なかった。せめてそれが必要だったと思うが。
 一方民主党政権であるが、防衛政策などの一部で、かなり右派的な政策が通っている。これは政治家の力量というより、左派政権では右派的な政策を実行しやすく、右派政権では左派的な政策を実行しやすいという単純な力学の結果だと考えるべきであろう。恐らくこのブログを読んでいる人は、今まで政治が成熟した他の民主国家のようにならないことに疲れ切った知識人が大半だと思う。しかし冷厳な事実としては、政権が交代し、その執政の事実を評価するという、まさに現実を目の前にするというプロセスを踏まない限り、有権者の多数派に適切なコンセンサスは発生しないものなのだろう。民主主義はようやく再始動したばかりであり、後数回の衆院選を経ないと政党が政策で切磋琢磨する状況にはならないであろう。いずれにせよ、当面はこの惨状である。20年前にこの手順が踏めていれば、とは思うが。もちろん途中過程は混乱だらけである。ただ内容を仔細に見ると、民主党は政策は洗練されておらず大雑把だがやや速度重視という面もありそうだ。自民党だとまるで進まなかった面もある。となれば、民主党が強引に法案を準備して通し、政権交代した自民党が手直ししてまともなものにする、というパターンを前向きな構造として望めるかもしれない。もちろん現状では単なる希望の域を出ない。

経済政策:
 民主党政権下においては、(無理筋だとしても)単純に増税して福祉強化という流れかとも思っていた。しかし実際は必ずしもそうではない。競争力も重視しているという点では欧州の非マルクス的な中道左派に近い。妥協の産物ではあるが旧民社党あたりの位置にも近く本来のポジションかもしれない。しかし、国債発行に歯止めはかからないようだ。増税して福祉カットというのは無理そうなので、政策的にコントロールできないであろう長期金利の上昇を待つ形になるのだろう。これがまるで先が読めない。高齢化社会の現状、ずるずると歳出が拡大する見通ししかない。

格差問題、ベーシック・インカムの議論:
 この件は数字の積み上げが大事なので、ここでは全般的なトレンドだけ述べてみたい。それは給付、もしくは国からの手当や補助に関してである。項目を単純に列挙してみる。

・基礎年金
・医療費
・生活保護
・失業手当
・児童手当
・出産奨励
・その他、人権意識の進展による国からの補助

 いわゆる先進国に分類される国では、高齢化と低スキル労働者の失業率増大により、このように市場での解決が難しい給付的費用が増大している。そして個人間の経済的な価値の格差も増大傾向にある。昨今の格差問題の議論は混乱しているが、私は単純化すると次のようなものだと思っている。すなわち、グローバル化とIT革命により、知識人階級を中心として生産性の極端な向上が達成された。そのため、個人間の経済的な価値は格差が増大した。これがそのまま各個人の収入や社会的価値に反映されるのであれば、まだしも不満を抱く人も納得はしやすいのであろう。しかし社会は資本主義のルールで動いており、企業という組織単位で優劣勝敗は決定される。ここでの企業は中小企業や個人事業主も含めた広義のものである。もちろん圧倒的な競争力を持った個人事業主が良いのは間違いがないが、リスクもあるしそこそこ優秀というくらいではなれそうもない。そして競争は激しく企業の倒産も多い時代であるから、大企業に就職したり公務員になるインセンティブが一貫して増大している。日本のように一度属した組織から強制的に脱退させられることの少ない国ではなおさらである。世代間格差や新卒就職の問題など、本質はは全てここに帰着する。この問題は通常では永続性が高いと考えられるので、長期的には解雇規制の緩和などで流動性を高めることでしか解決出来ない。そのためある種の給付などセーフティネットは必須となる。
 上記の事情により、国からの給付的な費用はとにかく増大し続けるというのが近未来の見込みである。政治レベルではこれを単純化して効率的なものにしたいという事に継続的なインセンティブが発生する。そのためベーシック・インカムかもしくはそれに近い単純な基礎的給付制度の導入に日本(と多分欧州)は追い込まれていくのではないか、というのが私の考えである。ただしEUの一国が導入するのは現状かなり不可能に近い。
 実際の導入に関しては細部に魂が宿る的な様相を呈し、感情的な反発を抑え込むことに労力の大半が割かれるのだろう。一例として、給付打ち切りを回避するために就労しないということは無くなる、などという事例を強調するなどといったところか。ただ現在から80年代あたりの過去を振り返ると低スキルの継続的な労働者にベーシック・インカムがかかっていたと考えることもできる。そういう「旧き佳き過去」を想起させることも念頭に置いて、継続的な就労にはベーシック・インカムの金額を増大させるとかいう手段も執られるかもしれない。ただ今の民主党政権では、こういう現実に適用する段階で手を抜いて頓挫する傾向がある。
posted by カワセミ at 17:06| Comment(4) | TrackBack(1) | 国内政治・日本外交

2010年02月21日

ハイチ地震と孤児問題、およびフォーサイト記事について

 久々の投稿である。昨年目を悪くして以来散々である。手術後の経過自体はまずまず順調という話であるが、それでも元通りとはなかなかいかない。視野の周辺は少々歪んでいるところがあり、結果的に山のように残った飛蚊症も手が出ない形だ。全国的に有名な眼科をいくつか訪問したが、当面定期観察で様子見にするしかなさそうである。仕事や生活は何とか続けられるがとにかく疲れる。行動力が半減したというところか。まぁ、幸いにも黄斑部にまで被害が及ばなかっただけ良しとするしかないが。

 さて、今回は地震で大きな被害を受けたハイチの孤児問題を取り上げてみたい。国内報道が相対的に少ないと感じているからだ。後述するがこの問題は今月のフォーサイトでも取り上げられており大変参考になった。

 米国では後述する事件のせいもあり継続的な報道があるが、背景のまとめとしてはBBCのこの記事あたりがいいかもしれない。(参照1)日本のWikipediaも比較的記述は多い方かもしれない。(参照2)独立の時期は古いにもかかわらず、独裁的なデュヴァリエ政権が崩壊したのは1986年である。他の中南米諸国と比較してかなり民主化の速度は遅い方と言えるだろう。同じ島を共有するドミニカ共和国とは大きく運命を分ける形となった。これは経済面でも同様で、一人当たりのGNIはハイチが$660であるのに対し、ドミニカ共和国は$4,390となっている。(世界銀行より:参照3、ドミニカ国は別にあるのに注意)なおハイチは台湾と国交があり、台湾に大口の債権国にもなっている。今回ベネズエラのチャベス大統領の言動が目立つ形になっているが、これも大口の債権国という事情があるからである。(参照4)

 とはいうものの、最大の影響力があるのは米国であることに変わりはない。過去の占領統治などの責任もあり、難民受け入れなどにも積極的であった。今回もフランスの呼びかけに賛同して債権放棄を進めている。また米国では経済力のある人は養子縁組をして若年世代に貢献するべきと言う価値観もある。そしていずれも教会の影響力は強い。(話は飛ぶが、常に米国で争点となる妊娠中絶問題もこの文脈を考えなければならない。教会などが相当程度養子の世話までするから、産むまでは責任を取れ、勝手に殺すな、という話だ)今回問題になったのはハイチ当局に無断で子供の連れ出しを図ったという事件であり、米国では大きな報道となっている。(参照5)人道的な団体を不当逮捕したような印象も受けるが、実際はややこしい事情があり、当該の人々が人身売買と区別が付かない場合もある。国内では産経新聞が臓器狙いの側面もあるというニュースを流していたのが目に付いた。(参照6)この事件そのものの最新の情勢としては、裁判官は関係者の釈放を命じたが尋問のために残留しているという状況のようである。(参照7)

 誰でもいいからハイチの子供を連れてこいと空港で怒鳴る米国人や欧州人の姿は日本人にはピンとこないだろう。ただ、そういう人々からすると日本人は極端な血統主義者にしか見えないのも事実だ。北東アジアには概してこの傾向はあるとはいえ、高所得国の割にはモラルがない、と思われているのは確実だろう。国内ではハイチへの援助の遅れを危惧している声もあるが、実際は孤児受け入れの話をさっぱりしないことの方が欧米での評判を大きく落としているのだ。とはいえ、国民性の問題もあるので簡単な話でもなく、そのせいでもあるのか半ば報道はタブー視されている印象もある。だから何かしなければと言うわけでもないが、日本は地震国でもあり、被災者の若年世代への援助は適切だろう。せめて孤児院建設のための助成とか立ち上げ時の人員派遣とか考えるべきだろう。もっとも国内でも子供にかける費用の少ない国であるというのが近年の現実だが。

 ところで今回のエントリはフォーサイトの記事に触発された物である。というより、その記事を読み、基本的な知識を各種の公式サイトで読み、欧米の主要なマスコミのサイトを見ればこのエントリを読む必要はない。この雑誌が休刊になるというのはかねて報じられており、大変残念な思いをしていた。今回の記事は海外からの訳だが基本的には日本人の書いた記事が多い。これは重要なことだ。海外の論調を追いかけるのも大事であるが、日本人の目から見て書かれた記事も、しばしば外国から出てこない内容があるからである。日本人が国際情勢に精通すれば、日本のみならず世界に貢献できるとも思う。最近は貴重な雑誌などの休刊が目立つ。外交フォーラムの休刊予定も既に知られている話だ。池内恵氏のように寄稿する中で失望の意を表明している人がいるが全く同感である。ちなみに私も一読者として昨年フォーサイト編集部にメールしてみた。まぁ、少々値上げしてもいいから何とかならんかと一言書いた程度だ。そうしたら意外にも返信があった。もはや問題なかろうと思うので記名部分だけ削って転載する。
 
編集部あてのメールありがとうございました。「値上げがあっても」とまで書いていただき、本当に痛み入ります。
『フォーサイト』休刊決定にあたっては、読者の皆様には多大なご迷惑とご心配をおかけし、本当に申し訳ありません。にもかかわらず、暖かいメールをいただき、感謝の気持ちで一杯です。私たち編集部としては、精一杯の努力をしてきたつもりですが、力及ばず、今回の結果を招いてしまったことに忸怩たる思いがあります。今はただ、「価値ある雑誌だった」と評価していただけるよう、残る3号、良いものを作ろうと、次の企画を考えているところです。
この間、読者や筆者の皆様から、休刊を惜しむ声が続々と編集部に届いています。こうした声に接するたび、この雑誌を続けていくことのできない寂しさを感じると同時に、すばらしい読者に恵まれてきたのだという事実を再認識し、励みに感じる毎日です。本当に、本当に、ありがとうございました。
またいつか、何らかの形で「フォーサイト的なもの」を世に出せる日がくることを、私たち自身、願っています。それが、どんな形になるのか今はまったくわかりませんが、私たち編集部員が胸にともす「フォーサイトの灯火」が消えることはないと思います。またいつか、何らかの形でお目にかかりたいです。どうぞ、あと3号、見守ってやってください。


 そしてそれなりの反響があったのだろうか、今月のフォーサイトにおいて、今夏をメドに有料版のWebで復活する旨が記されていた。現在のようなままというわけにはいかないが、深く掘り下げた記事としたい、と記されていた。まだ具体的なことは記されておらず今後どうなるかは未知数だが、まずは復活を喜びたい。
posted by カワセミ at 04:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 世界情勢一般

2009年08月29日

近況と昨今の内外情勢に関する雑記(2009.08)

 昨年から眼病に悩まされ、最終的には網膜剥離で入院手術ということになってしまった。思っていたよりもかなり大変だった。評判の良い眼科ということもあり術後の経過は良いが、まだ何かと不便なのは否めない。とはいうものの、失明もせず生活も仕事も何とか継続できそうなので良しとするしかないだろう。追加で別の治療は考えないといけないかもしれないが。まぁ、そんなこんなで何とか生きている。

 すっかり世情にも疎くなったのでなかなか復活とはいかないが、せっかくなので様々なテーマに関するちょっとした所感でもメモして、久々の挨拶としておきたい。

衆院選:
 いよいよ明日が投票ということになった。今回は自民党が政権継続というわけにはいきそうもない。民主党も頼りない印象があるせいか世の中のフラストレーションは大きいようにも思える。しかし私としては、元々の期待が大きくないせいもあるが、今まで定期的な政権交代がなかった民主国家としては昨今の状況はまずまずなのではないかと思っている。もちろん真の論点は先送りにされ、数回の衆院選を経ないと意味のある論争は生まれないかとしれない。ただ30年くらいかかりそうなものが半分程度にまで縮められた印象はある。それはまだ見えにくいが良心的といえる少数派の議員、心ある官僚の努力の結果だろう。マスコミはもう一息で脱皮というところだろうか。紆余曲折は多いに違いないが。不安視されている外交・安全保障政策も、右派的政策は左派政権で実現が容易になるという性質を考えると、かなりの混乱を経た後に一定の成果は出せるかもしれない。歴史を振り返るなら、明治末期から大正期あたりの不安定な政党政治の時代がまた来るのかもしれない。その時とは異なり、今の日本人は議会政治の中にしか良い解は無いことを理解していると思う。

アフガン情勢:
 率直に言うと展望は悪いだろう。破綻国家が世界に悪影響を与えるのは事実なので全く関与しないというわけにはいかないが、投入コストは青天井になりかねない。コストを絞って封じ込めに舵を切る戦略が最も適切と思われるし、英国は以前からこの意見が強い。保守派の間ではコンセンサスが出来つつあると思うのだが、オバマ政権がどのあたりでバランスを取るつもりなのかはまだ見えてこない。失敗と評価されるにはまだ若干の余裕があるが、国内政治の帰趨によっては政治的資源が急速に失われかねない。医療保険改革がアフガン情勢に影響ありというのは筋違いに思うが事実だろう。しかし米国の現状を思うと、日本の健康保険制度は自国民があまり意識していなかった様々な要素によって支えられているということを実感する。

G2論:
 この種の言説に関して過剰に反応する必要はないと思う。過去は日本に関してもあったし、当面の成長エンジンに注目は集まりやすいものだ。ペッグ制の現実を考えるとG1論の変形の感もあるし多少の屈折も感じる。ただこの種のレトリックで持ち上げて国際的に有用な役割を中国に果たしてもらうというやり方はあるかもしれない。中国が貢献しやすい国際的な責務を民主国家で共同して考えてみるのは良い事だろう。例えば難民の受け入れなどは日本よりハードルが低そうだ。

新型インフルエンザ:
 ワクチン輸入に関して不用意な言及。正直ぞっとした。意味が分かって発言しているとは思えないが。今少し深刻な病状をもたらすウイルスであれば世界はどう報じたであろう。

核廃絶問題:
 この問題の本質を扱った論評が少ないと思う。つまり、この半世紀強という時間で、核技術を扱える国は潜在的に増加し続けてきたという事実を冷静に指摘しなければならない。1950-60年代あたりの、現在先進国といわれるような有力な工業国や地域大国の試みに
は、多くは米国が核の傘を提供するか、有効な安全保障上の関与を行うことで対処した。またこれは自発的に核開発を断念するに至った唯一のパターンであることにも注意する必要がある。そして、それらの米国の申し出に最終的に納得出来なかった国がインドなどのように核武装国となったわけだ。そして、パキスタンあたりを皮切りに、次の発展段階にあたるやや外交上の安定感に欠ける国々まで手を出せる段階に達したというのが21世紀初頭の現状というわけだ。リアリストの立場からこれに対処しようとしたら、核廃絶というようなテーマを挙げて時計の針を逆回転させようとするのは当然のことである。少なくともロシアをこれに納得させるのは充分可能と思われる。中国も現在の水準が高くないので微減程度で済むだろうし、核武装国の政治的資源は維持可能と踏めば協力は取り付けられる可能性がある。むしろ英仏あたりをどう扱うかがかなりの難題となる。
posted by カワセミ at 22:19| Comment(3) | TrackBack(2) | 世界情勢一般

2008年12月31日

2008年を振り返って

 別に1年のまとめというわけではないが、年末なのでちょっとした所感を記しておきたい。金融危機以来の状況の変化は大きいのでなかなか追いかけられない。エントリを増やしたいという気はあるのだが、どうにも途中で止まってしまうという状況だ。

麻生政権:
 これは私の個人的な予想が大きく外れた結果になった。首相就任直後のマスコミの報道には違和感を持ち、そもそも解散など微塵も考えていないのだろうと考えていた。なってしまえばこっちのものとばかりに、「解散するために就任したわけではない。内閣総理大臣の責務を果たすために就任したのである」とでも発言して平然と任期切れまで居座るかと考えていた。しかしその後の各種報道、本人の発言を見ると必ずしもそうではなかったようだ。もちろん公に出来ない事情があるのかもしれないが不可解に思える。なぜなら、逆説的だが今の首相の政治的な拘束条件はあまりないからだ。次の選挙は普通にやれば自民党は下野する可能性はかなり高い。負けて元々、勝てば自分の手柄くらいに思えば少々強引な事も可能である。もっと理解できないのは定額給付金関連の経緯だ。こういう施策は行政コストの単純化を第一に考えないといけない。年収にかかわらずとにかく配るとして、富裕層は負担を増やすことにして帳尻を合わせるだけの話だろう。経済畑の首相にしてどうした事か。外交面では悪い対応をしていなくても、基盤となるのは国内での立場の強さだけにどうにもならない。つくづく人物と地位の関係は微妙なものである。次の首相が誰になってもどうなるか予想が付かない。やはり選挙区の候補者選定と党首を含む党の要職を選出する予備選段階の民主化を相当強化しないと日本の政党政治の先行きは暗いのではないだろうか。

雇用情勢:
 逆境になると社会の悪い面が出てくるという点では日本に限らない。それでも、表面に出てくる事象に陰鬱さが目立つのは否めない。性格的にあまり明るい民族性ではない上に、儒教的な禁欲性が変な形で出てくる。そして日本の場合は福祉機能を一定程度企業にアウトソーシングしている面が強かっただけに、福祉機能ごと失われるという形で労働者へのダメージが大きくなる。一例を挙げると住宅だろう。欧州などは公営住宅にかなり力を入れる伝統があるが、日本は企業が寮を用意したりする。これは賃金以上に各企業の違いが大きいので、助成や優遇に関する措置は強化しなければならない。その一方で、居住は基本的人権の一環であるということもあるので、借地借家法などを再度整備して、企業の資産にも弱い義務を課すべきであろう。退去の通告は三ヶ月前には必要で、別途賃貸物件を紹介するなどの措置を取れば免責するといった具合か。事は住宅に限らない。必要なのは、基本的人権に関する保障というのをどの水準で行うかということなのだが、そういう大局的な議論は国政の場では極めて停滞している。その時その時のニュース性のある問題に対応するというのは、それはそれで一定程度大切だが、そればかりでは困るのだ。

地方分権:
 前述の内容とも関連するが、私はこの金融危機で地方分権の流れは一旦停滞すると思っている。理由は単純で、日本中で中央政府に対して何とかしてくれという声が上がっているからだ。少なくとも政治の問題としては市や県に上がってくるわけではない。そして相対的に裕福な自治体も、自分たちだけ財政的に切り離されればうまくやれると考えて行動しているわけでもない。(もちろん、ミクロなレベルでは別だが)結局日本人自体が中央集権が好きだということなのだろう。これは根深い問題で、人間の物の考え方に依存するだけに容易に変化するとも思えない。やるとするなら都道府県の合併くらいだろうが、これも簡単とは思えない。日本人の自覚は薄いが、今の都道府県の区分はかなりの伝統と権威を有しているのである。

Foreign Affairs:
 論座で日本語版を読んでいた人は多いだろう。休刊は残念なことであった。ただ英語版は本家を見れば良く、掲載状況は変わらないようであるのでそちらを参照するべきだろう。日本語で読めるものとしては、実は朝日新聞のサイトに一部の翻訳が掲載されている。(参照)軽く目を通すだけでも参考になることがあるだろう。一例として、個人的に気になったこちらの論文を取り上げてみたい。
 この論文、内容に大きく異を唱える部分はない。ただ個人的な所感としては、米国の政治文化における特徴かもしれないが、概して民主国家連盟なるものそれ自体の結束に関しては過剰に自信を持ち過ぎているように思われる。(困ったことにこれ自体は美点であり、必要であるのかもしれないのだが)というのは、この民主国家連盟なるものをどのような位置づけに置くとしても、それが権威を持つのは国益のための互助会としてではなく豊かな国の責務として義務を果たす時だけであろうと思うからだ。例えば日本にしても、これ以上の義務を果たすことに積極的になるだろうか?日本ほどでないにしても、米国以外の民主国家はどこも充分に計算高いと思うのだが。

田母神論文:
 上記の民主国家連盟もしくは類似の構想は以前からあり、日本はどうするべきかという本質的な議論は必要であり、先送りが続いているのが現状だ。それがこのレベルの問題で停滞しているようでは困る話である。それにしてもマスコミのみならずネット界隈でもこの問題に関する対応は極めて不可解である。通常、一定以下の水準の論説は話題にもならず黙殺されるのが通例で、今回もそうであろうと思っていた。それがこのような展開になるということは、自衛官の地位を奇妙なまでに過大評価しているということになるが、それは今までの世間の対応と矛盾してはいないだろうか。いずれにせよ軍人が偏った考え方を持っているということは世界的に見てもしばしばあるし、現状の自衛官もそれなりにはいるようだ。しかしながら文民統制の原則はあり、実際の行動には害を与えない成熟した状況が確立しており、こういうことがあれば更迭はされる程度の状況認識が自衛隊内部にあればそれで充分ではないだろうか。今回も問題の本質は国政の場での議論が稚拙であるということで、状況に変わりはない。
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2008年11月04日

米大統領選を前にして

米大統領選は間もなくである。長い選挙戦も終わり、次期大統領が決まる。そうなる前に一言くらいは書いておきたいと思う。

現在の所オバマ氏が優勢と報道されている。もちろん選挙の常として終わるまでは分からないが、州ごとの情勢で見るとマケイン氏はかなり苦しいようだ。金融危機以降はマケイン氏にミスがあったかもしれない。米大統領選は加点での評価と減点部分を厳しくチェックされるという二つの側面がある。そして今回の両候補、いずれも歴代の大統領候補の中ではかなり魅力的な方ではないだろうか。加点法ではいずれも魅力があるように思える。しかしながら、減点につながる部分を厳しく管理し、最小限に押さえ込んだいうことで、オバマ氏に軍配が上がるという結果に結びつくのではないだろうか。そして、恐らくは選挙後も見据えてのことであろうが、後で自分自身の言動で選択肢が狭まることも注意深く回避しているようにも見える。

オバマ氏の公式サイトであるが、issuesの部分を見ると興味深い。これは本人が語るメッセージもそうだが、概して倫理的な部分ではむしろ保守的なトーンを保っている。単にアルファベット順に並べているにも関わらず最初がCivil Rightsなのは今回の選挙戦の象徴かもしれない。実際に語っている政策はややリベラルな面もある。その一方でDefensの内容を見るとこれも興味深い。内容はブッシュ政権で出てきたテーマを忠実に継承し、最終的な仕上げの洗練化に注力するように見える。現国防長官の打ち出した拡大路線も継承するようだ。"Finally, it will establish the legal status of contractor personnel, making possible prosecution of any abuses committed by private military contractors."などは別にどうと言うこともないのだけど、裏方の仕事というより明確に計算できるリソースに組み込む意図に見えなくもない。

またimmigrationの部分も、ここでは何も具体策を語ってないようにも見えるが、うまい表現になっていると思う。米国人の皮膚感覚としては、恐らくではあるが、現状がうんざりするものになっているのでそれなりの現実解を示せ、ということではないだろうか。管理しようとだけ簡潔に述べているのはある意味反則ではある。Veteransもそれに近いかもしれない。しかし精神的ケアを重視する論調にしているなど、過不足無いコメントとなっている。

マケイン候補の公式サイトと比較すると面白い。同じissuesの欄はずっと詳細に具体的に記している。内容も手堅く、例えば同じVeteransの欄を見るとずっと具体的である。他の項目もそうなのであるが、選挙戦という意味ではどうだろうか。これは公式サイトの問題に限らないのだが、選挙でどちらかの候補を選択するという場合、全体としての倫理性、合理性、タフさ、国民との対話能力といった事が重視される。メッセージはシンプルで、かつすべての課題に関して同じように倫理的で、合理的な対処能力があると見なされる事が求められる。

今までの経緯を見ると、米大統領選がここまで長い時間をかける事にはやはりそれなりの意味があるように思える。広大な国で、物事が浸透するのには時間がかかる。両党の候補者は、私見ではもっとも人間的にはまともそうな人が選択されたように見えた。そしてどのような候補にもそれを懐疑的な目で見る人はいるものだが、報道が繰り返され、多くの人がその個人の様々な面を観察するだけの充分な時間が与えられることは、受け入れ可能なリスクを判定するための不可欠な条件ではないだろうか。

結果として、オバマ候補は対外的に道義的には正しいと見られながらもシビアに国益を追求する大統領になるかもしれない。そう考えると米国的と言うよりはカナダのそれに近いかもしれない。うまくいかない案件に対しても、最終的には管理可能な範囲で失敗を最小化するような手腕は見られるかもしれない。

あと12時間くらいで正式な結果は判明するだろうか。マケイン氏が当選したとしてもそう悪い大統領ではならないように思える。ただどういう結果になったとしても、私にとっては落ちた候補が惜しいなと思う選挙である。まぁ、日本人が外国の選挙に関心を持ち過ぎだと言われれば、返す言葉もないのだが。
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2008年08月13日

グルジア情勢とNATOの今後

 グルジアでの紛争が再燃し、大きな国際問題となっている。最新の報道ではロシアが武力行使を停止したとされており、小康状態にはなったというところだろうか。この問題はあまりに複雑な要因が絡んでいるが、国内報道への違和感もあるので多少言及しておこうかと思う。

 全般としてはBBCのこの記事が簡潔に南オセチアにおける経緯をまとめており有用だが(参照1)アブハジアも含めもう少し経緯を記述したものとして、(論調には異論があるかもしれないが)ル・モンドの以前の記事も背景として参考になろうかと思う。(参照2)またこれも少し以前であるが、このopenDemocracyの記事も推薦できる。(参照3)いずれにせよ、現地の状況と国際社会ではどのような枠組みで対応してきたかということが重要であろう。

 南オセチア・アブハジア両地域では比較的整然と選挙が行われ、実質的には国家としての体裁を整えている。そして上記の記事にあるように、グルジア領内で強く分離独立を唱えている両地域においては、住民の多くがロシア国籍を有しているということがある。つまりロシアとしては保護の義務があると考えていたわけである。そして分離独立はロシアへの併合となる可能性が相当高いと考えられる。次にこの地域には平和維持軍が展開しているが、これは欧州安全保障・協力機構(OSCE)の名目で出されているものである。実態としてはこの組織がロシア軍の展開に国際的な正当性を持たせるために容認したという事であろうか。しかしその一方で、アブハジアには安保理決議を受ける形で国連グルジア監視団も展開している。国連であるので複数の国が関係しており、また2006年7月のグルジアの挑発行為も非難されているということがある。(参照4)

 つまり南オセチアとアブハジアの両地域の状況は違うと多くの当事者は考えているのだろう。アブハジアはEUの経済協力も一定程度進んでいる。例えばイングリ川発電所などが代表である。治安が回復すれば従来のようにリゾート地として観光産業による収益も期待できるだろう。ちなみに2014年冬季オリンピックが開催されるソチはロシア領であるがごく近い位置にある。そして欧米の外交官も、独立は認めないとしながらも一定の交流があるようだ。その一方で南オセチアの産業は農業主体であり経済力は弱い。そのため南オセチアにおける行政府の主な収入は関税であり、国家として承認されてないため、通常では違法となるような内容も含むようだ。過去にはドル偽札への関与も報道されており、北朝鮮などと並列に扱われる形でワシントンポストその他が報道している。(参照5)そのため欧米や、何よりグルジアでのイメージは随分悪いものであったようだ。南オセチアはアブハジア、沿ドニエストルと共闘することにより独立を目指しているが、アブハジアと比較して不利と感じていたのは間違いなく、焦燥感は大きかったのではないだろうか。そして国境紛争は間断なく続いていたようだ。つまり今回の紛争、南オセチアの行為に対して大きな不満を抱えていたグルジアがいつも以上に過剰な反応を行い、ロシアがさらに過剰な反応で対応したというのが正確なところではないだろうか。

 日本国内では欧米がグルジア寄りとする論調が多いようだ。全体的にはそのように言えるかもしれない。しかしグルジアへの直接支援を性急に決定したというわけではない。ロシアの対応も平和維持に有害という形で非難している。OSCEの権威(そういうものがあったとすればだが)を低下させ、共に平和を維持する責務を果たしていないという見解は正確だろう。加えると、今回の軍事作戦が整然としたものであり、グルジアの現在の政府を打倒する作戦計画の発動を疑われたのも間違いないだろう。当然ロシアとしては様々なオプションを用意していたとは思うが。いずれにせよ、グルジアは正統政府を任じるからには南オセチアに多くの責任を果たさねばならず、一定の非難も当然であるが、ロシアの責務はそれ以上のはずであるということであろう。

 コソボに関しても以前エントリを書いたが、この時には各国がこれはバルカンでのみ適用する特殊例だというのをしきりに強調していた。対応に疲れ果てていた欧米各国の実情からは無理もない側面もあるが、やはりというべきか、このように影響が飛び火する。特にアブハジアは「こっちはコソボより条件が整っているのに」と思ったであろう。賢い指導者であれば将来のロシアとの合併を断念する条件で独立を得ることが出来たかもしれないし、場合によっては今後そういう展開もあるかもしれない。

 それにしてもこの種の事件が欧州諸国に与える影響は大きい。ただEU内にも温度差があるのは当然である。(参照6)以前ドイツなどの一部の欧州諸国は、グルジアのNATO加盟に関してその資格がある民主国家といえるかどうかの懸念を示していた。それは結果として当たっていたかもしれないが、しかしその一方で今回グルジアが主張する「NATO加盟が認められていればこのような事態は発生しなかった。ロシアに誤ったメッセージを送った」との主張もそれはそれで一理ある。欧州は正しさを実効性あるものに結びつけるのに苦労しているが、今回も例外ではないのだろうか。なお米国は一貫してグルジアのNATO加盟を支持しているようだ。これもこれで肩入れし過ぎかもしれないが、ただ関係国の未来がより明るいものになるだろうとは言える。

 さて、その一方でウクライナのNATO加盟に関してはドイツもかねてより支援方向であると伝えられている。(参照7)ウクライナではロシア黒海艦隊の帰港を許すかどうかなどで論争になっていた。今回の事態を受けて、ウクライナは全力でNATO加盟を目指すであろうことは容易に想像できる。これはNATOの大多数の国も容認方向であろうし、ロシアが反発するのも必至なので次のトラブルになることは間違いなかろう。今回、腰が引けた米国の威信低下を指摘する向きもあるが、全体としてはロシアが多くのものを失うのではないか。部分的な正しさが全体の行動の適切さには結びつかなかったように思われる。あまりにも周辺国に人気が無さ過ぎる外交は長期的に国益を害するのであろう。
posted by カワセミ at 23:12| Comment(0) | TrackBack(1) | カナダ・欧州・ロシア